第九話「銀杏宮」
~1698年1月15日 オリンピア大王国 オリンポス市郊外銀杏宮~
銀杏宮(ギンナンじゃ無くてイチョウ)はオリンピア大王国の首都オリンポス郊外にあるデネスカ村の近くに位置し、876haの広さを誇る大宮殿である。オリンポスにアレスやアテナ、アポロン、アルテミスが訪れた際の宿泊施設として機能しており、普段はそれぞれの使用人やアレス派の貴族たちが居住している。一種の要塞としての機能もあり、第二近衛師団、第三十二魔導師団、第一魔導騎兵旅団が常駐している。
又、銀杏宮の敷地内にある水仙宮はパウルの別邸となっている。
馬車に乗って銀杏宮の銀杏並木を抜け、宮殿に到着するとアレスは貴族たちや平民出身の使用人たちからも熱烈に歓迎された。二百年前に身を挺してまで国を守った英雄の帰還である。アレス派の者達は熱心な愛国主義者が多く、平民だろうが奴隷だろうが貴族だろうが同志ならば余り溝無く接しているようだ。
三時間ほど色々な歓迎を受けてやっとアテナ達と合流できたアレスは、現在の情勢と今後の方針について話し合うことにした。
「それで?この国にはどのくらい僕の味方はいるのかな?」
アレスは、これまたふかふかのソファーに疲れ果てたような表情で倒れ込みながら、アテナに質問する。
「今、この宮殿に居る各貴族たち。大貴族ではフリギア公にクレタ公、パルテノン主教公ですかね…軍部は近衛師団と外征軍、そして、ポセイドニア守備軍団です。基本的に南部貴族と都市、参謀本部は基本的にお兄様を支持しております」
意外と味方少ないのね。国の半分くらいが味方位の規模だと思ってた。
「逆に敵は…?」
恐る恐る聞いてみる。
「父上であるゼウス様を中心に、大貴族ではマラトン公、エリス大公ですね…軍部は国防軍や北部の守備軍、北部の貴族、都市は王党派です。ただ、中立派のスパルタ公やアマゾーン公を味方につければまだ逆転できます!」
滅茶苦茶元気づけてくれるけど別に望んでるわけじゃないからね。簒奪とか論外だからね。
「べ、別に国を取ろうってわけじゃないから…落ち着いて…」
舞い上がってらっしゃいますけど、このままじゃ何か恐ろしいことしでかしそうだから宥めておかないと。
「安心してください!私に任せて頂ければ、国の一つや二つ、滅ぼして見せます!!」
「いや、滅ぼしちゃダメでしょ…」
「じゃあ、乗っ取ります!」
「なんだこいつ…」
大丈夫かなこれ。隣に座りマフィン(アテナ御手製)を手当たり次第に紅茶で流し込んでいたパウルの顔を窺うように見るとばっちり目が合う。すると、パウルは肩をすくめる。
「アテナ様は昔からこんな感じだからね。強すぎるから色々と大雑把で大胆なんだよね」
パウルは苦笑いしながら小声で耳打ちしてきた。
アテナの後ろに立っていたアルテミスがパウルを睨みつける。
「大胆はともかく大雑把は不敬では?」
「いや、いい意味でね!?」
パウルは慌てて誤魔化す。多分聞こえると思ってなかったんだろうな。
憤怒に燃えるアルテミスに対して、アテナは平然として…いや、ひたすら僕を見つめていた。すごくキラキラした目で。
「な、何?どうしたの?」
「難しそうに見えますか?」
「は?」
唐突に何言ってんだこいつ。
アレスが怪訝な顔を向けているとアテナはゆっくりと立ち上がる。
「ここの部屋で、皇室の重要人物であり、外征軍の最高司令官が国家転覆の企てを第一位王位継承者であるお兄様と話している。そして、この部屋にいる者たちは事態に一切動揺していないどころか、いたって普通の反応をしている!この意味が解りますか?」
いきなり立ち上がって何を言い出すかと思えば、兄弟たちや友人の態度を見てみろということらしい。確かにうかつにそんなことを言い始めたら普通なら皇族とは言え、しかるべきところに突き出されるだろう。しかし、みんなは平然としているし、この話を当然かのように受け入れている。それどころかパウルに関してはまだ話してなかったの?みたいな顔をしてアテナと僕の顔を交互に見ている。
「どういう…事?」
アテナはどや顔で説明を続ける。
「すでに計画は発動しており、中立派貴族への工作も進んでおります。あとはお兄様の同意を得るだけなのです!」
なのです!じゃねぇんだよ。僕の自由意思はどこ?
