ブラウン管の中の彼女
「ただいま」
仕事から帰って来た、むさくるしい男の声が狭いワンルームに木霊する。
誰もいないと分かっていたことだが、思わず零してしまうほど男は疲弊していた。
一人暮らしだと独り言が増える。
もともと人付き合いの苦手な男は、同僚からの誘いを断り続けていた。
そのうち誰からも誘われることが無くなるのは自明の理であり、男の自業自得ともいえるであろう。
一人寂しく、休日を過ごす。そんな男に一つの楽しみが出来た。
「もうそろそろか」
時刻を確認すると、安酒を片手にブラウン管の前に座る。
画面が明るくなり、彼女の顔が映る。
ブラウン管の中の彼女は、いつも楽しそうに男の話を聞いてくれる。
相槌を打ち、愚痴を聞き、時には叱咤激励してくれる。
残念なことは、この画面からは出て来れなく、そして会える時間が決まっていること。
その日も男は、ブラウン管に向かう。独りという孤独をまぎらわすために。
彼女との会話は一種の精神安定剤であり、男の生きる活力であった。
しかしその日は、いつもと違った。お気に入りの彼女がいないのだ。
「どこだ……どこにいってしまったんだ」
男は画面を穴が開くまで見つめ探すが、彼女はどこにもいない。
日が変わるまで待ち続けた男であったが、自らの生活もある。
明日はまた会えると、そう言い聞かせ眠りにつく。
仕事から帰っては、画面の中の彼女を待ち続ける日々。
一週間、一月と音沙汰が無ければ嫌でも男は気づく。
彼女はもういないのだと。
何をする気も起きなく、惰性でチャンネルを回すと普段とは違う女性がいる。
男は今までどうして同じチャンネルしか見ていなかったのか自問自答する。
彼女だけに固執する必要は無かったのだ。
けれど方針さえ決まれば話は早い。
お目当ての彼女がいなければ探せばいいのだ。
「初めまして」
定型文から始まる会話。
画面の中の女性とは、初対面にもかかわらず意気投合してしまう。
会話に飢えていた男は、気づけば長い時間、お喋りを楽しんでしまった。
思わず自分で決めていた時間を忘れてしまうくらい……
「使いすぎた……来月は、もう見れないな」
思わず今月の明細を見て絶句する。
財布の中身を確認すると出るため息が、男の心情を雄弁に物語っていた
通信費と一緒に届く請求書。
一時の夢のために支払う代償は安い買い物ではない。