おっちゃんと少女
大量の蟲が出たというエメリコ農園に向かうと、そこは予想通り澱んだ魔力に溢れていた。幸いなことに、もうすぐ収穫期を迎えると思しき作物には、今のところ目に見えた影響は出ていないようだ。
しかし、それも時間の問題だろう。このままの状態が長引けば、いずれ実りは腐り落ち、来年へ備えるべき種も取ることができなくなる。
「こんにちは。ジルバ・タンホイザーのところから来ました、魔術師見習いのリヒトといいます。こちらのエメリコ農園における蟲の討伐依頼で、間違いありませんか?」
ひとまず農園の管理事務所に行って挨拶すると、壮年の管理人が応対してきた。ジルバのサイン入りの委任状を渡せば、ざっとそれに目を通してうなずく。
「ああ、よく来てくれたねぇ。いやはや、あの蟲たちときたらどっから湧いて出たもんだか。まったく、困ったもんだよ」
いかにも人のよさそうな管理人は、ひとしきりぼやいたあと、リヒトがひとりで訪れたことに気づいて困惑したようだ。きょろきょろと彼の背後を見回し、首を傾げて尋ねてくる。
「お仲間の姿が見えないな。坊主、まさかひとりで二十からの蟲を相手にする気かい?」
「はい。少し、時間は掛かるかもしれませんけど――」
できれば夕方までには終わらせたいところです、と続けることはできなかった。
きつく顔をしかめた管理人が、ダメだダメだと首を横に振る。
「いくら魔術師の弟子さんだからって、坊主みたいな細っこいガキンチョひとりに、そんな危ない真似をさせられるかい。悪いことは言わねえよ。お師匠さんと一緒に、出直してくんな」
細っこいはよけいだ、と思ったけれど、自分の見た目が、大事を任せるには頼りなさ過ぎるのは自覚している。
これまでなら、相手方との交渉は、すべてジルバがこなしていた。けれど、今回はそうはいかない。リヒトは、足下に落ちていた手のひらサイズの石を拾うと、黙ってそれを背後に放った。そして、振り向きざま短銃型の魔導具でそれを撃つ。
「おぉっ!?」
管理人が驚きの声を上げる。そして、砕けて散らばった石のかけらを、さらにすべて撃ち抜いて粉々にしてみせると、それに拍手が加わった。
「おおぉおー! すげぇな、坊主!」
「……どうも」
やんやの喝采に、リヒトは若干引きながら問う。
「師匠からは、今回の仕事はおれひとりに任せるって言われてます。もし無理そうなら、すぐに師匠を呼んでくるんで、とりあえず現場に入らせてもらっていいですか?」
「いんや、それとこれとは話が別だ。いくら腕が立とうが、ガキンチョひとりに危険な真似をさせて平気でいられるほど、俺の心臓は頑丈じゃあねぇんだ」
寸前まで笑顔で拍手をしていた管理人が、やたらにキリッとした顔になって答える。
「おい、おっちゃん」
思わず半目になって睨むと、管理人はなぜか胸を張って言う。
「俺は農家のおっちゃんだが、女子どもには紳士であることを目指しているおっちゃんだ!」
「紳士な農家のおっちゃん……?」
なんとも中途半端なインパクトを持つ言葉である。
しかし、困った。手っ取り早く『これくらいの仕事はできますよ』と示しても、なお受け入れてもらえないとなると、どうすればいいのかわからない。
さてどうしたものか、と首を捻っていると、事務所の奥から声がした。
「そういうことならば、わたしが同行いたしましょうか。万が一のことがあっても、彼のことはわたしが必ず保護してきます。もちろん、そちらのお仕事の邪魔はいたしませんので、ご安心ください」
そんなことを言いながら姿を現したのは、目元を仮面で隠した小柄な人物だった。帝都から地方への視察へやってくる官吏たちの中には、自分の素性が明らかになるのを避けるため、独特の仮面をつけている者がいると聞いたことがある。
落ち着いたアルトの声は、男性にしては少々高めだ。しかし、口元から下をすっぽりと覆うハイカラーのマントのせいで、いまいち性別がわかりにくかった。白く小作りな顔は女性のようにも思うけれど、凛とした立ち姿にはまったく弱々しさが感じられない。少なくとも、この人物がまとう空気は、自ら戦うことを知っている者のそれだ。
