いやな予感
なんとなく老魔導武器職人と女性のやり取りを最後まで見てしまったが、自分たちに害が及ばないのであれば、これ以上足を止める必要はない。再び東へと進みはじめた一同は、それからは特に問題もなく街を出た。
石畳の敷き詰められた一本道が、街から砦へと続く唯一の舗装路だ。街から砦への物資を運ぶ業者のほかに、家族への差し入れを持っていく者、また遠方に住む家族からの手紙を届ける者などもいるようで、思っていたよりも多くの人々が行き交っている。
そういった人々の会話を漏れ聞いたぶんには、どうやら東の砦を預かっている者――五年前に、本来の契約者から奪われた召喚獣を使役している魔術師は、それなりに周囲から慕われているようだ。厳しくとも質実剛健で誠実な、軍人の鑑のような人物像が浮かんでくる。
スバルトゥルが、淡々とした口調で言う。
「俺を縛っていた呪具と同じタイプを使っているなら、召喚獣の形態変化はできないはずだ。自由意志を奪われた状態で、メタモルフォーゼするための明確なイメージ構築は不可能だからな。ここまで来ても、目的地にいるはずの召喚獣の噂が聞こえてこないということは、そいつは人型を取っているときに災難に見舞われたのかもしれない」
その推察に、リヒトは不思議に思って首を傾げた。
「けど、アンタたちは本来の姿でいるときが、一番戦闘能力が高いんだろう? 主を殺されそうになったら、みんなすぐに元の姿にもどるんじゃないのか?」
表情を消してリヒトを見たスバルトゥルの声が、低くなる。
「俺たちは五年前まで、この帝国の人間たちが俺たちのような高位精霊を支配できる呪具を開発するなんて、想像もしていなかったんだ。あの呪具を発動された瞬間から、俺の意識はほとんど閉じたままだった。ジルバの声だけは、辛うじて聞こえていたがな。……それでも、俺の体はあの女の命令通りに、あいつの腕を食いちぎっていた」
「……そうか」
五年前、契約者から引き剥がされた召喚獣たちが、油断をしていたのはたしかだろう。だが、警戒する必要のない場所で、警戒する必要のない相手に突然未知の禁呪をかけられたなら、どんなに強大な力を持つ存在であっても抗うのは難しい。
一度目を伏せたスバルトゥルが、静かな声で続けて言う。
「おまえの父親は、本当に凄い男だった。あの状況で、咄嗟に俺の動きを封じる術を発動できたことは、賞賛に値する。誇りに思え」
「……うん」
召喚獣とは、召喚士の魔力を糧にこの世界に顕現するもの。それゆえに、本来であれば互いの魔力で互いを傷つけることが叶わないはもちろん、互いを拘束するような術も意味をなさない。だからこそ、リヒトの父親は自分の相棒を拘束するのではなく、己の術が効くスバルトゥルだけでも凶行に走るのを止めようとしたのだろう。
そしておそらく、それは間に合わなかったのだ。スバルトゥルがジルバの左腕を食いちぎるのを、父は止められなかった。
(師匠が無事だったなら……きっと逆に、父さんの相棒を止めてくれていたんだろうな)
過去の『もしも』を考えることに、意味はない。けれど、もしほんの些細な何かが違っていたなら、今も父親やジルバが生きていてくれたかもしれないと思うと、ただひたすらに悲しかった。
アリーシャが、リヒトの背中を軽く叩く。
「きみのお父さんは、格好いい人だったんだね。結婚詐欺師なわたしの製造元とは、えらい違いだ。うらやましいよ」
「……おう」
うっかり忘れかけていたけれど、彼女の唐突に自虐をぶち込んでリヒトの胃を痛めるスキルは、しっかり健在だったようだ。たまには、アリーシャの要望通り『お姉ちゃん』と呼んでやるべきなのか――しかし、リヒトは彼女の庇護対象兼友達候補であって、断じて弟候補なわけでない。何より、同い年の少女を『お姉ちゃん』呼ばわりするのは、心の何かがいろいろと削れる気がする。
しかし、今までまっとうな友人関係を構築したことがない身としては、こういうときにどんなことを言えばいいのかわからない。困ったな、と思ったとき、突然背後から爆音が響いた。すさまじい勢いで、何かが近づいてくる。
咄嗟に振り返ろうとした次の瞬間、リヒトとアリーシャはスバルトゥルの両腕に荷物のように抱えられ、街道の端に移動していた。持ち方! と扱いの雑さに文句を言いたくなったけれど、街の方角から砂埃を立ててやってきたのものを見た子どもたちは、揃って目を丸くする。
