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背負うもの

作者: 和草 風花

「お前、私はもう疲れたよ。」


老翁は隣に座った老婦に言う。


「私もです。疲れました。」


老婦も小さな声で返事をする。


ひっそりとしたビルの谷間の小さな公園には、彼ら以外誰もいない。


ただそこにある数本の木の葉が風に踊って悲しく鳴いているだけ。


雪はめったに降らない比較的暖かな地域だが、流石にこの季節は冷える。


必要以上に屋外にいたいと思う人は少ないだろう。


ひとつだけ立つ街灯はちかちかとついたり消えたりしていて、その周りにこの季節には珍しく一匹の白い蛾が飛んでいる。


不毛にも光に何度も身体をぶつけていた。


「虫も人も同じだなあ。」


老翁が呟く。


「ええ。」


老婦は小さな声で返事をする。二人はじっと、中を眺めていた。


「あの世はどんなところだろうなあ。」


「なんですか、急に。」


「別に急ではなかろう。きっと我らにはもうすぐ迎えがやってこよう。」


老婦は小さく笑うとそうですねえと小さな声で言う。


「月が奇麗な事。」


ビルの尾根から満月が顔を出した。


「あんなきれいなところだといいねえ。」


老翁が呟く。


「そうですねえ。」


老婦は小さな声で言う。


「今まで苦労しかない人生だった。思い出すのも億劫なくらい・・・。」


「そうですねえ。」


「人生、やり直してみたいものだ。・・・いや、もういい。疲れた。」


「ええ。」


二人はなんともなしに顔を見合わせ、老翁はため息をついた。


「もう誰も私たちのことなど気にかけやしない。この雑然とした世界で。」


「ええ。」


「ただ一度、幸せを感じてみたかったなあ。」


「ええ。」


互いの顔から目を離し、空を見上げれば、月はビルの陰になってしまっていた。


そして二人は、いつの間にか眠りに落ちていた。






「あー。うー。」


小さな声に先に目を開けたのは老婦であった。


「猫かしら。」


老婦の呟きに老翁も目を開ける。


「いや、まだ春には早い。」


「では、赤子でしょうか。」


「まさか。」


二人はじっと耳を澄ます。


「あー。あー。」


二人は、目を見合わせた。


「近くにおるぞ。」


二人は薄暗い辺りを見回した。


月はとうに沈んでいて、電灯は球が切れたのか、もう瞬いてはいなかった。


「あー。あー、うー。」


木の方で、何かがちらりと光った。


しかし、それは近づくわけでもなく、時々ほのかに揺れるばかり。


「いってみようか。」


「ええ。もう何も怖くはありませんから。」


二人は痛い膝と腰をゆっくり伸ばし、立ち上がった。揺らめく方にそっと歩いて行く。


光は公園と道路を区切るために植えられた木々の間から洩れていた。


「ここは竹の林だったか。」


不意に老翁が竹林の前で立ち止まり、辺りを見回した。


「知りませんでしたね。」


老婦も立ち止まり、そっと竹に触れた。


「こんなに木は茂っていたか。」


「知りませんでしたね。」


二人は顔を見合わせ、少しの沈黙の後、老翁は呟いた。


「いこうか。」




ざく、ざく。


一歩踏みしめるごとに落ち葉が犇めいた。


光は少しずつ、確かに近づいては着ていたが、なかなかたどりつけない。


「遠いな。」


「ええ。」


老翁が立ち止まったので、老婦も立ち止まった。


「引き返そうか。」


「いえ。参りましょう。引き返すのも、長いでしょうから。」


「それもそうだな。」


二人は、ざく、ざく、と進んだ。


時々風にのって赤子の声が聞こえ、それが大きくなるにつれて、二人の歩みは速くなった。


「光っておる。」


老翁の呟きに、老婦もまあ、驚く。


「もとひかるたけなん、ひとすじありける。あやしがりてよりてみるに・・・。」


「さすがに筒の中は光ってはおらんか。」


「ほんとうですね。」


二人は顔をみあわせて小さく笑った。


「愛らしいこと。捨てられたのかしら。」


「さて、どうだろう。」


二人の目の前には、小さな赤子が籠の中でご機嫌にしていた。


一緒に入っている懐中電灯を時々揺らしながら。


老翁がそっと赤子を抱きあげると、きゃっきゃと手足をばたつかせた。


老婦は籠の隅に入れられた白い紙を拾い上げ、懐中電灯で照らして読む。


