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一章 炎嵐の娘

 風の王・リティルは、精霊達の住まう異世界・イシュラースから、命が生き死にを繰り返す異世界・グロウタースへやってきた。

この大陸――歌う緑の魚を見つけたのは、偶然だった。

 風の王の仕事は、死んだ者を輪廻の輪に送る、死神業だ。そして、理不尽に命を脅かす存在を狩る、世界の刃でもあった。

過去に遡り、命が生まれた数と、死んだ数を照らし合わせていたリティルは、ある時期に生まれた命が、かなりの数帰っていないことに気がついた。

それらがどこに生まれた命なのかを調べると、皆同じ場所であることがわかった。

「歌う緑の魚?そんな場所、グロウタースにあったか?」

鬼籍の書庫と呼ばれるその場所は、風の城の地下にある。疑似の太陽に照らされた、小川や丘のある庭園の部屋で、リティルは大規模な葬送を行える無常の風の二人、シャビとファウジと共に調べていた。

「確か、初代風の王幽閉後、二代目の目覚めの空白の間に、滅んだ大陸でありまする」

病的に白い肌に、落ちくぼんだ金色の切れ長の瞳、不健康そうに頬のこけた中年の男――シャビが答えた。

「滅んだのに、ごっそり魂が帰ってきてねーのか?場所わかるか?オレ、行ってみるよ」

「場所はわかるが……リティル、一人では危険じゃぞ?」

浅黒い肌の、精悍な老人――ファウジが、難色を示した。ファウジの言葉に、シャビもコクコクと頷いた。その拍子に、彼のポニーテールに結った、膝裏まである黒い髪が揺れた。

「おまえら……城の誰よりも過保護だよな。わかったよ。シャビ、一緒に来てくれよ」

指名を受け、シャビは「小生でいいので?」と、どこか嬉しそうだった。

白い、刺繍のオオタカの羽根の舞う、サイドに深いスリットの入った長衣に、長ズボンを合わせた見慣れない服装のシャビは、その病人のような細さも相まって、とても戦えるようには見えない。だが、彼は凶悪な魔物と化した魂と戦う、風の城屈指の葬送の力を持つ強力な精霊だ。普段はこの部屋で、鬼籍を管理する司書をしていて、リティルと出掛けることは稀だった。

ファウジは、見た目こそ老人だが、金色の肩当てと胸当てを身につけた将軍然とした出で立ちだった。彼はこの部屋の番人だ。シャビよりも戦闘能力は高いが、リティルは本当に戦わなければならないとき以外、彼を同行させなかった。ファウジはなかなかに荒っぽく、彼が暴れると被害が大きいからだった。

ハゲワシの骨の翼を持つ無常の風は、強力な精霊故、リティルは彼等を慎重に動かしている。だが、今回は、大陸一つ分という、あまりに大きな事案だ。風の王の配下で、王に次ぐ強力な葬送の力を持つ彼等の力が必要になるかもしれないなと、リティルは判断したのだった。

 リティルとシャビは、三つの異世界を繋ぐ次元の大樹・神樹の作るゲートを越えて、グロウタースへ入った。

「奥方がゲートを開けないとは、滅んでいることには、滅んでいるようでありまするな」

奥方とは、リティルの妻である花の姫・シェラだ。

彼女は神樹の花の精霊で、世界を繋ぐゲートを開く固有魔法を持っていた。母である神樹よりは精度は落ちるものの、彼女は知らない場所にでも問題なくゲートを開くことができる。風の城は大抵、彼女に頼んでゲートを開いてもらっていた。大抵というのは、彼女が不在の時もある故、そういうときは、千里の鏡という、神樹の精霊と繋がっている鏡を、異世界へ行くゲートにしていた。

 今回、シェラはその場所を捕捉できないと言った。そんな場所へ行くと言うリティルを、彼女は止めなかったが、とても心配そうだった。そんなシェラに、シャビは「命に代えてもお守りする故」と、微笑んだ。大げさなことを言うシャビに、シェラは「命は賭けないで、お願いね」と微笑んだ。

「けど、なんかあるはずだよな?」

リティルは金色のオオタカの翼を羽ばたかせて、シャビの案内で青空の中を飛んでいた。

「たしか、この辺りでありまするが……」

見下ろした先には海が広がるばかりで、なにもないようだった。

「リティル殿、副官殿と補佐官殿に、調べていただいたほうが、よいやもしれまする」

リティルの息子である副官、雷帝・インファと、補佐官、風の騎士・ノインは情報収集力、分析力に長ける。戦闘系で、鬼籍の整理しか能のない小生では、これ以上どうしようもないと、シャビは飛びながら海を見下ろした。

しかしリティルは、大きく旋回しながらジッとその鋭いオオタカの瞳で、海を見つめていた。

「……………………いや、あるぜ?大陸」

リティルは風を使い空中で静止すると「シェラ、弓借りるぜ?」と呟いた。そして、弓を引く仕草をした。リティルの手の中に、白い粒のような光でできた弓が姿を現した。あの弓は、花の姫の弓だとシャビは思った。つがえた矢は、金色で風の王の風でできているようだった。

リティルが矢を放つと、やや遅れて、ガラスが割れるように大きなヒビが海に走った。

「光学迷彩だ。光に詳しい精霊がそばにいなかったら、見逃してたな」

リティルは険しい瞳で、眼下に現れた大陸を見下ろした。見た目には、緑も豊かで、文化の進んだ大きな都市の姿も見えるその大地は、とても滅んだと認識されている大陸の姿ではなかった。

「これは、驚きました……!小生の知っている姿のままの、歌う緑の魚でありまする」

「妙な感じだな。違う時の流れの中にあるみてーだ」

リティルは近づいてみようと、高度を下げようとした。

「!リティル殿!」

シャビがリティルの前に飛び出した。何か透明なモノと、彼は組み合ったようだった。

「何奴!リティル殿には指一本触れさせぬぞ!」

「シャビ、そのままな」

リティルはシャビを迂回すると、モヤモヤと透明なモノに近づいた。

「リティル殿?危険でありまする!こやつ、得体の知れぬ化け物でありまするぞ!」

怪力ではないが、彼も腕が立つ。そのシャビと透明なモノの力は拮抗していた。感じる気配は精霊のモノで、リティルは、それなりに強い力を秘めた精霊みたいだなと思った。

「オレも似たようなものだからな、ちょっと会話してくるぜ」

そしてリティルは、正気も失えないで泣き叫ぶ、指揮棒の精霊と出会った。


 ジャックはこれはゲームだと言った、彼とのゲームに、リティルは二度負けた。

一度失敗すると、次の音の精霊の生まれ変わりが現れるのは、三十年後だった。光学迷彩は壊したが、何かに囚われた輪廻は解放できず、歌う緑の魚で死んだ魂はまた、歌う緑の魚で産まれた。

世界の輪廻の輪から、切り離されてしまったこの地の命を、正常に戻すには、ゲームに勝つしかないようだ。ゲーム中は、誰かの作ったルールに乗らなければならず、リティルはこの地から出られず、城と連絡も取れなくなる。しかも、力も大幅に制限されてしまう。

三度目、ゲームに挑む為にこの地を訪れたリティルは、息子で副官の雷帝・インファと、インファの息子の煌帝・インジュを伴った。

何も知らずに殺される娘と、娘を殺した瞬間、我に返る指揮棒の精霊の姿が、リティルの心をえぐった。もう、失敗はしない!これで終わらせる為、リティルは二人を巻き込む決意をしたのだった。

 このゲームは危険だ。

ゲーム中に傷を負えば、それは紛れもなく現実で、酷ければおそらく命を落とす。

何も知らず生き死にを繰り返している魂達は、限界が近く、もし、葬送の力のあるリティル達が殺してしまうと、たぶん消滅してしまう。

力も制限され、ハンター役のジャックと、同じくらいの力しか振るえない。

音の精霊が神格化されている大陸だが、精霊と近しいわけではなく、大ぴっらに翼で飛ぶわけにも、街中で魔法を乱発するわけにもいかない。

 しかし、リティルもただ失敗したわけではない。幸い、この地にも魔法を扱える者達がいた。魔法とは縁遠い都という場所が舞台だが、彼等は正体を隠しながら、ダークムーンという組織を作って、裏で都の世界と繋がっていた。六十年かけ、リティルはダークムーンの、揺るがない裏のボスの座を手に入れることに成功している。そして、インファとインジュはミュージシャンとして、ゲーム開始数年前から、音楽産業の中心であるミューリンタワーに入り込んでいた。

彼等二人をリティルが選んだのは、一緒に巻き込まれてくれることが決まっていたインファと、インジュは相性がよくて歌が上手かったからだ。昼寝が好きでのんびり屋のインジュが、あんなに色々歌いこなすとは知らなかった。インファのピアノの腕は知っていた。副官のインファは頭の切れる男だし、インジュとは仲のいい親子だ。そして、リティルは二人を信頼していた。

人間の常識に合わせて、外見年齢から二十五才のインファを兄、二十三才のインジュは弟ということにしてあった。そして、十九才のリティルは末弟だ。

それを告げたとき、インファは眉一つ動かさず「それが自然でしょうね」と言い、インジュは「末の弟って、甘やかしていいんですよねぇ?ワクワクしますぅ」となぜか喜んでいた。安定のインファとお気楽なインジュ。二人を伴い、リティルは三度目のゲームに挑むのだった。


