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三章 バトル音楽祭Bランク⇔Cランク

 バトル音楽祭は、投票制の音楽祭だ。

観客、審査員、外の視聴者から投票してもらい、降格、昇格が決まる。

この音楽祭には、裏票なるものがあった。それは、寄せた邪妖精の数だった。

 ラスティは、舞台袖で気配を消していた。異変があればすぐに出られるように、黒い水まんじゅうの様なムルムラを、肩の上で待機させていた。今、ステージでは、エリュフィナがインジュと踊りながら歌っている。その周りを、大勢のダンサーが囲み、ここからでは、彼女達の姿はたまにしか見えなかった。

「インジュ、なかなか踊れていますね。観客席のリティルは、きっと驚いていますよ」

「うん、インジュ、筋がよかったんだ。案外簡単とか言ってしまって、エーリュに難易度上げられてたくらいだよ」

さすがだよと、ラスティは、後ろに立ったインファを振り返らずに答えた。

「インファ、リティルとは……その……」

今更?とインファは思ってしまった。あのやり取りのあと、二人は堂々と練習するようになった。インジュはエーリュの所に入り浸っていた。インジュに聞けばいいのに、どうやらラスティは聞けなかったようだ。

「すぐに仲直りしましたよ?無駄に丈夫というのも、考えものですね。命のやり取りには慣れてますから、大丈夫です」

「インサーフローを見る限りじゃ、そうは見えない」

「そうですか?あなたほどの魔導士なら、オレ達に染みついた、血の痕が見えませんか?」

「気に障ったなら、謝る。あなたの強さは、見てもわからないんだ。リティルも、上手く隠すから、ダークムーンでも強いことあまり知られてない。だから、今日、制服着ないで観客席にいても、誰も咎めない。強いことを知っている蝙蝠は、別仕事だと思うし、知らない子蝙蝠は、兄さん達を観に来てるんだと思ってるから」

恐ろしい強さだよと、ラスティはやっとインファを僅かに見上げた。インファは、いつもの控えめで温かい笑みを浮かべていた。ラスティは、視線をそらすまい!と無駄に強がっていた。

「あの……その衣装、ツッコんだほうがいいのかな?」

「似合っていますか?」

インファはこれ見よがしに、胸と腰の後ろに手を置いて、僅かに身をかがめた。その優雅すぎる動作に、ラスティは近くにいるのが恥ずかしい!と、思わず数歩逃げてしまった。

「もう、似合ってるとか似合ってないとかいう、レベルじゃない!インファは、そういう服装の人だ!」

フレイムストームのアコの、今日のステージ衣装はゴシックロリータだ。バンドのメンバーも男女問わず、アコに衣装を合わせているが、その中でも、金糸のような髪に合わせてか、インファだけが白に、金の刺繍を施した衣装だった。

ステージの中央に、グランドピアノが置かれる予定で、青いバラと鳥達の剥製が、盛り付けられる。

「オレは、ゲストなんですけどね。アコが、インファは黒より白だ!と言い張りまして」

一人白だと目立ちますよね?と、インファはまんざらではない様子だった。

本当に、この人は自分の容姿を十二分に理解しているなと、ラスティは隣にいることが落ち着かなかった。同じ男性で、この世にこんな綺麗な人がいるのか。と思わずにはいられなかった。けれども、インファを女性と見間違うことはない。それがとても、不思議だった。そして、インジュとインサーフローをしているときは、どうして目立たないんだ?と疑問だった。歌い出すととたんに輝き出すインジュの魅力は相当だが、インファも負けていないのにと、ラスティはインサーフローでは見られない雰囲気の彼を、間近で見られる喜びを密かに噛み締めた。それほど、インサーフローが好きなのだった。

「本当に、投票にインサーフローの項目、ないのか?」

惜しい。もの凄く惜しい!と、インサーフローのファンのラスティは、思ってしまった。インサーフローのライブに足繁く通っていたラスティは、インファの決断に、口には出さなかったが、もの凄く不満だった。こんなことは前代未聞で、新聞でも大きく取り上げられ、世間からも考え直せと抗議の声が上がっていたが、インサーフローもミューリンタワーも沈黙したまま、今日を迎えてしまった。

 インサーフロー共演の裏には、ダークムーンの要請もあった。ミューリンタワーも、インフロの二人が隠れ魔導士だということを把握している。邪妖精、ミュージシャンを狙った傷害事件、巷は不穏で、ミューリンタワーは、ダークムーンの要請を飲まざるを得なかったのだ。しかし、人気歌姫との共演は、それだけで票を集めてしまう。公平を期すため、エリュフィナとフレイムストームは、二票で一票分というハンディが課せられた。

「インフロ名義では、出演しませんからね。ああ、インジュもかなり目立ってますね」

インサーフローのステージ見たかった……と思わず呟いてしまい、ラスティが好いてくれていることを知っているインファは、すみませんと困って笑った。

「あれ……衣装がヒラヒラして女装みたいだから、あんまり刺激強くないけど、絡みが、その……エロい」

綺麗で似合ってるんだけど、インジュがノリノリで……とラスティはますます俯いた。どんどん上達するインジュに、ダンサー魂が刺激されたのか、エーリュもこれは行ける?これは?とのめり込んでいってしまった。

エーリュは、護衛についてしばらくは、どこかビクビクしていた。それが、バトル音楽祭でインジュと共演することになり、軽やかで自然体のインジュのおかげで、元々友人ということもあり、エーリュは明るくなった。それはよかったのだが、エーリュとインジュは気が合って気が合って、仕方がなかった。

 二人は、踊りすぎで、息を切らしてへたり込みながら「やるわね」「それほどでもありますよ」と凶悪な笑顔を浮かべて睨み合っていた。もう手が痛いから、しばらく休まないかと提案すると、ギラッと睨まれた。

――何言ってるんです?もう一回ですよ!さあ、人間メトロノーム、手拍子してください!

――歌って行くわよ!インジュ

――はい!負けませんよ?エーリュ!

いや、本当に、楽しかった。

「インジュなので、問題ありませんよ。あの人、女顔ですし。ほら、順番に他のダンサーとも絡んでますよ」

ああ、終わりましたね。とインファは笑っていた。ああ、このダンサー達に紛れて、ボクも、あちら側の舞台袖に、移動しなくてはと、ラスティは足を踏み出した。

「ラスティ、エーリュから離れないでくださいね」

ラスティが振り返ると、インファはいつもの笑みを浮かべていた。彼に頷き、何を警戒しているのだろうかと、首を傾げた。次は、フレイムストームだ。どんなステージになるのか、見ることはできないがラスティも楽しみだった。


 リティルは、観客席でステージを見ていた。

外ではダークムーンが、邪妖精狩りに精を出しているのが感じられた。いつもよりも数が多いようだ。

特に、エリュフィナのステージ中は、こちらも出た方がいいか?と思えるほど、外が騒がしかった。ハーディンに、ペンダントの通信機能で「手伝いいるか?」と聞くと、いらないと言われた。そうかと言って、ステージを見ていたのだが、これは……インジュが当日のお楽しみと言うので、見学せずにおいたが、思わず失笑してしまうほど、ハードなダンスだった。しかも上手い。あいつ、風の精霊やめて、ここで、歌って踊れる歌い手やってたほうが、いいんじゃないか?と思えるほどの出来映えだった。

それにしても、あの恰好なんだよ?とリティルは失笑を禁じ得なかった。

インジュは、おそらくそういう恰好をすれば、女性に見えるだろうなーとは思っていたが、インジュだとはわかるが、どう見ても女性にしか見えなかった。けれども、仕草はちゃんと男性で……インジュの役は、妖精の王――だったか?と、この世界ではこういうイメージなんだなと一応の理解はしていた。

エリュフィナの歌は、妖精の男女の悲恋を描いた歌で、そのような演出がされていることはわかるが、あれは……どうなんだろう?インジュは楽しそうだが、ありなのか?とリティルは自分が案外頭が固いことを、初めて知った。

刺激強すぎだぜ……と、リティルはハアとため息をついて、顔を覆った。いや、世界観もピッタリで、綺麗で格好良くていいんだけど……となぜか葛藤していた。

それより、なんとか何事もなく終わりそうだ。次で最後だ。何事もなく、終わってくれよ?リティルは、祈っていた。

 暗くなったステージが、再び明るくなったのを感じて、リティルは、次はフレスト――フレイムストームだなと、顔を上げた。そして、危うく、椅子から落ちそうになった。

待て待て待て!あれ、インファだよな?どっかの大陸の王子じゃないよな?いや、吸血鬼?ああ、あいつ正真正銘王子様だったぜ!忘れてたと、中央で大いに目立っているインファを、混乱しながら凝視した。

インサーフロー名義じゃねーくせに、目立ちすぎだろ!と、リティルは頭を抱えた。

インファの弾くピアノは聞いていたため、この曲は知っていた。おまえ、指つらないのかよ?と、真顔で尋ねて、インファにつりませんよ?と苦笑された。

投票に、インサーフローがあったら、オレ、確実に入れてるな!と、身内びいきなことを、本気で思ってしまった。でも、アコもよかった。癒やされるー!とリティルは、大いに楽しんでいたのだった。

 曲が終わり、余韻に浸って、一瞬目を離していたリティルが、ギャーッという羨望と妬みの混じった悲鳴を聞いて、ステージに視線を戻すと、インファがアコを、横抱きに抱き上げて、笑っていた。しかも片手だ。アコは小柄な女の子だが、ちゃんと大人の女性だ。それを、片手で!細身のくせにあんな軽々と!と、リティルには到底真似できないことを見せつけられ、羨ましいやら腹立たしいやら、複雑だった。

なっ!くそ、格好いい!これ、浮気じゃねーのか?浮気だよな?と、リティルはセリアに見せられない……と再びため息とともに、顔を両手で覆った。

あの二人……祭りだからって羽目外しすぎだろ……と、格好良かったし楽しかったのだが、父親で風の王という立場からすると、ハラハラして落ち着かなかった。

 ああ、終わった。何事もなく。それだけでいいんだ。

インサーフローが昇格しなくても、みんなが、ここにいる皆が無事なら、それでいいんだ。

リティルは、ホッとして席を立とうとした。

 その時だった。

ゾクッと、冷たい汗が背中を流れ落ちる。

どよめきが、観客席の前列のほうから、伝わってきた。ハッとして視線を戻すと、ステージの真下の観客席に、異様な人影が立っていた。

シルクハットをかぶっていると、おぼしき人影。襟の立ったマントを着ているような、後ろ姿。ザワリと、リティルの血の気が引いた。

あの姿、忘れもしない!あれは!