「アノー…僕の自由意思は…?」
「もちろんありますよ?ただその場合は国が滅びます」
「あえいぃ?!?!?!?!?」
国滅ぶ?それは何?たとえ話?国破れて山河在りとかそういうの?動揺しすぎて頭回んない。
「ど、どういうこと!?」
「この国は例えるなら瀕死の病人です。幸い、当代のマラトン公とペリクレスが有能なのでどうにかなってますが、彼らの次の代にはこの国はロギヌス領オリンピア属州とかになってるんじゃないでしょうか?」
平然とした顔でなんてことを…
「瀕死の病人…お先真っ暗じゃんか…」
「そうですね。薄氷の上を高速移動してる気分ですね」
「アテナの高速移動なら大丈夫そうだっ!?てっ危ないじゃん!!」
アテナのたとえ話に横やりを入れたパウルの顔面を狙ってアルテミスの音速の拳が振り下ろされるが、パウルはギリギリのところでそれを避ける。
「なんで避けるのよ。虫みたいに潰れたらよかったのに…」
「怖いこと言わないでよ!」
そのまま、やいやい言い合いを始めたパウルたちを尻目にアテナは説明を続ける。
「そこで滅亡を避けるためにも、お兄様に王位を継承していただきたいのです」
「国家改革では避けられないと?」
「何度も改革を促してみましたが、最早、自浄効果を失ったとみていいでしょう」
政府が自浄効果を失ったからって政府転覆って…正直、聞いてる限りじゃあ時期尚早だと思うけどな。
「そもそも、時間的余裕も無いですからね。我が国は次のロギヌス南方遠征を乗り切ることはできると思いますが、国力が力尽きることは間違えないでしょう」
「まじか…因みに猶予はどの位なの?」
「次の遠征は1706年なので、あと八年ですね」
「短すぎじゃ…?」
八年って…八年でどうやって国乗っ取るのさ。
「まあ、計画は着々と進んでいます。ご安心ください」
「今の聞いて安心できる奴は相当な胆力の持ち主だよ…」
「要するにお兄様は凄いってことですか!?」
「話聞いてた?」
何なんだこの子…馬鹿なのか頭良いのかよくわかんないな…
アレスがアテナの言葉に呆気にとられている数秒の沈黙の間、アレス達は部屋の外が少し騒がしいことに気づく。
騒ぎ声が徐々に大きくなっている事がわかった。何かがこっちに近づいてきているようだ。
しばらくすると制止するような声が聞こえた後、勢いよく扉が開かれると長い金髪を棚引かせた妖艶な女性が姿を現した。
彼女が姿を現した瞬間、室内の空気が一気に冷める。室内のほとんどが彼女を鋭い眼差しで睨みつける。
「なぜ、アフロディテ王室情報局局長殿がここにいるのですか?正直、お呼びではないのですが」
「僕が呼んだんだよ。ささ、座って座って」
「そういう事ですので、失礼いたします。お兄様方、お姉様方」
他の皆の感情とは裏腹にパウルが立ち上がり、アフロディテに手招きするとヴィーナスはアレスの隣に腰掛ける。
早速アテナはパウルに対し質問を飛ばす。
「パウル…どういう事でしょうか?何故、王党派のアフロディテがこんなところに居るのでしょう?」
王室情報局はオリンピア大王国内で反政府勢力の監視、粛清を行っている機関であり、アフロディテはその局長を努めている。
因みにオリンピア大王国には王室情報局の他に、国防軍情報部や国務院情報統括部があり、国内で激しい政治闘争を繰り広げていた。
「アフロディテとは元々アポイントを取っていたからね。そもそもアレスの復活だって王室情報局のバックアップが無ければなされなかったからね」
「王室情報局は王党派筆頭と言っても過言ではないでしょう?何が目的なの?」
アルテミスからの質問を受けてアフロディテは立ち上がる。
因みに僕、アレスは置いてけぼりである。
「わたくしの目的は国情の安定化です。現状のお父様による統治では最早、祖国の安定化はなされず、衰退が進むのみであると王室情報局は判断したからです。このまま混沌へ進んでいけばわたくし達の仕事が増えるだけですからね」
「たったそれだけのために王位の簒奪に協力すると?それはお人好しが過ぎるんじゃない?」
今まで部屋の隅でウリエルと共にチーズケーキ(アルテミスお手製)を無言で貪っていたアポロンがアフロディテに質問を投げ掛ける。
「ぶっちゃけると皺だらけの爺よりピチピチのイケメンの下に付きたいって思いもありますね」
「私情ダダ漏れじゃん…」
アフロディテは不敵な微笑を浮かべ、アレスを見つめながらつぶやく。
パウルは呆れ、アテナはアフロディテを睨み付け、アポロンは面白いものを見たかのような顔をし、アルテミスは理解できないものを見たかのような顔をし、当事者のアレスはずいぶん前から思考を放棄していた。