 深夜になり、バー・ダークムーンに集った仲間達は、情報交換を終え、ハーディンから仕事を割り振られて、一人また一人と店を出て行った。

そうして、バーカウンターには、白いワイシャツにベストという出で立ちのインファと、リティル、カウンターの中にハーディンだけが残っていた。

「彼は、使えるんですか?」

インファは、ウイスキーと氷の入ったグラスを片手に、どちらに問うでもなく言った。

「精神はまだ子供だな。でもな、魔導能力は高いぜ?六属性フルスロットルだからな」

さすがのインファも驚いたのか、戻されたグラスの中で、氷がカランッと鳴った。

「ありえますか?彼は、人間ですよね?」

常識で考えればあり得ない。力は均衡が大事だからだ。自然を構成する力は、大きく六つに分けられる。大地、風、水、炎、光、闇。大地を極めれば風が弱まり、水を極めれば炎が弱まる。光と闇は打ち消しあって、そのどちらかしか会得できない。そういう理があった。だが、ラスティは、六つの力を常に百パーセントの力で使えるのだった。

「特殊能力者だな。契約は結んだからな、オレの手足になってもらうさ」

風の精霊は、世界の存続を脅かす事案が起こると、グロウタースに潜入し、解決に導いてきた。極力その場所に干渉しないように、力を制限する為、現地で協力者を作ることがある。協力者と契約することで、精霊は代わりに調査してくれる手足を手に入れられる。そして、協力者は精霊の恩恵を与えられた。風の精霊の大きな恩恵は、かりそめの不死だ。契約中は、何が起こっても死なない。だが、契約を終えた時点で、致命傷を一度でも負っていると死んでしまうため、注意が必要だが……。

「インジュは上手くやってるか?」

この前会ったのは、一ヶ月近く前だったよな?とリティルは思い出していた。姿だけなら、しょっちゅう見掛けるため、そんなに会えてないとは思えなくて、ついつい連絡を怠ってしまう。そうすると、インファの方から連絡がくる。「そんなに話してなかったか?」と問うと「もう一週間音沙汰ないですよ?」と通信機越しに苦笑されてしまう。

「ええ。オレより上手く溶け込んでいますよ。彼は惚れられませんから」

そう言ってニッコリ微笑んで、インファはグラスを傾けた。

「インファ……おまえ、また苦労してるのかよ?女に」

あり得なくはない。インサーフローは美形の兄弟デュオだ。女顔のインジュが前面に出ているとはいえ、インファの美貌は隠れようがない。

「いいえ。この指輪がお守りになっていますから、大丈夫ですよ」

インファは左手を挙げた。彼の薬指には、小さな宝石の散りばめられた指輪が嵌まっていた。この指輪は、紛れもなく婚姻の証だ。しかし、雷帝妃はここにはいない。インサーフローのプロフィールにも、妻帯者であるという記述はなかった。

「父さん、塔に来るときは気をつけてください。オレが長男ですから」

「わかってるよ、インファ兄」

リティルはニヤリと笑った。その笑顔を受けて、インファもニッコリ笑った。

「では、オレはそろそろ帰ります。リティル、一人でもちゃんとするんですよ?」

「徹底してるよな、ミューリンタワー。オレ達親なしなのに、オレだけ入れてもらえねーんだからな。じゃあな、インファ兄、インジュ兄によろしくな!」

「Bランクになれば、リティルも入れますから、待っていてください。それでは、ハーディン、オレの可愛い末弟をよろしくお願いします」

 では、と、インファはまるで演技だと感じさせない普通な素振りで、店を後にした。

「精霊ってヤツは、見た目が年功序列じゃないってのは、違和感だな」

インファを見送って、ハーディンがフウとため息を付きながら、腕を組んだ。

「ハハ。面白れーだろ?オレがあいつの父親で、王なんだよ」

そして、インジュはグロウタース風に言えば、リティルの孫だ。あの兄弟にしか見えないインファとインジュは、親子なのだ。

「リティルの奥さんは、どんな容姿なんだ?まさか、幼女とか、年増じゃないだろうな?」

そう言えば、長い付き合いなのに、聞いたことなかったとハーディンは笑った。

「ハハ!滅茶苦茶可愛い美人だぜ?期待に添えなくて悪いな。同い年だよ。あいつ、心配してるからな。今回で終わらせるぜ?」

「前は、三十年前だったな」

ハーディンは、リティルにウイスキーを注いでやった。インファはロックだったが、リティルにはストレートだった。

「ああ。また、巻き込んで悪いな」

リティルは、ウイスキーをゴクリと飲み干した。

「前は、しくじって、すまん。あの時、オレが死にかけなければ、おまえはあの子を守れただろうに……」

ハーディンの額には、爪で切り裂かれたかのような大きな傷跡があった。

 ハーディンは、三十年前のゲームの時の契約者だった。ジャックに殺されかけた彼を、庇ったリティルは、音の精霊を守れなかった。あの時、音の精霊は次があると一瞬頭をよぎってしまった。そう一瞬でも思った自分が許せなくて、しばらくリティルは、風の城の皆が、危機感を持って監視するほど荒れた。そして、インファが「次は一緒に行きますよ」と言った。言わせてしまった。

 それにしても、目立つことを避けたがるインファが、歌手としてミューリンタワーに潜入すると言い出したときは、彼の精神を心配したものだ。だが、普段は最高に人当たりのいいインジュが、常に一緒にいる。インファは大丈夫だと言い聞かせながら、リティルは自分の心配をしなければなと、考えを改めた。

離れていても、連絡は取り合えるというのに、一緒にいられないことがこんなに心細いとは思わなかった。風の城では感じたことのなかったことを、感じてしまう。これは、二度の失敗のためだろうか。それとも、力を奪われ、人間に身をやつしているためだろうか。

どちらにせよ、こんな心ではダメだ!とリティルはなんとか風の王の心を保っていた。

「オレの技量のせいだ。気にするなよ。今回は優秀な副官と、盾がいるからな、きっと成功させるさ」

リティルは、明るく笑った。その笑顔に、ハーディンはきっと大丈夫だと、そんな根拠のないことを思わされた。思えばリティルはずっとそうだった。こんな小さな体で、童顔で、なのに、こちらが気弱になると、とても大きな温かな存在感で頼らされる。

彼は確かに、一つの力を総括する王なのだと思う。

「ジャックは、本当は殺したくないんだよな?だのに、なぜあんなことを?」

あの時、ジャックは微塵も躊躇いを見せずに、娘をその爪で切り裂いて殺した。あの絶望に染まった娘の断末魔を、ハーディンは一生忘れる事はできない。あの時、目を逸らしたハーディンは、殺人のその様を目を逸らすことなく、凝視していたリティルを覚えている。

娘を殺したジャックを、リティルは殺すと思った。そんな目をしていた。だが、リティルは泣き崩れたジャックの背を、そっと抱きしめに行った。

――失敗して、ごめんな……!

ゲーム終了と共に、彼の背に生えた、金色のオオタカの翼。あのとき、初めて見たリティルの翼。ああ、これが彼の本当の姿なのだと思った。どう見ても童顔な青年にしか見えなくて、ハーディンは彼を、信じきれなかったから失敗したのだと思った。あの失敗は、オレのせいだ。ハーディンはそう思うことで、自分自身を守るしかなかった。

 あれから三十年。

ハーディンは、あの日、今度ゲームが始まったなら全力でサポートしようと誓った。その為に、ダークムーンを強化してきた。

そして、その日がやってきた。リティルは、契約者にラスティを選んだ。迷いなく。

力は確かに強いが、心に闇を抱えて生きてきた、ハーディンの弟子だ。リティルの相棒にと、口にはしていないが、そのつもりで育ててきた。

まだまだリティルの相棒には仕上がり不足だが、ラスティはリティルの容姿に惑わされていない分だけ、三十年前のオレよりもマシだなと、ハーディンは思っていた。

「わからねーよ。けどな、セイレーンとセドリガーが、鍵を握ってるような気がするんだよな」

リティルは、二杯目のウイスキーに口をつけた。

「ラスティを選んだのは、セドリガーにするためか?」

「セドリガーを選ぶのは、セイレーンなんだろ?だったら、オレにはどうしようもねーよ。今度の音の精霊が、セイレーンの能力があるかもわからねーしな」

セイレーンは、特殊な魔法を使う女性の魔道士だ。そして、セドリガーはセイレーンを守る対となる魔道士だった。

 ハーディンは腕を組んだ。前の音の精霊は、人間のままだったなと思い出していた。それなのによく、リティルは彼女が音の精霊だと見抜いたと思う。

わかっていることと言えば、ゲーム開始時に、ミューリンタワー所属の歌手であるということだけだ。年齢や、種族は関係ない。

都人なのか、魔導士なのか、はたまた亡者の森に住む森人なのか――ミューリンタワーは、人の心を惹きつける音楽を奏でられるなら、出身は問わない。だが、場所が場所なだけに、都人が大半で、魔導士など皆無に等しい。セイレーンともなれば、魔導士の都である魔音の郷が迎えに来てしまう為に、いるはずがなかった。

