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七章 狭い世界

 部屋を抜け出したエーリュは、ジャックがラスティを貫く様を見た。

ジャックは、動かなくなったラスティをそのまま天高く持ち上げて、泣きながら、笑っていた。エーリュには、その光景しか目に入らなかった。


 思えば、ラスティは最初から気になる人だった。

インサーフローの護衛だと紹介され、いきなり案内してやってほしいと言われて、本当は凄く戸惑っていた。けれども、一人でいたくなくて承諾した。

魔導士が怖くて、でも、自暴自棄が暴走気味だったエーリュは、恐ろしさより、そばにいてくれる他人のぬくもりを求めていた。

前髪で他人を拒絶している風なラスティは、都合がよかったのだ。

 話してみると、素直な人だった。

初対面で、エリュフィナの歌が好きだから、戦えよ!と、そんな真っ直ぐに叱ってくれるとは思わなかった。

それから、仕事や商業区で、よく見掛けるようになった。刺されて、どういう経緯かアコの護衛になったリティルが、エーリュの周りをウロチョロするようになり、明るいリティルに和んでいたが、あの、前髪の長いインサーフローの護衛のことは、ますます気になっていった。

 ラスティは、護衛は不慣れなのか、インジュがよく世話を焼いていた。

気安いインジュに翻弄されて、それをインファが上手くフォローしていた。楽しそうだなと、三人をエーリュは見ていた。

 そして、事件を切っ掛けに、ラスティはエーリュの護衛になった。

ラスティはインジュと喧嘩したのか、彼の事を遠巻きに見るばかりで、近づかなかった。インジュも、怒っているのか、目も合わせなかった。

それでもラスティは、エーリュには自然に接してくれた。

 ラスティは、リズム感が天才的によかった。彼がいれば、メトロノームがいらないほどだった。

 同じ部屋で寝食を共にしても、ラスティと甘い雰囲気になることはなかった。

だが、エーリュにはその距離感が心地よくて、ラスティとずっと一緒にいたいと思うようになっていた。それが叶わないこともわかっていた。ラスティにその気がないことも、わかっていた。

 その気がないと思っていたのに、あなた達両思いでしょう?早くくっつきなさいよ!とインジュに焚き付けられた。本当に?インジュの言葉でも信じられなかった。

ラスティはずっと、何かを悩んでいた。そして、上手く話せなくなった。居心地悪くて、インジュに逃げた。インジュは、全部承知で、避難場所になってくれた。

インジュはラスティに辛辣だったが、ラスティは、前ほどインジュから逃げなくなっていた。相変わらず距離は取るものの、まとも?に話ができていた。

 そして、ラスティは精霊になった。

セドリガーにしてくれと、言ってくれた。もう、そんな必要ないことは、エーリュにはわかっていたのに、ラスティに押し切られて、リアトしてしまった。

流れ込んできた苦痛の記憶。ラスティをこんな風に苦しめて、許せないと思った。それが、思ってはいけないことだとは、思わなかった。

 そして今、ジャックは、ラスティを殺すところを見せないように、この場所に閉じ込めてくれたのだと、エーリュはわかった。

一人で、動けなくなったエーリュに、前を向かせたのは、インジュの歌う風の奏でる歌だった。聞こえなくなった歌の余韻に浸っていたエーリュは、顔を上げ立ち上がった。

鉄の扉を押すと、扉はパキンッと何かが壊れる音を立てて、開かれた。

止めなくちゃと思った。

長いレンガの廊下を、走った。走って、走って、光の先へ――

けれども、その先で願いは断たれてしまった。


 ジャックは、長い爪で貫いたラスティの体を、レンガの床に投げ捨てた。

その光景を、エーリュは建物の入り口の影から見ていた。

高らかに笑っていたジャックが、急に頽れた。

半身を殺してしまえば、ジャックも道連れとなる。この身はやがて、風となって消え、二度と形を結ぶことはないのだ。願いを叶えてやると言ってくれたリティルの下へ、帰りたかった。孤独と暗闇から助けようとしてくれたリティルと、広い世界を飛びたかった。

