第七話「激震」
~1697年10月2日 ロギヌス帝国首都セント・ペトログラム~
‘オリンピア大王国にて戦神アレスが復活‘この報告は翌日10月2日の正午ごろには情報部から帝室と政府に伝えられていた。約二百年前、ロギヌス帝国とオリンピア大王国間に頻発した武力紛争にて、何度も帝国陸軍を壊滅に追い込んだ策士の復活にロギヌス帝国国内は騒然とし、元老院ではアレス早期排除論と不干渉論が検討され、あまりの議論の紛糾ぶりと誤報によって一時元老院議員たちによる乱闘騒ぎにまで発展するなどの混乱が、情報部から「現在休眠状態にあると思われる」という内容の報告があげられるまでの一週間続くほどだった。
元老院で大乱闘が行われているのを尻目に、帝室は冷静にこの状況を注視していた。すでに中華属州軍団とヒンディリア属州軍団がオリンピア大王国と帝国の国境線に展開しており、艦隊もオリンピア沿岸地域に展開している。他にも外交的圧力など様々な形式の圧力をかけ、オリンピア政府にアレス復活の儀式の中止を要請している。
ただ、オリンピアを帝国軍の全力を挙げて叩き潰すわけにはいかない。帝国の西には拡大政策を掲げるゲルマニア帝国がロギヌス帝国西方地域を狙っているし、南方には再起を図るペルシア・イスラーム帝国が、東方には最近、急速に発展しつつある扶桑帝国が朝明半島の独立運動支援を行っている。我が帝国は四方八方に敵を持っているし、現在の皇帝ニコライ四世の持病の悪化と後継者であるアレクサンドルが病弱で、皇太子の子供が長女のタチアナだけで、その皇位継承順位は第一位であったものの、その立場が非常に不安定なものだった事も重なり、各地の親類や有力貴族たちがその帝位を狙い暗躍するなど、国内情勢も国外情勢も不安定化している時期だった。
「御父様…御爺様の容体は…?」
白金色の長髪の少女はエメラルドグリーンの瞳を不安げに曇らせながら父であるアレクサンドル・ニコラエヴィチ・ユリウディウスを見つめながら質問する。
「…もって半年らしい…」
「そんな…」
ロギヌス帝国皇帝ニコライ四世は持病の糖尿病に加え、ヘビースモーカーだったことに起因する肺気腫や気管支炎などの合併症を発症してしまっていた。
このころのニコライ四世は魔術によって酸素を投与しなければならないほど病状が悪化していた。
「オリンピアの件で皇帝陛下のご裁可を頂こうと思っていたのに…」
心底困ったというような感じで頭を抱える父親を見て、タチアナはため息を付きながら父親に諭すように語り掛ける。
「御父様…皇太子であることを自覚してください…御爺様が御崩御なされた際には御父様が皇帝に就任なされるんですから…」
「ああ、分かっている…分かってはいるが、本当に私で良いのかと時々思う。私よりもお前の方が遥かに賢い。お前の方が適任だ。今からでも仮初めの摂政を立てて…」
「御父様。御父様を後継者に御選びになられたのは御爺様です。自信を持ってください御父様。私も応援しております故」
そういいながらタチアナは父に向かって行儀よくお辞儀をする。
タチアナも彼女の祖父であるニコライ四世も温厚な性格で人当たりが良い父には期待しているのだ。
アレクサンドルは貴族からの人気はないが親族や家族、他国の外交官、諸外国の王侯貴族からの評価は高く、外交官としてヨーロピア各国を訪れていたこともあり、列強諸国での人脈は豊富で客観的に自国を評価することが出来る。
特に周辺諸国と険悪な外交状態にあるロギヌス帝国にとっては高い外交能力を有するアレクサンドルは持ってこいな存在だった。
「そうだな。私が陛下の代わりに決断しなければならないな…正直、今の我々にオリンピアに介入するような余裕はないと思うんだが…タチアナの考えも聞かせてくれ」
「そうですね。現状は静観でいいと思います。まずは外交問題や国内の諸問題を解決してからではなくてはなりません。まず、東方地域の安定化に注力していきましょう。あそこは最近分離運動が激しいですから…」
ロギヌス帝国の東方地域は併合された時期が比較的遅かったこともあり、度々、独立運動や反乱が起こっていた。ここの安定化が叶えばオリンピアや扶桑帝国に大きな圧力を与えることが出来る。