「ジャああああああクううううううう!」

リティルは床に固定された椅子を蹴り、空へ跳びだしていた。その背に、金色の翼が生えた。ステージ上には、まだ、アコを庇って立つインファがいた。


 インファは、アコに抱っこをせがまれて、仕方なく抱き上げてやった。アコは「優越感!」と笑って、インファの首に片腕を回して、自分の体を支えると、手を振った。

「では、コールに怒られる前に行きますか?」と退場しようとアコを下ろすと、そこで、インファは異様な気配に気がついた。

「コール!アコをお願いします!」

アコを背に庇い、インファは遠巻きにしていたコールを鋭く呼んだ。コールはすぐさまアコを引き受けて、舞台袖へ走った。入れ替わるように、白い猫がインファの足下に走ってくる。

さて、あれがジャックかと、インファは思ったより若そうな男性のような、その者と対峙した。インジュとラスティは、エーリュを守ってくれているだろうか。では、オレはこっちですねと、インファは相手を観察した。

 とりあえず、仕掛けてくる気配はない。さて、どうしようかと睨み合っていると、会場の空気が大きく動いた。

「ジャああああああクううううううう!」

怒気を含んだ風が、観客席から飛来した。

ああ、そう来ますか?と、やはり、翼を使ってしまったリティルに、苦笑した。

そんなに心配しなくても、死にませんよ?と、インファはジャックを注視したままでいた。すると、ジャックは、インファからクルリと視線を、飛んでくるリティルにあっけなく向けた。この場にジャックが現れた目的をインファは瞬時に悟り、ゾクッと悪寒が走った。

「リティル!狙いは、あなたです!」

こちらの前に姿を現したのは、リティルをおびき寄せる餌に使われたのだと、インファは悟った。

ジャックはリティルを迎え撃つように、鋭く空へ飛んだ。跳んだではなく、飛ぶだ。彼は風の精霊だ。問題なく飛べるのかと、インファは思った。そして「狡いですね」と呟いた。

 会場中に悲鳴が響き渡った。

ジャックの長く鋭い爪と、リティルが両手に抜き放ったショートソードが、打ち合わされ火花を散らした。

リティルが言っていたように、ジャックと力は互角だった。オオタカの翼と、愛用のショートソードを使っている為に、今はリティルが勝っていた。

だが、このままでは、霊力が保たない。仕方ない。リティルが翼を使わなければ、セリテーラを使って、まだやりようもあったが、もう、インファが選択できることは、一つになってしまっていた。インファはセリテーラを抱き上げると、その額にキスをして、舞台袖に退かせた。愛しい彼女の分身を、巻き添えにするわけにはいかないから。

 インファは、天井近くで、激しく火花を散らす二人を見据えながら、息を吸った。

そして、歌い始める。ありったけの霊力を込めて。

――さよなら 止まない雨 

――手の平を空に掲げれば 金色の光が 君にさす

――恐れない わたしには 言葉がある

――歌え 君のくれた言葉を 今こそ 響かせて

――青空の向こう 君に この歌が届く――……

インファの歌う風の奏でる歌は、何の効果ももたらさない。

この歌は特殊な風の精霊の歌で、歌う者によって、歌を聴く者に現れる効果が違うのだ。

生命力に溢れるインジュが歌うと、生きる力を湧かせることができる。

風の王であるリティルは、心根一つで、安らぎも、活力を与えることも、自由自在だ。

だが、インファは、何の効果ももたらせない。

もたらせないと、思っていた。

――おまえの歌は、オレの為だけにあるんだな?

あるとき、リティルが言った。おまえが歌うと、オレの力が蘇ると。

ならば、今ここで全力で歌うしかない。リティルが、ジャックに勝てるように。

 ビリッと何かが裂ける音がして、野外音楽堂の天井が波打った。

天井を覆っていた幕が破れて、暮れかけて真っ赤に染まった空が、裂け目から見えた。その裂け目から、歌に惹かれて、邪妖精達が侵入してきた。インファの歌声に惹かれてやってきたのだ。

人間が歌うだけで寄ってくるのだ、精霊が精霊の力を込めて歌えば、その比ではない邪妖精が寄ってくる。リティルの放った金色のフクロウが、応戦してくれるが、彼女だけではとてもインファを守り切れない。インスレイズは、邪妖精に群がられ応戦一方となり、インファから引き離されてしまった。

「インファ!くっ!歌うなああああ!」

できない相談だ。ここで、歌うことを止めたら、あなたは霊力不足で、意識を失うでしょう?と、インファは確信していた。

――あなたの引いた引き金です。オレが死ぬ前に、決着つけてくださいよ?父さん!

ジャックの激しい攻撃に、リティルは叫ぶことだけで精一杯だった。だが、インファの歌声で、体の奥底から力が湧き上がってきていた。

勝てる!勝ってやる!リティルのスピードが、烈風鳥王と呼ばれる、本来のそれに追いついた。

――心に 風を 魂に 歌を 限りないと 君を信じて

――眼差しの向こう 風の導きに 逆らっても 叫べ 信じるままに

――透明な腕に 抱かれ 別れを突きつけられても 歌え 想いのままに――……

群がってきた邪妖精のタックルを躱しながら、インファは歌を止めなかった。しかし、翼も槍もない今、地上だけでは躱しきれずに、インファは、丸いウサギのような姿の、邪妖精のタックルを受けて蹌踉めき、辛うじて次は避けたものの、そこへ一斉に邪妖精達が群がった。インファの姿が、邪妖精達にまみれて床に倒れた。そして歌が止む。

 ジャックに肉薄していたリティルは、彼の首を捉えて剣を振るっていた。

勝った!――はずだった。

しかし、振りきったはずの刃が風に解けて消えていた。そして、背にあった金色の羽根が散って、視界を染める。リティルは襲ってきた疲労感に抗えず、まぶたが自然と閉じてしまった。体に衝撃を感じたが、もう目を開けなかった。

リティルは、ジャックの長い爪の手に掴まれていた。ジワジワと握られて、全身の骨が軋んだ。息苦しさに、無意識に足が空を蹴ったが、それも次第に静かになった。

 騒ぎに駆けつけたエーリュは、舞台袖で、その光景を見ていた。足が震えて、声すら出せなかった。

あれは何?リティルを掴んでいる、異様に長い爪?エーリュの目は、空中にいるジャックに釘付けだった。不意に、背中が痛んだ。熱いような四本の何かが背中をかすめて、鋭く痛んだが、通り過ぎるように痛みは消えてなくなった。

あの人を、わたし、知って――そう思いそうになって、エーリュは恐怖で何も考えられなくなった。

そんなエーリュの両肩にラスティが触れた。そして、そっともっと下がれと言うように、舞台袖に押しやった。前髪越しにジッと見つめられているのがわかった。

――ラスティ……

ラスティに、ここにいてほしかった。けれども、震える体は動かず、声も出せなかった。

「静かにして、ここを動くな」

ラスティはそう囁くと、インジュを追って駆け出した。

その背中に、手すら伸ばせなかった。

一人にしないで!言えなかった。


 形振り構わなさすぎです!インジュは、エーリュの事はラスティに任せて、舞台袖に残るべきだったと悔やんだ。

ステージが終わり、インジュはエーリュと興奮が冷めやらず、影のように付き従うラスティを従えて、控え室まで話ながら引き返してしまった。

そこで、インジュはインファの歌声を聞いたのだ。

最大限霊力の乗った歌――しかも『風の奏でる歌』!

インジュは青ざめると、弾かれたようにもと来た道を駆け戻っていた。

背中に「どうしたの?インジュ!」と呼び止めるエーリュの声がしたが、答えてる暇がなかった。ラスティはエーリュを置いていくわけにもいかず、何もわかっていない彼女の手を引いて、ついてきた。

 駆けつけてみると、顔を覆いたくなるくらいの惨状だった。

空中のリティルは、翼のない現状では助け出せない。インジュは、ステージ上の邪妖精団子に視線を向けた。父が――インファが無事なら、まだ勝機はある!

