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操Side「7月27日」

小町の吉報を受けてから、藍の風鉄道を経由して円山市に向かう。駅を降りて都会の山脈の中を掻い潜り、彼女の所属する「ライト・ウィズドム探偵事務所」に到着した。この高層ビルの中に事務所がある。

ビルの総合受付で氏名と要件を伝えた。受付嬢が小町に架電しているらしく、アポイントの確認を行う。彼女から許可が下りたようで、オレは受付嬢から入場許可証を受け取り、首にかける。事務所に入る際は、この許可証を使って、入室するルールとなっている。毎度のことだが、この手続きは面倒くさい。

ようやくエレベーターを使って8階に向かう。目的の階で扉が開くと、コンサートホールで見るような、広場が目に入った。相変わらず映画かドラマのような場所だ。とてもビル内とは思えない。

白いシャツを着た会社員たちの人波が去来する。オレもビル内に事務所を構えているが、こんな雑踏とした場所は、気詰まりしてならない。

彼女の事務所は、ホールの左側にある。緑色で塗られた扉が目印だ。赤色や青色の扉を通り過ぎ、突き当たって、その緑色のドアの前に立つ。扉横に事務所名の記された銀のプレートが貼られている。ここだ。

 入室する際、総合受付で手渡された入場許可証を、事務所扉横に設けられたカード認証機にかざす。ドアの解錠する音が聞こえ、ノブを引いて入室した。

中には黒いスーツを着た男女が電話を取ったり、パソコンに向かって事務作業したりする姿が映る。決して遊びに来ているわけではないんだが、凄くオフィス感が漂う室内で、いつも何か申し訳ない気持ちに駆られてしまう。

 室内を見渡していると、同じ許可書を首にかけた小町が近づいてきた。社員の場合、首のストラップは青色らしく、オレのような来訪者はオレンジ色だ。

本来、事務所にユーザーが招かれることはない。小町たちの場合は、カフェなどで依頼者と相談するらしく、本拠地を明かすことはしないそうだ。また、個人情報保護の観点から、調査に関する書類を印刷して外出することは禁止。ノートパソコンの持ち出しも禁止している。依頼者に調査結果を伝える場合は、電話や直接会っての口頭のみらしい。ただし、企業絡みの場合は関係者を、こうして事務所に招いてくれる。他の探偵事務所は、どうしているか知らないが、小町のところはセキュリティを重視しているみたいだ。流石、大手だな。

「おっはー、操ちゃん。来てくれて、ありがとう」

「いや、感謝を言うのはオレのほうだ。こんな急務なのに、もう青年の正体を掴んだなんて。本当に仕事が早い」

 感謝の意を込めて、彼女に頭を下げた。頭上から「いいよ、いいよ」と快活な声音が聞こえる。顔を上げると、小町は「こっち来て」と笑顔で手招きしていた。後に続き、オフィスの中心を抜けて、小会議室らしい部屋まで案内される。

 蕭条とした室内だが、全面張りされた窓から街中を望める為、妙な解放感を得た。ただ、自分の事務所と雲泥の差を感じて、少し落胆する。椅子に腰かけると、小町が隣に座った。机上に置かれていたノートパソコンを彼女は立ち上げ、フォルダにカーソルを当てて、次々と開いていく。

「操ちゃんに見せたいものが、これ」

 身を乗り出して画面を覗くと、フォルダ内にワードファイルが幾つかあり、その一つのタイトルは「霊視による青年身辺調査」と書かれていた。小町が、そのファイルを開くと、横書きで書かれた文章が出現する。

「イラストの青年についての情報をまとめたファイルなんだけど、先ずは、ざっくりと分かったことを伝えるね。その内容を踏まえたうえで、この文章を読んだら理解しやすいと思う」

「なるほど。分かった。改めて熟読しようと思う」

「うん。それじゃ、1つ目なんだけど、彼の正体が分かったって電話で伝えたよね。今朝の6時頃に部下が八ツ屋町の近所住民に聞き込みしたの。すると、或る住民の方が一ヶ月前にイラストの青年と、どこかの男性が口論していたところを目撃したんだって」

 八ツ屋町。マリーナに近い場所だから、もしかすると青年はマリーナの近くに住んでいるのだろうか。また、その男性となぜ口論になったのか、それも気になるところ。

「それで、言い争いは10分くらい続いたそうよ。一部始終見ていた、おばちゃんが興味半分で青年に、口論の理由を聞きに行ったんだって。相手は、会社の上司」

「会社の上司?」

「うん。ここからが重要なポイント。彼は接客業をしていて、勤め先が『DSGマリーナ』だったの」

なるほど。青年はDSGのパチ屋の店員だったのか。となれば、霊視で見た映像から察するに、彼はギャグラーコーナーの担当者と考えられる。

「そして2つ目。情報聴取した、おばちゃんに店長の写真を見せたらね。ビックリした様子で、この人と口論していたと供述したそうよ」

「そうか。昨日、店長がイラストを見て驚愕していた理由は、これで判明したな。しかし、疑問が一つ浮かぶ。なぜ彼は店長と口論になったのか。それも朝方に。何に対して言い争っていたのか、分かるか?」

「うん。どうやら、お客さんとトラブルに遭っていたみたいね。詳しいトラブル内容は分からないそうだけど。それで彼が店長に相談しても、逆に叱られてばかりで、腑に落ちなかった。というのが理由らしい」

 青年は客と揉めていた。その客が444番台しか打たなかったと考えれば、合点がいく気もする。彼がギャグラーのシマ担当ということを常連さんは知っていた。だから、台の設定を上げるよう青年にいちゃもんをつけて、両者間はトラブルに発展したのではないか。こう考えれば自然だろう。

「とりあえず、操ちゃんに大まかな情報は伝えたよ。悪いけれど、ファイルの印刷は禁止されているから、あとは手帖に必要なところを書き写してね」

「とんでもない。かなり貴重な情報だ。彼がパチ屋の店員だと分かれば、あとは444番台との明瞭な関連性を炙り出せば、何か見えてくるかもしれない。呪いの元凶とか。解決策とか」