タチアナはこの地の高い農業生産能力に目をつけており、適切に運用することで帝国の穀物事情を改善出来ると考えていた。
「そうか…サイモン宰相と相談して国防委員会を招集しよう。タチアナは…」
「いえ、私はクロウカシス属州に地中海艦隊の視察に行く予定なので…結果は後で従者に聞きますから、大丈夫です」
「そうだったな。アレクセイ大将によろしく伝えておいてくれ」
「はい」
話が一通り終わり、従者と話しながら部屋から去っていく父親の後姿をタチアナは悲しそうな表情で見つめる。
国家のために身を捧げる父の事を考える。母と共に静かに暮らすことを望んでいた父の運命が変わったのは父の兄であるパーヴェル・ニコラエヴィチ・ユリウディウスが落馬事故で死亡したことにより皇太子に昇格したことが分岐点だった。それまで首都郊外の離宮で静かに持病の療養生活を送っていた父は本来は病弱な事や気が弱い性格なことから国家元首には向かないと判断され、息子でありタチアナの弟であるアレクセイ・アレクサンドロヴィチ・ユリウディウスが皇太子に昇格する予定だったが、スカンジカビア連邦共和国に外遊に行った際にスカンジカビアの過激派組織の襲撃を受けて死亡したことによりアレクサンドル・ニコラエヴィチ・ユリウディウスは一時的に精神的に不安定になったものの、元老院と皇帝ニコライ四世により皇太子に指名された。これ以降、人脈作りと外交経験を積むため各国へと外交官として赴任したり、陸軍大将として第二軍団を指揮しオリンピア大王国との二回の国境紛争を経験した。
皇帝ニコライ四世の体調が悪化してからは皇帝の補佐として活躍していた。
「御父様も大変ね…私も頑張らないと。エレーナ」
「姫殿下。お呼びでしょうか?」
タチアナはロギヌス帝国情報部オリンピア大王国担当官のエレーナ・ザハーリンを呼ぶと室内の隠し扉から灰色のローブを着た赤毛の女性が現れ、タチアナの前で跪く。
「オリンピアで進んでいる離反計画は何があったかしら?」
「…西方地域、ホランティア伯国のオーク族の独立派支援の計画が進んでおります。たしか…フレーゲル侯爵が担当していたと思います」
タチアナは頭の奥底から双方の戦力を引っ張り出し、分析する。
少々オーク側の方が兵力では優勢だが大王軍が出てくれば容易に状況はひっくり返る。
「成功率は低いけど…まあいい、アレスの力量も図っておきたいし。エレーナ、この件でアレスを誘き出すことはできるかしら?」
「オリンピアの議会への働きかけなどで少々、時間はかかりますが…いつまでにやれと…?」
「うーん…再来年の三月くらい?」
「あっ、あんまり無理な要求じゃない…」
「最悪、今後起こりえる内乱に介入させないのが目的であって、アレスを引き出すのは二の次だから」
いつも無茶な要求を押し付けてくる自分の主人が珍しく長い猶予期間にホッとしつつも、よくよく考えると異様に長い準備期間に頭をかしげる。
「…一年半も準備期間に費やすんですか?」
「…エレーナ?オリンピア大王国ではアレスが復活したことによって旧アレス派が活発化してる。そしてアレス派には…」
「オリンピア大王国中央情報局…ヴィーナスの派閥はアレス派でしたね」
「正直一年半で処理できるといいわね」
「…はぁ」
一人用の執務室としては広すぎる部屋にエレーナの小さなため息が響く。
~1697年10月15日 デストピア帝国第一自由都市マモニティウム~
無論、アレス復活の報はオリンピアの隣国、デストピア帝国にももたらされた。現在、デストピア帝国とオリンピア大王国は破局には至ってないものの、連日、国境地帯では双方の国境守備隊同士による小競り合いが発生するくらいには緊張が高まっている。
そして、この国も何度もアレスとアテナのコンビに苦汁を飲まされてきた。もしも、デストピア戦線にアレスが投入されれば、これまでの我が国の優勢は一転し国家存亡の危機に瀕するだろう。
今のところ、各貴族や帝室に大きな混乱は生じていない。しかし、今後の七大貴族の動き次第で国内情勢は一気に変わるだろう。
そして、そのデストピア七大貴族たちによる会合が今、行われようとしていた。
