それは魔術か、体質か
アリーシャが、しみじみと召喚獣たちを見ながら言う。
「そっかあ。今のきみたちは、よそにお出かけ中の王さまだもんね。そりゃあ、同じようにお出かけ中の仲間たちのすることに、どうこう文句を言ってやめさせる権利はないよねえ」
なるほど、とうなずいた彼女が、リヒトに問う。
「けど、帝都は敵陣のまっただ中だよ。のこのこ出向いたりするのは、さすがに危険なんじゃないかい?」
「普通なら、そうだろうな。だが、この間アンタが言っていただろう? ――もうすぐ、皇帝の生誕七十年を祝う祭典が帝都であると」
「……おお!」
ぽん、とアリーシャが手のひらを合わせる。
「ハーゲンさんに確認してみたんだが、帝都側はスバルトゥルが第一皇女の支配から離れたことを、まだ公表していない。今のところ、帝都は皇帝の生誕祭の話題一色だそうだ」
「そりゃあ、のんきなものだねえ……と、言いたいところだけどさ。準備にものすごい時間と人手と資金を投入した祭典を、今更中止になんてしたら大損害だもんね。多少の問題は先送りにしてでも、無事にやり遂げるほうを優先するかあ」
このメンバーの中では、最も帝都の事情に詳しい彼女の感想に、イシュケルがくくっと肩を揺らした。
「民の求心力向上に最も使える駒だった『聖女』が、祭典直前にいきなり使用不能になったんだ。祭典で『聖女』がどんな役割を振られていたかは知らんが、どう誤魔化すにせよさぞ苦心するだろうな」
たしかに、『聖女』である第一皇女にとっては、主君にして父親である皇帝の祝賀の席だ。おそらく、民に向けたなんらかのパフォーマンスが予定されていたに違いない。
しかし、第一皇女を『聖女』たらしめていた召喚獣は、すでに彼女の支配を外れている。その当の召喚獣であるスバルトゥルが、冷え冷えとした眼差しでぼそりと言った。
「あの女が堂々と民衆の前に出てくるようなら、一番盛り上がっているときに派手に舞台から叩き落として、ジルバと同じように両腕を食いちぎってやるところなんだがな」
そんなことをされては、帝室のメンツが丸つぶれどころか、彼らが五年前に犯した大罪が誰の目にも明らかになってしまう。いくらなんでも、さすがにあちらもそこまで愚かな真似はしてくれないだろう。
何はともあれ、祭典の日程に合わせて帝都入りをすれば、同じように動く人々に紛れることが可能である。リヒトは、ハーゲンから教えられた情報を思い出しながら言う。
「祭典は、半月後。その三日前から帝都はお祭り騒ぎになるというから、おれたちもそれに合わせて帝都入りしようと思う」
了解、とうなずくスバルトゥルとアリーシャにうなずき返し、リヒトは改めてイシュケルを見た。
「アンタとも、これでお別れかもしれないな。水の王。帝都に行ったら何があるかわからないから、今のうちに言っておく。……短い間だが、世話になった。ありがとう」
帝都へ赴けば、おそらくイシュケルの契約者を手に掛けた人間がいるはずだ。それが誰にせよ、皇太子にごく近しい者――貴族であることは、まず間違いないのだから。そんな者が、皇帝の生誕七十年を祝う場に列席しないなど考えられない。
直接リヒトと契約を交わしているスバルトゥルと違い、イシュケルにリヒトを守る義務はないのだ。ならば、せっかく目立たずに帝都入りできる機会である。その先は、彼自身の目的のために動くべきだ。
そう考え、今のうちに別れの挨拶をしたリヒトだったが、なぜかイシュケルが驚いた顔をしている。アクアブルーの瞳でまじまじとこちらを見たあと、彼は不思議そうに口を開いた。
「今のオレは、森の王の眷属だ。おまえの復讐に、オレの力を使おうとは思わないのか?」
「……なぜ、そうなる?」
首を傾げ、リヒトは言う。
「アンタは、優しい精霊だ。悲しくて辛くてたまらないんだろうに、契約者を殺した連中以外の人間には、敵意を持たないでいてくれている。そんなアンタに、おれの復讐にまで付き合わせるわけにはいかない」
――イシュケルがその身を支配する呪具から解放されたとき、契約者を喪った悲しみに泣き叫ぶ姿を見た。