 とはいえ、分からないことは累積するばかりだ。この呪いは彼による仕業なのか。そもそも青年は生きているのか。生きているのなら、一体どこに? 不明点ばかりだ。

「小町、この青年の名前や住所は分からないのか?」

「ごめん。今、調査しているところ」

 実を言えば、名前や住所から残留思念で何かしら手掛かりを掴むことはできる。ただし、それは親父ほどの能力がないと不可能だ。もし分かるのなら、親父にも協力を仰ぎたいと考えている。それだけ時間がない。明後日には新台入替が行われる。

ノートパソコンの右下に目を落とすと、時刻は朝9時を示していた。既にマリーナは開店している。

「悪い、小町。この後、予定は入っているか?」

「えっ? どうしたの」

「今からDSGに行って、もう一度、店長に情報を聞き出そうと思う」

 今できることは、これしかない。小町に顔を向けると、心配そうな面持ちで見つめている。

「大丈夫、操ちゃん? だって、出禁になったんでしょう。自分たちの話を、まともに聞いてくれるか、どうか」

 彼女の言う通りだ。今、ホールに行ったところで門前払いを喰らうだけだろう。

「そんなことは、分かっている。でも、今は動かなきゃ。例えダメもとでも、やらなきゃダメなんだよ。この呪いを一刻も早く解く為にも」

 強い口調で答えたばかりに、室内は少し居心地の悪い雰囲気と化す。それでも、オレは詫びる素振りを見せたくなかった。これは意地だ。呪いの連鎖を必ず食い止めると、四所山さんや葛城さんに誓った意地なんだ。その為にも小町に、オレの想いが届いてほしい。そんな気持ちを胸に、瞼を閉じて返答を待つ。

「もう……。操ちゃん、分かったよ。それじゃあ、自分の仕事を他の人に振り分けるから、一緒に行こう」

「小町、ありがとう」

 店長と対峙する際、探偵の小町が隣にいれば、なんとなく心強く思える。今のオレは、押しつぶされそうなメンタル状態なのだろう。それでも、この呪いを解けるのは、オレしかいない。あと2日。やるだけやらねば。


 ビルの地下駐車場まで向かい、小町の軽四に乗り込む。車はマリーナまで走り出した。円山市から八ツ屋町に差し掛かった最中、突如として雷光が龍のように走る。さらに、風が強く吹き荒れ、車体を大きく揺すり始めた。ワイパーを最大速度にしないと、視界が見えないほどの悪天候に激変する。呪いの魔手がオレ達を襲い始めようとしているのか。そう思えるほど天候は激変したのだ。

 荒々しい雨の中を走り抜け、マリーナに到着した。警備員の方々の姿はなく、駐車スペースも空いている。出来るだけ入り口から近いスペースに駐車して、小町と顔を見合わせた。お互い降車して、足早に自動ドアまで駆けだす。

 昨日と打って変わって、遊技者の数は減却していた。ギャグラーコーナーまで向かい、シマを確認する。40台ほどあるコーナーで稼働させている人は、2人だけだ。その内の一人は444番台を打っていて、放出メダルは500枚前後だった。あれだけの犠牲者が出たのに、まだ打つ人がいるのかと思い、憮然とする。

 気を取り直して、店長の姿を隈なく探す。どうも彼はスロットに嫌いがあるのか、パチンココーナーで見かける気がする。次に海シリーズのコーナーを見渡すが、いない。牙狼コーナーにも姿はなく、無双コーナーに足を向けた。台にリモコンを向けている、オールバックの髪型の男がいる。

「操ちゃん、佐竹店長さんだよ」

 彼女の言葉に頷き、お辞儀をしながら彼に近づく。意外なことに、店長は怒鳴り散らさず、オレの顔をじっと見ていた。どこか無気力を感じさせる、疲れ切った表情だ。

「店長さん、すみません。出禁でありながら……」

「今度は、なんですか。隣の方は?」

「はじめまして。探偵をしています明智小町と申します。実は、2週間ほど前に店長さんが口論されていた、人物について調査していまして……」

 小町の言下、店長は伏し目になり、深い溜息を吐いた。以前と違う態度に、違和感を覚える。彼の身に何が。店長の様子を眺めていると、彼は頭を擡げて口を開く。

「分かりました。もう知っていることを話します。いつもの事務所で、いいですか?」

 予想外の言葉に、息を呑んだ。しかし、この機を逃すまいと言わんばかりに「お願いします」と頭を下げた。とにかく敵意を見せず、穏便に済ませてしまおう。小町もオレに倣って頭を下げていた。

 店長の後ろを付いて、関係者以外立ち入り禁止のドアまで進む。その道中、他の店員から退場するように忠告されたが、店長が介入してくれた。みんな驚いた様子でいたが、無事に事務所まで通してくれる。

 ソファの置かれた部屋まで案内された。すっかり見慣れた革張りのソファに座る。その隣に小町が腰かけるが、少し引きつった顔をしていた。部屋の四隅にグラサンを掛けた男が4人もいれば、誰もが怯えるか。

 正面のソファに店長が座るが、その様子は意気消沈としていた。両膝に肘をついて、項垂れている。察するに体調は芳しくなさそうだ。

「店長さん、大丈夫ですか? 昨日とだいぶ、様子が違いますが」

 鈍重な動作で上半身を起こし、額に手をやった。その姿勢のまま、口を開く。

「緑川だ……」

「緑川?」

「ああ。あんたが持ってきたイラストの男の名前だよ。あいつが毎晩、夢に出てくるんだ……」

 慌ててオレは鞄から手帖を取り出した。イラストの男の名前を書き記す。店長の言葉を逐一、書き残すつもりでペンを握る。

「夢に出てくるとのことですが、それはいつ頃からですか?」

「9日前からだ。あいつは何も言わず、ただ、悲しい顔で俺のことを睨んでくるんだ。それが、俺に対する恨みなのか、何なのか知らない。俺は悪くない、はずだ」

 彼は店長に何かを伝えたいのか? 手帖にメモを残している最中、小町が店長に質問を投げかけた。

「一ヶ月前のことで質問します。緑川さんと口論になっていたと近所住民から聞きました。その際に緑川さんは、お客様とトラブルに遭い、店長さんに相談されたと伺っています。よろしければ、その相談内容を教えていただけませんか?」

