玲Side「7月15日」
お父さんが事故に遭った。1時間前に母から聞いた私は、駆け足で父の眠る高玉病院の病室に向かっている。今、4階の病棟まで繋がる階段を、一足飛びで駆け上がったところだ。廊下に出てから一度、乱れた息を整える。遠目で黒いプレートに書かれた数字を順番に見ていく。手前の420号室から順次、見遣ると404号室と書かれたプレートが見えた。あそこだ。あそこに父がいる。けれども、とても不吉な数字だ。末尾が4。どうしても胸騒ぎがする。
何となく窓越しから空模様を一瞥した。目に映った光景は、不吉の権化だ。青い隙間を許すことなく黒雲が漂い、一つ二つと雷鳴が轟く。嫌な予感。あらぬ不安を拭い去るように頭を横へ振る。いよいよ扉の前に到着した。すると男性の咳き込む声! まさか。
「お父さん!」
扉を開けると緊迫した空気が漂っていた。閉め切られたカーテンの向こう側に、揺れる人垣の影が見える。そして苦しそうな、しゃがれ声が再び耳に入った。間違いない。これは父の声だ。まさか、お父さんは、危篤状態に……。
「お父さん、大丈夫!? お父さん!」
「おおっ! 玲。ごほっ、おかえり」
唖然とした。なんと、お父さんは怪我人のはずなのに、煙草を吹かしていたのだ。さらに点滴の近くに設けられた机には日本酒が……。あっけらかんとした父は、酒臭い口を開いて私の目を見る。
「玲、学校帰りに悪いなー。あっ、そうそう。親子とは言え、念の為の確認だ。見舞金持ってきたか?」
「おっ、お父さん!」
怒号の雷が落ちた。窓の外と、室内に。ぶん殴りたい衝動に駆られた私は、病人服を着た父の襟元を掴む。すると私の腕や肩を誰かが掴んできた。辺りを見回すと。白衣を着た主治医らしき中年男性と、母が目に映る。どうやら、見かねた私を止めに入ったようだ。
「玲! 落ち着いて。あなたの気持ちは、もっともだけれど。私も殴ってやりたいけれど、
今は堪えて」
「お嬢さん、おやめなさい。殴ったところで保険は下りませんよ」
「おい、お前ら。誰も俺のことを気にかけんのか!」
襟元を掴む腕を下ろして、お父さんを睨む。まったく、何考えているんだか。
「いや玲、実はよ。俺は確かに轢かれたんだ。まさかパチンコの帰りに轢かれるとは思ってもなかったぜ。でもな。この通り、大事には至らず、どこもかしこも、アソコもピンピンよ。まるで奇跡だ。神様からの恩恵かもな。まあ俺は、見ての通り。いい男だからな。きっと女神様も惚れちまったんだぜ。こりゃあ、退院したら抱いてやらんとな」
「先生、申し訳ございません。あの人は昔から酒癖が悪くて。本当に申し訳ございません」
父の醜態から、お母さんは頭を下げていた。先生には、私からも申し訳ない。母に倣って頭を下げた。本当に、なに言ってんだこのバカ親父は。娘や他人の前だぞ。
「見ての通りって、頭に包帯がグルグル巻かれているじゃない。全然カッコよくない」
「ああっ? そんなことねえだろ。なあ美郷?」
父は、お母さんの名前を呼ぶけれど、無視した様子で病院の先生に平謝りしていた。
「きっと恥ずかしく直視できねえんだ」
「違うって」
「それでな。相手さんも悪かったって言って。これな。持ってきてくれたんだ。高玉地酒の『玉殺し』こいつあ、良い酒だ。のど越しが違う。のどがパカって開く感じだ」
一升瓶を手にして笑う父を見て、私の頭上に雨雲が立ちこめる。
「そうなんだ。それならその一升瓶で頭も、パカッて開かせようか!?」
再び室内に雷が乱れ落ちた。我慢ならない。この親父、ひっぱたいてやる。
「よせ、玲! そんなもの振り上げちゃいかん!」
「だまれエロ親父! 頭だけでなく、お前の『玉』も殺したろうか!? ああん!」
「やめろ! お前の生まれ故郷だぞ」
取り乱す私を、先生やお母さんが抑えに入った。
「玲、我慢して。本当は、腕にも包帯巻かせたいところなのよ。我慢なさい」
「お嬢さん、お止めなさい。保険が効くので、生かしたほうが得ですよ」
「だから、お前ら! なんで俺を擁護してくれねえんだ!?」
嵐の去った病室を後にした私は、母と一緒に帰宅する。父との問答に疲れ果て、自室に戻りベッドへダイブした。まあ、でも元気そうでなにより、としよう。
「ああ、疲れた。それにしても、なんで私のお父さんって下品なんだろう。私なんか、あんな破廉恥なこと絶対に言わないのに。本当に、あの人の娘なのかな?」
父の遺伝を受け継いでいないことに安堵して、神に感謝した。とりあえず父のことは忘れよう。身体を起こして、バッグに手を伸ばす。中を漁りスマホを取り出して、再びベッドに倒れる。これが最高。気持ちいい。
私の日課、というかついつい見てしまうものが動画投稿サイト。父と違ってヤラシイものじゃないよ。見るのは、やっぱりyoutube。特に雑学系をよく見る。実際に起こった事件を漫画で解説する動画や、都市伝説について、投稿者が説明する動画が好きかな。それと、あなたへのおススメって形で、youtube側がピックアップしてくれるものも見る。ただ、アカウントが家族共有のものだから、お父さんも検索して見ている。それで、肌色のサムネ動画が表示されることもあった。あのエロ親父め。
忘れようと思ってサイトを開いたのに、と愚痴りながら下にスクロールする。あなたへのおススメまでスワイプさせると、気になるタイトルが飛び込んできた。
「呪われた、パチ屋?」
なんでこんな動画が? と疑問に思っていると、一つ心当たりがあった。エロ親父だ。あいつがパチンコ系の動画を検索していたのだろう。私なんて触ったこともないから、興味ないけれど。ただ、こんな動画を見る人なんて奴くらいだからな。そういえば、病室で父が「まさかパチンコの帰りに轢かれるとは」なんて言っていたけど……。その言葉が気になって、自然とサムネをタッチしていた。
再生が開始されると、緑色の龍の仮面を付けた投稿者が映し出される。すると、カメラの前で自己紹介。
『くんにちわ。スロットのメダルより女子の手を握りたいこと、りょくりょくですー!』
うん。出だしから最低だ。こいつも玉殺し決定だな。
『今回は、巷でまことしやかに噂されている、呪われたパチ屋について紹介していこうと思います。それでは、イクイク』
タイトル通りじゃないか。私の中でこの人の好感度は皆無に等しかった。時間の無駄かな。では、この動画からおさらばしよう。
『一つ目。DSGマリーナ高玉店。444番台の呪い』
高玉……店?