東郷平八郎と肉じゃが というステマ
「東郷平八郎が、留学時代に食べたのビーフシチューが忘れられず、日本で作らせたら、なぜか肉じゃがができた」
「あれはTVと町がグルになった町おこしのやらせ」
「なんだってー」(*1)
これを知ったのをきっかけに、TVとか常識とか、すぐには信じられなくなった。調べてみると、歴史と思いこんでいたものが、落語、歌舞伎、歴史小説、寺社や商店の寺伝や家伝や宣伝、江戸マナー講師の捏造、などなど。
ざっくり言えば、
・TV局が「肉じゃがは海軍が発祥!」という捏造をした。(昭和63年、1989)
・それを聞いた舞鶴の町おこし実行委員が、「それは東郷平八郎が舞鶴でやった!」という捏造をした。(平成7年、1995)
・それを聞いた呉の町おこし実行委員が、「東郷平八郎といえば呉だ!」という主張をした。
・それを聞いた舞鶴の町おこし実行委員は、呉の町おこし実行委員と「町おこし同士、仲良くやりましょう」と意気投合。
・最終的に「東郷平八郎が肉じゃがを作らせた! 本家は舞鶴か呉か?」という争いをしているかのような演出となり、双方の町おこしの完成形となる。
えぐいのは最初のTV局で、さもいっぱい取材したかのように、昭和初期や大正の料理本の表紙を映しながら、その中に肉じゃががあることには触れず、「海軍のメニューに肉じゃががある」ということだけ取り上げたそうな。
舞鶴では、表向き
”初代長官として舞鶴に赴任した東郷さんは、長年思い続けたビーフシチューを料理長に命じて作らせました。しかし、当時の舞鶴には英国のようなワインやバターなどの調味料がなく、料理長は、醤油、砂糖、胡麻油で味付けをして作りました。”
出典:舞鶴肉じゃがまつりホームページ
としながら、裏では町おこしの成功例として、
”「肉じゃがは今から百年前の明治三十四年、舞鶴海軍鎮守府の初代司令長官であった東郷平八郎中将が、青年期の英国留学中に食べたビーフシチューが忘れられず、兵隊たちの脚気防止にはこの栄養価の高い洋食こそと思いつき、料理士官に命じて作らせた。だが、日本の調味料は砂糖、醤油、ごま油の類しかなく、甘煮、すなわち肉じゃがとなった。だから、東郷元帥が肉じゃがを舞鶴で初めて作った」─こういうストーリーをつくり上げたのである。”
出典:月刊地域づくり
出典の出典:と学会誌34「肉じゃが海軍起源説はこうして捏造された」
とか言ってる。
ともあれ、「カレーの材料でビーフシチューを作ろうとしてなぜか肉じゃがができた説」を素直に信じてた私は、なるほど共通点あるな、と思い、他の共通点にも気づいた。
カレー(肉、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン)を作る最終工程で入れるものによって、かなりの料理ができる。
料理名: 材料
・肉じゃが: めんつゆ
・豚汁: 味噌
・カレー: カレールウ
・ハヤシライス: ハヤシライスの素
・ホワイトシチュー: ホワイトシチューの素
・シチュー丼: +ご飯(シチュー丼を初めて聞いたら違和感あったが、ドリアとほぼ同じ)
・ドリア: +ご飯+チーズ(本来オーブンで焼くらしいが、レンチンか魚焼き機でそれっぽくなる。以下同じ)
・パングラタン: +食パン+チーズ
・グラタン: +マカロニ+チーズ(で理論上できるはずだがゆでるの面倒なのでしたことない)
・ビーフシチュー: ビーフシチューの素
・ハッシュドビーフ: +ご飯
・ミネストローネ: コンソメの素+トマト缶
・トマトリゾット: +ご飯
・トマトスープパスタ: +パスタ
全部素じゃねえか!
材料を切る大きさで口当たりがどうのこうの? こまけーこたーいいんだよ!
ビーフシチューとハッシュドビーフの違いを、うな重とうな丼の違いみたいなもんだとか思ってた(答え:肉の厚さが違う。それだけかよ!)。
ちなみに我が家では時々「すき焼き」が出て、幼少期は「わーいすき焼きだー」と喜んで食べていたのだが、後に社会人になってすき焼き屋に言ったとき、我が家で「すき焼き」と呼んでいたものは、肉と野菜の比率からして、世間一般では「肉じゃが」と呼ばれるものであることを知ったのであった。
まあ当時、若い男ばかりの食べ放題で「肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉」で、初期セットの野菜や豆腐に誰も手を付けないのが世間一般の比率かは、それはそれで疑問だが。
(*1) 参考: 「肉じゃがの誕生に東郷平八郎が関与した」という伝説について Togetter https://togetter.com/li/1209241