「いいぃいいいやっほーぅっ!! どいてどいてーっっ!!」
それは、馬のない馬車のように見えた。簡素な屋根なしの、二輪馬車。ただし、本来馬がいるべき場所にもう一つ巨大な車輪があるため、正確を期すならば三輪馬車と言うべきか。
その御者台で、片足を馬車の縁に乗せ、やたらとテンションの高い声を上げているのは、長い赤銅色の髪を三つ編みにして、よれよれの作業着を着た人物――先ほどリヒトたちの前で、ちょっぴり誤解があったかもしれない夫の元へ向かうと言っていた、魔導武器職人希望の女性だった。
人々がその存在に気づき、次々にスバルトゥルと同じように街道の端に寄っていく。そうして開けた街道のど真ん中を、世にも珍しい馬車なしの三輪馬車が爆走していくのだ。
「何……あれ……」
思わず、というふうに零されたアリーシャの呟きが、その場にいた者たちすべての内心を代弁していただろう。あっという間に目の前を走り抜けていった不思議な物体を見送ったスバルトゥルが、どこか感心した声で言う。
「馬車の後部に、大砲型魔導具に似た魔導具が装着されていた。どうやら、あれで推進力を得ているようだな」
ええー、とアリーシャが眉根を寄せる。
「そんなものを後ろ向きにぶっ放して、危険じゃないのかい?」
「そこは、きちんと安全装置が組み込まれていたようだぞ」
たしかに、ざっと見る限り大砲型魔導具の発動による破壊行為は、どこにも確認できない。だがしかし、である。
「あんな勢いでぶっ飛んでこられたら、避けられずに事故が起きてもおかしくないぞ」
リヒトのぼやきに、アリーシャがうなずく。
「だよねえ。あの女の人、さっき魔導武器工房で騒いでいた人だろ? 面白そうな人だなあと思ったけど……。これはちょっと、あんまり関わらないほうがいい相手かもしれないね」
その忠告に心の底から同意しつつ、リヒトはどうにも既視感を禁じ得なかった。
あの赤銅色の髪の女性の、若干思い込みが激しい感じの傍若無人さ。周囲の迷惑をまったく顧みず、愉快な魔導具を開発しまくる猪突猛進加減。何より、誰も見たことがないような魔導具を操っているときの、ものすごく楽しそうなテンションの高さ。
(……うん。あれは絶対、ジルバと同じタイプのヤバい人だ)
この五年間、敬愛する師の無軌道な探究心より、数え切れないほどの命の危機を乗り越えてきたリヒトは、遠いお空を眺めて言った。
「この街道を進んでいる以上、あの人の目的地も東の砦なんだろう。なんだか、いずれあっちで顔を合わせた挙げ句、ものすごく面倒なことになる気がする」
「え、何そのいやな感じ。勘?」
顔をしかめたアリーシャに、リヒトはいやいやながらうなずいて言う。
「おれの勘は、いやなやつほどよく当たるんだ」
「うわぁ……」
アリーシャがげんなりとしたあと、ひょいと肩を竦めた。
「きみの勘は、当たりそうだ。仕方がないね、心構えができただけでもありがたいよ」
彼女の前向きさに感心していると、スバルトゥルが不思議そうに首を傾げた。
「なんだ、おまえたち。あの愉快な三輪馬車もどきに乗ってみたくはないのか?」
リヒトは、瞬きをしてスバルトゥルを見上げる。
「アンタ、自力で空を飛べるのに、あれに乗ってみたいと思うのか?」
いくらあの乗り物が速くとも、彼が空を翔るスピードには遙か遠く及ばないはずだ。しかし、スバルトゥルは、わくわくとした表情を浮かべて言う。
「それとこれとは別腹だ! あんな面白そうなもの、久しぶりに見たからな。機会があれば、ぜひ試してみたいもんだ」
そのときリヒトは、彼がジルバの召喚獣であったことをしみじみと思い出した。子どもが親に似るように、召喚獣も召喚士に似ることがあるのかもしれない。
アリーシャが、そんなスバルトゥルを見てぼそりと言う。
「まさか、この中で一番少年の心をなくしていないのが、最年長のバル兄さんだったとは……。ねえ、リヒト。きみもあの三輪馬車もどきに乗ってみたいなら、素直にそう言っていいんだよ」
スバルトゥルが、半目になる。
「その生暖かい視線はやめろ、アリーシャ」
「乗ってみたくない、とは言わないが……。あの人には、あまり近づきたくないな」
リヒトは、深々とため息をついた。
本当に、いやな感じだ。




