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大罪の後継者  作者: 灯乃
第一章 旅立ち
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第一皇女

 リヒトの表情筋は、ジルバとふたりでいるときならば、それなりに仕事をしてくれるようになっている。しかし、それ以外のときにはどうにも働こうとしてくれない。


 そんなリヒトに、敬愛する師は『目の笑っていない笑顔は、人を威圧するときに使うものです』と言って、笑顔の作り方を教えてくれた。評価してくれる相手がいないので、現在自分が顔に貼り付けている微笑がどんなできなのかはわからない。けれど、青ざめた中年魔術師が後ずさったので、それなりのものを作れてはいるようだ。


 中年魔術師が、上擦った声で言う。


「なぜ……なぜ、わたしの網が消えた!? 多少の攻撃で破られようと、即座に自己修復するはずのものだぞ!」


 目を血走らせた相手に、リヒトは首を傾げて応じる。


「部分的に傷つければ、そりゃあ自己修復術式が働くだろうさ。だから、網全体に魔力を巡らせた上で、一気に破壊してやったんだよ」


 ジルバが同系統の魔導具に捕縛されたとき、そうしていたのを真似しただけだ。とはいえ、そのスピードはまだまだ遠く師に及ばないのだが。この体たらくをジルバが見ていたら、リヒトが魔力操作にもたついているのをニヤニヤ眺めながら、『ねえ、まだー? ねえねえ、まだなの? リヒトくーん』などと煽るセリフを吐きまくっていたに違いない。


 想像しただけで腹立たしくなったリヒトは、目を細めて中年魔術師を見た。


「そんなことは、どうでもいいだろ。……それで? さっきの狼藉は、なんの真似だ。おれの師匠は、黙っていても厄介なストーカーがうようよ湧いてくるような面倒な人だが、おまえみたいな変態野郎に絡まれる覚えはない」


「~~っ誰が、変態か! おまえの腰にあるあやつの剣が、何よりの証拠だ! 恐れ多くも五年前、我が皇室の宝玉であるエリーザベト皇女殿下を殺害せんとした反逆者! ようやく、その尻尾を掴んだぞ!」


 なんだそりゃ、と顔をしかめながら、リヒトは愛用の魔導剣に指先で触れる。たしかにこの剣は、リヒトが魔導剣の修行をはじめたときに、ジルバが譲ってくれたものだ。子どもが持つには立派過ぎる代物だが、左腕が義手ではどうしても魔力の伝達が鈍くなってしまい、もう上手く扱ってやれないからだと笑っていた。


 しかし、リヒトの指導に当たっているとき以外は、常に悠然とした態度でのほほんとしていたジルバと、『皇女殺害』という大仰な単語がどうにも結びつかない。


「うちの師匠が、なんで皇女殿下とやらを殺そうとするんだよ。人違いだろ」

「人違いでなど、あるものか……! その忌まわしい剣こそが、あやつが姫さまに斬りつけた大罪の証! 私はあのとき姫さまのおそばにいたのだ! 見紛うことなどあり得ぬわ!」


 興奮して喚く中年魔術師の声が、ひどく聞き苦しい。いい年なのだから、少しは落ち着いて会話をしてほしいものだ。


「まったく、姫さまの召喚獣が、あの男の左腕を食いちぎってくれなければ、どうなっていたことか……! 忌まわしい、白の鬼子が!!」

「……なんだって?」


 腰の剣を抜いたのは、無意識だった。気がついたときには、自分の手が相手の喉元に刃の切っ先を突きつけていて、少し驚く。だが、そんなことはどうでもいい。リヒトは、低く感情の透けない声で相手に告げる。


「白の鬼子ってのは、たしかアルビノに対する差別的な言葉だったな。……知っているか? 差別的な言葉を吐き散らかしているときの人間ってのは、見るに堪えないほど醜いんだ。いっそ、その顔面を削いでやりたくなるくらいにな」

「……っ」


 切っ先で相手の首筋を撫でると、喉仏が大きく上下した。

 たった今、リヒトが手にしている魔導剣だけを理由に難癖をつけてきただけなら、相手の妄言だと断じられる。だがそれに加え、五年前に左腕を失ったアルビノの男、となると、そうもいかない。

 少し考え、リヒトは言った。


「つまり、おまえの『姫さま』とやらが、おれの師匠の腕を奪った張本人だってことか」


 召喚獣が――自然の力そのものの具現である精霊が、自らの意思で人間を傷つけることはない。彼らが人を害することがあるとすれば、それは必ず召喚者が命じたときか、召喚者の命が危険に晒されたときである。