音の精霊の愛娘とあだ名されるセイレーン。魔音の郷でも、まだすべてが解明されていない、特別な魔法を使う魔導士だ。彼女達には、セドリガーが必要だ。裏で、魔音の郷と密接に繋がるミューリンタワーもそれを理解してくれていて、所属の歌手がセイレーンとわかると、ダークムーンに知らせがくる。

 過去に、意識を持っていかれているハーディンに、リティルは現在を突きつけてやるかと、話題を変えることにした。ハーディンが、三十年前をずっと引きずっていることを、リティルは知っていた。おまえのせいじゃないと言ってやることは容易いが、ハーディンは許されたくて戒めているのではない。ただ、気負いすぎるのはよろしくないなと、リティルはハーディンを案じていた。

「今度のバトル音楽祭。邪妖精狩り、がんばらねーとなー」

リティルがうーんと伸びをしながら、欠伸をした。

バトル音楽祭。ミューリンタワーに所属する音楽家達にしのぎを削らせる為、投票によってランクの変わる制度があった。バトル音楽祭は、その制度に基づいた祭りだ。

バトル音楽祭は下位ランクから開催される為、一番近い音楽祭は、Cランク⇔Dランクだ。インファ達インサーフローが出るのは、バトル音楽祭Bランク⇔Cランクで二ヶ月後だ。

「おまえは観客席か?それとも、ダークムーンか?」

おまえは、歌が本当に好きだよな?とハーディンが笑った。風の精霊は歌うんだよと、リティルは返した。

「どっちがいい?観客席で暇にしてるのもいいけどな。蝙蝠達動かしてほしいなら、やってやるぜ?」

蝙蝠とは、ダークムーンに所属する魔導士を指す隠語だ。

邪妖精とは、どうも音楽に惹かれてやってくるらしい、異形の者だ。力の塊であるらしい彼らは、相性がよければ捕らえて使役できる。

「インスレイズ、おまえ、暴れてーか?」

リティルが声をかけると、風が渦巻いて、金色のフクロウが、リティルの肩に舞い降りた。インスレイズは、邪妖精ではない。

風の王の左の片翼、死の翼・インスレイズ。風の王の翼に住み、魂を葬送する導きの鳥だ。

邪妖精のシステムを知ったリティルは、召使い精霊の彼女を連れてきたのだった。

「おまえとインスがいれば、会場の警備、事足りそうだな」

美しく、法外な強さを感じて、ハーディンはいつも感心してしまう。

「サボるなよ。だったらオレは、観客席だ!おまえのイルルも相当強えーだろ?」

名を呼ばれたイルルは、すぐさまハーディンの肩に具現化して舞い降りた。透明なゼリーの中に、金粉が踊っているような体の、ツバメだった。

「ラスティの妖精は、なんて言ったっけ?」

「ムルムラ」

「闇っぽいヤツだったよな?インファ兄と、相性良いといいけどなー」

リティルは、もう一度伸びをすると、板張りの低い天井を見上げた。


 翌朝、ラスティは新進気鋭の歌い手である、インサーフローの護衛を正式に受けるべく、ミューリンタワーへ出向いた。

インサーフローの担当楽士は、篠目百合恵(ささめゆりえ)という東の都・楽音(らくおん)出身の女性だった。タイトスカートの、グレーのスーツを着こなし、業界でも有名な楽士だ。

結婚を機に、一線を退いていたのだが、インサーフローに目をつけて、プロデュースするべく復帰したのだった。

「ボク達は隠れ魔導士ですよぉ?自衛くらいできますよぉ。ダークムーンの人が、わざわざついてくれなくてもいいですって」

インジュはそう言って、百合恵に抗議した。インファはその様子を、やれやれと言いたげに、やけに綺麗な白い猫を撫でながら、傍観していた。

「そうは言ってもね、あなた達に護衛がつかないと、他の子達にもつけられないのよ!」

「魔導士でも、隠れてるでしょう!」と百合恵が言うと、インジュは「ボクは、殴りますから大丈夫です!」と、真っ向から対立した。

隠れ魔導士とは、ダークムーンに所属していない魔導士のことだ。都にいる魔導士は、ダークムーンに所属しなければならないという決まりはない為、ダークムーンと関係を持たない魔導士もいた。だが、ダークムーンに所属していないということは、魔導士であるという証も持たない為、不用意に魔法を使ってしまうと驚かれたり拒絶されたり、なかなか生きにくい為に、大抵の魔導士はダークムーンに所属していた。

音楽家として認められている以上、魔導士であることを公表しても、人気に響くことはないのだが、インサーフローは公表を避けていた。その理由を、リティルの血縁だからなと、ラスティは一人納得していた。

 それにしても、リティルの孫のインジュに、渋られるとは思わなかった。すでに話がついていると思っていたのだ。

ラスティは、実はインサーフローのことを、よく知っていた。

いつもは遠巻きに見ていたが、女性寄りな中性的な容姿と認識していたインジュは、こうして見ると、ちゃんと男性だった。インジュの女性的な、柔らかい微笑みしか知らなかったラスティは、そのイメージの違いに勝手に臆していた。

それはトークでは、ほとんどインファが喋っていて、インジュは隣でニコニコ笑って「はい」とか「そうですね」とか相づちしかうっていない姿しか、知らないからだ。激しいロックも歌いこなすのに、ラスティのイメージの中のインジュは、柔らかく優しい人だった。

こんなに真っ向から、百合恵に抗議できる、言いたいことが言える、我の強い人だとは思っていなかった。その姿が、とても男性的で、ラスティはどこか裏切られたような、そんな恐れを、勝手に抱いてしまっていた。

「インジュ、諦めなさい。多少窮屈でも仕方ありません。オレ達よりもランクの低い人達に危害が及んだら、あなたも不本意でしょう?」

ミューリンタワーは、五十階建ての塔だ。碁盤の目のようにガラス窓が嵌まる、四角い塔だった。それが、三本歪な配列で建ち、連絡通路で繋がっている。

所属する音楽家達は、人気に応じて、ランク分けされていて、ランクが高いほど、恩恵を受けられるシステムになっていた。インサーフローは、現在Cランク。Bランクから、この塔で家族と暮らすことができる。

「そういうことよ、インジュ。とりあえず、バトル音楽祭までだから我慢して」

インジュはえー。と不満げながら、わかりましたよ!と、渋々折れた。

「それでは、ラスティ、護衛の方よろしくお願いします。オレ達は弟のために、この音楽祭でランクを上げなければなりません。専念したいので、頼みましたよ?」

バトル音楽祭Bランク⇔Cランク戦――年に一回、上位ランクの人気下位の者達と、下位ランクの人気上位の者達が新曲で人気を争う、投票制の音楽祭だ。先月、Dランク⇔Eランクが終わり、今月末にCランク⇔Dランクがある。インサーフローが出るのは、二ヶ月後だ。護衛がつくのは、早すぎるとインジュは言いたいらしい。

 渋々ながら折れたインジュは、そういえば、この人ダークムーンだったよな?とラスティを改めて見た。ということは、リティルの事を知っているはず?インジュは、リティルがダークムーンでどんな生活をしているのか、知らなかった。わざわざ聞かないし、リティルも言うべきことがないのだろう、言わないからだ。

「あ!リティル!元気ですかぁ?ボク、心配です……」

インジュは人懐っこい顔で、ラスティに間合いを詰めた。ラスティは思わず、一歩引いていた。ん?今避けられた?とインジュは微妙な違和感を感じたが、気のせいかな?と打ち消した。それにしても、この人強そうだな、何者?とインジュがラスティに興味を示したとき、兄の声が背後でした。

「元気でしたよ?」

ラスティにリティルの事を尋ねたインジュに、インファは、笑いを堪えながら答えた。それを聞いて、インジュは機敏に、今度はインファに詰め寄った。

インジュが離れてくれて、ラスティは人知れずホッとした。

「狡いです!ボクも会いたかったのにぃ!」

インジュは、あるグループと飲んでいたため、インファがダークムーンへ行ったことを知らなかった。誘われたインファが、断ったことを不審に思ったものの、にこやかに「行ってきてください」と言われ、インジュは別行動してしまった。故に、護衛の話も聞いていなかった。護衛は、一緒に住まなければならない。部屋でうっかり「お父さん」って呼べないじゃないか!とインジュは、恨めしく思った。それが、護衛を渋った最大の理由などとは、とても言えなかった。

 インジュはたまにインファを「お父さん」と呼んでしまい、インファに最っ高の笑顔で「インジュ、オレは誰ですか?」と聞かれ「に、兄さんです」と訂正させられる。ボロが出るといけないという理由で、歌番組などの喋らなければならない場面では、インファの影に隠れて、ずっとニコニコしている。その姿がとても、虫も殺さない女の子のようで、ひとたび歌うと、きちんと男性という二面性を演出してしまっていた。

「インファ!あなたまた、無断で町へ出たわね?弟が心配なのはわかるけれど、外出の許可は取ってからにして!」

「すみません。外出の許可が下りるのを待っていると、数ヶ月待たされるので。心配しないでください。オレも魔導士ですから」

インファはニッコリ微笑んだ。その笑顔を見て、ハアと百合恵はため息を付いた。そして「人気歌手の自覚持ちなさいよ」と、インファの行動を叱った。容姿端麗な彼が街を歩けば、すぐに見つかって話題になってしまうはずだが……とラスティは思いながら、ああ、気配、消してるのかと、すぐに合点がいった。昨夜、それをやられて、カウンターに座っていたインファに気がつかずに、泡食ったのだから。