「とにかく!アフロディテはこっち味方なのさ。情報機関の一つや二つ、味方につけておかないとね。なんせ僕たちは今からクーデターを起こそうとしているんだから」
パウルは胸を張ってアフロディテの有効性を訴える。
「でも落ち目の王室情報局じゃねぇ…できれば情報統括部とかが良かったなぁ」
「いや、さすがに勢いに乗る情報統括部は無理かなぁ…」
肩を竦め文句を言うアポロンに対して、困ったように頭を搔くパウルを見てアフロディテは反論する。
「国務院情報統括部は近年設立されたばかりでその練度は素人同然です。又、国防軍情報部は軍事情報収集については頭一つ抜けたところがありますが、大王国内情については疎いところがあります。それらに対して我ら王室情報局は大王国成立時から積み立てた経験と、宝石軍団を中核とした優秀な実働部隊も備えております。…我らが有用であるとお分かりになられましたか?アポロン外征軍大将閣下?」
「いやー…美人に嫌われるってのは堪えるねぇー」
「嫌味言うからでしょ」
がっくりと凹むアポロンに対してアルテミスが呟く。
そんな彼らを見てアテナがアフロディテに体を向け、口を開く。
「私は信用できません。そもそも王室情報局は過去二百年間において我らと対立してきた王党派の中核組織だったではありませんか。それが今になって我らに味方すると言われても、はいそうですかと二つ返事で答えることはできません。情報要員ならば我らアテナイ王国の工作員で事足ります」
アテナは今に飛び掛かるような勢いで身を乗り出しながらアフロディテを睨みつける。
パウルはそんなアテナを遮り、発言する。
「しかし、アレスの復活は王室情報局の情報提供と分析能力があってこそ実現したところが大きいのは事実。彼女らが本当に王党派ならば、少なくともこのタイミングでのアレス王太子の復活は望まないはず。それに今までの情報提供を踏まえても信頼に値すると私、パウル・フォン・アルゲアス・フランケンシュタイン・クレタ公爵は考えます」
パウルはこれ以上ないほど真面目な顔でアレスを見る。
「僕は…」
「お兄様!」
「アテナ!君は口を出すな!アレスを巻き込んだのは君だ!我々が我々の都合でアレスの眠りを妨げ、我々の都合に巻き込んだんだ。こんなことぐらいアレスに選択権を与えてもいいはずだ。それにアレスが拒否したならば君は幼馴染である僕と異母妹のアフロディテをここで切り伏せるだけでいいじゃないか。そのくらい君なら容易だろう?違うかいアテナ?」
パウルとアテナの間に不穏な空気が流れる。
「僕はアフロディテを受け入れたいと思う。味方は多い方がいいしね!」
アレスは立ち上がり、パウルとアテナの間の不穏な空気を吹き飛ばすかのような勢いで明るく発言する。
「まあ、今の僕には政治的な事なんて全然わかんないけどね!」
「兄さん…それどや顔で言う事じゃないよ…」
状況はよく分からないけど、皆喧嘩してるより仲良くしたほうがいいよね。
「とりあえず今後の方針を決めよう。ほら、姉さんも機嫌直して。アレス兄さんの意思をやっと確認できたんだから」
「はぁ~。やっと表立って動けるね。裏でこそこそやるのは僕の性格に合わないから息が詰まった思いだったよ」
「パウルあんた何かやってたの?」
「今までの話聞いてた?」
ピリついた空気が僅かに弛緩した時、アフロディテが爆弾を投下する。
「で?資金の方はどうなさるのですか?」
「え?」
アレスはアテナの方を振り向くと、目を合わせまいと顔を反らしていた。
「え…?」
「敵には国内最大の資産を有する大貴族、エリス大公がおられます。資金力では中央銀行を我が物としている王党派に軍配が上がります」
大王国最大の大富豪、エミリア・エーデルワイス・モリオネ・エリス大公。自らの所有する名だたる大企業の資産を合計すると、大王国内の約6割の資産を有するという貴族最大の資産運用能力を有している。
大兵力を運用する機才は無いが、その経済的センスは突出する者がある。
「そこは大丈夫!…とも言えない」
「確かに僕もエミリアちゃんに負けず劣らずのお金持ちではあるけど…流石にオリンピア最大の資本家には負けるよねぇー…僕の奴は大体海外資本だし」
パウルは困り顔で肩を竦める。そしてアテナの顔を見ると何かを思いついたかのように手を叩く。
「そうだ!そういえばアテナの所領の銀山。最近、フランソワ資本の鉱石会社に売却したよね!」