インジュは両手に反属性を返す魔法を宿らせ、邪妖精団子に走った。打ち合わせも何もしていなかったのだが、ラスティは動いてくれた。

 インジュは追ってきてくれたラスティと共に、倒れているインファに群がる邪妖精達を蹴散らした。インジュが助け起こすと幸い、インファには意識があった。

「インジュ……助かりました……」

いや、助かってないでしょう!とここまで出かかったが、インジュはグッと堪えて、治癒魔法をかける。情けない。手が震えた。

ラスティは二人を庇うように立つと、風の球をいくつも呼び出すと、蹴散らしたとき空中へ逃れた邪妖精達を追撃して屠ってくれていた。

これだけの数の邪精霊を一手に引き受けてなお、冷静なラスティの気配に、インジュは落ち着きを取り戻した。

 今、できることは、何なのか?それはもう、一つしかなかった。

インジュはキッとインファの顔を見た。服を脱がせてみないとわからないが、かなり傷を受けていると思われた。だが、今のインジュの力では、短時間ですべてを癒やしきることは不可能だった。

でも、やってもらうしかなかった。

「兄さん!歌ってください!兄さんしか、リティルを救えません!邪妖精はボクが引き受けますから」

インジュはそう言うと、頭に飾った花の冠を投げ捨てながら、ステージの前の方へ走った。解かれていた半端な長さの髪を束ね、いつもの髪留めで留める。その瞳は、インサーフローのインジュだった。

「わかっていますよ。ラスティ!手を貸してください」

インファは、ヨロリと蹌踉めきながら何とか立ち上がった。指名されたラスティは、インジュと入れ替わりにすぐさまインファのもとへ戻ってきてくれた。インファは、ラスティの手を借りてなんとか歩みを進め、ピアノの前に座ると、旋律を奏でながら歌い始めた。

インファの声に、インジュが重ね、インサーフローの声が、溶け合う。

──君が守ると言ってくれるから わたしは隣で生きよう

──たとえ 辛くとも

──たとえ 輝きを失っても

──たとえ 疲れ果てても

──心に 風を 魂に 歌を 不可能じゃない 繋いだ手を 放さずにいこう

──願いの果て 君の微笑みに 会えたのだから

──わたしは この風の中 生きていける――……

インジュは宣言通り、邪妖精達を一手に引き受けていた。

さあ、こっちに来なさいよ!そう心を込めるだけでよかった。それだけで、邪妖精はインファには目もくれずに、インジュだけに群がってきた。

 インジュは、軽やかに舞うように邪妖精達のタックルを躱しながら、手の平でトンッと触れていく。手の平に纏った反属性を返す固有魔法・反属性返しで、触れられた邪妖精達の体は、水風船が弾けるように体の一部を壊されて、床に落ちていった。エーリュにダンスを、みっちり叩き込んでもらってよかったと、インジュは思った。

「ムルムラ!武装変化」

邪妖精達と戯れていたインジュの舞に、ラスティが加わる。手にしているのは、黒く長い棒だった。ラスティは、その身長よりも長い棒を巧みに操り、インジュに群がる邪妖精達をなぎ払った。やっぱりこの人、使えますねぇと、感心しながらインジュは、ラスティの取りこぼした邪妖精達に、手の平をトンッと当てながら、乱れなく歌い続けた。

 ジャックが、リティルを握りつぶさんとしている手を高く掲げた。そして、もう片方の手の指を合わせた。鋭い槍の先の様になった爪を、リティルを貫こうと構える。が、リティルを守るように金色の風が渦巻いて、ジャックは爪をそれ以上進めることができなかった。風をこじ開けようとするジャックと、金色の風がせめぎ合った。

「叫ぼう 悠久の風の中 君と生きていけると!」

リティルから金色の風が鋭く解き放たれた。風の奏でる歌の最後のフレーズに、三人の声が重なっていた。リティルのまぶたが開かれて、生き生きと燃えるような光の踊る瞳が、ジャックをギラリと睨んだ。

翼を再度背に生やし、ジャックの爪を砕き飛ばしたリティルは、手にしたショートソードでジャックを刺し貫き、自分諸共、観客席へ叩き落としていた。観客席へ叩き落としたとき、何かを巻き添えにしたような気がしたが、確かめる余裕はリティルにはなかった。それは、未だにステージ上を映して、都中に発信していたビデオカメラだったのだが、リティルが知るよしもなかった。

 彼の姿が、枯れて腐った暗い黄土色の風となって消えていく。

「――風の王……ゲーム、に不具合、が……。巡礼の、道。彼女の、願い――。もう、後がない……。ボクから、守……って。お、ねが――い――」

剣を引き抜いたリティルの背で、翼が無数の羽根となって、散っていった。

 彼の言葉を反芻していたリティルは、ガタンッと何かが倒れる音が、静まり返った音楽堂に響くのを聞いて、ハッとステージを見た。

そこには、ピアノの椅子から落ちて倒れた、インファの姿があった。

遠目では、血を流しているのかどうかは見えなかったが、リティルは、転がるように観客席を通路へ走ると、ステージへ走り降りたのだった。


 インサーフローのインファが入院したニュースは、その夜のうちに、都中を駆け巡った。

そして、バトル音楽祭Bランク⇔Cランクの結果は、混乱の中流されてしまった、インサーフローの風の奏でる歌が、大きな反響を生んでしまい。

エリュフィナと、フレイムストームと共に、インサーフローの昇格を望む声が大きく、異例の三組昇格で、幕を閉じた。

「昇格しちゃいましたよ、兄さん!」

病院の個室のベッド脇で、インジュがリンゴを剥きながら、はしゃいでいた。

 インファは肋骨を数本折っていた。インジュは、土壇場で感じられる範囲しか、癒やせていなかったのだった。あとの怪我は、打撲程度で済んだ。あれだけ邪妖精達に群がられて、これだけの怪我で済んだのは、奇跡だなと、夜のうちにお見舞いに来てくれた、ダークムーンの表のボスであるハーディンが、ホッとしていた。

ハーディンは、音楽祭が終わり、さて、引き上げるかと、撤収を通達したところだったために、初動が遅れてしまった。屋根の上の人員は大半が降りてしまっていて、すぐには引き返せなかったのだった。すまなかったと詫びるハーディンに、インファは「気にしないでください。オレは生きていますから」と笑ったのだった。

「昇格しましたが、オレ達は活動休止です」

インファが倒れた後、コールとインジュが治癒魔法を施す暇もなく、百合恵の手によって病院が手配されてしまった。インファは誰も逆らえないまま、この個室へ収容されてしまったのだった。

「あうう……楽しかったのに、残念ですぅ」

そう言いながら、インジュはウサギの形に剥いたリンゴを、インファに差し出した。

このリンゴは、先ほどまでいた専属バンドの三人からの差し入れだ。彼等は、面会謝絶の札が片づけられると、即来た。そして、一頻り騒いで、看護師に怒られて追い出された。また来ると言っていたが、入れてもらえるのだろうか?とても心配だ。

 折れた骨を、インジュは瞬時には癒やせず、骨折した為に出た熱も下げることができずに、インファはしばらく大人しく入院することにした。だが、超回復能力も威力は落ちても、正常に使える。怪我は、インジュの力も借りて一晩でほぼ完治していた。

「時期的にはいいですよ。来月のバトル音楽祭Aランク⇔Bランクのために、オレ達は露出がほぼないくらい減りますから」

「そうですね。兄さんが歌った、風の奏でる歌、新曲だって騒がれてるらしいです。騒動、収まります?」

あの歌は、ダメですよねぇ?と、インジュは困った顔で笑った。

「収まってくれないと、困ります。あの歌は、霊力を乗せていましたから、例外なくすべての者の心を掴んでしまいます。あれをカウントしてしまうとは、反則もいいところですよ。退院したら会見ですか?ハア……百合恵さんに、昇格辞退の相談をしなければなりません」

インファは、空になった皿をインジュに返すと、バタッとベッドに再び身を横たえた。傷は癒えたが、疲労感と熱がまだ引いていなかった。

「みんな、ガッカリするかもですねぇ。あんなに、喜んでくれたのに……」

インジュは、さっきまでいた、専属バンドのメンバーのことを思っていた。自分達は関われなかったが、ステージは見ていたと言い、あの歌はよかった。演奏したかったと、笑っていた。彼等といると楽しかった。まるで、風の城の家族といるような、そんな安心感と温かさがあって、インジュは彼等が好きだった。

 ところで不本意に拡散してしまった風の奏でる歌は、巷では、インファバージョンがいいか、インジュバージョンがいいかと、そういう話にまで発展しているようだった。そして、最後のフレーズに重なったあの声は、誰だ?と、そんな騒ぎにもなっているらしかった。専属バンドのメンバーには、口外しないならと、あれは弟のリティルだと教えた。

うおお!とどよめきが上がったところで、彼等は看護師につまみ出された。去り際、また来るという言葉と共に、退院したら三人の歌、聞かせろ!と彼等は言い捨てていった。

それは、約束できないなと、インファは困って笑うしかなかった。

「あーけーてーくーれー!」

ああ、最後のフレーズの声の主が来たと、インジュはいそいそと席を立って、扉を開けてやった。そして、花や果物、お見舞いの品だなとわかる数々に埋もれている、リティルを発見した。アワアワと、インジュはリティルからそれらを半分取り上げた。

「オレが、インサーフローの護衛だって事まで、知られてるぜ?ファンの情報網半端ねーな。今度から、裏口から入れてもらうぜ」

「……正面から来ちゃったんです?リティル、ボク達の人気舐めてもらっちゃダメです。うーん、怪しいモノは、紛れて、ないみたいですねぇ」

ベッドと同じくらい存在感のあるテーブルに、それらを置いたインジュは、手を触れずにジーッと見つめた。

「紛れてること、あるのかよ?」

「はい。生きた毒蛇とかありましたよ?過激ですねぇ、アンチは」

送り元調べて、送り返してやりましたと、インジュは言った。

「ので、百合恵さんを通すように言ってくださいね。ファンから受け取っちゃダメです。リティルも、怪我するかもしれませんから」

インジュはそういいながら、手紙をひとまとめにして、紙袋にしまった。手紙も、百合恵が目を通して、害のない物しかこっちに回ってこないと、インジュは言った。勝手に読むと、もの凄く怒られると、インジュは真顔だった。

「リティル、塔はどうですか?」

インファは、体を起こさずにリティルに尋ねた。「起きられねーくらいひでーのか?」とリティルはすぐさま駆け寄ってきた。「寝ていないと怒られるんです」とインファは大丈夫と笑った。

「昨日の今日だからな、動きはねーな。アコとエーリュには、ジャックのことと音の精霊のこと、話しといたぜ」

「なぜ二人に話したんですか?」

「どっちが音の精霊なのか、わからねーんだよ。ジャックがな、って、インファ兄、起きてて大丈夫なのかよ?」

インジュの座っていた、枕元の椅子に腰を下ろしたリティルは、インファの顔が少し赤い事に気がつき、とたんに心配になった。

「大丈夫ですよ?ただ、案外体が脆いことがわかりましたから、気をつけないといけませんね」

あれくらいの攻撃で、骨が折れるとは思わなかったと、インファは身を横たえたまま笑った。そんな彼の腹に、容赦なく猫が飛び乗った。さすがにそれにはインファは、一瞬痛そうに呻いて咽せていた。