低い位置でひとつに括られた長い髪は、今のリヒトと同じ黒。仮面の奥に見える瞳は、淡いブルー。顔のほとんどが隠されているせいで判然としないが、その声と身のこなしからして、相当年若いだろうということは感じられる。
「へ? いや、帝都からいらしたお役人さまに、そんなことをしていただくわけには……」
「そもそも、わたしがこちらに派遣されたのも、近年この辺りで多くの蟲が出没しているとの報告を受けてのことです。実際、どのような方々がその対処に当たっているのかを検分できるのなら、わたしにとっても都合がいい。どうぞ、お気遣いなく」
やんわりと管理人の反論を封じ、リヒトの前に立った相手は軽く会釈をして言った。
「失礼。わたしは、帝都から参りました地方監査官代理のアリーシャ・ルーと申します。ただいまこちらに申し上げた通り、これからあなたの仕事を見学させていただきたく思うのですが、よろしいでしょうか?」
「……はあ。別に、構いませんが。おれとしては、ここで自分の仕事をさせてもらえれば、それでいいんで」
異国風の名前に、少し驚く。仮面越しに見上げてくる相手は、どうやら女性であるようだ。こんなにいいにおいのする男がいたら、それはそれで気持ちが悪い。
とはいえ、この地方監査官代理とやらが蟲の討伐に同行するなら、最低限確認しておかなければならないことがある。
「ただ、万が一のときには、おれは自分の身を守るのが精一杯になります。地方監査官代理殿は、蟲殺しの経験はあるんですか?」
「ええ。泥タイプが相手であれば、後れを取ることはありません。それから、わたしのことはアリーシャで結構ですよ。地方監査官代理殿、といちいち呼ぶのは面倒でしょう」
そうですか、とリヒトはうなずく。
「じゃあ、アリーシャさん。おれのことは、リヒトと呼んでください」
「はい、リヒトさん。では、さっそく参りましょうか。蟲の討伐は、そう先延ばしにしていいものではありません」
さらりと言って、管理人に軽く会釈したアリーシャがさっさと先に立って歩き出す。彼女の言うことは至極もっともなので、リヒトは黙ってそれに倣った。
どうやら、蟲たちは農園の最奥に巣くっているらしい。歪んだ魔力を濃く感じるほうへ足を進めていると、ふとアリーシャが見上げてきた。
「リヒトさんは随分お若く見えますが、おいくつですか?」
「先月、十五になりました」
そういうアナタはおいくつですか、という問いかけを返したかったが、ジルバから常々『絶対に、幼児以外の女に年を聞いちゃなんねえぞ。それは、世界の深淵を覗くに等しい愚行だからな』と言われている。意味はよくわからなかったが、そう言ったときの師があまりに真剣な顔をしていたため、リヒトはその教えをしっかりと胸に刻んでいた。ああいう顔をしているときのジルバの言葉は、絶対なのだ。
アリーシャは仮面の奥でぱちぱちと瞬きをすると、なんだ、と呟いた。
「同い年か」
「へぇ、同い年……って、はあぁああー!? 十五歳!? 帝都から来た地方監査官代理なんていう、ご大層な肩書き持ちのアンタが!?」
若いだろう、とは思っていたが、いくらなんでも若すぎだ。この帝国の成人年齢は十八歳。未成年の子どもが、帝都の官吏として働いているなどあり得ない。
しかし、アリーシャはあっさりと応じた。
「だから、代理なんだってば。わたしの身元引受人が地方監査官なんだけど、安全な帝都から出るのをいやがってさ。昔から、食い扶持を稼ぐために蟲狩りをしていたわたしなら大丈夫だろ、って言って、この仕事を押しつけてきたの」
「えー……。それって、アリなのか?」
リヒトには、帝国官吏たちの内部事情など、まるでさっぱりわからない。それでも、十五歳の子どもに、こんな安全とは言い難い仕事を押しつけるのは酷いと思う。遠い帝都から、国境近いこの土地までやってくるのだけでも、少女の一人旅ではさぞ大変だっただろう。
眉をひそめたリヒトに、アリーシャはなんでもないことのように続ける。
「上への賄賂で地位は得たけどなんの実力もないぼんくら官吏が、危険な割りに実入りが少ない地方の出張に、死んでも誰も困らない子どもを行かせて、その実績を自分のものにしてる、ってだけの話だよ」
「……苦労してそうだな、アンタ」
紳士な農家のおっちゃん☆彡
このワードを思いついた自分の脳を、ちょっと褒めたい。