 そしてジルバは、自分の左腕が失われたことを、一度も悔しがったりしたことがない。いつだって、仕方がない事故だったんだ、と困ったように言っていた。


 ――ジルバが、今までリヒトに誰かを憎んだり恨んだりする言葉を聞かせたことはない。だからリヒトは、どんなに素っ頓狂なことをしでかす師であろうと、敬愛の気持ちを失ったことはなかった。


 もちろん、死にかけていたところを拾われた恩義は感じている。それゆえに、自分が彼に依存していることだって自覚していた。けれど、そういったこととは関係なく、リヒトはジルバがなんの理由もなく他者を害するような人間ではないことは知っている。


 だから、もし本当にジルバがこの帝国の皇女に刃を向けたのだとしたら。必ず、それだけの理由があるはずだ。

 ぐっと眉根を寄せたリヒトが、ひとまず師の待つ家へ戻るべきかと考えた瞬間、中年魔術師が大きく目を見開いた。


 一体何が、と警戒を深めたリヒトの頭上が、唐突に陰る。反射的に見上げた先にいたのは、豊かな黒銀の毛並みを持つ巨大な狼。その美しい被毛の一本一本にまで、濃密な魔力を孕んでいるかのような、見る者に畏怖さえ覚えさせる悠然とした姿。


(召喚獣……か……?)


 翼もなく宙に立つ獣の姿をした存在など、召喚獣以外にはありえない。だが、なぜだろう。その背に純白の軍服をまとった人物を乗せた獣に、どうしようもない違和感を覚える。不愉快な棘のような違和感に気を取られていたリヒトの隙をつき、彼の剣先から逃れた中年魔術師がその場に平伏する。


「姫さま……! 申し訳ございません!」

(……あ?)


 姫さま、という中年の魔術師の言葉が妄言でなければ、あの狼に騎乗する人物は――


「よいのです、エーミール。おまえは、よくやってくれました。アンビシオン帝国第一皇女、エリーザベト・ファルセ・アンビシオンの名において、必ずやそなたの忠義に報いることを誓いましょう」

「あ……ありがたき幸せにございます……!」


 唐突に、目の前で大仰な小芝居がはじまった。人間、わけのわからない事態に遭遇すると、咄嗟に動けなくなるものらしい。


 かなり引いていたリヒトを、宙に立つ獣の背から傲然と見下ろしたのは、緩く波打つ金髪を腰まで流した若い女性だ。彼女が名乗った通りの人物であるなら、大陸でも希有な存在である上位精霊を己の召喚獣とした召喚士にして、人々から救国の聖女と呼ばれるこの帝国の第一皇女。身分の高さと女性の身ゆえ、彼女自身が前線に出ることはなく、その存在そのものが他国への抑止力となっているという。


 絶世の美女との噂が絶えない彼女は、たしかに金髪には珍しい黒い瞳が印象的な、整った容貌をしていた。しかし、その姿をまじまじと見たリヒトは、内心首を傾げる。


(師匠やアリーシャのほうが、圧倒的に美人だな)


 エリーザベトと名乗った皇女の顔立ちは、整ってはいるのだろうが、それよりも化粧の濃さのほうが気になってしまう。素顔でも、前後左右どこから見ても隙のない美しさを持つジルバやアリーシャは、化粧など必要ない美人である。

 リヒトはなんとなく、目に魔力を込めてエリーザベトの化粧を取った姿を確認してみた。


(……うん。美人と言えないこともないかもしれないが、ふたりに比べるとすげえ地味)


 女性の化粧とは凄いものだな、と感心していたリヒトを、路傍の石のように睥睨していたエリーザベトが、騎乗した獣の首を軽く叩きながら口を開く。


「スバルトゥル。あの子どものにおいは、覚えましたね」


 その問いかけに、獣の低い唸り声が返る。リヒトは、驚いて目を瞠った。

 父の相棒だった召喚獣は、高い知性と飄々としながら鋭い舌鋒の持ち主で、幼い頃のリヒトにいろいろな物語を語ってくれた。それは、遠い昔に語られた伝説だったり、過去に彼自身が同じ時を過ごした人々の紡ぐ勇壮な冒険譚だったりして、リヒトは夢中になって耳を傾けていたものだ。


 ――召喚士と契約した召喚獣は、人の言葉を語るもの。なのに、なぜあの狼の姿をした獣は、マスターに対してすら唸り声でその意を伝えているのだろう。

 再び感じた違和感に困惑するばかりのリヒトに、軍服の皇女は真っ赤に染めた唇を笑みの形に歪めた。


「よいでしょう。あの子どものにおいを辿った先に、白のジルバがいるはずです。今日こそ、あの男に裁きの鉄槌を下さなければ。――そこの者たち。わたくしの名の下に命じます。その黒髪の子どもは、かつてわたくしに刃を向けたおぞましい犯罪者の身内です。わたくしが戻るまで、捕らえておくように」


 エリーザベトが告げるなり、彼女の騎乗した獣はすさまじい速度で宙を駆け出す。

 唖然としたのは、一瞬。


(ふざ……っけんな!)


