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大罪の後継者  作者: 灯乃
第一章 旅立ち
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将軍、陥落

 背丈ばかりが伸びたような印象の少年が意識を落とした途端、彼の黒髪が華やかな黄金に変化した。否、少年が魔術で色を変えていた髪が、本来の色を取り戻したのだ。

 青ざめて常よりも白く見える顔は、端正に整っているだけにまるでよくできた人形のようで、見る者に不吉な胸騒ぎを覚えさせる。体格のいいスバルトゥルに抱きかかえられると、その体の細さが一層顕著だった。


 アリーシャは、生まれてはじめて友人になりたいと思った少年を、無理矢理揺り起こしたい衝動を覚えたが、ぐっと堪える。どうしても硬くなってしまう声で、スバルトゥルに問う。


「魔力が枯渇したわけじゃあなさそうだけど……。顔色が悪すぎるよ。リヒトは、大丈夫なんだろうね?」

「ああ。肉体的にも精神的にも、限界ギリギリってところだけどな。しばらく寝てメシを食えば、元に戻るさ」


 あっさりとした物言いのようだが、人事不省に陥った主を見るスバルトゥルの目は、焦燥と後悔に染まっていた。イシュケルが、深々とため息をつく。


「おまえの最初の契約者が、育て親か。――森の王。こんな子どもに、あまり背負わせすぎるな。人の子の心は、ときに信じがたいほどの強靱さを見せるが、同時にひどく傷つきやすく、脆いものだ。この子どもが壊れてしまうのは、おまえの本意ではないのだろう?」

「……言われなくても、わかっている」


 押し殺した声で言うスバルトゥルの指が、かすかに震えている。


 リヒトは、様子がおかしくなる直前まで、本当にいつもと変わらない様子だった。滅多に感情をあらわにすることがない彼は、不調があってもそれを周囲に悟らせない。自分自身でも不調に気づいていないかのような態度だったが、そんなはずはないのだ。


 まったく、やせ我慢はほどほどにしていただきたい。いきなり倒れられるくらいなら、こまめに弱音を吐かれたほうが、ずっとマシである。


 おそらく、契約者の不調を軽視してしまったことを悔いているのだろうスバルトゥルが、非常に重苦しい空気を醸し出しているのが鬱陶しい。リヒトと契約を結んでから、まだ日が浅いのだからそれほど落ち込むこともないだろうにとも思うが、彼らの価値観はアリーシャの理解の外だ。


 と、それまで沈黙を保っていた将軍が、リヒトの姿を凝視しながら震える声で口を開いた。


「申し訳ありません、水の王。その少年の名は……リヒト・クルーガーと、いうのですか。まさか……雪の王の契約者であられた、シュトラール・クルーガーさまの……?」

「ああ。息子だ」


 その途端、将軍夫婦が揃って驚愕に凍りつく。五年前にはまだ幼かったアリーシャとは違い、彼らはリヒトの父親のことをよく知っていたようだ。将軍が、くしゃりと顔を歪めた。


「よく……生きて……」


 驚いたことに、将軍の目に光るものが浮かんでいる。中腰になり、リヒトに向けて伸ばしかけた指を、そのままきつく握りしめて彼は言う。


「皇太子殿下は、我々に呪具を与えたとき、こうおっしゃいました。――帝国の最大戦力である召喚獣を、皇族でも貴族でもない者たちが所有しているなど、間違っていると」


 最高位の召喚獣と契約していた召喚士たちは、五名全員が平民階級の出身だった。リヒトの父親のように貴族の婿養子に迎えられた者や、貴族と養子縁組を結んだ者もいたけれど、それでも彼らの出自は変わらない。


 この帝国の支配者である皇族でも、帝国に忠誠を誓った貴族でもない者が、国を守るために必要な最も大きな力を持っている。そのような現状は許されない、と皇太子は言ったのだ。だから、こうして最高位の召喚獣を高貴な者たちの手に委ねるのは、正しいことなのだと。


 また、精霊というのは基本的に、好む魔力の傾向が決まっている。そして、血縁関係にある者は、魔力の波長が似通っていることが多いものだ。皇太子が、今後再び平民階級から最高位の召喚獣と契約する者が出ることを、阻もうとしたなら――


「五年前、皇太子殿下に召喚獣を奪われた方々の血縁者は、その後次々と不可解な死を遂げています。そこに、皇太子殿下の意思が関与していたのかは、わかりません。ですが……まさか、シュトラールさまの血を引くお子が、生きていらしたとは……っ」


 その感極まった様子に、アリーシャは不思議に思って問いかけた。


「ねえ、将軍。あなたは、リヒトの父親に随分と思い入れがあるようだけれどさ。彼と、個人的に顔を合わせる機会でもあったのかい?」

「いいや。だが、私が駆け出しの新兵だった頃、シュトラールさまが率いる部隊の末席に加えていただいたことがある。……あの方と雪の王が戦う姿は本当にすさまじく、そして美しかった。一度でもシュトラールさまとともに戦ったことがある者なら、あの光景を忘れることなど、決してできはしないだろう。彼らこそ、我らの希望そのものだった」