 店長は力なく頷き、机のどこか一点を見つめている。弱々しい声音で説明してくれた。

「あいつはギャグラーのエリア担当者だったんだ。前々から、同じ台に座る常連のおばさんにクレームを付けられて、困っていると聞いてたんだ」

 予想通りだ。やはり緑川さんはギャグラーコーナーの担当者で、常連さんに目を付けられてトラブルになったんだな。そう考えていると、小町が質問を続ける。

「クレームというのは?」

「ああ。低設定ばかりにして、常連を大事にしていないと説教されて、困っていると聞いていたんだ。でも、そんなお客一人の為に、その台を次の日に高設定に変えるなんてことはしない。だから、そんな客は無視しろって言ったんだ」

 なるほどな。しかし、設定変更していないと、あんな連日5,000枚なんて、普通は出ないはずだ。まさか、彼は店長の命令を無視して、設定を変えたのか。推測を立てる最中、店長は話を続けた。

「それから、一週間が過ぎた頃。いきなり、あの444台が出始めたんだ。5,000枚以上も出ていたから、おかしいと思ったんだ。設定は変更されていない。なのに連日、狂ったように出始めたんだ。だから俺は、あの朝、緑川と話をしたんだ」

 なに? 設定変更していない。それはおかしい。設定1の機械割は約96パーセント。確率で言えば、連日5,000枚以上の放出が続くのは、設定6でも極めて低い。況や、設定1なら、ほぼ不可能だ。

「待ってください。設定変更していないのでしたら、どうして連日あの台が?」

「そんなこと、俺が知るか! でも、確かに設定は1になっているんだよ。1でもメダルが出るから、設定を2、5、6と変更して様子を見たんだ。それでも不思議と出るんだよ。それから設定は1のままにして変えていない。どれだけ変えても、出てばかりなんだ。どうしようもないんだよ」

「どうしようもない……。今、緑川さんは、どこに? 既に退職されたのですか?」

 緊張が走る。店長の言葉で、彼の生存が分かるからだ。座り直した彼は、その安否について答えた。

「正直、分からない。あいつと最後に会ったのが、約20日前の7月6日だ。それ以降、連絡先に掛けても自宅の住所を訪ねても、どこにもいない。行方が分からないんだよ」

 なんてことだ。緑川さんは、行方不明。あの台の凶行の原因を知る人物は、彼以外に皆無だ。ここまできて、何か手掛かりは掴めないのか? 次の一手を模索する最中、小町が店長に次の質問をぶつけた。

「店長さん。もし、もし可能であれば、緑川さんの作業ロッカーを見せてもらえませんか?」

 ロッカーの中を、小町は調べるつもりなのか。しかし、そんなところを調べて何になる。

「中をですか……。本当は良くないのですが、分かりました」

「ありがとうございます」

 不思議だ。同じ佐竹店長とは思えない。突如、こんな協力的に動くとは。

「店長。つかぬ事をお聞きしますが、どうして私達に協力してくれるのですか? 昨日は私を出禁扱いまでしたのに」

 投げかけると、店長は「すまなかった」と頭を下げた。そして、その理由を語り始める。

「あの444番台で4人も人が死ぬなんて、思ってもいなかったんだ。それに、連日、夢の中に緑川が出てくる。もう、怖くて、怖くて……」

「店長、4人亡くなったのですか? 私の知るところで言えば、高玉市末広町開発長の四所山さん。北地新聞社の(いく)(るみ)さん。Youtuberの寺井二択さん。この3人とお聞きしていますが……」

「ああ。間違いない。新聞に載っていたからな。でも、最初に死んだ人は、そのクレーマーだよ。台が5,000枚出始めた日に、心臓麻痺で亡くなったからね」

 緑川さんにクレームをつけた方は亡くなったのか。

「新聞には載らなかったけれど、他の常連から教えてもらったよ……」

「店長。どうしてまだ、あの台を稼働させているのですか?」

「本部から稼働させるように言われているんだ。あの台の口コミ効果で、今月の利益は潤っている」

 大きくため息を吐いた店長は「でも」と言葉を足していく。

「でも俺が、本部に苦言を呈しても、ダメなんだ。あいつら、金しか頭にないから」

 そういう理由だったのか。なにも店長が好き好んで、台を稼働させていたわけではない。設定変更して台を操作していたわけでもなかった。彼も、呪い台に苦しめられた、犠牲者の一人だったんだ。

「本当に、あんたらには、すまないことをした」

「いえ、いいんです。そういう事情だったのですから」

「ありがとう。よし、それじゃロッカーまで案内します。こちらです」

 席を立ち、店長に案内されるまま、事務所を出る。狭い廊下を歩き、更衣室の前に着く。彼が腰に付けた鍵の束を取り出し、解錠した。ノブを回して「どうぞ」と室内を手で差す。

 会釈してから入室する。ロッカーが並び、着替えるスペースは狭小と呼べるほどだ。片手を伸ばすと、ギリギリ指先がついてしまう。順番にロッカーの名前を見ていくと、店長が「そのロッカーです」と指さした。彼の指さすロッカーを見ると、名前は緑川と書かれている。手前に引くと、開いた。どうやら鍵をかけていなかったらしい。中を確認すると、空っぽの状態だ。