 目の前が、怒りで真っ赤に染まる。即座に剣を鞘に戻したリヒトは、全身に魔力を巡らせて大地を蹴った。周囲にいた男たちの頭上を跳び越え、そのまま最短ルートで家を目指す。

 視界の端で景色が背後に飛んでいくが、空を翔る獣に追いつくはずもない。歯がみしたリヒトの少し後方に、先ほどからぴたりとついてくる気配がある。

 リヒトは、振り返らないまま吐き捨てた。


「なんで、ついてくる? アリーシャ」

「あれ、呼び捨てにしてくれるんだ。嬉しいよ、リヒト」


 脳天気な言葉を返してくるのは、先ほど共闘したばかりの少女。思わずちらりと視線を向けると、仮面を外した彼女が笑って言う。


「わたしは、きみの友達志願者だからね。放っておけないよ。……あの皇女殿下はどうでもいいけど、帝国最強クラスの召喚獣を相手にするのは、いくらきみでもひとりじゃ無理だろ」


 その言葉に、リヒトは自分の皇女に対する感覚が間違っていないことを知る。


「あの皇女は、ろくな魔力を持っていなかった。なのになぜ、あんな高位の精霊を召喚できた?」

「……えっと、そう言うってことは、普通は召喚士って、それなりに高い魔力の持ち主じゃないとなれないものなのかな?」


 困惑した様子の彼女は、召喚士についてあまり詳しくないようだ。リヒトは父親やその相棒からいろいろ話を聞いていたけれど、実際に召喚士や召喚獣に接する機会のある者はそう多くない。軍人ならばともかく、前線とは無縁の一般市民にとって、彼らはひどく遠い存在である。地方監査官代理という立場を持つアリーシャでも、それは変わらなかったようだ。


「元々は実体を持たない精霊である召喚獣が、この世界に肉体を持って顕現していられるのは、契約した召喚士の魔力を糧としているからだ。生半可な魔力保有量では務まらない」


 だからこそ召喚士は、魔力を持ちそれを操る魔術師の中でも特別な呼称を与えられ、多くの者たちから深く敬意を払われている。


「そもそも、精霊の召喚陣を起動させるには、相手が潤沢なエサと認めるだけの魔力を長時間流し続けなけりゃならないんだ。契約が成立すれば、互いの波長が共鳴して日常的にはごくわずかな魔力の提供で済むらしいがな。召喚獣が戦闘時に消費する魔力は、莫大だ」


 空を飛ぶだけで、あんなにしょぼい魔力しか感じられなくなる皇女が、なぜあれほど立派な精霊と契約できたのか――

 アリーシャが、感心したように言う。


「リヒトは随分、召喚獣や召喚士に詳しいんだね。知り合いに、召喚士がいるのかい?」

「おれの死んだ父親が、召喚士だった。……おかしいんだ、あの皇女と精霊は。少なくとも父親の相棒は、あんな目をしていなかった」


 そうだ。最もおかしいと感じたのは、あの皇女が従えていた獣の空虚な瞳。まるで濁ったガラス玉のようで、なんの知性も感情の欠片さえも感じられなかった。リヒトの父親の相棒だった召喚獣は、いつだってきらきらと輝く宝石のような目をしていたのに。


「おれの師匠に何かしようって言うなら、おれはあの皇女を許さない。アリーシャ。この帝国のすべてを敵に回したくなかったら、今のうちにさっさと戻れ」


 皇女の位を持つ者を敵に回すというのは、そういうことだ。

 アリーシャが、穏やかな声で笑って言う。


「ここできみを見捨てて逃げたら、わたしはたぶん、一生後悔すると思う。これはわたしの勝手な判断だから、きみが気にすることはないよ」

「……物好きなやつだ」


 忠告はした。あとは無言のまま全速力で走り続けて、ようやくジルバの待つ家が見えてくる。

 そして――


「……っ!!」


 すさまじい轟音とともに、小さくとも師弟ふたりが居心地よく過ごしていた家屋が、爆散した。

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