「……オレのせいで、ごめんな……」

「まったくですよ。捨て身はいけませんと、忠告したはずですよ?あなたは、怪我していないんですか?」

「見事に握られてましたよね?」と、インファは言った。

「ああ。ちょっと、体中にアザがついたくらいだな」

「えっ!ちょっと、見せなさい!リティル!逃げちゃダメです!」

服を脱がされそうになって、リティルはインジュの手から慌てて逃れたが、部屋の角に追い込まれて、結局脱がされた。

「ああああ!兄さん!ちょっと、これ!見てくださいよ!この人、これで怪我ないって!怪我ないって!」

「シマシマですね」

リティルの背中には、クッキリと四本の爪痕がアザとなってついていた。

「へ?背中そんなことになってるのかよ?腹しか見えねーよ」

ほらと、リティルは振り向いた。リティルの胸には、一文字のアザがあった。

「ほら。じゃないです!消してあげますから、動いちゃダメですよ!」

「インジュ、待ってください。四本爪……誰か、そんなことを言ってませんでしたか?」

治癒魔法をかけようとしたインジュは、リティルの裸の腕を掴んだまま、インファを振り向いた。

「え?エーリュが怖がってた、四本爪の風の魔法です?リティル、ちょっとエーリュの前で脱いできてくださいよ。悲鳴が上がったら、エーリュが音の精霊で決まりです」

「それ、どっちの悲鳴かわからねーよ?」

「どっちって?何です?」

インジュはとぼけているわけではなく、本当にわからない様子で、首を傾げた。

「オレの裸見ての悲鳴か、背中見ての悲鳴かだよ!あの娘、初心そうだろ?」

「初心かどうかは別にして、女性に裸を見せてはいけません」

インファの窘める言葉に、リティルはジトッと彼を見た。

「インファ兄が言うのかよ?」

「脱いでませんよ?はだけているだけです」

「同じだろ!エロいんだよ!おまえ!」

この前のあれなんだよ!と、水に濡れて、白いシャツが透けて張り付いて、見てるこっちが恥ずかしかった!と、リティルはついに怒った。インファは「ああ、見たんですか?最新の写真集」と気にした様子もなく笑った。

リティルはすかさず「おまえら歌い手だろ!」と怒りが冷めなかった。

「喜ばれるんですよね。いっそ、怪我完治しましたと、上半身だけ脱ぎましょうか?いっ!セリテーラ、怒らないでください。冗談ですから」

体を起こしていたインファの脇腹に、セリテーラは容赦ない頭突きをしていた。治ったと言っていたのに、まだ痛いんだなと、リティルは顔を曇らせた。

 ジャックの姿を見たあの時、アコを庇って立ったインファが傷つけられると思って、頭に一瞬で血が上った。あの距離を間に合わせるには、力をごっそり使ってしまうことになっても、翼を使うしかなかった。あの時、リティルが翼を使わなければ、挑発の為に、ジャックはインファを血祭りに上げただろう。ヤツは、そういうヤツだ。

インファを傷つけられたくなかったのに、結局インファは怪我をしてしまった。

 今後どう戦えば?リティルは暗い気持ちに囚われた。

「入るわよー!」

ノックもなしに入ってきたのは、花束を持ったアコとコールだった。視線を上げたアコは、その場で不自然に立ち止まった。そして、悲鳴を上げた。

「きゃあー!」

「うわあ!」「あわわ!」

その悲鳴に驚いて、リティルとインジュは悲鳴を上げて、ベッドの上に体を起こしていた、インファの影に隠れた。コールは慌てて、アコの口を塞いで引き戸を後ろ手に閉めた。

「リ、リティル!服着ろ!服!」

「あ、ああ、そうだった。アコ!急に開けるなよな!」

リティルはインジュに服を取ってこさせると、慌てて着た。

「な、何してたのよ?兄弟で」

気を取り直したゴスロリ娘は、若干引き気味に問うた。不名誉なことを思われていることは、明白だった。

「えっとですねぇ、リティルが体にアザができたって言うんで、治癒魔法をかけようとしてたんです」

見てみないと治療できないと、インジュがインファの影から恐る恐る顔を覗かせた。

「アザ?ああ、あの怪人と戦った時?ごめんなさい、コールを離せてたら、インファが入院することなかったのに……」

「いいえ、気にしないでください。あなたに危害が及ばなくて、幸いでした」

インファはニッコリ微笑んだ。インサーフローが隠れ魔導士であることは知っていた。いつも大人の余裕があるインファは、もっと戦えると思っていた。しかし、彼はほとんど為す術なく、邪妖精達の餌食になってしまった。あの時コールを残していれば、あの、力のある歌が止むことなく、リティルも怪我をしなかったのだろうなと思うと、やりきれない。あの時、怖くて、コールの腕を放せなかった。それなりに危険な目に遭ってきているのに、あの場で全く動けなかった。インジュとラスティが戻ってこなかったら、二人とも――そう思うと、あの時、近くにいて何もできなかったことが、とても悔しかった。

「インファ、男のセイレーンなんて、初めてよ?」

「はい?オレはセイレーンではありませんよ?あの歌は、少々特殊でして……ですが、アコ、なぜオレがセイレーンだと思ったんですか?」

「歌や言葉で、セドリガーに力を与える事ができる魔導士、それがセイレーンだからよ。セイレーンのあたしが言うんだから、間違いないわ」

「おまえ、セイレーンだったのかよ!じゃあ、コールがセドリガー?」

「まあ、そういうことだ。気を悪くしないでくれ。インファがセイレーンで、リティルがセドリガーだったら、いろいろ問題あるから、違うと言ったんだが、お嬢、聞かなくてな」

不愉快にさせてすまないと、コールは困りながら詫びた。リティルはあっけらかんと「気にしてねーよ」と笑った。

「アコがそう思っても不思議ではない効果を、発揮していましたからね。セイレーンなら、尚更でしょう」

あれが中継されてしまっていたとは思わなかったと、インファは苦笑した。

「あのぉ、いろいろ問題って何です?」

インジュが首を傾げた。

「セイレーンとセドリガーは、魂で繋がってるんだ。同性だとちょっとな。オレ達、血も繋がってるから、そこもな。あの歌は、セイレーンの魔法に似てるかもな。インファのは、オレ限定だしな」

「リティル、違いますよ?兄さんの歌は、一緒に歌う者の効果を底上げするんです。ので、リティルに力を蘇らせる効果と、ボクの歌の効果の底上げも同時にしてたんです。疲れて当然ですよぉ。傷の治りが遅いのも、そのせいです」

とりあえず、横になってくださいと、インジュはインファの肩を押して寝かせた。治癒魔法を操れるインジュには、インファの熱が上がってきたことがわかったのだ。

「ホントかよ?インファ兄。それって、すごくねーか?」

「そのようです。自分ではわからないんですよ。アコ、コール、音の精霊の件、どう思いますか?」

「……インファ、辛いなら治ってからでもよくない?」

アコは、心配そうに顔をしかめた。

「ジャックは、いつまた現れるかわかりません。できるときに、情報を集めておきたいんです」

アコが、いいのか?と、兄弟二人を見ると、二人はこういう人なんだと苦笑していた。

「音の精霊、あたしじゃないわ。あたしとエーリュが候補なら、エーリュよ」

「そこまで言い切ります?」

インジュが、その根拠は?と聞いた。アコは、フンッと得意げに言ってのけた。

「だって、あたし処女じゃないもの。こういうものは、処女って相場が決まってるでしょ?」

それを聞いて、インジュは目を白黒させた。そして、思わず、コールを凝視してしまった。視線を受けて、コールは「まあ、セイレーンとセドリガーなら当然だよな」と余裕だった。

「おまえなぁ!そういうこと、ドヤ顔で言うなよな!あのな、精霊がみんな清いわけじゃねーよ」

どっからそんな知識もってきたんだよ?とリティルは苦笑した。

「何よ?どうしてリティル君が、そんなこと知ってるのよ?」

「明かして、いなかったんですか?」

音の精霊のこと、ジャックのこと話したんですよね?とインファが、首だけ動かして尋ねてきた。当然、そんなゲームに巻き込まれている事を語る上で、精霊であることを明かしていると、思っていたらしい。

「とりあえず伏せてたんだけどな。混乱するだろ?まあいいや、聞けよ?オレ、風を統べる精霊の王!インファはオレの息子。インジュはインファの息子。オレとインファには妃がいるぜ?」

ほらほら証!と、リティルはインファの左手を持ち上げて、アコに見せびらかした。

「それ、本気?ねえ、コール?」

アコの隣で腕を組んで聞いていたコールは、ハアとため息を付いた。

「おまえが永遠の十九才なのは、特殊な魔法かと思ってたんだが、そういうことか。インファさんとインジュも、年齢詐称してるよな?それを、誰も疑問に思っていないんだ。おかしいとは思ってたさ。インサーフローのほうは、百合恵楽士の情報操作と思ってたんだがな」

魔導士であるコールは、精霊が不老不死であることを当然知っていた。

「やっぱり、気がついてたんだな?オレ、ダークムーンの裏ボスなんだよ。三十年前、ハーディンがオレの契約者だったんだ」

「またゲームしてるってことは、前は失敗したってことよね?」

「まあな……だから、今度こそ、勝ちてーんだよ」

「お嬢が音の精霊じゃなければ、ジャックは襲ってこないのか?」

あれとリティルの戦闘を、コールは見ていたが、壮絶だった。強いとは思っていたが、リティルがあそこまで戦えることも知らなかった。互角に見えたが、互角ではなかった。リティルにとっての、セイレーンのようなインファがいなければ、負けていた。負けるだけではなく、命を奪われていただろう。あんな奴が、また襲ってくる?コールは薄ら寒さを覚えていた。できれば、関わりたくなかった。