思い出すだけで、ひどく胸が痛む。もう、充分だ。これ以上のものを、彼に背負わせるなんてできるわけがない。
リヒトは、スバルトゥルを見た。
「スバルトゥル。水の王が目的を果たしたら、彼をおまえの眷属状態から解放できるんだろう?」
その問いかけに、召喚獣はどこか面白そうな顔でうなずく。
「ああ。おまえの望みとあれば、そうするぞ」
「そうか、よかった。――ああ、水の王。アンタが自分の世界に還るときは、この砦の人たちに課した誓約の類いを、全部解除していってくれると嬉しい。これからずっと、いつうっかりミスで死ぬかわからない状態でいるのは、気の毒だ」
そもそも、この砦の者たちに積極的な罪はない。ハーゲンは帝室からの命令に抗えず、欠陥品の呪具を押しつけられただけ。彼の部下に至っては、そんな事情すら知らなかったのだ。
だからといって、被害者であるイシュケルが受けた苦痛も屈辱も消えるわけではない。もし彼が、この砦の者たちをも復讐の対象にしていたなら、リヒトは黙って見ていただろう。
けれどイシュケルは、彼らを断罪するつもりはないと言った。
優しい優しい、水の王。
その美しいアクアブルーの瞳が、復讐の色に染まっているところしか見たことがないのを、残念だと思う。叶うことなら、巨大なドラゴンだという彼本来の姿を、一度この目で見てみたかった。
ややあって、イシュケルが静かにうなずく。
「わかった。オレが還るときには、ここの連中に課したすべては解除していく」
「ありがとう、水の王」
ほっとしたリヒトに、イシュケルが言う。
「だが、オレは自分の用が済んだあとも、すぐに還るつもりはない。あのとき突然現れた、長い髪をした男。モナクスィア、と言ったか。あれは、こちらの事情をすべて知っているようだった。五年前の一件と、やつが無関係ということはないだろう」
彼の言い分に、リヒトとスバルトゥルは揃って顔をしかめた。
五年前におぞましい禁呪を用い、高位召喚獣をそれぞれの召喚士から奪って支配するという大罪を主導したのは、この国の皇太子オスカー・フォルテス・アンビシオン。それは、ハーゲンの証言から明らかだ。
しかし、イシュケルをその禁呪を組み込んだ呪具から解放したとき、なんの脈絡もなく現れた青年は、ハーゲンを指して「オモチャ」と言った。そんなふざけたことをほざく者が、この一見に無関係とは考えにくい。
おまけに、召喚獣たちの目から見たモナクスィアは、人間でも精霊でもなく、なのに人間の肉体と精霊の気配を持っているという。改めて考えても、まるで意味がわからない。
襲撃時のことを思い出し、リヒトはぽつりと呟いた。
「あの髪を伸ばす攻撃が、やつの体質ではなく魔術によるものだったとしたら……。世の中の頭髪に不自由している連中が、目の色を変えて飛びつきそうだな」
一拍置いて、スバルトゥルが声を上げて笑う。
「そりゃあいい! 次にやつを見つけたら、その件についてもたしかめてみるとするか。全部が片付いたあと、それで一儲けできるかもしれないぞ、リヒト」
呆れかえった顔のイシュケルが、リヒトを見る。
「何を悠長なことを言っている。やつが何者であれ、こちらの敵であることは間違いないんだ。あのときの言いようからして、おまえが目をつけられたこともな。これからほかの召喚獣たちを解放するなら、必ずまた戦うことになる」
それはそうだが、何しろなんの手がかりもない相手のことである。目下の敵が帝室だとわかっている以上、よけいなことに関わって時間を無駄にしたくない。
リヒトは真顔でイシュケルに言う。
「考えても無駄なことに時間を費やすのは、バカのすることだと師匠が言っていた。とりあえずあの野郎のことは、ハゲの救世主候補だと思っておくことにする」
「うん。理屈はわからないでもないが、その発想はまるでわからん」
やはり真顔でイシュケルが応じたとき、アリーシャがぎこちなく右手を上げた。
「あのさ……。ちょっと、ごめんよ。さっきからみんな、なんの話しをしてるんだい?」
驚いて振り返った三人に、彼女は困惑しきりの様子で言う。
「ええと……モナク、スィアって言ったかい? そんな敵と戦ったことなんて、あったかなあ?」