言葉にしてしまった願いが、今更、とても、手放しがたかった。

「ジャック」

泣いていたジャックは、自分の上に影を落として名を呼んだ者を、その声に耳を疑って恐る恐る見上げた。そこに立っていたのは、聞き間違えではなく生死の境を彷徨っているはずの、風の王・リティルだった。

リティルの体から、あれだけあった傷が跡形もなく消えていた。動かなかった左腕も、動くようになっていた。

信じられずに目を疑うジャックに、リティルは変わらない笑顔で言った。

「ジャック、ラスティの中に帰れ。心配するなよ。インジュとラスは、ゲームに勝ったんだ。ん?何だよ?幽霊でも見てるみたいな顔してるぜ?ああ、オレが無事だった理由か?花の姫の無限の癒やしだよ。使わなかった甲斐があったな」

リティルの体の中に留まっている、風の王妃の力。その力をリティルは出し惜しんでいた。この力を使えば、腕も足腰も瞬時に癒えることはわかっていたが、彼女との繋がりを絶たれたこのゲーム下では、その恩恵はほぼ一度しか受けられない。歩くために、力の一部は使ったが、大半は使わずに残してあった。リティルが、インジュのジ・エンド・オブ・ザ・ワールドの発動に、気兼ねなく挑めたのはこの最大の癒やしが残っていたからだった。

『リティル……!あなたを、殺してしまったと……』

座り込んだままジャックは、リティルに縋っていた。抱きついてきたジャックの頭を、リティルは優しく撫でる。「ホントみんな、オレには気安く抱きついてくるよな?」と笑った。

「ハハ、死なねーよ。辛い役やらせて、悪かったよ。ジャック、願いを叶えてやるって言っただろ?ほら、このままじゃ、ラスも痛てーからな。早くしてやれよ。オレ達が何をしたのか、ラスに聞いてくれよ?」

何も聞かず、ジャックは素直に頷くと、床に倒れて動かないラスティを抱きしめた。二人の姿が、無数の金色の光の粒に変わり、霧散した。

 要の精霊を失って、ゲームが消滅する。

空へ登る光を、眩しそうに見つめていたリティルの背に、金色のオオタカの翼が生えた。そんな風の王の隣に、インファが並んだ。彼の背には、金色のイヌワシの大きな翼が生えていた。

「こっちは終わったな。あとは、あいつだな」

空に向けていた視線を、建物の入り口に向けた。

「わざとですか?」

インファは、また危ない橋をと言いたげだった。そんなインファにリティルは、とぼけてみせる。

「ん?さあな」

日の光の中へ、エーリュが姿を現した。ラスティとジャックを失い、彼女の精神は、粉々になりそうな危うさだった。

「リティル君……どうして、二人を、殺してしまったの?」

「二人は願いを叶えたんだ。エーリュ、聞かせてくれよ。君の願いはなんだ?」

エーリュは、焦点の定まらない瞳で、頭を抱えた。

「わたし……わたしの願い……ラスティを返して!」

花の種のつぶてがリティルに襲いかかっていた。リティルの前に立ちはだかったインファが、片手で風の障壁を展開する。エーリュの攻撃は、難なく副官の手で阻まれ、風の王には届かなかった。

ドクンッと、大きな鼓動が空気を波打たせた。

「ラスティ……!」

エーリュの姿が変質を始めていた。

茨の冠を頂く、鼓動を止める死の女王――。エーリュの背に、ウスバシロチョウの羽根が開いた。

 絶望したエーリュの瞳には、リティルだけが映っていた。

攻撃がこちらに向いているうちはいいが、なかなかパワフルだ。エーリュから生えた茨がこれ以上のたうつと、魔音の郷が崩壊する恐れがあった。まだここにはたくさんの人が暮らしている。ゲームの消滅で、風の王の導く輪廻の輪がこの大陸を等しく巻き込みつつあった。輪廻の輪は、この大陸を許したようで、ここで生き死にを繰り返していた魂達はそのままの営みを脅かされずに済みそうだった。