「前回まではな。オレがあの場でジャックを倒したことで、何かが変わっちまったらしい。あいつ自身がそう告知してきたからな、間違いねーよ。今後、あいつがどっちを襲うのか、オレにはわからねーんだ。ごめんな」

風の王だと明かされた者から頭を下げられて、コールは慌てて、リティルの肩を掴んで頭を上げさせた。そして「王の称号を持つ者が、おいそれと頭を下げるな!」と叱った。

するとリティルは「よく言われるよ」と笑った。

 二人に椅子を勧め、リティルは気を取り直して問うた。

「巡礼の道、彼女の願い。どういう意味だと思う?」

コールとアコは顔を見合わせた。

「それ、エーリュには?」

「ラスティに話しておいてくれって、頼んであるぜ?」

「あなたが話さなくて、大丈夫なの?」

「ああ、ラスティ、オレの契約者だからな!信用してるぜ?」

「巡礼の道とかって、エーリュが詳しいわよ。あの子、ミューリンにやたらと詳しいから。リティル君……ああ、君はマズいわね」

「いいよ、今まで通りで。オレ、永遠の十九才だからな!」

リティルの変わらない、明るい笑顔を見て、彼がホントに精霊で、この中で一番年上なの?と、アコはどうしても信じられなかった。


 ラスティから話を聞いたエーリュは、寝室に閉じこもってしまっていた。

「エーリュ!ボク達が必ず守るから、信じてくれ!エーリュ!」

必ず?リティル君は二回負けているじゃない!とエーリュは思ってしまった。それに、インファさんも入院して、あのとき、インファさんが無茶をしなければ、リティル君も死んでた!と、そう叫びたかった。

そもそも、なぜ音の精霊の生まれ変わりの候補に、選ばれたの?アコの様に、幽霊が見えたりする異能も、魔導士のような力もない。何もない、ただの都人なのに、なぜ、わたしなの?その思いが、後ろ向きな思いが止まらない。

今頃、アコも明かされているだろう。アコは、たぶん、受け入れて前を向く。

でも、わたしには無理だ……。エーリュは、途方に暮れて、寝室の扉に背を預けて座り込んだ。

 どうしてこんなことに?ラスティとインジュがいてくれて、危うかったバトル音楽祭を乗り切れた。ランクアップまで果たせて、まだここにいられる、まだ歌っていられる!と嬉しかった。なのに……殺人鬼に狙われている?森にあるミューリン遺跡に行く?

非現実的すぎて、ついていけない。

どうして奪おうとするの?わたしはただ、歌っていたいだけなのに!

でも、真実だということはわかった。わかりたくないのに、ジャックと呼ばれる怪人と、空中で戦ったリティルと、彼を助けるために歌ったインサーフロー。彼等の必死な姿を見れば、これが偽物でないことはわかった。

あの歌……凄かったな。あんな歌を歌える二人に、エーリュは嫉妬していた。

わたしも、歌いたい。彼等のように、真っ直ぐに信じているモノを信じて。

そんな、胸の奥にくすぶる願いを感じながら、エーリュは臆病に体を抱いた。


 バトル音楽祭Bランク⇔Cランクから、三日後、インサーフローのインファは退院した。

あの時歌った歌については、自分達の歌ではないため、この昇格は取り消してほしいと、会見の場で言ったが、二つの共演もかなりの反響で、インサーフローの名があったなら投票したという声が、ありがたいことに多く寄せられ、インサーフローは、Bランクに昇格した。しかし異例だということで、ミューリンタワーからの命令で、インサーフローの昇格確定の為に、あの共演をもう一度披露することが課せられた。

インサーフローは、それすら辞退してもよかったのだが、フレイムストームが共演してくれないなら、精霊であることをバラしてやる!と脅してきて、インファは承諾せざるを得なくなった。

あの時の勝ち誇ったアコの顔……しばらく忘れないとインファは思った。

 それを最後に、三強は活動を二ヶ月休止することになった。

「また、あれやるのかよ?」

新しい部屋に引っ越して、部屋数は増えたが、大まかな作りはそのままの、広々としたリビングにいたリティルは、思い出してゲンナリした。

本社の奴ら、あれがまた聞きたいだけだろ?とリティルは抱えた膝に顎を乗せて、気が進まない様子だった。

「格好良かったでしょう?」

寝過ぎて腕が鈍ったと、ピアノの猛特訓をしていたインファが、手を止めてニッコリ笑った。「ホントノリノリだよな!」とリティルはそう言いつつ、貴重だなと思った。風の城で、副官という立場のインファは羽目を外すことがない。それが、ここでは本当に楽しそうだ。あんなに目立って……とハラハラする一方で、そんなインファを尊重してやりたかった。

 歌には力がある。

力のある歌を歌ってきたリティルは、それを知っていたつもりだった。しかし、力を込めずただ歌うことで、ここまでインファを笑顔にできるとは思わなかった。

――格好良かったでしょう?

あんな風に、これ見よがしに笑うインファを、リティルは風の城で見たことがなかった。

インファは、美形なその外見を嫌っている。しかしここでは、それを武器に惜しみなく使っている。ストレスなく。むしろ、弾けすぎじゃないか?と心配になるほどに。

歌う緑の魚……この地は、歌う風の精霊にとってだけでなく、世界にとっても、貴重な場所なのかもしれない。風の王として、力ある歌『風の奏でる歌』を操るリティルでさえ、人間達の歌う歌に、魅了されていた。

 インサーフロー、フレイムストーム、エリュフィナ――それだけでなく、リティルはダークムーンという立場と百合恵のコネで、他のミュージシャンのライブにも遊びに行っていた。この前はアコとコールに誘われて、まだDランクの歌姫の歌を、聴きに行ったところだった。彼女は、湖面に広がる波紋のような声で、リティルは聞き惚れた。アコにはニンマリと、素敵だったでしょう?と笑われた。

「あああ!くそっ!格好良かったよ!でも、なぁ、目のやり場に困るんだよ!」

しかし、あのステージは目立ちすぎて、父親的にも、弟的にも、複雑だった。

「兄さんの色気は、天性です。諦めるしかないです」

リティルにコーヒーを渡しながら、インジュが言い切った。

「マイナスなんですか?」

それは哀しいですねと、インファは全く改める気はない素振りで、微笑んだ。

「インフロ的にはないと困ります。でも、息子的には複雑です!また、髪の毛入りのぬいぐるみとか、爪入りケーキとか嫌ですぅ!兄さんが格好いいからー!」

インジュは顔を両手で覆うと、ワッと泣き出した。

「オイオイオイ!何だよ?それ!呪いかよ?」

聞いてない!と、リティルはソファーからガバッと立ち上がった。勢いよく立ち上がりすぎて、コーヒーが少しこぼれてしまった。おとと!と、リティルは慌ててマグカップを机に置く。

「違いますよぉ。おまじないです。あなたと一つになりたいとか、そういう類いの――呪詛です!」

「オイ!呪詛って……おまじないじゃねーのかよ!あ、それで、インサーフローに、食べ物は厳禁なのか!」

「そうですよぉ。ボク、そういうのわかるんです。報告したら、あの百合恵さんがドン引きしてました」

「インファ兄!女に今回は苦労してねーって言ってたじゃねーか!」

ピョンッと跳びはねて、グランドピアノまでリティルは駆け寄っていた。

「言い寄られてませんよ?」

「それより悪いだろ!」

「食べなければいいんです。女性関係は、セリテーラがガードしてくれますから、平和ですよ?」

名を呼ばれたセリテーラが、ピョンッとグランドピアノの開いていない蓋に飛び乗って、インファを見下ろした。インファが顔を近づけると、彼女は瞳を閉じてインファの頬にすり寄った。

 インファがリティルに視線を戻した。その瞳を見たリティルの瞳が、王のそれに変わるのを、インジュは感じた。

「それより、巡礼の道についてですが、やはり森に点在する、ミューリン遺跡のことでしょうか?」

インファの言葉に、リティルは風の王の顔で頷いた。

音々の外。都の外には森が広がっている。亡者の森と呼ばれるその場所には、森人と呼ばれる人々が暮らし、その森にはミューリン遺跡と呼ばれる石碑が点在していた。

「今のところ、そう考えるしかねーよな。アコとエーリュ連れて、森にピクニックだな。アコには、セドリガーのコールがついてるから、なんとかなると思うけどな、エーリュ、あいつ、大丈夫か?」

「そうですねぇ。エーリュ、塔から出たがらないですからねぇ。でも、なんとか連れ出すしかないですよねぇ」

ソファーに座ってコーヒーを飲んでいたインジュは、天井を見上げて、フウとため息を付いた。

頼みの綱はラスティかと、インジュは、強い力を秘めているのに、うつむき気味で頼りない魔道士の姿を思い出していた。そして、数々思い出して、フツフツと怒りが湧いてきた。

離れられて清々したのに、なぜにもっと遊びたかったなと、思ってしまうのだろうか。

あいつは、結局ボクとは一度も目を合わせなかったのに!と、インジュは思った。

前髪で隠れていようが、ボクにはわかる!とインジュは、腸が煮えくりかえっていた。

 あ、今はあいつのことより、ジャックのことだったなと、インジュの怒りは、瞬時に鎮火していた。風の城の仕事モードになれば、それくらいのこと、インジュにも朝飯前だった。

「森で、ジャックに襲われたら、どうするんです?たぶんですけど、野外音楽堂みたいな戦い方はできないですよ?四方八方ですし……」

「ああ、森には、邪妖精なんて目じゃねーのがいるからな。そっちも面倒だな」

「え?なんです?」

「亡者だよ」

「もったいぶらないで、教えてくださいよぉ。戦うの、ボクなんですからぁ」

「オレも戦いますよ?」

「兄さんは戦わないでください。また、骨折れちゃいます」

間髪入れずにインジュが止めた。「あんな水風船にぶつかられたくらいで、折れちゃう骨の人は後ろで待機です!」とインジュは、かなり心配していた。

「歌わなければ、セリテーラが使えますよ。セリテーラ、武装変化・槍」

インファが命じると、セリテーラはブンッと首を振った。その口に槍が軽々と咥えられていた。それは、インファが普段手にしている愛用の槍だった。この大陸の魔導士が使役する妖精と違って、武装変化と命じても、セリテーラ自身は武器に変化しなかった。