「この子達、問題児なのよ。ラスさんがいてくれれば、外出の許可も簡単に下りるようになるから、インジュ!くれぐれも、仲良くね!」

「はーい、わかりましたー。兄さん、早速リティルに会いに行きましょう!」

「ダメよ!これから打ち合わせでしょう?」

インジュの言葉に、インファが諫めるよりも早く、百合恵がピシャリと言った。

「はーい……うう、リティル……寂しいですぅ」

ガックリとうなだれながら、百合恵に背を押されて、インジュは部屋の外へ出されていった。無言でそのやり取りを見ていたラスティに、インファが呟くように声を落とした。

「彼、あれ本音ですから。仲良くしましょうね?ラスティ」

「努力するよ……。バトル音楽祭、勝機あるのか?」

先へ行く二人を追いながら、部屋を出たインファに並び、ラスティが彼の顔を見ずに小声で言った。勝機あるか?と聞いたが、ラスティは誰と争うことになるのか把握していた。そして、何事もなければインサーフローの昇格は決まっていると分析していた。多少のひいきは入っていたが……。

「難しいですよ?エリュフィナと、フレイムストームが相手ですから」

エリュフィナは、踊るシンガーソングライターの女の子だ。小柄な体格ながら、可愛い声と美脚で、結構ハードなダンスで皆を魅了する。

フレイムストームは、ロックグループで、ヴォーカルはアコという女の子だ。ベースのコールは、ダークムーン所属の魔導士だった。

3シンガーは共にCランクで、三強と呼ばれている。人気も拮抗していた。

 ラスティが顔を上げた。塔の内部は四階までは一階から吹き抜けになっている。壁に張り付くように、廊下が巡り、外に向かってドアが並んでいた。前を賑やかに行く、インジュと百合恵が、急に立ち止まった。

「エーリュ!浮かない顔ですね、どうしたんです?」

ラスティはその声を聞いて、そっと百合恵の隣に移動した。インジュの前にいたのは、茶の入った黒色の髪をショートにした、紅茶色の瞳の二十歳くらいの女の子だった。エリュフィナだと、ラスティはすぐにわかった。

「インジュ……今から仕事?」

エーリュは、女性のような柔らかな微笑みを浮かべるインジュに、ホッとしたものの、まだ暗い顔をしていた。

「はい。あの、何かあったんです?」

「……ううん。何でもないわ!じゃあね」

笑顔を浮かべて去ろうとするエーリュの腕を、インジュは掴んでいた。掴まれたエーリュは、インジュを見上げた。その瞳を見たインジュは、やっぱりと思った。エーリュは今にも、泣きそうな顔をしていたのだった。

「ラスティ、エーリュから話、聞いてくださいよ」

「え?待てよ!ボクはあんた達の護衛だ、離れるわけには――」

「ボク達を守るんですよねぇ?だったら、ライバル歌姫の情報収集、基本ですよねぇ?」

インジュは十センチ上から、ズイッと威圧的に詰め寄った。詰め寄られたラスティは、一歩、視線を逸らしてまた引いてしまった。この人また!避けられているのは、気のせいじゃないと、インジュは確信した。

 インサーフローは、人気がある一方で、仕方のないことだが嫌われている。美形のデュオということもあって、女に媚びを売っているとヒソヒソされたこともある。

あのねぇ、男性ファンも、同数くらいいるんですけどねぇ?と思ったが、言ったところで無意味だ。ボクの声で蹂躙してあげますよ!とそんな気迫で、負の感情を吹き飛ばしてきた。インジュは、視線すら一度も交わらないラスティに、嫌いな人の護衛なんか引き受けるなよ!と内心イラッとした。

だが、ラスティは、少し間合いをあけて、隣に佇んでいたインファの事は、ちゃんと見上げた。長い前髪に阻まれて瞳は見えないが、避けているようには見受けられない。ん?インサーフローが嫌いなわけじゃないのか?とインジュは首を傾げた。

「しかし……」

ラスティは困って、助けを求めるようにインファを見上げた。助けを求められたインファは、やれやれと苦笑した。護衛が護衛対象に言い負けていて、どうするんですか?とラスティを育てなければならないなと、インファはいつもの癖で思ってしまった。

「オレ達は大丈夫ですから、泣きそうな女の子をお願いします」

インファは温かく微笑みながらそう言うと、カードを手渡してきた。そして「あなたのです」と言った。それは、五階の商業区へ入る為のカードキーだった。そして、「セリテーラ」と名を呼ぶと、これ見よがしに、あの綺麗な猫を抱き上げた。そのときラスティは、この猫がインファの妖精であることに気がついた。

普通、魔道士の連れている妖精は、半透明だ。だのに、インファの連れている妖精は本物のような質感だった。リティルのインスレイズは精霊だが『セリテーラ』は?妖精のような気配を感じるのに、ラスティ達の妖精とは何かが違っている。あの猫も実は精霊なのだろうか?

「エーリュさん、その様子ですとオフですよね?うちの護衛君を、案内してあげてくれませんか?一時間くらいしたら、オレ達も合流しますから」

ね?と、インファが優しくいうと、エーリュは驚くほど素直に頷いて、ラスティを縋るような瞳で見つめてきた。それには、ラスティはタジタジするしかなかったが、引き受けるよりなかった。

 頼みましたよ?とインファはニッコリ笑うと、ため息を付いて、僅かに頭を振る百合恵と、振り向きもしないインジュを促して、行ってしまった。

「ええと……ごめん、話を聞くのがボクで。ボクは、ダークムーンのラスティ。インサーフローの護衛なんだ」

ラスティは、首から提げた、蝙蝠の形のペンダントを見せた。ダークムーンの魔導士が、音楽家の護衛につくことはこの業界ではよくあることだ。出入り制限のある、この塔の中を、護衛対象と歩いていても不信に思われないように、それぞれが身分証を持っているのだった。

「わたしは、エリュフィナ。わたしこそごめんなさい。私的なことに、巻き込んじゃって」

案内すると、エーリュはラスティと共に、透明なチューブの中を箱が移動する、昇降機へ向かった。この塔は、魔法科学の粋を集めて作られている。邪妖精狩りが主で、護衛の仕事は初めてだったラスティは、この塔へ入るのは初めてだった。


 塔の五階。商業地区は、まるで外にいるかのような錯覚を覚える空間だった。

街路樹が植えられ、天井には空まであった。エーリュが言うには、ちゃんと夜にもなるらしい。

エーリュは、丁寧に商業区を案内してくれた。

「あんた達は、街にはほとんど出ないんだな?」

疲れたねと、エーリュはカフェに入り、強化ガラスの四角いテーブル席に、向かい合って座った。

「そうね。顔を知られてるし、塔の中で不自由ないもの。でも……インファさん達は、街に出たいよね……」

塔に入れない弟がいるから……と、エーリュは俯いた。インサーフローの事情を知っているんだと、ラスティは思った。

「あの二人と仲、いいんだ?」

ラスティは、インサーフローのことを思い出していた。

思わず頼りたくなってしまう、不思議で明るく童顔なリティル。

控えめで温かな眼差しのインファと、自由奔放そうで敵意剥き出しのインジュ。

共にリティルの血縁だ。タイプの違う三人の精霊。そんな三人にくっついていなければならないことに、気後れしてしまう。

イメージを覆され、インジュに緊張していたラスティは、普通の女の子であるエーリュに、ホッとしていた。

「そうだといいな。インファさんは優しくて、インジュは気さくだから」

インジュは気さく……あの間合いの近さは気さくと言えるが、ラスティは彼が怖かった。絶対に逃げられない距離に、易々と踏み込んでくる、女性の様な顔をした男性――。

「聞いても?なぜ、そんなに落ち込んでるんだ?」

「バトル音楽祭、出られないかもしれなくて……」

「え?あんたみたいな人気歌姫が?なぜ?」

意外。というか、そんなことが許されるのか?と思ってしまった。彼女は注目されている。バトル音楽祭に出ないという選択は、ミューリンタワーが許さないのでは?とラスティは理由を捜せなかった。

「少し前から、嫌がらせを受けてて、危険じゃないかって……」

「ダークムーンに依頼は?」

そんな大事……とエーリュは慌てて首を横に振った。

「なぜ?あんたは、インサーフローと同等の人気歌姫だろう?」

「インサーフローほど、期待されてない。ランクアップは、インサーフローとフレイムストームで決まりよ」

エーリュはフイッと視線を落とした。

ラスティは、唐突に、この娘は一人で戦っているんだと思った。

インサーフローは家族で、フレイムストームは仲間がいる。けれども、エーリュは担当楽士はいても、同じ目線で心を許せる者がいないのだ。

でも、だからなんだ?戦う事を諦めたら居場所を失うのは、誰もが同じだ。ラスティだって一緒だった。戦う事に臆したら、魔道士達の郷・魔音の郷に帰るしかなくなる。帰りたくないラスティは、命の危険があっても、ダークムーンにいるしかなかった。

幸い、ダークムーンは居心地がよくて、ラスティは今、幸せだったが。

「がっかりだな。ボクは、あんたの歌が聴けると思って楽しみだったんだ。けど、戦う前から負けを認めてるようなあんたの歌じゃ、聞けなくてよかったよ」

「しかたないじゃない!わたしが我が儘言ったら、誰かが嫌がらせに巻き込まれるかもしれないし……」

「じゃあ、ダークムーンに依頼するんだ。魔導士は、何も男だけじゃない。女性もいる。気になるなら、そう条件つければいい。みんな喜んで受ける。歌姫の護衛なんて、セドリガーになったみたいだって」