 なんだそれ、とアリーシャは眉根を寄せる。


「それなのに、リヒトの父親が帝室の連中に召喚獣を奪われた挙げ句に殺されても、帝国への忠誠を貫いてんの? 意味がわからないよ」

「私とて……!」


 将軍が、はじめて声を大きく荒らげた。それを恥じるようにはっとしたあと、彼は顔をうつむけて声を押し出す。


「私とて、皇太子殿下が……自分が間違っていることなど、とうに知っていた。けれど、私はこの帝国に忠誠を誓った軍人だ。ならば、上の命令に反することなど許されぬ。罪にまみれながら、それでもこの国と民を守るために戦うのが、私の勤めだ」


 イシュケルを縛る呪具を皇太子から与えられていた将軍は、貴族の生まれなのだろう。貴族というのが、一般庶民にはわからない価値観の中で生きているということくらいは、知っている。だが、やはり理解はできても共感はできない。

 つまらないな、と思いながらアリーシャは将軍に告げる。


「あなたが今のまま、皇太子が支配する帝国の忠臣であり続けるなら、いずれリヒトの敵になるってことだね。――やっぱり、今のうちに死んでもらったほうがいいみたいだ」


 言いながら、短剣タイプの魔導剣を将軍の喉元に突きつけ、アリーシャは笑う。


「リヒトは、優しい子だからさ。一生懸命、あなたのことを助けようとしていただろう? わたしはねえ、将軍。そうやってリヒトの優しさを受け取っておきながら、それを平気な顔で踏みにじるような輩は許せないんだよ。この、恩知らずのゲス野郎が」


 将軍の目が、大きく見開かれた。

 二体の召喚獣たちが何か言おうとしていたようだが、無視して続ける。


「御託はいい。あなたの葛藤になんて、興味はない。ただ、この期に及んで、帝国への忠誠なんてものを、後生大事に抱え込んでさ。あなたを必死で助けた奥さんの目の前で、安易に死を選んで楽になろうなんて甲斐性なしは、さっさと死んだほうがいいと思うんだよね」

「……っっ!!」


 わかりやすく絶望顔になった将軍の首筋を、剣の腹でピタピタと叩く。


「安心しなよ。あなたが死んだら、こんなに可愛くて有能で魅力的な奥さんだもの。すぐに、新しい素敵な旦那さまが見つかるさ。その旦那さまが、きっと奥さんの夢を叶えてくれるよ」

「~~っそんなの、イヤだようー! あたしは、旦那さまがいい! 旦那さまじゃなくちゃ、イヤだもん!」


 それまで黙っていた将軍の妻が、夫の脇腹に勢いよく抱きついた。危うく、アリーシャの剣が将軍の頸動脈を切り裂きそうになる。


(うーん。今ので将軍が血の噴水を作った挙げ句にポックリ逝っていたら、彼を殺したのは奥さんということになるんだろうか)


 幸い、アリーシャの剣は将軍の皮一枚を切っただけで済んでいた。彼の妻は、そんな現状に気がついていないのか、べそべそと泣きながら青ざめた顔の夫を見上げる。


「だって、旦那さま以上にあたしのことを好きになってくれる人なんて、絶対いないもん! 部下さんたちから、旦那さまがあたしが好きなように修行していくために、いろいろと手回しをがんばってくれてたこと、聞きました! それに、あたしが家族からだと思っていた誕生日プレゼントや、季節ごとの贈り物も、全部旦那さまがくださっていたんですよね! あたし、あたし……っ、旦那さまじゃなくちゃ、いやああぁあー……」


 うええぇえ、と夫にしがみつきながら泣きじゃくる彼女に、アリーシャは問う。


「ねえ、奥さん。ちょっと、いいかな。あなたは、旦那さんを殺そうとした皇太子と、旦那さんを助けようとしたリヒトなら、どっちを選ぶ?」

「そりゃあ、迷わず金髪美少年一択だね! 黒髪のときも可愛かったけど、金髪キラキラになったらもう、どこの天使よ! ってビックリしたわ!」


 打てば響くような答えに、アリーシャはこの女性とは仲よくなれそうだな、と思った。

 黒髪でも金髪でも、リヒトは可愛い。自分ときょうだいっぽくなれる黒髪のほうが好みではあるが、単純な可愛さとなると、やはり明るい雰囲気になる金髪のほうがポイントが高いだろう。


 うむ、とアリーシャはうなずいた。そして、なんとも複雑極まりない顔をして固まっている将軍に、にこりとほほえむ。


「奥さんはこう言っているけれど、あなたはどうする? 将軍。このまま自滅の道を進み続ける皇太子を選んで、今すぐわたしに殺されるのか。それとも、シュトラール・クルーガーの子どもであるリヒトを選んで、可愛い奥さんと子作り放題なハッピーライフを送るのか。どちらでも、好きなほうにするといいよ」


 ――二十秒後、将軍が選んだのは、魅力的な奥方とのハッピーライフであった。

 迷う必要などひとつもないだろうに、まったく判断が遅すぎる。

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