青い空に、白い雲、そして、エメラルドグリーンの海に灰色の小島が浮かんでいる…帝国有数の避暑地である、自由都市マモニティウム。その最南端にあるパステリア城の一室では外の優雅で明るい景色とは裏腹に重苦しいプレッシャーで包まれていた。この国の最強の戦力である七大貴族が一か所に集まっているのだ。当たり前だ。
太陽の光が窓から入ってくるが、室内は不気味なほど薄暗くそれぞれの表情が分かりにくい。長机に置いてある燭台に照らされてなんとなく不気味に見える。
もう席に着いてから三十分ほど黙ったままお互いに牽制しあっている。そして、一番後ろの席でムスッとした顔で腕を組んでいたお嬢ちゃんが我慢できずに声を上げる。
「ねぇ!?パーティーはまだなの!?私パーティーするって聞いたから来たんだけど!!」
「私もパーティーと聞いてここへ来た。ご馳走を要求する」
彼女の右前に座る少女も無表情ながら抗議してくる。
「いやー…さすがの俺でも我々七つの大罪の最強格の二柱に睨まれたら答えなくちゃいかないねぇ…」
一番上座に座る少年はふざけた口調で言い返す。
「ふざけてないでさっさと答えなさいよ。特大ケーキはどこなのよ!!」
下座から三番目に座っていた少女がツインテールを振り回しながら立ち上がり、怒鳴る。
「サタン。髪の毛邪魔。そろそろ切ったら?」
「うるさいわね!余計なお世話よ!!」
「まあまあ、そう怒らないで。カルシウム不足じゃないの?牛乳飲む?あそっか牛乳嫌いだったね。そんなんだから妹のルシファーに身長追い越されるんだよ」
「余計なお世話よ!!まだ、ベルゼブブには抜かれて無いわ!」
「でも、あと2cmだよおねぇちゃ…」
「ベルは黙ってなさい!」
先ほどまでの沈黙を吹き飛ばし、急に騒がしくなった室内を机に突っ伏しながら上座二番に座るベルフェゴールは気だるげに眺め、呟く。
「結局会議どうすんの…?」
デストピア帝国の七大貴族会議は踊りに踊っているが遅々として進まない…
結局、その会議では何も決まらず、取り敢えず抗議だけしておく、ということになった…
~1697年10月8日 サンタ・マリノ法国首都セント・グラム法王庁~
サンタ・マリノ法国の首都、セント・グラムの第三層行政区画と第四層軍事区画を貫く形で聳え立つのが法王庁である。
その法王庁には今、サンタ・マリノ法国の各庁の長官が集められ、外務長官及び軍務長官の呼びかけで緊急安全保障会議が開催されていた。
「アレスが復活した…?」
法王カーミルは情報庁長官イオン・ルーカ・カラジアーレからの報告を驚きながら報告された内容を繰り返していた。
「はい。先日、エカテリーニ市に潜入していた情報局の戦闘部隊からの報告でオリンピア情報部の戦闘部隊との大規模戦闘が発生し、我が方にも甚大な被害がでました。その戦いで…」
「アレスと思われる神族と遭遇したと?」
「はい」
「ふむ…軍務長官、これをどう見る?」
カーミルは軍務長官ペドレ・ドゥミトレイの意見を聞く。
「オリンピア大陸の軍事バランスが大きく変貌する可能性があります。近年、オリンピア大陸ではロギヌス帝国が優勢を保っていましたが、軍神アレスが復活した今、もしも、ロギヌス帝国とオリンピア大王国が大規模な武力衝突を起こした場合、ロギヌス帝国の苦戦は免れないでしょう。そして、下手に長期化した場合、他列強諸国の介入を許すやもしれません」
ドゥミトレイ軍務長官は冷静に両国の軍事レベルを分析し、意見を述べる。
「ロギヌス帝国やオリンピア大王国の外交状況を鑑みて、もしも、列強が一か国でも介入した場合…」
「介入が介入を呼び、最終的には世界大戦が勃発…かな?」
カーミルの真正面のソファに仰向けに寝っ転がっていたスキルキレア大公ドロテラがゆったりとした口調で最悪の事態をつぶやく。
「もしも、各列強が際限なく戦争に国力をつぎ込んだ場合、魔導核戦争になる可能性が高い……最悪の場合、この世界は滅びかねない」
カーミルは立ち上がり、窓の外の魔法的な明かりに包まれた街を不安げな表情で見る。
「そして、十年に一回行われるオリンピア、ロギヌス間の国境紛争をロギヌス側はいつもどうりやるつもりみたいです。その証拠に、情報庁からの報告によるとロギヌスのヒンディリアラインの再稼働準備が着々と進んでいるらしい…」
「軍務省の見立てでは再来年には軍全体の準備が整うようです」
各庁からの報告を聞き、カーミルは大きなため息をつきながら再び椅子に座る。