「セドリガー?」

「音の精霊・ミューリンを守る、騎士。ミューリンの伝説、あんたも知ってるだろ?」

音の精霊・ミューリン。大昔、この大陸に騎士を伴ってやってきたという異世界の存在だ。音楽が好きだったようで、人々はミューリンのために歌い、ミューリンはこの大陸を守ってくれたという。故に、この業界には、ミューリンにちなんだ名がつけられているものが多くあった。

ミューリンタワーという名が、その最たるものだ。他には、著しい業績を上げたミュージシャンに与えられる最高の称号を、セドリガーと言ったりする。

ラスティは、魔導士側のセドリガーのことを思い描いて言ったのだが、エーリュは殿堂入りのほうを思い浮かべていた。チグハグだったのだが、ラスティは気がつかなかった。

「ここにいるんだ、歌えよ。ダークムーンに依頼することは、大げさなことなんかじゃない」

頭を振った拍子に、ラスティの隠れた瞳が露わになった。漆黒の瞳に、亀裂のような赤い筋がついた、禍々しさを感じる瞳だった。ああ、それで前髪が長いんだとエーリュは思った。でも、真っ直ぐに思いを口にできる人なんだなと思った。

「嫌がらせなんかに屈するな。ここは、そんな甘い世界じゃないだろう?」

「でも……」

「あんた、じれったいな。どんな嫌がらせ受けてるんだ?」

「そ、それは……――が、送られてくるの……」

エーリュは俯くと、小声でボソボソと言った。ラスティは聞き取れなくて、え?と聞き返しながらエーリュの方へ身を乗り出した。

「死体が、送られてくるの!」

危うく、アイスコーヒー入りのグラスを倒す所だった。ラスティは二つのグラスを掴みながら、急に顔を上げたエーリュから身を引いていた。

死体――?ラスティの脳裏に、血まみれで倒れている女の子が浮かんで消えた。

え?今のは誰?ボクの記憶なのか?いや、まさかと、一瞬混乱してしまった。

 次の言葉が継げずにいると、スッと大きな安心感のある気配がエーリュの背後に立つのを感じて、ラスティは目線を上げた。

「嫌がらせにしては過激ですね。エーリュさん、うちの楽士と一緒に部屋に来ませんか?」

まるで、エーリュを守るように、インサーフローと百合恵が彼女を囲んでいた。

「インファさん……」

右側から、テーブルに片手をついたインファを見上げ、エーリュは今にも決壊しそうな瞳をしていた。彼の肩甲骨の辺りから、緩く三つ編みに結った髪が、右脇に滑り落ちた。髪を留めている、百合と羽根の透かし模様の入った、円柱型の髪留めがキラリと光っていた。

「水臭いです。ボク達友達じゃないですかぁ。ラスティ、やりますね。エーリュ、遠慮しいですから、なかなか口割らないんです。ちょっと見直しました。ボク達の護衛として、認めてあげます」

女性のような可愛い顔で、その唇から出る言葉は辛辣なインジュに、ラスティは、すごい上から目線だな!と思ったが、彼は精霊だ。ここは大人しくしていようと、グッと堪えた。何か言って、また近づかれたら怖いからと、暗く思った。

「そんな嫌がらせ、聞かなかったことにはできないわ。エーリュちゃん、顔貸しなさい」

クイッと眼鏡を押し上げて、百合恵が静かに言った。エーリュの背後に立つその顔を、正面から見たラスティは思わず息を飲んでいた。鬼の形相をしていたからだ。


 インサーフローの住まいは、巨大な水晶球の乗る、メインの塔の隣にある、鼓動の塔の三十七階にあった。

「へえ、初めて入るけど、間取り同じなのね」

玄関を入って、扉を開くと、目の前に大きなガラス窓が飛び込んできた。広々としたリビングには、存在感のあるグランドピアノと、二人では広すぎるソファーがあった。

バンドをメンバーに持たないが、インサーフローと専属バンドの三人は仲がいい。部屋で練習することがあるのだろう、隅には今は片づけられているが、ドラムセットなどが置かれていた。

 インファはジャケットを脱ぐと、クローゼットにしまい、そのまま部屋に行こうとするインジュを捕まえて、華麗に上着を剥ぎ取って片付けた。

「ラスティ、オレに見とれてますか?」

所作が綺麗で確かに見とれていたラスティは、インファにそう指摘されて笑われて、思わず顔の温度が上がってしまう。自身のその変化に、ラスティは大いに動揺した。

「あんた……怖い人だな……」

女性寄りな中性的な容姿のインジュと比べると、インファは男性寄りな中性的な容姿をしているというのに、ラスティは、インファの事は出会った時から平気だった。それもまた、不思議だった。インファも、男であることには変わりないのに。

「この業界、容姿も武器の一つですからね」

フフフと、インファは妖艶に微笑んだ。この業界って、あんた精霊じゃないか!とラスティは叫びそうになって、何とか堪えた。彼が本気で演じていることは、何となくわかっていたからだ。いや、それとも、インファはこういう人なのだろうか?

 リビングに入ると、百合恵が当然の様にコーヒーを淹れ始めていた。

「では、詳しくお願いします」

ソファーに座るな否や、インファがエーリュに促した。

 エーリュは遠慮気味に、それでも皆の視線を受けて、話し始めた。

嫌がらせは一ヶ月前、バトル音楽祭に出ることが決まった頃からだった。初めは、カミソリだった。手紙を開けた担当楽士のドートが怪我をした。

それから、赤い絵の具を血に見立てて塗られた、蝶の標本。真っ二つにされたトカゲと続き、今日届いたのは、ハヤブサだった。そのハヤブサは、ドライフラワーの中に埋められるようにして箱に入れられ、首が――

「それは、身の危険を感じてもおかしくないわね。ところで、どうしてドート楽士は、ダークムーンを雇わないの?」

「わ、わたしが抵抗……あって……」

エーリュは言いにくそうに、ラスティの方を見なかった。

「それは、魔法にですか?それとも妖精にですか?」

「魔法、を、扱う人――に……」

彼女は、過去に何かあったのだろうか。少し怯えているようだった。

「エーリュ、ボク達のこと、怖いです?」

インジュは、そっとエーリュの顔を覗き込んだ。キチンと整えて髪留めで留められた、半端な長さの髪がサラリと揺れた。彼の髪留めは、インファと揃いのようだった。羽根のすかし模様で、インファのそれよりも小さな円柱型をしていた。

「どうして、インジュ達のこと怖いなんて?」

インジュは、インファの方を見た。明かしてもいいか?と伺いを立てているようだ。彼の後を引き受けて、インファは口を開いた。

「オレ達は、明かしていませんが、魔導士ですよ」

え?とエーリュは瞳を瞬くと、インファの事をしげしげと見つめてきた。

「魔導士が怖いのに、ボクといたのか?」

ダークムーンだって、名乗ったよな?とラスティは、怖がられている素振りなんて、なかったよな?と思い出していた。

「本当に、みんな魔導士なの?」

「え?うん。使わなければ、怖くないとかそういうこと?だったら、体術とかそういうのが得意なダークムーンを雇えばいい」

敵と見ると殴る蹴るのリティルならと思って、いやいや!彼が出てきたら大事だ!とラスティは考えを打ち消した。そんなラスティに全く気がつかずに、エーリュはうつむき気味に問うた。

「……戦うの?」

「場合による。相手が襲ってきたら、応戦するしかないだろう?」

ラスティの躊躇いのない言い方に、インジュはふーん、この人戦えるんだと思った。

リティルの契約者だと、インファからついさっき聞いて、ますます興味があるが、なんだか……この人、よくわからないけど、イラッとするなと、インジュはとりあえず視線をラスティから外した。

「相手を……その――」

「それも場合による。エーリュ、あんたは自分が死ぬのはいいのか?」

「そ、それは……」

じれったい。ラスティは、徐々に苛立っていた。

 その苛立ちを感じて、インファがそろそろ止めようかと思った頃、玄関の呼び鈴が鳴った。インジュが立ってくれ、険悪な空気のまま、会話は中断された。

「兄さん!あの、ちょっと!」

インジュが、来客に押されるように戻ってきた。来客は、皮のジャケットを着た、若い男だった。ラスティのみならず、この場にいた全員が知っている顔だった。

「コール?」

部屋にドカドカと踏み込んできたのは、ダークムーンに所属する魔導士であり、フレイムストームでベースを弾いているコールだった。

「ラスティ、なぜここに?いや、それどころじゃない。インファ!すぐお嬢の部屋に来てくれ!」

「はい?アコさんがオレに用事なんですか?」

昨夜、インジュが飲んでいたのはフレイムストームだが、そんな名指しで呼ばれるほどインファはアコとは仲良くなかった。コールとは年が近いこともあり、友人関係にある。

首を傾げるインファに、コールはよくわからんと言いながらも、伝えた。

「それが……リティルが刺されて、なぜかインファを呼んでるって……」

リティル?え?刺された?嘘だと思う心が勝って、ラスティはすぐには動けなかった。我に返ったのは、一陣の強風が吹き抜けたからだった。ソファーを軽々と飛び越えて、玄関へ走ったのは、インファだった。コールは咄嗟に「インファ!」と叫ぶと、振り向いた彼に鍵を投げてやった。受け取ったインファは、礼を言いそのままの勢いで出て行った。