「剣も出せますよ。現在、ジャック対策に翼に変化させられないか練習中です」

インファ愛用の白い剣は、恐ろしく切れ味がいい。ステージでジャックと対峙したとき、インファは剣を使うつもりだった。武器さえあれば、インファは翼がなくても普段通り戦える自信があったのだ。

「リティルも、翼を使わなければ、眠らずに剣が使えますよね?」

翼を使って、窮地に陥ったことを、インファはまだ根に持っていた。悪かったとは思うが、過去のジャックの所業があまりに悲惨で、リティルの肩に力を入れさせたのだった。

「オレ、素手でもいけるぜ?」

「亡者相手にですか?オレは、素手では触りたくないですね」

風纏えば、汚れないぜ?とリティルは返していた。

「だから、何なんです?」

「一番近い魔物で言うと、ゾンビだな。けど、動く死体じゃないぜ?この大陸のあり得ない輪廻が産んだ、不純物だな。命じゃねーから、おまえも気兼ねなく戦えるぜ?そういえば、森で邪妖精見たことねーよな?」

「そうですね。村は、鎮魂像で守られていますから、寄りつけないだけかもしれません。今回は、歌い手が四人ですから、どうなるかわかりませんよ?」

「言っててもしかたねーな。オレ、明日森に行ってみるよ。大丈夫だよな?」

「あなたが、大丈夫ではないですよね?一人では動かないでください。あなたは、トラブルを引き込む天才ですから」

「兄さん、リティルは天才じゃないです。天災です!天の災いと書いて、天災です!」

「オレ、信用ねーなー」

リティルは、苦笑するしかなかった。森に降りなければいいだろ?と食い下がろうとも思ったが、ここは兄たちの心配を素直に受け止めておこう。

 だが、空からだけでも森の現在の様子を、偵察しておきたい。

「例の歌番組、明後日だったか?」

「ええ」

「ラスティと、森の下見してくるぜ。エーリュ、頼めるよな?」

「彼女がいいというのならば、ですけどね。バトル音楽祭後から、何となく避けられてますから」

「ああ?そうなのかよ?」

「そうなんですよぉ……ボク達が魔導士なところ見ちゃって、怖くなったのかもです」

インジュは寂しそうにしながらも、それも仕方ないと割り切っている様子だった。しかしリティルは、そうか?と疑問だった。元気はなかったが、リティルとはまともに話してくれていたからだ。

「それにしては、ラスティにベッタリだったぜ?あの、懐かない猫みてーなラスティが、すげー気使ってるんだよな」

あれはあれで微笑ましいけど、ちょっと危ういんだよなーと、口出しできねーけどなーと、リティルはどこか困っていた。リティルはラスティのことを、十年前から知っていた。そして、彼の過去も知っていた。リティルはラスティの闇を知っていて、それを承知で契約者にしたのだった。

「あのー、ラスティって、訳ありなんです?」

「ああ?今更かよ?おまえ、仲良かったよな?聞かなかったのかよ?」

意外だった。インジュがあれだけ構っていて、それで身の上話の一つも引き出せていなかったとは、思わなかった。人当たりのいいインジュが、ラスティには初めから険悪だった。あれは、インジュの仲良くなる手だと思っていたが、そうではなかったらしい。

「ええとですね、あの人、前髪ですべてを拒絶してるんです。だから、嫌いです。身の内に化け物を飼ってるのは、自分ばっかりじゃないです。ボクだってそうです。でもあの人、ボクは化け物ですよ?って伝えても、一向に信じてくれないんですよ!嫌いです!」

そこまで見抜いていて、インジュが暴くことを失敗するとは、やはりラスティの闇は深いなと、リティルは思った。リティルは知っているが、彼の口から聞いたわけではない。契約はしたが、リティルもまだ彼の心に触れてはいないのだ。

しかし、無理もないかと思った。オレ達は”男”だからなと。

「インジュ兄、片思いだったのか……」

だが、インジュでもダメだったかと思った。性を感じさせないインジュは、割と女性側から友達と見られる。甘い雰囲気にさせないインジュの、天性の回避能力の賜ということもあったが。その点は、インファよりもインジュの方が上手かった。

リティルはインジュなら、ラスティの闇に触れられるかな?と思っていたが、そう簡単にはいかなかったようだ。

「止めてくださいよぉ!ボク、女の子が好きです!」

え?こんな反応がインジュから返ってくるのか?とリティルは思って、あれを、インジュも気にしていたのかと意外に思った。

インジュがラスティに近づき損なったのは、あの週刊誌の写真にあるかもしれないなと、リティルは思い至った。インジュはあのとき気にした素振りはなかったが、この発言はしっかり意識していた。普段のインジュなら、他意なく「振られましたよ!」と返してきたと思うからだ。

 柔らかく女性寄りの容姿のインジュは、女性達との写真を撮られても、ちゃんと男なのに、なぜか仲良く遊んでいる女友達のようにしか写らず、週刊誌泣かせだ。

熱愛発覚!と書いても、その絵はまるでそうは見えないのだ。だからなのだろう。週刊誌の奴らは、護衛についていたラスティを、その相手に使ったのだ。だが、ラスティはダークムーンだ。ハーディンから護衛の仕事に支障が出るとして、抗議され、話題作りの一環として、普段は黙認しているミューリンタワーからも、ミュージシャン達の命に関わるとお叱りがあり、件の週刊誌は回収となった。

「ごめん、言い方悪かったな。オレ、ラスティとインジュ兄、とっくに友達になってると思ってたんだよ。あのな、ラスティな、六属性フルスロットルなんだよ。それがどういうことかくらい、おまえ、わかるよな?」

「えっ!それ、よく生きてますねぇ。精神崩壊しないんです?ラスティ、人間ですよねぇ?」

「耐えたんだよな。あいつ今、二十歳……二十二くらいか?今後どうなるかわからねーけどな」

あれ?そう言えば、あいつの年っていくつだ?とリティルは、ラスティの年齢を把握していなかったことに、今更気がついた。

「ボクを守ってくれたとき、風の魔法使ってたんですけど、綺麗な魔法でした。このまま、壊れないでほしいです」

これは本心だ。嫌いだが、戦闘では頼りになると思う。

嫌いだ。一緒にいた短い間、インジュが歌うといつの間にかそばにいて、感激したように聞いていた。

嫌いだ。インジュは高い声もいいんだけど、低い声もいいんだよなと、知った風に笑っていた。

嫌いだ。上手く歌えないとき、その歌、こういう心情じゃないのか?としっくりくる助言をくれたりした。

嫌いだ。インフロの歌が好きで、何度かライブ見に行ったと、照れながら告白してくれた。

だったらなぜ、ボクを避けるんだ!兄さんは平気なくせに!と、友達になれると思ったのに!とインジュの心は嵐だった。

「そうだな。エーリュと引き合わせたこと、マイナスにならなけりゃいいけどな。オレも形振りかまってられねーんだ。ハーディンがオレの為に育ててくれた弟子、犠牲にしたかもな」

「背負わないでください。彼には彼が招いた結末があります。それは、あなたの導いたモノではありません」

「わかってるさ。ありがとなインファ兄」

わかっているならいいと、インファは言うと、再びピアノを弾き始めた。

 ずっと、心配させている。この、十九才から成長しない、体と心が、頼りなくて。

けれども、信じてくれている。だから、オレは進める。ここでは「父さん」と呼んでもらえなくとも。彼に、庇護させてしまう「インファ兄」と呼ばなくてはならなくても。

リティルは、窓の外を見やった。ここから見ることはできないが、街の向こう、この都を守る壁の向こう、緑色に沈黙する森が広がっている。

亡者の森――さらなる戦いを感じて、リティルの瞳は険しかった。


 ラスティは、寝室のドアの前に立っていた。

「エーリュ、ボクを避けるのはいい。でも、インサーフローと、リティルだけは避けるな。あんたを、絶対に守ってくれる!エーリュ、明後日の生放送が終わったら、森に行くんだ。あんたを死なせないから、だから、信じて!」

こんなに必死に、人と関わろうと思ったのは、たぶん初めてだ。いつもは、受け身だった。それでも、音々に来て、師匠のハーディンが率いるダークムーンに入って、ここで、やっと仲間と呼べる皆と出会えた。魔道士の郷・魔音の郷から、こんな住みづらい場所にわざわざくるような魔導士は、皆、何か抱えているモノがあり、ラスティにはいい距離感でいてくれる。

――ラスティは、自分が化け物だと思ってます?じゃあ、ボクとおんなじですねぇ

何も知らないのに、知っている素振りなく、インジュはそう言った。そして、その片鱗を見せてくれたのに、ラスティは自分自身を晒す勇気がなくて、逃げてしまった。

インジュは、たぶん、仲間ではなく、友になれる人だったのに。友になろうとしてくれたのに、ラスティは、その一歩を踏み出せなかった。

エーリュの護衛につき、離れてしまってからインジュは、会っても声をかけてくれなくなった。それどころか、近づかなければ声をかけられない距離に、わざといる。それを察しているのだろう。インファがさりげなく、隣にいてくれて、インサーフローサイドの近況を教えてくれた。そして、あるときこう言われた。

――インジュとは喧嘩中ですか?あの人、頑固なので、あなたから近づかなければ、このままですよ?