「まったく…北のバランサーであるブリタニアは何をしているんだ…ヨーロピアの列強を押さえつけるのは奴らの仕事だろうに…」
「どうやらブリタニアは従来の勢力均衡政策から方針を転換し、ヨーロピア大陸のバランサーとしての役割をロギヌス帝国に期待しているようです」
外務庁からの報告にカーミルは眉をひそめる。
「それだけの実力と器量と理性を奴らが持っていると思っているのか?偉大なる外交国家たるブリタニアも堕ちたものだな。ロギヌス帝国は野に放たれた狂犬と一緒だ。うまそうな餌があれば後先考えずにそれに飛びつく。我慢という言葉を知らない野蛮な国家がバランサーという繊細な神経を有する役割を担えるとは思えない…やはり、我々、サンタ・マリノ法国が直接介入するしか無いか?」
カーミルはその言葉と共に再び立ち上がる。
「何としてでも世界大戦だけは避けねばならん。しかし、もはやオリンピアとロギヌスの衝突は今更避けられない。ならば、諸列強の介入を全力で阻害してやろう。情報長官!準備は出来ているな?」
カーミルの掛け声にカラジアーレ情報長官は頷く。
「はい。各国で戦争どころじゃないような騒ぎを起こせばいいのですね?」
「そのとーり!オリンピアとロギヌスの戦争に一国たりとも介入させるな!」
「はっ!」
カーミルからの命令を潔く受領する。
「後はその時にならなければ分からない。細かい命令は後程通達する。これにて緊急安全保障会議を終了する。解散!」
こうして、南のバランサーことサンタ・マリノ法国の方針は決定した。
会議が終了し、皆が出ていった中、ドロテラはソファに寝っ転がったままだった。
「停滞していた歴史が動き出した。これからどんどん加速していくだろう…巨大な歴史のうねりがやってくる。果たして我が国と私の可愛い妹は生き残れるだろうか…」
ドロテラはソファの上で器用に寝返りをうち、うつ伏せになると顔を上げて部屋の右側にかけてある巨大な世界地図に目を向ける。するとドロテラには、オリンピア大王国を中心に波紋が広がっているように見えた…。
この世界でドロテラは約三百万年という長い長い時を生きてきた。その歴史の中で三度、世界史が大きく混乱した時代があったが、その三度の内、二度の混乱の中心にはアレスがいた。そして、その混乱を鎮めてきたのは我々、吸血鬼だ。
そして、その混沌と狂気の神、アレスがこの星にまた舞い戻ったということは、世界が荒れるということだろう。
ドロテラは思案の海に沈んでいた。
父上や兄上より託されたこの国と最愛の妹にして最後の家族であるカーミルを守るにはどうしたらよいのか。
ドロテラがこの国の公務より離れて約四百年。彼女は南半球世界の安定のために奔走してきた。
これも父である前法王、ラドゥ・ツェペシとの約束であり、北半球世界の管理者であるマーシア朝ブリタニアと吸血鬼族が古に交わした契約の遂行のためであったが…どうやらこの世界のルールを書き換えようとする動きがあるようだ。
「まあ良い。そろそろこの盤面でのゲームも飽きてきたところだ。マーシアの倅も盤面を大きく変えるために方針転換を行ったのだろう。あちらがその気ならば、こちらはオリンピアを使って盤面をリセットさせよう…はぁ、面白くなってきたね」
一通り思案し終わったドロテラは再び眠りについた。
翌年、ブリタニア連合王国、レヴォルフ帝国、ペルシア・イスラーム帝国の連名で第八回六大列強会談の開催が各列強諸国へ通知された。
:六大列強
ロギヌス帝国、ブリタニア連合王国、サンタ・マリノ法国、レヴォルフ帝国、デストピア帝国、ペルシア・イスラーム帝国の六か国の列強のこと。他の列強諸国の中でもずば抜けた国力を有しており、世界各地に強い影響力を有している。
TRPG内のルールでは国家の総合ステータス順に一位から六位までの国家に送られる国家称号。他の国家と比べて外交評価点にボーナスが入ったりしてた。ゲーム後半は殆ど空気システムになってたけどね…
:六大列強会議
世界の列強諸国が破滅的総力戦を回避するために設けた会議。世界各国のあらゆる紛争を拳ではなく話し合いで解決するためブリタニア連合王国、サンタ・マリノ法国の主導で神暦1537年に第一回が開催された。