「あのー、どういう状況だったか、聞いてます?」

インジュは案外冷静なようで、インファの勢いに、呆気にとられていたコールを突いた。

「あ?ああ……お嬢――アコが街で行方くらましちまって、見つけた時には刺されたあとだったんだ。お嬢が言うには、得体の知れない奴らに絡まれてるところを、助けてくれたらしい。リティルは、お嬢を庇って刺されたんだ。なあ、インジュ、なぜリティルはインファを?」

インジュはハアとため息を付いた。

「ダークムーンのリティルは、ボク達の弟です。何やってるんですかねぇ?あの人」

ボクも行ってきますと、インジュは百合恵に断ると、部屋を出て行った。取り残されたコールは、マジか?と無言で、インジュの言った玄関を指さしながら、ラスティを見た。

美形兄弟とは毛色が違うと言いたいのだろう。

そう思って当然だと思う。スラリと背の高い二人と比べ、リティルは男性の中でも背が低い。顔も、健全で元気さの溢れるリティルとインサーフローでは、路線が違う。昨夜インファに会ったラスティも、まさか血縁だとはわからなかった。

「マジだよ。三人は兄弟なんだ。コール、リティルは?」

フレイムストームの一員であるコールは、新月と満月の夜に開かれている、ダークムーンの会合には出席していない。ダークムーン所属の魔導士だが、その動きは隠れ魔導士に近いのだった。故に、彼はリティルの正体を知らなかった。

「大丈夫。魔法をお嬢の前で使うのを躊躇って、それでちょっと無理しただけだ。リティルの魔法は無詠唱だから、初めて見るとビビるからな。で?エーリュちゃんに百合恵さんまで、バトル音楽祭控えてるっていうのに、余裕っすね」

自分達は昨夜、インサーフローのインジュと飲んでいたのに、それを棚に上げて嫌みを言うコールを、百合恵は思わず睨んだ。

「ライバルでも、仲間よ。身の危険を感じている仲間を、放ってはおけないわ。コール、そっちは何もない?」

「ハッ!何もないわけないだろ!お嬢は襲われたんだ!リティルがたまたまいてくれたから、よかったものの……ん?もしかして、エーリュちゃんも何か?」

一瞬で頭に血が上ったかにみえたが、コールは百合恵の言葉をちゃんと聞いていたらしく、すぐにその怒りは鎮火した。

「死体が、送られてきてるらしい」

「はあ?それ、エーリュちゃんのとこには、誰が派遣されるんだ?ヨミエナか?トーラか?このままリティルか?」

リティルが付いたら大事だよ……と思ったが、ラスティは言わなかった。コールにとってリティルは、無茶苦茶なことをしでかす、放っておけない弟分にすぎないのだから。正体を知るラスティから見ても、リティルの戦い方は時に心臓に悪かった。

「それが……魔導士に抵抗あるって」

エーリュの態度は、どうにもハッキリしなかった。魔導士が怖いという割に、インファ達が魔導士だと明かしても拒否反応はなかった。半信半疑なだけかもしれないが、ダークムーンだと明かしているラスティにも、普通の態度だった。彼女は、何を持って、魔導士だと認識しているのだろうか。

「エーリュちゃん、一般人ならそれでもいいけどな。Bランクになれそうな歌姫じゃ、この先キツいぞ?命の危険が出てくるからな。どうしても嫌なら、塔を下りるしかないぞ?ラスティ、オレはお嬢のとこ戻るわ。おまえも来るか?状況から見て、おまえ、インサーフローの護衛なんだろ?対象にくっついてること、それが護衛の基本だぞ?」

「うん」と頷いたモノの、エーリュが気になってしまった。そんなラスティの心を察したのか、あの綺麗すぎるインファの猫が、エーリュの膝に入り込んだ。エーリュはそっと、猫を撫でた。あの猫は確か、セリテーラだったかな?とラスティは猫を見た。猫は視線に気がついたのか、ラスティを、左右で違う緑と青色の瞳で見返した。

「行ってきて、ラスティ。わたし、百合恵さんとここにいるから」

「わかった。百合恵楽士、玄関にボクの妖精を用心に置いていくから、部屋から出ないでくれ」

そう言い残して、ラスティはコールと部屋を出たのだった。


 いったいリティルに何があったのか。それは、コールがインサーフローの部屋に駆け込む、数時間前のことだ。リティルは、ミューリンタワー近くの路地にいた。

 音々の大通りは、ミューリンタワーから十字に走っている。メインの十字の大通りから少し細い大通りがバツの形に走り、あみだくじのような横道が繋いでいた。

リティルは、風の声を聞きながら、ターゲットに接近していた。音の精霊の生まれ変わりは、ゲーム開始時、注目の歌姫と皆に認識されている歌姫の誰かだ。過去の二人は、バトル音楽祭Bランク⇔Cランクで、Bランクに昇格した歌姫だった。音楽祭が終わった時、リティルには彼女だと唐突にわかったのだ。バトル音楽祭で、Bランクに昇格することが条件なのか、まだ三度目のゲームでは情報が不十分だった。

 だが、何もしないわけにはいかない。ミューリン候補のことを、インサーフローが探ってくれているが、かねてから契約者にしようと思っていたラスティも潜入させることにした。彼を行かせたのは、インサーフローとの交流という事もあったが、候補の二人と塔内部で接触してもらいたかったからだ。この大陸の生まれの者で、なおかつ一流の魔導士に診てもらいたかったのだ。ラスティはその条件を満たしていた。

ラスティは、あれでいて歌が好きで今の流行をよく知っていた。昨夜聞いたら、エリュフィナもフレイムストームの歌も知っていて、プロフィールも把握していた。しかし、意外だったのはインサーフローのことだ。

ラスティは、デビュー当時から知っていると言っていた。それ自体は驚くべき所ではない。インサーフローはデビューから注目されていたのだから。驚いたのは、ある事情から人混みに入れないはずのラスティが、ライブハウスという、人と肩が触れてしまうような所へ、インサーフロー聞きたさに通っていた事実だった。

根が真面目なラスティは、ファンであることをインファのいる前でリティルに告白し「邪だけれど、いいのか?」と伺いを立ててきた。これには、インファも「え?」と驚いていた。問題あるのか?とインファを見ると「インジュと上手くやってくれるなら、オレは構いませんよ?しかし、そうですか。照れますね」とニヤけていた。

インファが承諾したことで、ラスティが護衛につくことに決まり、ラスティは「明日までに冷静になっておくから!」とインファの前から逃げた。

インファは「面白い人ですね」と笑い「インジュにはしばらく内緒にしておきますかね?」と意地悪に言ったのだった。

 ラスティは、うまく護衛につけただろうか?塔の内部のことは、こんなに力が落ちてしまっていては王の風を使っても把握できない。インファのことは平気そうだったのだ、何とかなるといいけどなと、ラスティの過去を知っているだけに不安は感じていた。ダメなら戻そう!リティルは、そんな軽い気持ちでラスティを塔内部に送り込んだのだった。

 そんなこんなで、リティルは内部を探れない。塔の外でミューリン候補と接触する機会はまずない。だがリティルにも、接触の機会が巡ってきた。候補者の一人である、フレイムストームのアコが、今日、塔から街に下りてきているのだ。風の知らせを受けたリティルは、会ってみようと彼女を探していた。アコについているコールはダークムーンだ。リティルとも面識がある。人気歌姫だが、同業のよしみで少しくらい構ってくれるだろう。こんなところで、この人懐っこいと定評のある容姿が役に立つとは思わなかった。

だが、過去の二人がそうであったように、会ったからと、彼女がそうであるのかどうなのかがわかる可能性は低い。インファがすでに、分析してくれていた。二人とも、どう見ても人間にしか見えないと、そう報告を受けていたからだ。

すべてが後手に回る。ジャックが姿を現さなければ、誰を守ればいいのかすらわからない。

歯痒いゲームだ。けれども、動かないという選択は、リティルにはできない。今度こそ、失敗したくないから。

 リティルは無意識に、石造りの背の高い建物に遮られて、狭くなった空を見上げた。音楽に溢れて、心地良い街だなとボンヤリ思った。この大陸は、音の精霊・ミューリンが来るよりも前から、音楽に溢れていたらしい。彼女はそれを気に入って、この大陸に来たのだろうか。

 音の精霊というが、彼女の司るモノは音楽とは関係ない。まして、風の精霊でもない。

彼女は、大地の精霊だ。音の精霊・ミューリンは、生き物に鼓動を与える精霊だ。

指揮棒の精霊。彼は風の精霊だ。

音の精霊と指揮棒の精霊は、反属性で、力的相性は悪い。だが、鼓動の音を導くために、共にいなければならない精霊だった。

この大陸を支配している、歪んだ輪廻。音の精霊と指揮棒の精霊だからできたことだ。

葬送の力を持つ、風の精霊である指揮棒の精霊が、魂をこの大陸から出られないように閉じ込め、命に鼓動を与える力を持つ音の精霊が、産まれさせる。こんな連携をやってのけながら、狩る者と狩られる者に分かれてゲームしているというのは、どういう状況なのだろうか。リティルは未だに、その真相を解き明かせてはいなかった。