「やっとここまでこぎ着けたな!インファ、無常に大陸全体に風の障壁かけろって言ってくれ。それから――」

「ええ、了解しました。彼を迎えに行ってきます。父さん、エーリュの事頼みましたよ?」

優秀な副官は王の言葉を最後まで聞かずに、襲いかかってきた茨の太い蔓を断ち切ると、戦線を離脱して空へ舞い上がっていった。

「さてと、エリュフィナ、君にも選んでもらうぜ?」

リティルは襲ってきた茨をヒョイッと避けると、両手に愛用もショートソードを風の中から抜いた。

 リティルは、一向に精霊として覚醒しないエーリュに、いや、ミューリンの魂に疑問を持っていた。過去の二人は精霊化の兆しもなかった。それは、何か引き金があり、彼女達はそれを引けなかった為ではないかと、インファは分析していた。

そして今回、エーリュは精霊化を起こした。

引き金は何だったのか?セドリの半身であるラスティが、インファにエーリュがミューリンの生まれ変わりだと告げた時と、彼女の精霊化が同時であったことがわかっていた。

引き金はラスティ?お互いに恋心を抱いていた二人。では、セイレーンとセドリガーのように、ミューリンがセドリを選んだから?とすると、エーリュが精霊として覚醒する鍵は?

リティルとインファのみならずインジュも、ラスティと手が取り合えたら完全に覚醒すると思っていた。だが、エーリュの覚醒は止まったままだった。

とすると、これは、ミューリン自身が精霊に戻ることを拒んでいるとしか思えなかった。

すでに意識も形もない者が、今を生きる者を左右していいのか?二人は手を取り合えたのに、それがこんな形で引き裂かれていいのか?いいはずがない!と、エーリュの心がミューリンより上回るように仕向けたのだが……少しばかり効きすぎてしまったようだ。

「エーリュ!ラスは戻ってくるぜ?あいつとインジュを、信じてやれよ!」

泣いているエーリュの茨が、徐々にエーリュ自身を締め付け始めていた。

「エーリュ!君の本当の願いを思い出せよ!オレが叶えてやる!だから、向き合えよ!」

エーリュに向いた茨を切り裂いたリティルを、邪魔だと言わんばかりに茨が襲う。

「生き――ら、れな……い。ラスティ……が、いない」

「ホントにこの感情は厄介だな。やっぱりあいつじゃねーと無理か」

エーリュの心は、ラスティただ一色に塗りつぶされていた。これでは、誰の言葉も届かない。リティルにも覚えがあるために、苦笑するしかなかった。

「ラス!早く戻ってこいよ!」

それまで、エーリュが死なないように守らなければ!と、リティルは刃を振るい続けた。


 ジャックとラスティ。分かたれた意識が融合する。

ラスティは、今までありがとうと、ジャックの手を掴んだ。ジャックは、ただ首を横に振って、手を握り返した。そして、やっと安心して眠れると言った。

 リティル戦闘不能の現場に、手筈通り居合わせたインジュは、ジ・エンド・オブ・ザ・ワールドを発動し、もう一つの人格である、エンドを呼び覚ました。エンドは、インジュの願い通り、ラスティのルールを書き換えた。

『ラスティが、ジャックにより殺された場合に限り、ジャックと融合でき、旋律の精霊・ラスを再構築する』

ゲームに勝つためには、エーリュが精霊として覚醒するか、ラスティの死の二択しかなかった。インジュは、ジャックも救う気でいた。ならば、ちょっと痛いけど、ラスティに死んでもらおう!とリティルとインファに持ちかけたのだ。

――オレは戦闘不能になるのは構わねーけど、ラスティ、いいのか?

――リティルは、戦闘不能になるの、もう少し渋った方がいいです!ラスは、いいんですよぉ。あの人、一度肉体捨てた方がいいです

――肉体を捨てても、過去はなくなりませんよ?

――気分です。というのは、冗談です。ジャック、完全に存在が分かれてるんで、戻してあげたいんです

このまま消えたんじゃ、ジャックが可哀想だとインジュは、ジャックも助けたいから協力してほしいと訴えたのだった。リティルとインファに異論はなく、インジュの願いは聞き入れられた。

 そんなやり取りが、インジュと一度別れたあとなされていたとは、ラスティは知らなかった。何も知らないまま、リティルがジャックと戦いに行ったと、インファに聞かされて、インジュはすでに後を追ったと言われて、慌てた。リティルは左腕がまだ動かせなかった。とても、ジャックを相手にできる状態ではなかったのだから。