「誰か育ててやってください。」


二人は顔を見合わせた。


「かぐやひめとでも呼ぼうか。」


「三寸ではないですけれど。不思議なこともあるものですね。」


朝日が昇り始め、あたりが明るくなってくる。


薄明かりのでも、そこが公園でないことはやはり明らかであった。


「私たちは死んだのか。」


「わかりません。でも、どちらでもいいじゃありませんか。」


「そうだな。」


近くに小屋が見える。どちらともなく、二人は歩き始めた。




「誰か、おられぬか。」


幾度目かの問いかけに返事がない。


老翁はぎしぎしと鳴く扉を無理やり開けてた。


「古い小屋だ。」


中に入ると足もとに舞う埃が朝日に映し出された。


「誰も住んでいないようですね。」


「拝借しようか。」


「きっと、そのために仏様が与えてくださったのでしょう。」


腕の中でにっこりと笑って頷く赤子に、二人も自然と笑顔になる。


「それでは遠慮なく邪魔させてもらおう。」




二人は赤子をかごに入れて外に出すと、玄関先にあった竹箒で部屋の埃を外に追い出した。


六畳ほどの部屋であったが、押入れには布団や服に風呂敷が掛けられたものが入っていた。


家の裏には井戸が掘ってあった。


「あの世というのも、不思議なところだ。」


布団を干しながら、老翁は服を洗濯している老婦に話しかけた。


「もしかしたら、閻魔様のところに行く途中のお宿かもしれませんね。」


風に乗ってかぐやの声が聞こえてくる。


「あー。あー。」


二人は手を止めて顔を見合わせると、微笑みあった。




かぐやはみるみる大きくなった。


食べ物は不思議なことに、必要な時に必要な分だけ、竹の木の根元に置かれていた。


「本当に、かぐや姫のお話の中に入り込んでしまったのかしら。」


竹林の少し開けたところで昼食を食べる手を休めて、老婦は九つほどになったかぐやの髪を撫でる。


「そうに違いない。こんなに幸せなんだ。」


二人の話を聞いて、かぐやは顔をあげた。


「お爺さんも、お婆さんも、幸せなの?」


老夫婦は顔を見合せて微笑む。


「もちろんだよ、かぐや。今までこんなに幸せだったことはない。」


「そうよ、かぐや。」


二人の返事に、かぐやは顔をほころばせて言った。


「ありがとう。」




毎日のように、この会話はなされた。そして、その度に二人は、言いようのない幸福感をかみしめる。


二人にはわかっていた。この幸せは長くは続かないと。


それはかぐやの成長スピードを見ればあきらかであった。


そしてまた、二人の体力の衰えから見ても、明らかであった。






「お爺さん、お婆さん、朝ごはんよ。」


二か月ほどすると二人は寝たきりになり、かぐやの介抱に頼って暮らしていた。


もう十五、六になったかぐやは、物語通り、美しい女性へと成長していた。


春を先取りした桜模様の着物がよく似合っている。


「ありがとう、かぐや。いつもすまないねえ。」


老婦が言うと、かぐやは笑顔で首を横に振った。


「何をいうの。


もしおじいさんとおばあさんが私を拾ってくれなかったら、私は今ここにはいないわ。


わたしの方がすまないと思っているの。


私の世話をしてもらったばかりに、こんなにお疲れになって・・・。」


言葉を詰まらせるかぐやに、老夫婦は慌てて首を振る。


「何をいうんだい。


わたしたちは、おまえに出会えて、こんなに幸せなことはないんだよ。


もう心残りなんぞないさ、なあお前。」


「ええ、そうですよ、かぐや。家にも食べ物にも困らず、温かい布団があって、かぐやがいて。


こんな幸せな時を、私たちは初めて過ごしているの。ありがとうね。」


かぐやは尋ねた。


「お爺さんも、お婆さんも、幸せなの?」


「ああ、もちろん。」


「幸せに決まっているでしょう。」


二人の返事に、かぐやは顔をほころばせて言った。


「ありがとう。」






「かぐや。」


夜、水を飲みに外に出ると、闇の中から何者かが呼び止めた。


「珍しいな。お前がここまで人を生かしておくとは。


いつもなら一瞬で生命力を吸いつくしてしまうものを。


なぁ、かぐや。」


かぐやは木陰にぼんやりと浮かぶ人の形をしたシルエットを睨んだ。


そこにあるのは、いつもの物柔らかな彼女からは、到底想像できない、冷たい瞳。


「その名で呼ばないでください。


今朝のやりとりをみていたのでしょう?