「くそ。制服さえあれば、残留思念で情報を得られたのに……」

「うーん。後は綺麗になにもないね……。あれ? 操ちゃん、これ、手帖じゃない?」

 小町が手にしたものは、ポケットサイズの手帖だった。手に取り、霊視を試みる。すると、脳内に彼の見た映像が浮かび上がる。444番台を打つおばさんと言い合っている様子の映像だ。この人がクレーマーか。どうやらOLらしく、スーツに会社支給の記名章が付いている。刻印された青文字で綾部と書かれていた。

映像が切り替わり、今度は店長と口論する内容。これまで聞いた話と合致していた。ここから、奇妙な映像が見えてくる。

 視界が暗夜で、小さい光が二つほど確認できた。横に並んでいて、白い光の間には闇が広がる。二つとも、その場で留まり、まるで動かない。何だこれは? と思えば、すぐに映像が切り替わり、444番台を触る場面が映る。これは、基盤? 台を空けた裏側の基盤を触っている映像だ。これが意味するものは、一体? 霊視した映像は、ここで途切れた。

 目を開けて、再び手帖に目を移す。小町が「大丈夫?」と肩に手をかけてくれた。心配そうな彼女の顔を見て「ああ、大丈夫」と答える。

 手にする手帖を裏返すと、白い塗料ペンでフルネームが記名されていた。名前が「緑川力(りき)()」というらしい。表に戻し、一ページを開く。内容は業務のことで埋まっていたが、444番台のクレーマーの愚痴が綴られていた。辛い、俺は悪くない。怨恨を抱いていた節が、所々感じられる。

ただ、一つだけ、気になる一文を見つけた。

――綾。もうやめてくれ。

この綾というのは、綾部さんのことだろう。乱暴に書かれて、一字一字の間の開きが広いから、きっと綾と書いたのだと思う。しかし、やめてくれと走り書きするということは、よほど耐えられない言葉や言動を受けたのではないか? 相当、恨んでいたんだな。

 読み進めると、途中で破り取った形跡のあるページにつく。どうやら、この破り取ったページに、呪い台の情報が書かれているのだろう。誰かに見られたら、マズいような。そんな情報が。

 それ以降は何も記入されていない。何か使えるかもしれないと思い、手帖を鞄に納めた。まだロッカー内に何かあるかもしれない。そう思い調べてみるが、何も見当たらなかった。店長に頭を下げて、更衣室から退室する。手帖が見つかっただけでも、この霊視が出来ただけでも、大きな進展だ。

 小町と相談し、一度マリーナを出て、界隈のタリーズで打ち合わせることを提案した。彼女は「オッケー」と了承する。去り際、遊技場と繋がるドアの前で、店長に謝辞を述べた。

「店長、本当にありがとうございました。私が必ず、この問題を解決させますから」

「明才地さん。お願い致します。どうか数々の無礼、本当にすみませんでした」

 お互い会釈して、騒音にまみれる遊技場へ出る。店内は少しばかり客が増えている様子だった。自動ドアまで歩み続け、戸外に出る。外の雨は豪雨ではなく小糠雨が地面を濡らしていた。小町の停めた車まで歩む。

 細かな雨に包まれる中で、四所山さんの奥さんや、店長のことを考える。あの二人のことや、亡くなった三人のことも。突き動かされる衝動に、オレは「小町」と名前を呼んだ。

「うん? なに」

「必ず、この呪いを解決させよう」

「分かってるって」

 彼女の声に希望を感じながら、マリーナの敷地外を目指す。近々、青空が顔を出してくれる。この雨を見ていると、そう信じられた。


 タリーズでランチのスパゲッティとコーヒーを注文し、品物が到着するまでの間、緑川さんの手帖を見返す。見落としている重要な箇所がないか、何度もページを見直した。しかし、どれだけ往来して見返しても、何も得られない。あと一歩。この呪いの直接的な原因と、解決策があれば、問題が終わるのに。

 悶々とする思いを抑えながら、小町の表情を見る。彼女も険しい面持ちでいた。ただ、なんだろう。なにか、オレは重要なことを忘れている気がする。それがなんなのか、浮かばない。

「操ちゃん、今は休もう。脳は使い続けていると、疲労して十分な力を発揮できなくなるからね。コーヒー飲んで、一息つこう」

「まあ、そうだな……」

 小町に言われるまま、手帖を一度、鞄に戻す。スマホを取り出し、最高セブンのデータを確認した。444番台の最高レンジは2,000枚。また交通事故が起きるのだろうか……。

 昨日、誰が打っていたのか気になった。あのライターさんなのだろうか? そう予想していた時だった。向こう側に座る小町が「操ちゃん」と呼びかけてくる。

「どうしたんだ?」

「昨日のマリーナに来ていたライターさん。マリリンさんだっけ? その人、昨日の夕方6時頃にバイク事故に遭ったらしいよ。今、ネットニュースに情報が載っている」

「なんだって……」

 なんとなく嫌な予感はしていた。444番台で2,100枚枚を出したのは、マリリンさんだ。ライターさんの場合、他の遊技者から台を譲ってもらうことが、たまにある。恐らく朝一に稼働させた人が、マリリンさんに台を譲ったのだろう。そこから稼働させて2,100枚出した。その帰り道にバイクがスリップし、怪我を負ったのだろう。

「くそ。昨日の最高レンジを出したのは、マリリンさんだったのか……。あの台で2,000枚以上から3,000枚以内で出した場合は、交通事故に遭うと聞く。葛城さんのお父さんも、同じく交通事故だ。マリリンさんが打ったと捉えて、間違いない」

 腕を組み「うーん」と唸る。その直後、小町が訝しい表情で質問をぶつけてきた。

「ねえ、操ちゃん。それって、最初に話していた動画サイトからの情報だよね? そのメダルの数で、呪いが決まるというか」

「ああ、そうだ。依頼者の葛城さんが見た動画で解説されていたからな」

「あの呪いの台を取り上げた動画だよね。それならさ。なんでその動画投稿者は、その枚数で交通事故や心臓麻痺って言い当てられたんだろう。マリーナに行って、間近で見てないと、入ってこない情報だよね」