魔音の郷の大階段の下まで、セリテーラの翼でインファと飛んだが、階段を飛び上がっている最中に、ラスティの翼は解けてしまった。インファは、先に行くと言って行ってしまった。

 そして、インジュのトンデモ固有魔法・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールドの発現を、目の当たりにしたのだった。

エンドに、ルールを書き換えられ理解はしたが、乱暴だなと、苦笑するしかなかった。

「さあ、行こう!」

ラスは笑って、瞳を開いた。

 途端に風を感じた。海を渡る塩味の湿った強い風。初めて感じる強風に、ハヤブサの翼が一瞬翻弄された。

おっとっとと、体勢を立て直して眼下を見下ろすと、歌う緑の魚大陸が見えた。なにやら、金色の光に包まれている。とても強い、風の力を感じた。

何かが起きている?大陸を壊しそうなこと?ラスは、急降下を始めた。

「ラス!」

その途中で名を呼ばれた。見上げると、インファが、イヌワシの翼で鋭く急降下してきた。

「インファ!これ、何が起こってるんだ?」

まさか、不具合が?とラスは、歌う緑の魚大陸を心配していた。そんなラスに苦笑して、インファは「まず世界の心配ですか?あなたは、風の精霊ですね」と言った。

「大陸は心配いりません。うちの精鋭が来ていますから。ラス、エーリュが暴走しています。王は救うつもりですが、状況は思わしくありません」

精鋭?風の城の?と問うと、インファは無常の風だと教えてくれた。終わったら紹介しますと、言ってくれた。

 リティルの命を受け戦線を離脱したインファは、上空で待機していた無常の風の二人と合流した。「お二人とも、まさかずっとここにいたわけではありませんよね?」とインファが苦笑交じりに問うと、二人は答えをはぐらかした。そんなリティルが心配で仕方ない二人に、インファは早速副官として命を下したのだった。

インファの命で無常の風はすぐさま、エーリュがこの大陸に傷をつけないように護るため、大陸全土を覆う風の障壁を展開したのだ。

 ラスは眼下を見下ろした。確かに、心配することはないようだと感じた。大陸一つを包み込む風の障壁は、桁違いの力で、仲間だとしても恐ろしいなと思った。

「ミューリンは、人間に憧れてた。エーリュは、人間として正しい……。うん、わかった。選んでもらう」

少し寂しそうに、ラスは笑った。

「ラス、ハヤブサの狩り、覚えていますか?」

ハヤブサの狩り?ラスは一瞬首を傾げたが、ややあって、ああと頷いた。

「父さんは、エーリュの手を放す気はありませんよ。なのでラス、王の願いを叶えてください。あなたなら、できますよね?」

そう言って笑ってくれたインファは、見守ってくれたインサーフローのインファと変わらず優しかった。これから、彼等と共に生きられるんだと思うと、この上なく嬉しい。

「わかった。必ず叶えるよ」

ありがとうと、頷いて、ラスは音の神殿へ急降下していった。

  

見えない……見えないよ……どうして、こんなに辛いの?

こんな痛みを、知らない。

セドリ……あなたは、こんな痛みの中にいたの?

わたしの世界を守るため、わたしを失い続けて、こんな痛みを感じていてくれていた?

嬉しい……ごめんね、セドリ。わたしの心にあなたはいなかった。ずっとずっと……。

それが寂しいことだと、教えてくれた人がいた。

インジュ。

交わらない心は、寂しい。選ばなかったあの人は、指を指して教えてくれた。

あなたの相手、そこにいるでしょう?

長かったね。あなたとまた、出会えるとは思わなかった。

わたしの知らなかった心を持って、あなたに会えた。

好きだよ。

暖かくて、キラキラした、宝物みたいな想い。

ずっと、憧れていた。

ずっと、ほしかった。

それを持っている、歌うみんなを手に入れたかった。

わたしは間違った。

風の王・リティル。わたしの間違いを正してくれる人。

リティルと長い閉ざされた輪廻が、わたしの願いを叶えた。

セドリと二人で、人間になりたかった。

願いは叶った。

そして、また、わたし達はすれ違った。

ラスティの願いは、インジュの愛したこの世界の存続。その為なら、死すらもいとわない。

ジャックの願いは、風の王と生きること。

セドリの願いは、わたしとの未来じゃなかった。

わたしは選ばれなかった。

ずっと昔、無邪気にセドリを選ばなかったように。わたしは……遅すぎた。

リティル君……どうして生きろと言うの?