演技ですよ。そんな気に留めるようなものではありません。」


「そう言う割には、あの老夫婦に対してたいそうな扱いぶりだな。


一度に殺した方が楽でいいと言っていたのはお前ではないか?」


鋭い声に怖気もせず、かぐやは井戸の釣瓶を引き上げ始めた。


「前回の仕事がなかなか大変で、体力を使い果たして赤子の姿に戻ってしまったため、すぐに殺せなかっただけのこと。


ご心配なく。」


水のはった桶を引き寄せ、井戸の縁に乗せた。


「嘘をつくな。」


「私も少し趣向を変えただけ。


じっくりと彼らの生命力を吸い取る。


貴方の好きな殺し方ではないですか。」


「おい。」


声が咎めるように呼び掛ける。


月が雲に隠れ、辺りが一瞬にして暗くなる。


「なんですか。」


「強い強い憎しみを抱いたものだけが、死神になることを許される。


お前も望んで死神になったはずだ。


殺したい。


その強い望みの元に。」


人間から草花まで、生きとし生けるものの命を刈り、それを喰らう者達。それが死神。


天と呼ばれる上層部からの指令に従い、必要な命を刈り取るのが仕事であり、その命こそが彼らの糧となる。


女は返事を返さず、桶の中に揺れる水を見つめた。


「俺の仕事と代われ。」


「一度受けた仕事は最後まで」


「俺が、食う。」


声は彼女の言葉が終わる前にそう静かに言った。


その冷静さに、女は慌てて声の方に歩き出す。


「いいえ、これは私の・・・。」


桶が手を離れて派手な音を立てて井戸に落ちていく。


月が再び現れ、声の持ち主がもう木陰にはいないことに気づく。


驚いて振返り、小屋に入ろうとする男の背中に駆けよった。


「待って!お願い!殺す・・・殺すから、だから!」


「後三日だ。」


女ははっと顔を上げる。


「後三日やる。それ以上待てない。」


「嘘、だって本来ならばこの仕事は桜が咲くまでに」


「お前に新しい仕事が入ったんだ。上司に仕事をさせる気か?」


女は俯いて黙り込んだ。


男はため息をひとつ残して姿を消した。


月はゆっくりと傾いていった。






* *  *






血に濡れた鎌を背負い、女はひとり、次の仕事場に向かっていた。


その赤い血は、肉体から流れたものではない。


命に流れる、魂に流れる血。


鎌を伝いおりたその血は、桜色の着物を肩から赤く染めていた。


夜の闇の集まった瞳は、赤い血を避けて正面だけを見つめている。




着いたのは山奥の神社。


何にも目をくれず、女は境内を大股に進んでいく。


ここに来た目的はただひとつ。


「桜の老木か。」


ぽつりと呟いて立ち止まる。


神木として奉られていたのだろう。幹の周りにはしめ縄が巻かれている。


「こんな小娘に命を喰らわれるとは、貴方も思ってもみなかったでしょうね。」


もう大した精気も残っていはいない。


周りの桜の木が蕾を膨らませているにもかかわらず、この老木の枝は冬のまま、何一つ変わっていないように見える。


この老木に残された命程度ではお腹の足しにもならないことは一目でわかった。


女は鎌の先の血を指先でぬぐい、月光にきらめく切っ先を眺めた。


恐ろしく切れ味のよいそれは、女の端正な顔をくっきりと映していた。


風になびく長い髪の一本一本まで、着物に描かれた桜模様まで。


鏡代わりに使えるほど、よく磨かれた刃だ。


「貴方の下に、死体は埋まっているのかしら?」


女は老木を見上げた。


死にかけた老木は僅かな反応すら返さない。


「死体の栄養を吸うから綺麗に花をつけるんでしょう?


私たちみたいに。」


老木は弱い風に微かに枝をざわめかせた。


鎌の持ち手をこつんと幹にあて、女は頷く。


「そうね、似たもの同士ってところかしら。」


幹を数度なで、親しみをこめて軽くたたく。


「それでは、悪いけれど。


さようなら。」


鎌は振りあげられた。


今日三人目の命を刈るために。






*  *  *






 「じいちゃん!」


孫の高い声に痛む腰を伸ばしながら、神主をしている祖父が戸口から顔を出した。


朝陽が眩しく、手で額に庇を作って孫の姿を探す。


「ほう、これは。」


「この桜、今年はもう咲かないと思ってたのに、咲いたね!」


他の桜よりも一足先に咲いた神木の周りを、孫が駆けまわっている。


昨日まで今にも死にそうな老木だったのに、今は精気を取り戻していた。


「はて。昨夜、向こうからの客人が来ていたはずじゃが・・・。」


いぶかしげに木に歩み寄り、周りを見て歩く。


家の戸口からは見えない木の裏側に、桜の花弁がひと山あるのを見つけ、神主は目を瞬かせた。


「珍しいこともあるものよ。」


「お花が咲いたこと?」


不思議そうに首をかしげる孫の頭に手を乗せ、神主は首を振った。


「桜の木の下にはな、」


突然風が吹き、花弁の山を拭き散らしていく。


「あぁっ!」


残念そうに声を上げ、神主の手をすり抜けて花弁を追いかけて境内を駆け回り始めた。


「待てぇ!待てったら!」


その楽しげな様子に微笑みを浮かべ、神主はくたびれた手でそっと老木に触れた。


「老いぼれ同士、もうひと踏ん張り行くかの。」


老木は微かに枝をざわめかせ、花を散らした。


神主の眼には、その花弁が赤く染まって見えた。


「年寄りには重い荷物じゃ。」



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