 それが謎で仕方なかった。小町に問われて、返答に困る。なぜだろう、と呟き、彼女に視線を移す。

「オレも考えたんだが、分からん。その人物に会って話を聴取したいと思っていたが、音信不通で連絡がつかないんだ」

「うーん。連絡とれないのか。ちなみに、その人の名前、なんていうの?」

「確か、自己紹介で『りょくりょく』と言っていた。龍のお面を付けて、都市伝説やオカルト話をするyoutubuerだな。探せば出てくるはずだよ」

 投稿者の名前を伝えると、小町は彼の名前を何度も口にする。下顎に指を当てて、反芻している様子だった。なにか、引っ掛かることでもあるのだろうか。

彼女を観察していると、店員さんが注文した品を持ってきてくれた。テーブルに料理とホットコーヒーが置かれる。小町を尻目にカップを持ち上げ、一口啜った。その時、彼女が顔を上げて「ねえ」と話しかけてくる。

「操ちゃん。多分なんだけど。その、りょくりょくって人――緑川さんだよ」

「小町。なぜ、そう思うんだ?」

「さっきの手帖、見せて」

 彼女に言われるまま、鞄から黒い手帖を取り出して、机に置く。何も言わず、小町は手帖をひっくり返して、名前の記載された箇所を指さした。

「この名前。見ていて、なにかピンとこない?」

 白文字のフルネームを見据えたが、正直、何も分からない。緑川力哉。衷心に言わせてもらうと、凡庸な名前である。キラキラネームでないし、男性らしい名前だ。

「すまん。全く、ピンとこない」

「それじゃ、この漢字を訓読みじゃなく、音読みで言って」

 音読み? つまり名前で認識するのではなく、ただの漢字として捉えるのか。

「音読みだと、りょく、せん、りき、や。違うか?」

「操ちゃん。力は他に、なんて言う?」

「力? りき、の他は、腕力のりょく……。えっ?」

 思わず口元を押さえた。名前には、りょくと言える音読みが二つある。そして、動画配信者の名前は、りょくりょく。

「分かった? 操ちゃん。その配信者は、自分の本名から名前を取っていたのよ。だから、りょくりょくって名乗ってたんだよ」

 確かに、小町の言う通り。りょくりょくが緑川さんなら、444番台の情報をネットで公開できる。しかし、本当に彼が緑川さんなのか? それに、どうして動画にアップロードしたのか? その点も分からない。

「だが、小町。それは、ただの偶然じゃないのか? 失礼だと思うが、彼の名は平凡すぎるだろう? ありきたりな名前だから、たまたま暗合しただけかもしれないぞ」

「ふふっ。操ちゃん。もう一つ、緑川さんだと証明できる要素がある。さっき、この手帖を手にして霊視した際、何が見えたか。もう一度、言ってみて?」

 手帖を持って扇ぐ小町の態度が、どこか得々と見えるのだが。それはさておき、霊視の際に見えたもの?

「えーっと。最初に見えたのが、暗い空間に二つの灯りが、横一列に並ぶ映像だ。その次に、444番台の台を開く映像が浮かんで……」

「ストップ! 操ちゃん。その光について、もっと詳しく」

 この情報を詳らかにする必要性が、どこにあるんだろう。二つの光の正体が魂とか、ツインソウルで実は双子の兄弟がいるとか、その点かと思ったのだが。

「そうだな。白くて小さい光が二つ並んでいた。二つの光は間隔があって、離れていたよ。それで全然動かないんだ。その場で固定している感じに見受けられたよ」

 ニヤリと口角を上げた小町は、勝ち誇ったような面持ちで話を切り出した。

「それだよ、操ちゃん。その二つの光の正体、実は、それは光じゃない」

「光じゃない? なら、なんだというんだ」

「ふふん。操ちゃんが見た映像の中に答えがある。霊視で見た内容で、暗い空間に光が二つあったんだよね。さっきの仮説でいうと、緑川さんは、りょくりょくさんだとするよね。動画サイトで、りょくりょくさんは、龍の仮面をつけている。ということは?」

 白い光は光じゃない、暗い空間、龍の仮面……。まさか!? あの光は!

「操ちゃんの顔。どうやら気づいた様子ね。そう、白い光の正体。あれは、龍の仮面越しで見ていた、りょくりょくさんの視点そのものだったのよ」

 体中に電気が走った。そうだ、間違いない。あれは緑川さんの視点だ。視界が狭かったから、ぼんやりと見えたんだろう。もしかすると、自宅で撮影していて、部屋の白い壁を見ていたのかもしれない。仮面に隠れて撮影用のカメラが見えていなかったのかも。あの映像は、緑川さんが動画撮影している最中の映像だったのか。その可能性が高い。

「小町、言われてみれば、確かにそうかもしれない。緑川さんが、りょくりょくなら、呪い台を間近で見てきているだろうからな。ネットに情報を上げることも可能だろう」

「そうね。となれば、この事件は緑川さんが、そのクレーマーに対する怨恨から起こした事件じゃないかしら? そのクレーマーを亡き者にしたくて、444番台に呪いをかけた。じゃない?」

小町の推理で考えれば妥当と言える。そうなると、その後に見た444番台の映像。あれは、なにか呪いの細工に関する映像なのか? 例えるなら、呪術用の札やシールを貼ったとか? しかし決定的な瞬間を目撃したわけじゃない。まだ呪いの発端となった糸目をつなげていない状態だ。そこが一番知りたい情報なのに。