「あー…確かそうだったと思いますけど…良く覚えてないですね。興味もないし」
アテナは本当に興味がないのだろう。そう言われればそうだったという風な顔をしている。
「アルテミス!」
「…?何よ?」
「君なら知っているだろう?アテナの事なら何でも知ってるし」
「まあ…一応把握してるけど…何か関係があるの?」
アルテミスはパウルから話し掛けられたのが心底嫌そうにそう答える。
「アフロディテ。君の持ってた不正企業のデータに確か鉱石会社が一社あったと思うけど…フランソワの企業だったよね?」
「なるほど…フレンチ・ミーヌ株式会社は他にもオリンピアの多くの鉱山を持ってますね」
パウルとアフロディテは目を見合わせてうなずき合っている。
「どういう事?それとこれとどういう関係があるの?」
アルテミスは苛ついたように説明を促す。
「フレンチ・ミーヌ社はオリンピア国内の鉱山の約6割を専有している大企業だ。何故、オリンピア国内で国内企業ではなく海外企業が一社でここまで大きな利権を手に入れてると思う?」
「政府中枢と何かしらの密約があると?」
「まあ、僕から言えるのはエミリアちゃんは商売上手って事だけだね」
「あんたも色んな国の海運会社と深い関係にあるものね」
パウルはアルテミスの指摘に肩を竦める事で返す。
「友人を沢山持つことはいい事さ。それよりもどうするって言うんだい?襲撃でもするのかい?」
アポロンもパウルの真似をするように肩を竦めながらそう発言する。
「フランソワ人はオリンピアを蛮族の国と呼んでいるらしい。自分達もカタツムリを食ってるくせにだ。彼らが僕達を蛮族と言うのなら、僕達は蛮族なりに蛮族らしい方法で彼らカタツムリ紳士達に挨拶すればいいんじゃないかな?」
「成功するんですか?外交問題にならない?」
「フランソワでは不正は死刑らしいですよ?」
「不正を理由に強制送還か利権譲渡かを選ぶのは彼らだ。君と違って僕は敵にも選択肢を与えてやる」
パウルの言い方にアテナは不機嫌そうな顔をする。
「誰を使うんですか?こんな不名誉な役を買って出る者は居ないのでは?」
「言い出しっぺの法則ってのがあってだね?」
アポロンはニヤニヤしながらパウルを見る。
「勿論、僕の子飼いの子達にやらせる。こういうのは慣れてるしね。それに成功させればエミリアちゃんに専有されてる鉱石採掘事業に一枚噛める。リターンも十分」
パウルはまだ成功していないにも関わらず皮算用を始めているようだ。
「へぇー…死のオーケストラを使うのかい?」
「なんだいそのダサい名前は」
「有名じゃないかクレタ公国海兵隊第三偵察大隊は。女の子だらけの暗殺特殊部隊ってね」
アポロンの言葉にパウルは露骨に嫌悪感を示す。
「女の子が多く所属しているのは第三小隊だけだし、暗殺や襲撃を担当しているのも第三小隊だけじゃないか。他は屈強な筋肉の塊共だ」
「そういえば、何故少女を前線に立たせるんだ?皆男じゃ駄目なのか?」
「敵兵士の大半は男だ。男は可憐な少女に弱いだろう?というか、少女というがあの部隊にいるのは悪魔族に魔族なんかの長命種ばかりで、人種で所属しているのは僕の娘たちばかりだ。そこらの兵士より頑丈で強力だよ」
「どうせハーレム作りたいだけでしょ」
「アルテミスは息子に欲情するのか?」
クレタ協和公国親衛隊である海兵隊第三偵察大隊は大隊と名乗っているものの実際は増強中隊規模の要員しか擁していない部隊で、主に偵察、狙撃、潜入、対テロ戦闘、破壊工作、要人救出・暗殺などの特殊任務を遂行する特殊部隊であり、特に第三小隊は特殊性が高く、高レベルの魔導戦士を十二名も擁しており、通常の小隊の半数以下の要員しか擁していないものの高い火力と攻撃力を備えた部隊である。
「まあ、とりあえずお金がないと何も始まらないからやっちゃっていいんじゃない?」
アポロンが同意を求めるような顔でこちらを見ると他の皆も同じようにこちらを見る。
「あっ…僕に言ってる?いや…行けそうならいいんじゃない?」
「じゃあGOサインが出たって事で…ここ電話あったかな?」
「無いわね」
「じゃあ水仙宮まで走らなきゃって事?」
「まあ、そうなるね」
「はぁ…行ってくる」
パウルが席を立ち連絡のために水仙宮へと向かう。
どうやら今後の方針がある程度決まったらしい。
「で?僕は何をすればいいの?」
「多分目をつけられているでしょうから…当分大人しくしておきましょう。暇ならばパウルの作戦の見学にでも行ったらどうですか?色々と勉強になると思いますよ」
仕事忙しすぎんよ…