ラスティはもういない。

彼以上に望むモノなんて、わたしには……


 リティルは、邪魔をするなと言いたげに襲ってくる茨の鞭を、断ち切り続けていた。

「これもある意味失恋になるのか?それでオレは、恋敵なのか?はは、インジュがここにいたら、恨み倍増だったかもな」

ジャックの願いは、風の王・リティルの配下の精霊として、生きること。

ラスティの願いは、インジュの愛した世界を、存続させること。

そして彼等は消滅してしまった。

エーリュは振られたと思った事だろう。

「そういう好きじゃない!リティルにあるのは忠誠心で、インジュは友達だ!」

黒い棒を手にしたラスが、鋭くリティルの前に落ちてきた。リティルに無数に襲いかかった、茨の鞭が断ち切れる。

「ハハハ!ごめん、悪い冗談だったな?なあラス、教えてやってくれよ。その願いは、叶ってたんだってことをな!」

叶っている願いを、願う者はいない。「あいつもリアトしたくせに、ずいぶんウッカリだよな」と、リティルは笑った。そして、「これでも、ラスは戻ってくるぜ?って教えてやったんだぜ?」と首を竦めた。

 リティルに「あとは任せるぜ?相棒!」と背中を押されたラスは、泣きながら茨の中にいるエーリュに向き直った。

「エリュフィナ」

ラスは、エーリュに呼びかけた。顔を覆っていたエーリュは、ビクッと身を震わせて、それでも顔をあげてくれた。怯えるその様子に、ラスは苦笑した。錯乱した彼女には、この姿が風の精霊にしか見えていないようだった。風の精霊は、世界に仇なす者を狩る、世界の刃。風の王に楯突いたわたしは、断罪対象だとわかっているようだった。

しかし、死のうとしていたんじゃないのか?とラスは思った。自分でケリを付けるのはいいが、殺されるのは怖いなんて、そういうものかな?と思ってしまった。

 ラスが足を踏み出すと、エーリュは来ないでと言うように茨の鞭を鋭く放ってきた。ラスの周りに、六色の光が封じ込められた水晶球が周回する衛星のように、回転しながら現れ、茨の鞭を弾きちぎっていた。その球の中から、金色の羽根の踊る球を選び、ラスティはそれに触れた。

ゴッと金色の風が吹き出して、瞬間エーリュを襲う。顔を庇ったエーリュは、鎧っていた茨をすっかりなくしていた。

「心を失うほど、オレのこと、想ってくれてたのか?」

「好きだって、言ったのに……」

「オレが?ああ、ジャックか。先越された」

「キスしてくれた!」

「それは、オレもした」

「押し倒された……」

「えっ!あいつ、信じられない……」

「止めたかった」

「あれは……ごめん。それしか方法がなかったから。でも、インジュが助けてくれた」

「インジュ……どこ?助けて……インジュ!」

「待って!そこで、インジュ呼ぶのか?さすがに、それはない!」

再び茨にまみれそうだったエーリュを、ラスは抱きしめた。途端に、エーリュは放心したように大人しくなっていた。

「エリュフィナ、一緒に帰ろう?でも、あんたがこのままじゃ、オレは、一緒にいられない!風を選んで。離れたくないんだ」

風を選んで――その言葉に、エーリュは思い出した。

なぜわたし達に、恋愛感情がなかったのか。

セイレーンとセドリガーに、永遠に恋い焦がれる相手という、魔法をかけたのか。

ミューリンとセドリは、反属性だった。

分類的に花の精霊だったミューリンに、風の精霊だったセドリは触れられない。

花は、儚く、風の中では散ってしまうから。だから、二人には恋愛感情がなかった。持ってはいけなかった。でも、人間達を見ていて憧れてしまった。楽しそうに歌うその歌に魅せられてしまった。