少しずつ逼迫していた呪いの解決に向けて、前進している。そう思うと、僅かに肩の荷が軽くなった。その癖、彼に対する疑問が泉のように湧く。

「それはあり得る。だが、そうだとすれば疑問点が3つある」

「3つ? なになに」

「1つ目は、なぜ彼はクレーマーが亡くなったのにも関わらず、呪いを放置しているのか? 殺したい相手がいなくなったのなら、普通は呪いを解くはずだ。手帖内容を見れば、クレーマーに対する憎しみしか書かれていない。そんな人間が無差別殺人に切り替えるだろうか? そして、2つ目は、どうしてネットに444番台の情報をアップしたのか。私怨であれば、わざわざ情報を乗せる必要性はないだろう? 3つ目は、オレからの連絡をなぜ拒否するのか? その理由も分からない。彼について調べれば、調べるほど謎に満ち溢れている」

 彼女に胸の内の疑問を伝える。うんうん、と小町は頷きながらパスタを啜っていた。顔に似合わず、食べ方がえぐい。まるでラーメンでも食べるかのように、音を立てて啜る。テーブルにトマトソースが散らばり、小町の唇もソースまみれだった。実に下等な喰い方だ。

「小町。そんな下品に食べるなよ。せっかくの可愛い雰囲気が台無しだぞ」

「ふぇ? そんなことないよー。それより、操ちゃん。話を戻すけれど、りょくりょくさんの動画って、他にも見た?」

 紙おしぼりで口元を拭いながら、小町はオレに問いかけてきた。

「他の動画か。全く見ていない。まあ、動画のサムネだけ一瞥して見た感じだが。心霊スポットに行ってみたとか、新台の沖スロを打ったとか。どうもオカルトとスロットを中心にアップロードしている投稿者としか認識していなかった」

「そうかー。ねえ、操ちゃん。これは自分の勘なんだけど、一度りょくりょくさんの動画、調べてみたほうがいいんじゃない? もしかしたら、この444番台を話題にした動画があるかも」

 彼女の言う通り、何かの動画で言及しているかもしれない。そもそも、りょくりょく氏を霊視していないから、試みたら新たな情報が得られるのでは。

 既に冷えたパスタを小町に与えて、オレは彼の動画を漁った。どうも、りょくりょくと名乗って活動している期間は長く、3年前から投稿をしているらしい。投稿数は400本以上。これを全部閲覧する気力は皆無だ。まず時間がない。似たり寄ったりのサムネイルを上下にスクロールさせていると、一つだけ気になるタイトルが目に飛び込んできた。

「黒魔術士と対面してみた……」

 りょくりょく氏の仮面と、ペイントされた本題が映るシンプルなサムネだ。この黒魔術士と会ったという内容に惹かれ、動画を再生させる。店内にいることも踏まえて、少しだけ音量を下げた。概要欄に目を向けると、投稿日は一か月前。6月下旬頃だろう。まだ呪いが発生する前の動画だ。概要には本当に魔術師は存在したと書かれている。ロード時間が終わり、再生が始まった。

『くんにちは。入れるならお金じゃなくて、穴に入れたい。あっ、メダルの投入口ですよ。こと、りょくりょくですー』

 冒頭部はミュートにしておけばよかった。下劣な自己紹介が周囲に渡り、小町の視線が痛い。頼む、そんなジト目で見ないでくれ。

『今回は、いつもみたいな都市伝説や考察系の紹介動画ではなくてですね。なんと、本物の黒魔術師に会ってみようという、ちょっと珍しいロケの内容になります』

 この説明の間に、霊視を行う。正直、雑念が入る場所は集中して映像を読み取ったり、汲み取ったりすることが難しい。だが、頭に映像が徐々に浮かび上がる。

 暗闇が広がる空間に、二つの白い光が見えた。これは、間違いない。緑川さんの手帖から読み取った映像と酷似している。となると、やはり正体は緑川さんだったのか。さらに、霊視を続けていると、スロットの設定を触る場面が映る。しかし、基盤を触る映像は映らない。場面が変わった。この場所は、どこだ。誰かの家か。民家の並ぶ田舎町が見えたと思うと、ここで映像は途絶える。何も見えなくなった。

 スマホの画面を見遣ると、りょくりょく氏は、どこかの民家に訪れている。さきほどの、田舎町に来ているのだろうか。家の佇まいは寂れた外観で、年季の入った古い家屋と思われる。彼は、すりガラスの引き戸を横に開いた。すると、中から顔にモザイクのかかった人物が映し出される。

 白い半袖ワイシャツに、グレーのスラックスを履いた風体だ。失礼だが、どうも普通のおじさんに見える。りょくりょく氏と玄関前で挨拶する声は加工されていた。この人が黒魔術士? と訝しんで眺めていると、驚くべきことに気付いた。

「おい、小町。小町」

「どうしたの、操ちゃん。何かあったの」

 ほぼ間違いない。この魔術師の正体は……中武だ。

「オレ、前に知り合いの霊能力者が交通事故起こした話をしただろう? そいつだよ。そいつが、映ってんだよ!」

 小町にスマホを差し出すと、パスタを咀嚼しながら画面を見下ろす。

「なんで、その霊能者だって分かったの?」

「見てくれよ。彼の右手。ギプスをしているだろう? これは、奴が事故って骨折したからなんだよ。快癒するまで、確か全治1か月のはず」

 言下。彼女に説明している最中、中武と思わしき人物の右手にカメラが寄る。りょくりょくがギプスを付ける彼の手に質問した。

『ちょっと、ちょっと。どうしたんですか、その右手は』

『実は先日、事故に遭いまして。一か月の骨折なんです』

『ええっ! 骨折ですか』

 ほぼ間違いない。交通事故は一か月前に起きた。右手を骨折して、全治一か月。そして、職業はスピリチュアル関係。この3つを兼ねた人物が偶然、他にも存在するとは考えにくい。そうなれば、黒魔術士として紹介されている人物は、中武だ。でも、なぜ彼が? オレの知る限り、奴は浄霊を行う霊能力者だ。黒魔術を使うだなんて、初耳だぞ。