 生前の二人は、どんな関係だったのだろうか。

もし、魂が繋がっているような、運命のような関係の、セイレーンとセドリガーの様な関係だったなら、音の精霊を殺す、指揮棒の精霊の痛みは相当なモノだろう。しかし、二人は反属性だ。タブーではないが、愛し合うには多少の危険が伴う。

音の精霊の生まれ変わりを手にかけ、ゲームに勝利すると同時に我に返る、指揮棒の精霊の慟哭――。

あれは、本物だ。どんな関係であれ、心のある者を手にかけ続けるなんて、そんなこと、早く止めてやりたい。

 リティルは視線を空から路地に移すと、風の声に導かれるまま進んだ。

「離して!何なの?あなた達。あたしを誰かわかっていて、こんなことしてるわけ?」

そして、目当ての者を見つけた。見つけた事には見つけたのだが、ゴシックロリータの娘は、わかりやすくごろつきに捕まっていた。

どうして一人でいるんだよ?と、リティルは思いながら、恋人でもないのに、コールとデートのように街を歩くことに、抵抗でもあったんだろうかと、頭をよぎった。あれ?そういう関係じゃなかったか?あの二人、どうだったかな?と、リティルは、アコが一人でいる理由を、なぜか探してしまった。

「おーい、その人、嫌がってるぜ?離してやれよ」

昼間とはいえ、こんな路地裏で、五人の男に囲まれてでは、悲惨な想像しかできない。リティルは躊躇いなく、六人の前に姿をさらした。

うるせぇだの、引っ込んでろだの、お決まりの罵倒を受けながら、リティルはため息を付いた。相手と自分達の、技量の差もわからない者とやるのは、本当に久しぶりだ。

「わかったよ。かかってこいよ。面倒くせーな」

リティルの言葉に、仕掛けてきたのは三人だった。残りの二人は、アコを捕まえてニヤニヤ笑っていた。アコは、勝ち気な青い瞳に心配を滲ませて、こちらを見ていた。

リティルは、トンッと後ろに半歩ずつ跳びはねながら、三人のデタラメな拳を数回避けた後、鋭く相手の懐に飛び込んで、拳を腹に抉るように叩き込んだ。

1……2……3……三人をあっという間に伸して、アコの元へ走る。アコを捕まえている男が止まれ!止まらないと――と言って、ナイフを突きつけた。リティルはトンッと軽く踏みきり、一瞬で三人の目の前から消えた。リティルは驚異のジャンプ力で、彼等の斜め上の壁に跳んでいた。壁に両足で膝を折って着地し、視線を男達に向けた。

え?と三人が目を泳がせている間に、壁を蹴り、アコを捕らえていないほうの男の背後に飛び降りざまに、首の後ろに手刀を叩き込んでやった。それは、彼等にしてみたら、一瞬の出来事だった。仲間が頽れる気配に、アコにナイフを突きつけていた男が振り向いた。ちょっと待っていてやると、男は案の定アコを放してリティルに斬りつけてきた。リティルは、男の顎に、下から拳で突き上げて吹っ飛ばし、眠らせた。

「怪我ねーか?」

アコは、まだ目の前で起こったことが信じられないようで、青い瞳を見開いて、座り込んだまま、自分に手を差し出してくれたリティルを見上げていた。

「君、フレイムストームのアコだろ?コール、一緒じゃねーのかよ?」

アコは、リティルの手を掴んで、引き上げてもらった。助けてくれた人は、自分と同じくらいの手の大きさだった。立ち上がったアコは、背が高いとは言い難いが、厚底ブーツも手伝って、リティルを僅かに見下ろしていた。

「あなた……コールの知り合い?じゃあ、ダークムーン?」

コールの名を聞いて、アコはやっと言葉を発した。リティルは、ダークムーンの証であるペンダントを服の下から引っ張り出すと、アコに見せた。

「ああ、コールは兄貴分だぜ?滅多に会わねーけどな。出ようぜ?」

ここは空気が淀んでいる。こういう場所には長居しないほうがいい。それは、遙か昔に学んだことだった。

 アコはリティルの言葉に素直に従い、大通りへ向かって足を進めようとした。

「きゃっ!」

回復が早くないか?そう思いながらリティルは、アコの足首を掴んだ伸びているはずの男の顔を蹴った。もっと長い時間、昏倒しているはずの男達が、再び立ち上がってきていた。アコに行け!と指示し、リティルは口笛でインスレイズを呼んだ。狭い空から舞い降りた金色のフクロウは、立ち上がった三人の男達に襲いかかり、風を纏ったタックルで再び意識を奪っていった。

それを尻目に、アコの手を引いて走り始めたが、ナイフを持った男がアコの背に向かって、ナイフを突き刺してくるのを見た。まったく、そんな厚底ブーツじゃ、速く走れないだろ?とリティルは、お姫様抱っこにすればよかったと思った。

咄嗟にアコの手を引いて、場所を入れ替えたリティルは、腹にナイフを受けていた。

「きゃあっ!」

「――痛ってー」

そう呟きながら、リティルは拳に風を纏わせて、その顔面に叩き込んだ。男は鼻血を吹き出しながら、倒れて動かなくなった。

「ちょっと!ねえ!大丈夫?」

「ああ、大丈夫……だ、だからな、早く、行け、よ――」

リティルには超回復能力がある。能力は落ちても、その力は許されていた。アコの目の前でナイフを抜いて、その傷が何もしないのに癒える場面を、見せるわけにはいかなかった。リティルは、ナイフが刺さったままヨロリと、アコから離れようとした。

「そ、そんなこと、できるわけないじゃない!」

「大丈夫だ。オレ、普通じゃ、ねーから――くっ……イン、ファ……」

痛みから思わず、インファの名を呼んでいた。

ハアハアと痛みをやり過ごそうと息を吐くと、胃の中から溜まった血がせり上がってきて、リティルはアコの目の前で血を吐いてしまった。さらに青ざめるアコに「手を放せ」と言えなかった。

もう、我慢できない!リティルはナイフを抜こうと、柄に手をかけた。それを見たアコは、咄嗟にリティルの手を止めていた。深く刺さったモノを、何の処置もなく抜いてはいけないと、聞いたことがあったからだった。傷を癒やす為に、ナイフを抜こうとしていたリティルと、事情をしらないアコは、しばし無言でもみ合った。

「お嬢!無事か?って、リティル?お、おい!ちょっと、待ってな!」

路地裏に飛び込んできたのは、息を切らしたコールだった。コールは、リティルの腹に生えたナイフの柄を見て、ギョッとすると、サングラスを慌てて外し、もみ合いになっているらしいアコを引き離してくれた。痛みに顔をしかめるリティルを座らせ、傷を確かめ、治癒魔法をかけながら、ナイフを抜いてくれた。久しぶりに長く苦痛を味わったなと、リティルはとりあえず寝ようと、意識を手放した。

そして、コールの手で、ミューリンタワーのアコの部屋に運び込まれたのだった。


 リティルは、香のような香りを嗅いだ気がして、目を覚ました。その部屋は、黒や濃紺に埋め尽くされ、何か召喚しそうなインテリアで統一されていた。

リティルは一瞬、このまま人体実験されるのか?と思った。

「――オレ、人体実験後か?」

枕元に椅子を置いて、心配そうに顔を覗き込んでいた、波打つ黒髪を、ツインテールに結ったアコに、リティルは思わず聞いてしまった。

「寝ぼけてるの?このアコ様の部屋に入れたこと、光栄に思いなさいよね!……大丈夫?」

細い眉毛を釣り上げたかと思うと、アコは、心配そうにリティルの様子を窺ってきた。

「ああ、大丈夫だぜ?言っただろ?オレ、普通じゃねーから」

よいしょとリティルが体を起こす頃、部屋の入り口が騒がしくなった。おや?この気配はインファ?リティルは、思わず彼の名を呼んだことを忘れていた。そんなリティルの言葉を、アコがきっちり聞いていたことも知らなかった。

 インファは、慌ただしく部屋に飛び込んできた。

「はは、血相変えてどうしたんだよ?」

どこから走ってきたのだろうか。あのインファが珍しく息を切らしていた。

「どうしたではないですよ!刺されたと聞きました」

またまた珍しく、インファは声を荒げた。

「ん?ああ、大丈夫だぜ?知ってるだろ?」

ハアーと、長くため息をついて、インファはアコの隣で膝を折った。心臓が止まるかと思ったと、インファは呟いた。

 警戒心の強いインファが、呼び鈴も鳴らさずに駆け込んできた様を見て、アコは驚いた。あれ?鍵は?と思ったが、ああ、コールが渡したのかな?と思ってそこは別段気にしなかった。が、インフロ――インサーフローの冷静沈着なインファを走らせるなんて、何者?とアコはリティルに興味が湧いていた。

コールを知っていて、あれだけの大立ち回りを演じられるのだ、ダークムーン所属の魔導士だということは疑いようがない。背が低く童顔で、だが、おそらく見た目よりは年齢が上だろうなと察することのできる落ち着きが、彼にはあった。

