適度な距離感は大事です
思わず憐憫の眼差しを向けてしまう。そんなリヒトに、アリーシャは小首を傾げて言った。
「ねえ。同い年ってことだし、きみのことをリヒト、って呼び捨てにしてもいいかな。わたしのことも、そうしていいからさ」
「会って五分で、距離の詰め方がすごすぎないか?」
リヒトは、思わず真顔になった。若干――否、かなり人間不信気味なところのある彼は、命の恩人であるジルバ以外の相手とは、あまり関わり合いになりたくないのだ。こんなふうに、初対面でずけずけと踏み込んで来る相手は苦手だった。
「断る。実際のところはどうであろうと、アンタは帝都のお偉いさん代理だ。不敬を問われるのは遠慮する」
「えー。そんな雑な言葉遣いをしている時点で、不敬だって言うなら不敬だよ」
それはそうかもしれないが、まさかの同い年の衝撃で、うっかり剥がれてしまった猫を被り直すのは面倒くさい。
「人前では、ちゃんと敬語を使う」
「だったら、ほかの人がいないところでは呼び捨てだっていいじゃないか。ねえねえ、いいでしょ? 同年代の子どもとまともに喋るなんて、はじめてなんだよ」
リヒトは、ぐっと詰まった。この少女がどういう育ちなのかは知らないが、口にすることが一々普通ではなさ過ぎる。――だが、こちらには関係のない話だ。ひとつ息を吐いたリヒトは、改めて少女を見た。
「悪いが、おれは他人と喋るのが得意じゃない。オトモダチごっこをする相手なら、ほかを当たってくれ」
「……そっかー。じゃあ、友達になろう! それで、一緒にお喋りの練習をしよう!」
どうしてそうなる。リヒトは半目になった。この少女がどういう思考回路をしているのかは知らないが、くだらない茶番に巻き込まれるのはまっぴらだ。
「そういうのは、帝都に帰ってからやってくれ。こっちは、仕事でここに来てるんだ」
「うーん、それもそうだね。じゃあ、仕事が終わったら改めて話をしようか。まずは、あれを片付けないと」
無意味な会話を重ねながらも、ふたりの足はだいぶ目的地に近づいていた。農場の区画を示す防風林。アリーシャが視線を向けたそこから、じわじわと濁った魔力が漂い出ている。
リヒトは、ざっと周囲を見渡した。そして、防風林以外に歪んだ魔力の発生源がないのを確認すると、隣で特に気負った様子もなく立つアリーシャに告げる。
「まとまっていてくれるとは、運がよかった。すぐに片付ける」
「へ?」
間の抜けた声を零す少女には構わず、リヒトは短銃型の魔導具を両手に構えて防風林に向けた。そのまま、連続して発砲する。
短銃型の魔導具の魔導具のいいところは、トリガーを引けばタイムラグなく設定した通りの攻撃魔術を連続で撃ちまくれることだ。運用時に複雑な魔導式をいくらかでも省略できるというのは、面倒くさがりなリヒトにはありがたい機能である。
「……よし」
防風林の周囲に張った弾幕の中から、暗褐色の粘着質な泥のような蟲が、いくつも飛び出してきた。大地を巡る魔力が潤沢な土地に居着いた蟲は、それを食らうにつれて強く巨大になっていくものだ。しかし、リヒトの放った魔力弾の集中豪雨により、その泥部分はほとんど千切れ飛んでしまったようだ。宙を飛び交う蟲たちはどれもみな、握りこぶし程度のサイズである。
だからといって油断できないのは、小さな蟲ほどその動きが素早いからだ。蟲に、『怒り』という感情があるのかはわからない。だが、肉体のほとんどを破壊されて、生存本能を刺激されないイキモノはいないだろう。その元凶であるリヒトの前から逃げだそうとするか、それとも手負いの獣のように襲いかかってくるか――
「助かった」
一斉に躍りかかってきた泥の塊は、二十六体。これで、一斉に逃げ出されていたら少し面倒なことになっていたけれど、自ら殺されに来てくれるとはありがたい。
リヒトは改めて両手の銃を構えると、すさまじい勢いで飛んでくる蟲を次々に撃ち抜いた。ひとつ落とすたび、地面に赤黒い結晶のかけらが散らばっていく。
だが、少し数が多い。魔力弾をかいくぐって急接近してきた蟲たちから、軽くバックステップで距離を取る。そのままの勢いで地面にめり込んだ蟲たちは、すぐさま土煙を巻き上げながら飛び出してきた。
こうなると、短銃型の魔導具では近すぎる。リヒトは両手に持っていたそれをホルスターに戻し、愛用の魔導剣を引き抜いた。
(あ。やべえ)
残っていた蟲は、六体。そのうちの四体を切り落としたところで、残りの二体が勢いを反転させた。しかも偶然なのか、それとも互いになんらかの意思疎通があったのか、それぞれまったく真逆の方向に向かって飛んでいく。
一体はすかさず切り落としたものの、すかさず振り返ったときには最後の一体は短銃型の魔導具の射程圏外まで遠ざかっている。こんなことなら、狙撃銃型の魔導具も持ってくればよかったと歯がみしたとき、キュイィン、と魔力の収束する音がした。