「オレのこの心は、不相応な感情だってわかってる。穢されたオレが、あんたと未来へ進もうなんておこがましいって……」

ジャックと別たれた時、ラスティにはそんなつもりはなかった。この大陸を解放し、ミューリンの魂と共に帰ろうと思っていただけだった。人間に身をやつしてもどこかやはり、騎士としての心が残っていたのだ。それを壊したのは、インサーフローの歌とインジュだった。心のままにと言って、背中を押しまくるインジュが、ミューリンの生まれ変わりだの何だのとそんなことは抜きにして、エーリュというただの女の子に向き合わせてくれた。

そして、恋に落ちた。ミューリンとは似ても似つかない、エリュフィナという歌姫に。

「ラス……わたし、一緒に行けない……」

「あんたはもう、精霊だ。人間には戻れない」

「そうじゃない。そうじゃないの!わたし……わたし……!」

腕の中のエーリュの背には、蝶の羽根があった。それは大地の王の配下である、花の精霊の証だった。

「エリュフィナ!今ならまだ間に合うんだ!このまま花の精霊になってしまったら、オレは……あんたに触れられない!いいのか?せっかく向かい合って手が繋げたのに、また背中合わせになってしまっていいのか!」

「ラス……わたしには、無理……愛せない……慈しめない!」

風の精霊は、世界の刃。精霊の中で、誰よりも世界を愛し、慈しむ。そんな心を、エーリュは持てそうになかった。世界とたった一人を天秤にかけて、たった一人を迷わず選ぶわたしには、無理だと再び涙が流れた。

「オレは旋律の精霊だ。オレは、リティルが慈しむ世界に溢れる旋律を守る。でも、それはオレだけじゃ不十分なんだ。曲には歌が必要なんだ。エリュフィナ、歌を守ってくれないか?歌うこの世界を、風の王・リティルが愛する世界を、オレと一緒に守ってくれ!」

歌う世界を、リティル君の為に?歌――歌……歌!

奪わないで。わたしから歌を……。

そう、それがわたしの願いだった!エーリュは、忘れていた願いをやっと思い出した。

――エーリュ、聞かせてくれよ。君の願いはなんだ?

これが、リティルが聞きたかった、魂の願いなのだとわかった。

ずっと、歌っていたい。この世界を虹色に彩る声達を、わたしは愛している。

 オオタカの金色の翼を背負った小柄な風の王が、エーリュとラスティの前に立った。

「願えよ。エリュフィナ。その願い、オレが叶えてやるぜ?」

世界。なんて大きすぎてよくわからないけど、歌なら愛せる。リティル君……あなたの教えてくれた、この歌と共に!

「歌いたい……わたし、歌っていたい!許されるなら……永遠に!リティル君のもとで!」

ラスはエーリュを立たせると「歌え、あの歌を」と促した。

「苦しいかもしれないけど、オレも、一緒にその苦しみを背負う。一人にしないから」

そう言ってくれたラスティにエーリュは頷くと、リティルに深々と一礼し、歌い始めた。

風が渦巻く。エーリュの髪に絡んでいた茨が、風に散っていく……背に開いた蝶の羽根も風は容赦なくもいでいった。

痛い……体がバラバラに裂かれそう……!でも、エーリュは歌うことを止めなかった。ここで、風にこの身が散ろうとも、最後まで歌いたかった。歌の中でなら、死んでもいい!と、身勝手に思ってしまった。

──心に 風を 魂に 歌を 君と築く未来が 今 目の前にある

──さあ わたしに 手を伸ばして 掴んだ手が まばゆい羽根に変わる

──恐れるな 傷ついても 誓え 瞳の輝きを失わないと――……

風の奏でる歌を踊る。ドンッと大地を踏みならす音は、鼓動のようで、風に切り裂かれて死にゆく者とは思われない力強さだった。

「エリュフィナ、君は歌の精霊・エリュフィナだ。歓迎するぜ?」

エーリュの歌う声に、風の王・リティルの歌声が重なっていた。歌声が導いた風が、エーリュに吸い込まれて、その背に、金色のシロハヤブサの翼が生えた。


 音の精霊・ミューリンは、踊れるが歌えない精霊だった。

故に、歌える指揮棒の精霊・セドリのことを羨ましがっていた。

そして、歌う緑の魚大陸と出会ってしまった。

ミューリンが、歌姫として生まれ変わり続けたのは、歌いたかったからだった。

その歌を聴いてほしかったからだった。

ミューリンの願いは、時を超え、今日、叶った。


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