 食い気味に動画を注視する。りょくりょくは家の中に入り、畳の広がる部屋まで案内された。そこで、黒魔術について質問をする。黒魔術とは、どんなものなのか。最初は発祥の歴史から魔術の種類まで、根掘り葉掘りインタビューする内容だった。りょくりょくが感嘆の声を上げ、次の質問に移る。

『それでは、その黒魔術に使う道具を見せてもらえますか?』

 そう彼が言うと、中武は分かりましたと告げる。画面が切り替わり、机上に道具が陳列している場面に移った。陰陽師が使う人型や、御札が机に置かれている。道具をあらまし眺めていると、或る道具を見つけて、思わず息を呑む。一つだけ赤い文字で書かれた御札が混じっていた。

 皺まみれの札で真ん中に太く乱れた「怨」という字。突如、身体に虫唾が走る。半分ほど飲み干したコーヒーが、まるで逆流するほど、頗る吐き気に見舞われた。前かがみになり、項垂れてしまう。頭上から動画の音声と重なり、小町の心配する声が響く。

「大丈夫、操ちゃん! しっかりして」

 頭を擡げて、彼女の顔に目を向ける。胃の不快感は消え失せたが、代わりに頭痛が襲う。

「すまない、小町。なんとか、大丈夫。しっかし、酷い霊障だ。あの、赤い文字の札を見た途端、得もいえぬ不快感に襲われて」

 直ぐ動画に視線を移すが、ここで霊能力者と、りょくりょく氏は例の札について話し合っていた。

『最後に、こちらの札ですが、これ不気味ですね。文字が赤いって。真ん中にデカく怨と書かれていますね。周りの細々した字も、なんか血で書いたような感じに思えて、怖いですね』

『その御札ですが、ちょっと曰くつきの札でして……。知人から譲り受けた物なんですが、どうも自殺を図った方が、死ぬ間際に自身の血で書いたようです』

 確か中武は、残留思念が使えないはず。ならば、と映し出される札を霊視してみると、目を覆いたくなる光景が浮かぶ。

 最初に映し出された光景は細い誰かの手首だ。体毛がなく、肌もきめ細かいから、うら若き女性の手と思われる。四方が壁に囲まれた個室で、もしかすると、ここはトイレかもしれない。左手首を注視する光景から一変、カッターを握った右手が見えた。刃の表面は照明に反射して、女性の怯える瞳を鮮明に映す。やめろ! 本能的に声が出てしまった。

「みっ、操ちゃん?」

 小町の声が聞こえた直後、女性の左手首下から血が滲み出る。泉のように湧き続け、地面が赤い斑点模様に染まる。それにも関わらず、刃を肉に押し込め、手前に引いた。夥しい出血に、思わず目を背けようと身を翻してしまう。

残留思念中、基本的に視点者の音声は聞こえない。しかし、彼女の天を仰ぎ、のたうち回っているであろう視点。生々しい映像で、聞こえるはずのない叫び声が聞こえてきそうだ。白い便器が深紅に染まり、床も赤々としている。手首だけでなく、体中の至るところをカッターで切り付けていた。その度に、細かい血が噴き出し、床に振りかかる。まるで、止むことのない雨のように……。

静脈を切った苦しみからか、左手で壁を掻きむしっている。伸びる手の先にポスターが見えるが、なにかのアニメキャラか。女の子が見え、周りに色んなキャラクターが集合している。まさか、これはパチ屋のポスターじゃないのか? 店の名前はアルファベットでkeysと書かれていた。どこにある店だろう。

驚きも束の間。彼女は血だまりで転がる鞄を手にし、中から例の札を取り出した。血染めの指で字を書くところで、映像は途絶える。

 酸鼻たる映像だった……。心臓が早鐘を打ち、マラソンでも走ったような息の乱れ様だ。胸に手を当てて、映像について考えた。

個室トイレで自殺を図った女性の映像なのは確かだ。実際、パチ屋での自殺は他でも起きている。殆どの理由が借金絡みや、店員や客との恋愛のもつれ。負け続けて自暴自棄に陥り、店に対する復讐から行う自決など。あの映像の女性も、パチンコ絡みで自殺したのではないかと思われる。ともなれば、彼女の浄霊も必要になるかもしれない。

 気づけば、動画の再生は終わっていた。小町に目を遣ると、おどおどとした様子で、俺を見ている。うっすらと涙まで溜めていた。

「すまん、小町。大丈夫だ。かなりキツイ映像が見えたから」

「そうだったんだ。なんとなく想像つくから、あえて聞かないよ」

「賢明だと思うよ。まあ、一つだけ言えるのは、あの赤い字は女性の血だ。パチ屋のトイレで自殺したみたいだ」

 小町は伏し目がちになって、黙座する。今は繁盛する店内の声が耳に入るばかり。当座、この席だけ通夜のような陰鬱な空気が漂う。ふと沈黙を破るように小町が口を開く。

「あの、さっき動画全部見たけど、りょくりょくさんは札を買った場面とかなかったよ。でも、撮影していないだけで、購入している可能性は高いんじゃないかな」

「そうだな。あの札を購入して444番台の基盤裏にでも貼ったんじゃないかと思う」

 推測を伝えると、彼女は無言で頷いた。

その冷たい空気が揺蕩う中で、情報を脳内で整理する。1つ目は呪術師の正体が、同業者の中武だと分かった。ただ、なぜ彼が札を、りょくりょくに渡したのか? それが不明だ。2つ目は呪いの札をりょくりょく氏が中武から手に入れたこと。先ほどの赤文字の札から得た霊視結果を見れば、その札を444番台に貼ったと考えられる。

けれども、ここで問題が浮上した。小町は、この厄介事について知らない。血で書かれた札には真ん中に「怨」と書かれ、その中心の周りには、小さな文字が記されていた。

「実はな。小町、あの札についてなんだが」

「なにか分かるの?」

 口の中の渇きを潤す為、手前にあるカップを手にして、コーヒーを一口啜る。すっかり冷えた一口を飲み込み、彼女に視線を映した。

「確か、あの札は人を呪い殺す、いわば呪殺する符の一種だ。まだ大学院生の頃、課外授業でスピリチュアル協会を訪れたことがあってな。その際に呪いについて学んだのさ。呪い方から解き方まで、多岐に渡って勉強した期間があった。もちろん人を呪わば穴二つ。だから悪用してはいけませんよって先生は仰ってたけど」