「あなた、インファさんとどういう関係?」

「兄弟。オレ、末っ子」

リティルの言葉に、アコがえ?と、顔を舐めるように見つめてきた。

弟?インフロの?三男も美形だと思っていたアコは、野性味のある人懐っこい外見のリティルが、二人の血縁だとは、気がつかなかった。

ああ、だからあんなに血相変えて。と、アコは思った。両親のすでにいない彼等は、十九歳の弟を一人街に残していると言っていた。だから、早く一緒にいられるようにしたいんだと、インジュから聞いて知っていた。

「あなたが、インフロがランクアップ目指す理由の弟君なの?」

オレのこと、そんなに有名なのか?と、塔の事情に疎いリティルは思った。

「そうです。弟はこの通りですから、離れていると心配なんです。アコさん、弟がお世話になりました」

安堵から立ち直ったインファは、立ち上がると「女性の、しかも歌姫の部屋に長居してはいけません」と、リティルをベッドから下ろした。

「待って!弟君に助けてもらったのは、あたしなのよ。お茶くらい飲んでいきなさい!」

アコに腕を掴まれ「しかし……」とインファが珍しく言い淀んでいると、インジュと、コール、ラスティが部屋に入ってきた。

「この部屋……悪魔でも召喚するのか?それか、もうすでにとか?」

部屋に入るなり、ラスティがコールを振り返った。

「悪魔はいないが、定期的に変わる同居人がいるぞ?」

意味がわからず、ラスティは首を傾げた。

 見れば、リビングに出てくるリティル達がいる。無事だったんだなと、ラスティはわかってはいたが、安堵した。そんなラスティの脇をすり抜けて、リティルに駆け寄ったインジュが「よかったです、無事で」とギュッと抱きしめていた。リティルはくすぐったそうに笑うと、インジュの腕を逃れ「当たり前だろ!」と返していた。その姿を見て、ラスティは本当に三人は仲がいいんだなと思った。

 礼がしたいからと、アコはキッチンに向かっていった。コールはまあ、座ってくれとソファーに案内してくれた。

「アコ、今日みてーなこと、初めてか?」

ホンノリ花の香りのする紅茶に、風の城を思い出してしまったリティルは、内心慌てて心を今に引き戻した。風の城で、風の王妃のシェラも、こうやって紅茶を淹れてくれるのだ。

いってらっしゃいと、心配そうに、けれども彼女は笑ってくれた……心配してるかな?と、紅茶を見下ろして思ってしまった。

「ないわよ!そんな頻繁にあってたまるもんですか!」

フイッと視線を逸らしたアコから、コールへ、リティルは視線を移した。

「ここまでのことはな、今までなかったぞ。それよりリティル!あんな相手に刺されるなんて、らしくないな?」

コールとはあまり会えないが、仕事先では絡むこともあった。リティルの正体は知らなくても、腕が立つことは、コールは知っていた。なのにこの失態。気を引き締めろ!と、コールは叱ってくれた。ダークムーンは邪妖精と戦う組織だ。一瞬の油断が命取りになるところは、風の精霊の仕事と同じだ。叱ってくれるコールに、リティルは王と副官の不在を、きっちり守ってくれているだろう補佐官の姿を思い出した。

「はは、起き上がってくるなんて、オレもビックリだぜ」

確かに沈めたはずだった。それなのに、彼等は起き上がってきた。魔法か、別の何かが彼等に干渉したか?と、リティルは違和感を感じていた。頭をよぎるのは、狩る者であるジャックのことだ。彼の息がかかっていたのだろうか?と、すると、アコが音の精霊?

「最近な、塔の周辺で変なことが続いてるんだ。リティル、ボスに、塔の警備強化できないかって聞いてくれないか?」

考え事をしていると、コールが神妙な面持ちで、頼み事をしてきた。珍しいなと、リティルは思った。そして、襲われたのはアコだけでなないことも察した。

「そんなに変なのかよ?」

そう言えば、護衛の仕事が来るにはいつもより早い。いつもなら、バトル音楽祭のような、大きな音楽祭の二週間前くらいから徐々に来始めるが、まだ音楽祭まで二ヶ月もある。

インサーフローの護衛の話は、リティルが持ちかけたわけではなく、担当楽士からの正式な依頼だ。インサーフローが護衛をつけたことで、その下の音楽家達からも依頼がぞくぞくと来ていた。インサーフローのように、音楽祭終了までという長期の依頼は少ないが、普段はない、ミューリンタワーからコンサートホールや音楽堂までの、道中護衛というのも来ていたなと思った。

「ああ、説明できないが、このままだと、上位のバトル音楽祭で何か起こる気がしてな」

コールは張り詰めていたのか、ハアと息を吐いた。そして、インファにも用心した方がいいと、気遣ってくれた。インファは「心得ました」とにこやかに応じていた。愛想笑い、うまくなったなぁと、リティルはインファの笑みに視線を持っていかれた。いや、コールに気を許している?ああ、友達なのかとリティルは思い直した。

「ねえ、リティル君」

ねっとりとした猫なで声を聞いて、思案していたリティルは顔を上げた。そこには、ねだるような上目遣いのアコがいた。

「あたしの護衛、してくれなぁい?」

彼女の言葉に、コールがいるじゃねーかと、リティルは思って戸惑った。

「じょ、冗談じゃない!お嬢にはもう、オレがいるだろ!」

当然の反応だよな?と、声を荒げたコールを観察し、リティルは何考えてるんだ?とアコに視線を戻した。

「リティル君、コールが認めてる魔導士なんでしょう?この部屋ね、インファさん達の部屋の一階下なのよ。それとね、エリュフィナの部屋、二つ隣なの」

「何が言いたいんです?」

インジュが首を傾げた。

「エーリュ、護衛つけるの嫌がってるでしょ?でも、このまま護衛つけないと、あの子、確実にバトル音楽祭に出られないわ。それ、ちょっと不本意なのよね」

エリュフィナが、バトル音楽祭に出られない?リティルは彼女の人気度なら、出ないのは不自然だよな?とインファを見上げた。視線を受け、インファが答える。

「死体を送りつけられる嫌がらせを、受けているんです。アコさん、彼女が魔導士嫌いであること、知っていたんですか?」

「魔導士が嫌いなわけじゃないわ。風の魔法が苦手なのよ」

「風の魔法?限定なんです?」

だとしたら、ボク達みんなアウトです!と、インジュは内心震撼した。

「四本の爪みたいな魔法が怖いって、言ってたわ」

「随分ピンポイントだな。そんな魔法使う魔導士、知らないが、おまえら知ってるか?」

コールがリティルとラスティを見た。二人は首を横に振った。

「ねえ、リティル君、エーリュにインファさんの弟君だってバラして、アタシの護衛するフリして、エーリュの護衛やってくれなぁい?料金はフレイムストームが持つから」

あなた達、エーリュと仲いいでしょう?とアコは言った。

「なるほど?インファの弟なら、ダークムーンでも受け入れてもらえるかもな。リティルはこの通り、人懐っこい外見だし」

コールは遠慮なく、リティルの頭をポンポンと軽く叩いた。それを見たラスティは、思わず青ざめた。そして、インサーフローの様子を窺った。だが、二人はまったく気にしている素振りはなかった。やられているリティルは、嫌がる素振りすらなかった。やられ慣れている。そんな感じだった。

「オレ、バリバリ風魔法使いだぜ?」

リティルはコールの手を頭に乗せたまま、上目遣いに彼を見上げた。

「普段、拳に物言わせてるじゃないか。四本爪、おまえじゃないのはわかってるんだ。エーリュちゃんは、お嬢の数少ない友達なんだ。オレとしても、このまま塔を去ってほしくないな」

 ゲームの始まった今、リティルも、早めに塔に入ったほうがいいことは確かだった。しかし、今回は一人ではない。インサーフローとラスティなら、候補の二人を監視することも守ることもできる。リティルはアコとの接触を試みたが、こんな濃厚接触するつもりはなかった。偶然を装って、コールを介してアコに顔をさらそうと思っていただけだった。

今アコの護衛についてしまうと、自由がほとんどなくなる。新月の会合には、何とかして顔を出すつもりだが、それ以外でダークムーンに出入りすることはほぼ皆無になるだろう。ハーディンと連携が上手くいかなくなるのだけは、避けなくてはならない。

 ボスに相談すると言って、その場は逃げ、リティルは塔を下りた。

塔の入り口まで、ラスティがどうしても送っていきたいといい、インサーフローとはコールに見送られアコの部屋で別れた。アコが玄関まで出なかったのは、変な写真を撮られないためだという。「大変なんだな?」とコールに言うと「まあ、足引っ張ってなんぼの世界だ」と、笑っていた。

塔の入り口まで送ってくれたラスティは「エーリュには何とかして護衛をつけるべきだ」と言った。「気になるのか?」と問うと「よくわからないけど、このままじゃいけない気がする」とそう言っていた。

過去二人の音の精霊とは、どこも似ていない娘。短い髪で、魔導士に抵抗がある。

過去の二人は魔導士にとても友好的で、リティルもかなりすんなり近づけた。だが、エーリュは風の魔法に何やらトラウマがある。それを聞いただけで、風の精霊であるリティルは、近寄りがたい。

3人目では知っているとは言い難いが、過去の二人と照らし合わせると、アコの方がそれっぽかった。

アコについて、エリュフィナを見張る。今のリティルの技量では欲張りすぎだが、案外いい手かもなと、リティルは前を向いた。


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