見れば、アリーシャがマントの下に隠していたらしい狙撃銃型の魔導具で、逃げた蟲に狙いを定めている。
「おい、アンタ」
よけいなことをするな、と睨みつけると、少女はこちらを見ないままのんびりとした口調で言う。
「うん。きみがこのままアレを逃がすなら、わたしが仕留める。まだできることがあるなら、急ぎなよ。わたしが待てるのは、あと七秒だ」
リヒトは、ちっと舌打ちをした。しかし、今は文句を言っている時間はない。手にした魔導剣を逆手に持ち替え、思い切り振りかぶった。
「ええぇー。それ、本気?」
少女が何か言っているのが聞こえたが、無視して鋭く投擲する。狙い違わず、一直線に飛んでいった魔導剣は、小さな点になっていた蟲に命中した。核の砕ける手応えにほっとしながら、魔導剣の柄と鞘を繋いでいた魔力の糸を巻き戻す。
すぐに戻ってきた魔導剣が、ぱしんと音を立ててリヒトの手に収まる。それを鞘に戻し、リヒトは剣呑な目つきで少女を見た。
「おれの仕事の邪魔はしない、と言っていなかったか」
「いやー……うん。邪魔はしないけど、手伝いをしないと言った覚えはないからね」
ひょいと肩をすくめた少女が、狙撃銃型魔導具を戻しながら言う。
「ていうか、あの距離の獲物に魔導剣をぶん投げて仕留めるとか、普通はしないしできないから。いったい、どんな肩をしてるのさ」
「短銃型の魔導具より、魔導剣のほうが魔力を制御しやすいだろう」
間接的に対象に攻撃を当てる短銃型より、直接ぶつける魔導剣のほうが扱いやすいのは当然だ。そう言ったリヒトに、アリーシャは少しの沈黙のあとため息をついた。
「魔導武器の攻撃レンジの概念について、きみとわたしの間にはものすごく広くて深い谷がありそうだね」
「どうでもいい。仕事は終わった、さっさと戻るぞ」
蟲の排除が済んだからには、早く師の待つ家に帰りたいのだ。不満げに頬を膨らませ、何か言おうとした少女を無視して踵を返そうとしたときだ。
ぞわりとした感覚が背筋を走り、先ほど蟲たちが飛び出してきた防風林を睨んだ瞬間、大地が弾けた。咄嗟に、それぞれの防御魔導具でシールドを展開させたリヒトとアリーシャの周囲に、寸前とは比べものにならないほど重く濁った魔力が渦巻き溢れる。
まさか、とリヒトが顔をしかめていると、どこか愉快そうな声音でアリーシャが言う。
「……ふぅん。最近、泥タイプの蟲を従えるキメラタイプの蟲が発生してるっていうのは、どうやら本当だったみたいだね」
「なんだ、それは。キメラタイプの蟲は、単独行動が基本のはずだろう」
少なくとも、今までリヒトが目にしてきた蟲たちは、みなそうだった。泥タイプは個体それぞれの力は脆弱だが、それゆえにか群れを作って行動する。一方、強大な力を持つキメラタイプの蟲は、単独で現れるのが常だった。
しかし、アリーシャは仮面の奥の目を細めて応じる。
「それがね、リヒト。このところキメラタイプの蟲の行動パターンに、あんまりありがたくない変化が起きてるみたいなんだよ。泥タイプを従える個体もいれば、同じキメラタイプと群れを作るものもいるらしい。……後者には、あんまり遭遇したくないねぇ」
そう言うアリーシャは、すでに狙撃銃タイプの魔導具を油断なく構えていた。リヒトは、そんな彼女に真顔で告げる。
「おい。誰が呼び捨てにしていいと言った」
「えぇー。今、そこを気にするかな?」
ため息まじりにぼやきながら、アリーシャは無造作に仮面を外した。戦闘行動に入る際、視界の邪魔にしかならないからだろう。
そして現れたのは、驚くほど愛らしく整った少女の顔だった。少し目尻の下がった大きな瞳、けぶるように長い睫毛。透けるように白い肌はきめ細かく、少し幼さを残す頬はまろやかな曲線を描いている。全体的にふんわりと甘い雰囲気の柔らかな顔立ちの中で、桜色の唇だけが不敵な笑みを浮かべているのが、なんとも不似合いだ。
思わずまじまじと見つめていると、リヒトの視線に気づいたらしい少女が、細い眉を吊り上げて冷めた視線を向けてくる。
「危険な敵が目の前にいるのに、人の顔をじろじろ見るなんて、随分余裕だね」
「……いや。少し、驚いていた。おれの師匠と同じくらいに、きれいな見目の人間がいるとは思わなかったんでな」
一拍置いて、アリーシャがなんとも言い難い表情を浮かべて見上げてくる。
「きみのお師匠さんって、女性なの?」
「いいや。ただの天才でズボラで研究バカなおっさんだ」
真面目に答えたというのに、なぜかアリーシャは呆気にとられた顔をしたあと、大きく息を吸ってから叫んだ。
「……おっさんかよ!!」
だから、そう言っている。