「すっ、凄いね。スピリチュアルの世界も」

「でだ。この呪符による場合。明確な呪いの解き方がある。呪いを解く為には『儀礼の札』と呼ばれる札の存在が必要だ。基本的に呪う為の呪符は、呪い解く為の札とセットにするんだ。だから、もし中武の元に、あれば、呪いは解ける!」 

 小町は朗らかな顔つきになり、その様子に少し安心する。しかし、再び謎が浮かぶ。なぜ自殺した彼女は呪符を持っていたんだ? 普通、呪殺する符は、自然霊の集う霊山の木々で作られた和紙でないといけない。スピリチュアルな知識を持っていないと、用意なんてできないはずだ。一体、どこから用意したというのか?

もしかすると、この444番台の呪いは、もっと根深い問題なのかもしれない。あまりにも、多くの人と謎が絡んでいる。でも、あと2日しかない。気になる疑問は沢山あるが、今は呪いを解決させることを優先させなければ。そう思案していると、小町の「でもさー」という声が耳に入った。

「その札って、中武さんのところにあるのなら、取りに行かないといけないよね。それに実際にあるかどうか分からない。もしかしたら、りょくりょくさんが所持している可能性も。ねえ、操ちゃん。中武さんと連絡取れないの?」

「実は、そこまで中武とは親しくないんだ。彼は父の手伝いをしていたことがあるだけで、オレとの面識は、そこまで。親父に聞けば、分かるかもしれないが」

「うーん。そうか。でも、一応さ。お父さんに相談してみたら? 連絡先を知っているのなら、事はスムーズに進むだろうし」

 小町の助言通りにしよう。オレはスマホを掴んで、連絡先を開く。明才地啓之の名前をタップして、架電してみる。地方公演で忙しい父だから、繋がるかどうか。

『もしもし、操か?』

 繋がった。父の声に一安心したが、直ぐに事情と要件を伝える。葛城さんから依頼を受けて、444番台について調べていることから、中武の持っていた呪符のことまで。噛み砕いた説明になったが、大略伝えられたと思う。すると父は「中武なら」と居場所について教えてくれた。

『あいつは確か東北の人間で、出身は青森だ』

「青森、なのか」

 予想を上回る言葉に、一瞬だけ眩暈が襲う。もし、連絡しても繋がらなかったら、青森まで行く破目になる。そうでもしなければ、呪いを解決する札は入手できない。

『俺も奴に連絡してみるが、お前も掛けてみろ。連絡先言うぞ。メモ大丈夫か?』

「準備できている。言ってくれ」

 急いで鞄からペンと手帖を取り出し、父の言う電話番号を走り書く。

『何かあったら、すぐ連絡してこいよ。かなり危険な案件だと思うから』

「親父、すまん。その時は、頼む」

 切電して、重い息を吐きだす。黙って見守っている小町と目が合う。彼女を尻目に、父から教えられた番号をタップして架電してみた。コール音が鳴り響き、10回超えたところで「電波の届かない場所にいるか……」とアナウンスが流れる。仕方ないので、切電し、用件を綴ったショートメールを送った。

 どうなっているんだ。りょくりょくも、中武も、連絡がつかない。どうして、連絡の取りたい人物に限って連絡がつかないんだ。

 嘆いても前進しない。すぐさま、父に架電して結果を報告した。親父は「うーん」と唸り、ちょっと待ってくれと言って保留になる。暫くして「もしもし」と保留音が解除された。

『お前、この後、予定とか入っているか?』

 嫌な予感しかしない。でも、多分そうなるとは思っていたが。

「いや、ない」

『そうか。本当に申し訳ないが、中武の住所を名簿に控えているから、現地に飛んでくれないか?』

「やっぱり……。でも、そんな気がしていたからな。いいよ。行こう」

 住所をメモしている最中、一つ嫌な予感がした。りょくりょくも、中武も連絡がつかない。ということは、二人とも、既にこの世にはいないのではないかと。悪い料簡が渦巻く。もし、中武が死者と化したなら、交霊して聞き出すことも可能かもしれない。だが、それでも現地に奴の霊がいるなら、青森まで行かなければ交霊できないのだ。どのみち呪いを解く儀礼の札は中武氏の家にあろう。つまるところ、青森行きは確定している。

 マネージャーと仕事の打ち合わせがあると父がいうので、礼を伝えて切電した。小町に目を向ける。

「小町、ありがとう。お前のお陰で、りょくりょくの正体を掴めることができた。本当に感謝しているよ」

「なーに言ってんの、操ちゃん。まだ事件は終わってないでしょう」

「いや、でも、小町も聞いていただろう。今からオレは青森に旅立たないといけない。中武に会って、事情を説明して、呪いを解く儀礼の札を手に入れないと」

 脇に抱えていた帽子を小町は被った。つばを目深にする。

「操ちゃん。ここまできて、あとは頑張ってねーって、そんなことできないよ。自分も最後まで、付き合わせてよ」

「小町、お前……」

「ここまで一生懸命、依頼者の為に頑張っている人を、見過ごすなんて、できないなー。青森行きなら、飛行機の手配が必要だよね。ウチに任せて!」

 自分の案件が終わったにも関わらず、最後まで解決に導こうとしてくれる彼女の姿勢に、オレは胸が熱くなった。

「ありがとう、本当に、ありがとう」

 嬉しさのあまり、彼女に手を差し出す。にひっ、と笑って小町は握手してくれた。熱い想いが胸の中を巡る。そして、心に誓いを再度、立てる。四所山さんや皆の為にも、この呪いの連鎖を終わらせる、と。


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