では。と言って、インファは離れてくれ、ラスティがインジュの所に行きやすいようにしてくれたのに、それでも、彼のところには行けなかった。

別れが、あるじゃないか。あんたは、精霊だろ!そう思ってしまって、なぜだか怒りが湧いて、それで意地になってインジュに、近づけなかった。

そっちがその気なら、近づいてやるもんか!そう思ってしまった。

ラスティは、もう、インジュが怖くなくなっていることにさえ、気がついていなかった。

エリュフィナとの共演のために、部屋に入り浸っていたインジュは、ラスティを人間メトロノームと呼んで、名すら呼んでくれなくなっていた。

それでも、エーリュと三人で楽しかった。エーリュも明るくて、護衛としての信頼も勝ち取っていたのに、その日々は、唐突に終わってしまった。

エーリュもそれを感じている。だから、閉じこもってしまったのだ。歌しかなかった彼女が、心から楽しかった時間が、砕かれてしまったから。

 危険な世界にいることを、知っているのに……。

あの、強いインファが、邪妖精如きに倒されて、入院する怪我を負った。インジュは無事だったが、彼がそうなることだって、この先あり得るのに。

 ラスティは、無意識に歌を口ずさんでいた。それは、歌えるはずのない、風の奏でる歌だった。

──心に 風を 魂に 歌を 君と築く未来が 今 目の前にある

──さあ わたしに 手を伸ばして 掴んだ手が まばゆい羽根に変わる

──恐れるな 傷ついても 誓え 瞳の輝きを失わないと――……

インサーフローが、リティルの為だけに歌ったあの歌。

邪妖精を引き寄せたインジュを、守らなければとそばで戦った時、この歌が、心に染みこんできた。ラスティも、名を知らない。リティルに聞いても、教えてくれなかった。

 インサーフローは会見で”あの歌”としか言わず、世間に名さえも伏せた。そして、自分達の歌ではないからと、昇格を辞退した。それでも、リティルが戦っている姿は一切配信されなかったにも関わらず、あのステージを見ていた皆が、インサーフローが戦っていたことを察していた。守ってくれたと、彼等を称え、ミューリンの騎士・セドリガーだという声まで上がった。

音楽業界のセドリガー。殿堂入りを意味する、ミューリンタワー最高峰の称号だった。インサーフローは、当然の様に辞退した。自分達は隠れ魔導士で、ダークムーンと同じ事をしただけだからと。

だが、ラスティには、インファの隠した本当の思いがわかる。

インファは、辞退することで、インサーフローを守ったのだ。

インサーフローは、精霊の力を一切使わずにここまでのし上がった。彼等は本当に人間として、この世界で戦っていたのだ。それを、穢されたくなかったのだ。

 精霊である彼等は、ここまで注目を集めるつもりはなく、インファが本気で困っていた。そして、インファは、明後日の生放送を最後に、療養のため活動休止すると言った。

バトル音楽祭がすべて終わる、2ヶ月間と言っているが、もしかすると、インサーフローはこれで、姿を消すつもりなのかもしれない。たぶん、そのつもりだ。

 好きだった。インサーフローの歌が好きだ。短かったが、一緒にいられて夢みたいだった。

ステージ上では、あんなに声に羽でも生えているかのように、軽やかに歌っているのに、その裏で、インジュは多大な努力を重ねていた。

よく、上手く歌えない!と言葉にならない絶叫を上げていた。何が気に入らないのかわからなかったが、インジュは現状に満足しないのだなと感じた。その心が、インサーフローを年々昇格へ導いたのだ。凄い人だと、尊敬する。

間合いの近さがどうにも苦手で、インジュに上手く近づけなかったが、インジュともう少し一緒にいたかった。

一緒にいたいと願う人と、一緒にいられない。ボクの悪夢は、終わらない……。

ハッと我に返って、ラスティは口ずさんでいた歌を、唐突にやめていた。

まただ。リティルと出会って、ラスティは、自分のモノではない想いを、思い出すことがあった。嘆きに似た、想い。いや、これはボク自身の?

――また俯いてますよ?ただでさえ、視界悪いんだからせめて、前向きましょうよぉ!

そう言ってインジュは、容赦なく顎を下から包むようにしてラスティの顔を持ち上げてきた。そうやって、不用意に触れるから、あんな写真撮られるんだ!と思ったが、意地悪く笑うインジュに救われていた。こんなに距離が近くても、大丈夫なんだと思えた。

どこに行っても逃げられなかった過去。憧れていたインジュをも、怖いと、思うしかなかった。それが、今はもうどうでもよくなっていた。

インジュの他意なく伸ばされる手が、恐れを引き剥がしてくれた。なのに、ラスティはその人に甘えて、背を向けてしまった。今、ラスティに正式に、精霊であることを明かしたインジュに、精霊だから近づけると思われずに、近づく術がラスティにはわからなかった。そう思われたくなかった。

 友達に、なりたかったな。不意にそう思ったら、頬に何かが伝った。

そんなタイミングで、目の前の扉が控えめに開いていた。そして、気まずそうに顔を上げたエーリュは、僅かに驚いた。

「ラスティ?」

「――あ、ボクは――なんでもない」

涙?涙なんて流したのは、何年ぶりだろうか。流したことのない感情の涙だった。

この涙は、あの歌のせい?それとも、インジュを拒絶するしかない、この心のせい?

「ラスティ、ごめんなさい!わたしの我が儘で、無理させて……。森に行くわ!だから、泣かないで……」

エーリュがオロオロと近寄ってきた。

「あ、いや……あんたのせいじゃ……。……ボクは、魔導士の中でも特殊なんだ。だから、人とどう接していいのかわからなくて。そのせいで、近づいてくれた人を、遠ざけてしまったんだ」

ラスティは思わず、ポツリと拙く言葉を紡いでいた。

「その人、インジュ?」

――え?ラスティは、驚いてエーリュを前髪越しに凝視した。エーリュは、紅茶色の瞳で首を傾げて見返していた。

「あ、図星?そおなんだー?」

え?どうして、そんな嬉しそう?戸惑うラスティに、エーリュは、満足そうな笑みを浮かべていた。

「ラスティは、インジュのこと苦手なんだと思ってたわ。だって、インジュ、ぐいぐい来るでしょう?ああ、でもラスティにはちょっと違ってたかな?」

座ろう?とエーリュはラスティを、ソファーへ誘った。

 そして、ココアを淹れてくれて、二人は寄り添って座った。

「わたし、塔の外が怖いの。明後日の生放送、ナイトホール。そこへも行きたくないくらい。歌姫としては失格よね?歌姫になる前からずっと怖くて、早く塔に入りたくて、歌ってきたの」

「それは、四本爪の魔法のせいで?」

「それもあるけど、それだけじゃない気がするの。でも、説明できないから、誰にも言えなくて……なのに、ミューリン遺跡には興味あるって、矛盾してるね」

ミューリン遺跡群は、森にある。森は、都よりも格段に危険な場所だ。都人が調査に行くなら、魔導士の護衛が不可欠だった。どう危険なのかは、エーリュにはよくわからない。

「ジャックのことも、音の精霊のことも、別の世界の話みたいで、実感なくて、リティル君はそれでいいって言ってくれたけど、凄く申し訳なくて……」

「それは、アコも一緒だ。気にすることじゃない。あの三人はその為に、ここにいるんだ」

「リティル君達は、この大陸の人じゃないの?」

ラスティは、リティルから、機会があれば正体を明かしてもいいと言われていた。それは、今かな?とそう思った。

「彼等は、精霊だよ。リティルは、風を統べる王、風の王なんだ。インファは、リティルの息子で、副官。インジュは、インファの息子で、風の王の盾だよ。人間じゃないんだ……異世界・イシュラースの民だよ」

生きる世界も、生きる時間も違う。何もかも違う。もし、ボクが精霊だったなら、こんなに、生きづらさを感じずに、生きられるのだろうか?とラスティは思った。ボクも化け物ですと言って、笑ったインジュのように、笑えるのだろうか。

インジュと話したいなと、ラスティは思ってしまった。精霊だったらよかったと言ったら、彼は何というのだろうか。

呆れる?怒る?喜んで――は、くれない気がする。

「待って!リティル君が、インファさんのお父さん?インジュが、インファさんの?」

「そうだよ。こっちの常識とあわないから、兄弟ってことにしてたんだ。でも、精神年齢は見た目通りだって言ってたな。呼び方だけ変わるだけで、関係はこんな感じだって」

「そ、そうなんだー。明後日、どんな顔して会おう……」

「今まで通り、接してくれるとありがたい。彼等もそれを望むから。ボクは、音の精霊を守る為に選ばれた、風の王の契約者なんだ。アコとあんた、どっちが音の精霊でも、最後まで守るから、信じてくれ」

エーリュは衝撃から立ち直れずに、でも、真摯なラスティに頷いた。

いきなりそんな……とも思ったが、リティルが金色の翼で飛ぶ姿を見た。怪人相手に、立ち向かったその様は、いつもの彼とはかけ離れていて、あれが風の王・リティル、彼の本来の姿なのだと、すんなり理解できるような気がした。

「ラスティがインジュを避けるのは、インジュが精霊だから?」

「そう――なのかな?」

ラスティは言い淀んだ。

 インサーフローのインジュ。最初は憧れていた。キラキラ輝く、翼の生えた歌声に魅せられて。

女の子のように優しい人だと思っていたインジュは、実は我の強い漢だとわかって、イメージとのギャップに驚いて、勝手に恐れてしまった。

完璧主義なのか、歌に対してとても真摯で、ステージでは軽々と歌っている様に見えていたのに、裏では癇癪を起こして絶叫していたりしていた。

あの気安さ何とかならないのか?と思うほど、気軽に触れてきて怖い?困った……?

