幸せな時間-8
「そうでしたっけ?」
私はしらばっくれる。藤野さんはコーヒーを手に持って、それに視線を落とす。
「俺、彼女おらんし、付き合うたこともないって前に言うたやん?」
呆れたように笑っている。その横顔を眺めていると、藤野さんがこちらを向いた。
「今、大学でどんな授業受けてるん?」
藤野さんが私に尋ねる。
「話が急に変わりましたね?」
「……まだ、彼女がおるかおらんかの話続けたいん?」
「いえ、そういうわけでは……」
私の言葉が小さくなり、藤野さんは吹き出した。そして「どんな授業受けてるん?」と改めて同じ質問をした。それは、やや抽象的な質問の仕方だった。
「うーん、そんなのいろいろですよ」
「例えば?」
「例えば……今は死生学とか受けてます」
藤野さんのコーヒーを持つ指が、ぴくりと動いた。
「死生学ってどんな授業なん?」
死生学は簡単に言えば、死と死生観についての学問だ。その歴史から古代や近現代の死生観、宗教における死生観や日本人における死生観を学ぶ。その中には、現代が直面している課題である安楽死や尊厳死についても学ぶことになる。いずれ、誰もが迎えることになる「死」について学ぶというのは、少し不思議だけれど、興味深いことだと思っている。
「面白い?」
「うーん……内容的には重いなと感じることが多いですけど、普段の生活で死ぬことってなかなか考えないんで、いい時間なのかなとは思います」
藤野さんはコーヒーを一口ずつ、ゆっくり飲みながら聞いている。パイはもう食べ終わったらしい。
「小野さんは、自分が死ぬことって考えたことあるん?」
「うーん……この授業受け始めてから、漠然と考えるようにはなりましたね」
これまで、私は身近な人の死に直面したことがなかった。ありがたいことに両親も祖父母も元気だ。幼い頃に遠い親戚が亡くなって葬儀に出たことはあるが、自分が幼かったこととあまり会ったことのない人だったため、「死ぬ」ということがよく分からなかった。
「例えば、自分の大事な人が死んでしまうと分かったら――小野さんならどうする?」