近寄ってこなくなったインジュに、近づけないことを棚に上げてイライラして、本当に、自分が自分で何をしたいのかわからない。わからなくて……辛い。

過去からの恐れより、どうしたいのかわからなくて、苦しい。

「それ、勿体ないよ?別れはいつも突然だから。インジュといつお別れかわかってるなら、早く仲直りしたほうがいいわ。きっと、後悔する……」

エーリュは、別れを知っているような口ぶりだった。このゲームに勝ったら、彼等はイシュラースへ帰る。そして、二度と会えないのだろう。

それをエーリュに突きつけられて、ラスティは急に寂しくなった。これ以上インジュに近づいたら、もっと寂しくなるのでは?後悔……後悔は、どんな感情なのかわからなかった。

「後悔は、寂しさよりも、辛いかな?」

ラスティは俯いた。冷めかけたココアからは、まだ、ホンノリ湯気が上がっていた。

「思い出が、寂しさを紛らわせてくれるわ。でも、後悔は、もう、戻らないの」

「エーリュは、それを知ってる?」

エーリュは曖昧に微笑んだ。そして、視線を落とした。

「知っているような、気がするだけ」

ラスティは視線を逸らした。寂しげな微笑みに、思わず抱きしめそうになったから。


 インサーフローが活動を休止する、最後の歌番組が、ナイトホールと呼ばれる、ドーム型のコンサートホールで開かれる。

「リティル君、ラスティと森へ行くの?」

「ああ。それで、ラスティが戻るまで、インファ兄たちといてほしいんだよ。大丈夫。インファ兄、”あの歌”歌わなけりゃ強えーから」

エリュフィナの控え室に、インジュと共にリティルがやってきて、突然そんな提案をされた。戸惑っていると、リティルがダメか?と生き生きとした金色の瞳で、ジッと見上げてきた。

「ううん。大丈夫。行ってきて」

「エーリュ、ダメならダメって言っていいんですよぉ?そしたら、ボク達、明日行ってみるだけですから。この人、ボク達のステージ見たくなくて、今行こうとしてるんですからぁ!」

インジュが不満そうに、リティルをジトッと睨んだ。その顔は、どう見ても兄と弟だった。

インジュはすでに、あのヒラヒラした妖精の王の衣装だった。

「そ、そんなこと言ってねーだろ?明日にしたら、一日ロスするし、オレ達が全員いねーんじゃ、危ねーだろ?」

「じゃあ、兄さん残して行けばいいじゃないですかぁ!」

「インジュ兄が来るのかよ?インファ兄差し置いて?それ、許してもらえるか?」

「水風船当てられたくらいで、骨折るような人と、天災のリティルじゃボク、留守番なんかできないです!」

水風船?邪妖精をそんな軽いモノに例えるか?と、ラスティは思わず吹き出した。そして、エーリュがネックなら、ボクが行かなければ、解決するのでは?と思った。

「はは、ボクが残ればいい。偵察なら明日で――」

「あなたが行かなくてどうします!この、ポンコツメトロノーム!」「おまえ、オレの契約者だろ!」

睨み合っていた二人が、同時に噛みついてきて、ラスティは驚いていた。そして「ポンコツって何だ!ボクは正確だ!」とラスティは言葉を買って、インジュを睨んだ。するとインジュは「手が痛いってすぐ休憩するじゃないですか!」と返してきて、二人は睨み合った。それを見ていたエーリュは、これでこの二人、どうしてまだ友達じゃないなんて、言うのかな?と思った。

「ウフフフ、アハハハ。いいよ、行ってきて。わたし、インサーフローと一緒にいるから」

「大丈夫?」

「うん。気をつけてね、ラスティ」

気遣うラスティに、エーリュは気を許した笑みを浮かべて頷いていた。

「何だよエーリュ、オレは気をつけなくてもいいのかよ?」

「リティル君も、気をつけてね!」

フフフとリティルの冗談に笑いながら、エーリュはそう言ってくれた。エーリュにニッと、リティルは笑った。うん。リティル君がお父さんって、信じられない……とエーリュは複雑だった。複雑だと思って、だから彼等は、関係性を偽ったのだなと思った。

行こうぜとラスティを促して、リティルは控え室を出て行った。

 明日から森へ行くんだ。急に実感が湧いてきた。エーリュはインジュを見上げた。

「ラスティと、ちゃんと話さなくていいの?終わったら、帰るでしょう?」

喧嘩腰でないと、言葉交わせてないでしょう?と、エーリュに言われた。

「……ボクからは、近づけません」

「いいの?」

「ボク達は、ある一定距離以上は近づけません。そっちから踏み込んでもらわないと、行っちゃダメなんです。王も副官も、そうやって自分自身を守ってます」

精霊は永遠の存在だからと、インジュは二人の出て行った扉を恨めしそうに睨んでいた。

「ラスティは、距離感がわからないって、言ってたわ」

「知りませんよ。距離感なんて、そんなこと考えてたらいいなと思うもの、取り逃しちゃいます。そんなこと言える余裕があるなら、ボクは、あの人にとって、居なくてもいいってことです!」

ああ、完全に拗ねてると、エーリュは困って笑った。たぶん、距離感がわからないのは、インジュも同じなのだ。だから、そばにいなくなったラスティに、近づけなくなってしまったのだなと思った。

「ねえ、インジュは、寂しいのと、後悔と、どっちが辛い?」

「後悔です」

即答だった。ぐいぐい来る彼は、知っていた。彼には、見た目以上の時間が流れている。ラスティが、知らずに手放してしまうものの価値を、知っているのだ。

「教えてあげてよ。ラスティは、わからないのよ。友達になりたいと思ったことが、ないから。インジュ、後悔はもう、戻らないのよ?」

インジュが行ってあげてよ。エーリュにそう言われて、インジュは小さくため息をついた。

「後悔。覚えればいいんですよ。ラスティは、ここで、生きていくんです。ボクが残して行けるのは、それくらいです」

ボクのこと後悔するなら、友達、作れますよと、インジュは寂しそうに笑った。


 夜には帰るぜ?と、リティルはその身を何の変哲もないオオタカに変えた。

『おまえも早くしろよ。人が来るだろ!』

鳥をイメージしろと言われて、ラスティは戸惑った。鳥?そんなこと急に言われても、何を思い浮かべればいいのか……。そんな時、エーリュに送られてきたという、ドライフラワーに埋まった、ハヤブサのことが思い出された。

「わっ!リティル、まっ!」

『遅せーんだよ!』

リティルの霊力が体を巡り、ラスティの姿を一羽のハヤブサに変えていた。このイメージは不吉すぎる。ラスティは泣きそうになりながら、オオタカの後に続けて飛んだ。

『へえ、案外上手いじゃねーか』

風を切りながら空高く舞い上がった二羽の眼下には、音々の都が広がっていた。

飛び方が上手いと言われても、そうか?と返す余裕はラスティにはなかった。無様に翼をはためかせて、合わせてくれているリティルを追いかけた。

『で?ミューリン遺跡群のある森は……ああ、あそこだな?』

リティルが頭をその方向へ向けた。その森は、島で一番大きな森だった。音々に近く、その森を抜けると、山に囲まれた一際大きなミューリン遺跡がある。その一際大きな遺跡が、魔道士の郷・魔音の郷だ。

『リティル、巡礼の最後は、魔音の郷?』

『ああ?ああ、おまえ、郷出身だったな。巡っていったら、最後はそこだよな?行きたくねーのかよ?』

『え?』

ラスティは、遠くにその影が見える故郷に、視線を向けたが、それ以上リティルに答えられなかった。

『いい思い出は、なさそうだな?そんなに嫌な場所なら、無理しなくていいぜ?なあ、ラスティ、おまえ、ミューリン遺跡群に詳しいか?』

『え?森を抜けるとき、一応見たくらいかな?リティルはどうなんだ?』

『……嘘だらけだったな。いや、決めつけられるほど、オレはあいつらを知らねーな』

『え?』

『ここから見た感じ、異常ねーな。降りてみるか?ん?どうしたんだよ?』

押し黙ったラスティに、リティルが問うた。

『降りたら、もう飛び上がれる気がしない……』

ラスティは、鬱蒼と茂る森を見下ろして呟いた。木々の間から、ほとんど地面が見えなかった。あんな樹間を縫って、空へ舞い上がる技術は、初めて空を飛んだラスティにはなかった。

『ハハ、わかったよ。今日は偵察だけだ。戻ろうぜ?今戻れば、最後くらいは間に合うかもな!』

バサッと翼を力強くはためかせて、オオタカは音々に引き返した。バサバサッと無様に羽ばたき、ラスティは何とか方向を変えると、リティルを追って飛んだ。

 必死についてくるラスティを、リティルはチラッと盗み見た。

いい思い出はなさそうだって?あるわけねーよな。と、リティルは自分の白々しい言葉に嫌悪した。ラスティはたぶん、オレが過去を知ってることを知ってると、リティルは思っている。それなのに知らないふり……。リティルがラスティと偵察に行くことにこだわったのは、彼の反応を見たかったということもあった。ダークムーンでもそれなりにやっていて、リティルとインファのことは平気そうなラスティだが、実際の所はわからない。

これから先、ジャックは何度も襲ってくるだろう。その時ラスティが役に立つのか、リティルは本当は疑問だった。

今回で終わらせる。このゲーム、終わらせなければならない。リティルは、その為の犠牲を覚悟しなければなと、冷ややかに思った。

 高い壁に囲まれた、音々の都が見えてきた。リティルは眼下に見えるそのすべてを飛び越して、飛び立った場所を見据えた。

『リティル!どうやって降りたらいいんだ!』

音々の上空に到着したとき、はたとラスティは気がついた。地面への降り方がわからないのだ。

『ああ?しょうがねーな。ちょっと翼閉じろよ。暴れるなよ?』

言われた通りに翼を閉じると、体は急激に落下を始めた。こうなると、今度は飛び方がわからなくなる。悲鳴も上げられないラスティを、オオタカは空中で捕まえた。

『あんまり可愛いと、捕食しちゃうぜ?』

『今そういう台詞は、洒落にならない……』

『ハハ!じゃあ、帰ろうぜ!』

リティルは、ヒューンッと猛スピードで急降下した。空に、ハヤブサの悲鳴がこだました。


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