第八話 十八歳
時は、ゼティアが早希の記憶を取り戻した日まで遡る。
「誕生日おめでとうございます。ゼティア様」
フォルグは朝の挨拶の代わりにゼティアを祝う。アーエール城、三階。見晴らしの良いゼティアの部屋の隣にある小さな朝食室。そこで二人きりで互いに顔をあわせる。それは何も特別な事ではない、二人にとって変わらない日常の風景だ。朝食室はいつも通り空気が新鮮で、陽の光はレースを通して窓から柔らかく溢れる。
コポコポ……
フォルグはゼティアと自分の紅茶を淹れる。それはフォルグが行う最初の仕事だ。仕事とはいえ、彼は令嬢と同じ紅茶を飲むのが好きだった。
ゼティアは今日、十八歳の誕生日を迎えた。令嬢はフォルグが淹れてくれた紅茶を嗜みながら、成人した実感を確かめようとしていた。そう、アーエール王国では十八歳をむかえた者は成人とみなされるのだ。成人の貴族は社交界のデビューを余儀なくされる。とはいえ王家の令嬢ということもあり、既にある程度社交界に出入りをしていたゼティアは、成人の実感を見つけられないでいた。
「いかがですか? 成人になられた朝は?」
フォルグはテーブルを挟んでゼティアの前に座る。二人は身だしなみを整えつつも、ラフな格好で朝食をとる。
「ありがとうフォルグ。そうね……朝起きてもいつも通り。十八歳と言えば、何か特別なことが起こりそうな気がしたんだけど、そんなこと物語だけみたいね」
ゼティアは、窓から見える庭園を眺めながら、今日も普段と変わらぬただ美味しいだけの紅茶に、がっかりしながら答えた。
続けて好物のスコーンを頬張る。
「え? 何これ! 原宿のカフェよりも全然美味しいー!」
オーガニックだろうか素材の味がしっかりあって、それでいてほのかに甘い。
散りばめられたベリーもアクセントに効いている。
――あれ?
ゼティアは今までにない感情を覚えた。何かがおかしい。目の前に見たこともない男が座っている。いや、昔から男のことを知っているような……。驚きと安らぎが同時に押し寄せる。
「おや? 目が覚めたようだね?」
フォルグは慣れた口調で、ゼティアに話かける。
「君の名前は?」
「私は……高嶺早希。……って言うか貴方は?」
「ふふ、じゃあ早希。ようこそ、クレッシェンド・クレセントの世界へ。僕はフォルグ。早希は僕のことを知っている筈だよ?」
「へ? フォルグ? その格好……え! あのフォルきゅん!?」
「ふぉ、フォルきゅん……。ま、まあ、そうなるかな」
「は? え? ちょっと待って、待って。さっき、クレッシェンド・クレセントって言ったっけ? いやおかしい。それ私がハマってたゲームの名前だよ?」
「混乱しているようだね。無理もない、少しずつ記憶を紐解いて行こうか。早希が最後に見た物は何かな?」
フォルグはカウンセラーのように早希へ優しく語りかける。
「最後に見た物? えーっと……」
と言って、早希はそこから言葉が詰まる。
彼女が最後に見たものは――
「私、トラックに轢かれて死んだんだ」
言いながら、涙がポロポロと流れた。
早希は朝、出勤中にいつもの交差点で信号待ちをしていた。そこに突如トラックが突っ込んで来たのだ。今となっては知る術は無いが、事故原因はスマホ操作の、わき見運転だった。
「ゴメンね早希。辛いことを思い出させてしまったようだね。泣かないで」
「ううん。ありがとうフォル……きゅん」
早希はフォルグのことを『フォルきゅん』と呼んでゲームをプレイしていた。これはフォルグ推しファンによる共通の呼び名であった。ちょっと呼び方に詰まったのは、少なからず照れが入ったから。さっきのは……言わば不慮の事故だ。あまりの驚きに、C・Cをプレイしている素の自分が出てしまい、そのまま『フォルきゅん』と呼んでしまったのだ。しかし今は少しだけ考えて、やはりそのまま『フォルきゅん』と呼ぶことにした。早希の素が出ているうちは。
「全部……思い出した。早希として過ごした二十四年間。家族のこと、仕事のこと、C・Cをやり込んだことも」
もう一つ、フォルグに恋心を抱いている事も鮮明に思い出していた。しかしゲームの中ではなく実在する本人を目の前に、それを告げることはできなかった。
「加えて、私はゼティアとして過ごしてきた十八年間の記憶もしっかりある。大丈夫、もう早希だったときの気持ちの整理はついたから」
涙を拭きながら早希は気丈に振る舞う。
「うん。それを聞いて安心したよ。でも無理はしないでね、心は脆いものだから」
「優しいねフォルきゅんは……。そうだ、さっき言ったこと教えて? 『ようこそ、クレッシェンド・クレセントの世界へ』って。あれは?」
「そう、本題はそれなんだ。僕の名はフォルグ。君の名はゼティア。これはたまたまC・Cの世界と同じ名前だった訳じゃない。この世界はC・Cそのもの。僕は君の近衛兵で、君は王家の血筋を引く王女になる……と設定された人だ」
フォルグの言うことは本当だろう。というのもこの十八年間ゼティアとして過ごした記憶は、早希の記憶の中にあるC・Cのシナリオと同じ物だったからだ。
だからこそ早希は焦る。
C・Cに於いて、ゼティアは悪役令嬢なのだから――
悪役令嬢とは物語のヒロインを徹底的に虐める役回りの令嬢を指す。誰もが知っている童話『シンデレラ』で言うならば、継母やその子である継姉に当たる。
悪役令嬢だけならまだ良い。問題なのはその結果だ。ゲーム中ゼティアはC・Cのヒロインを虐めに虐め抜いた後、その悪行をヒロインに暴かれて死刑となる。
ゲーム攻略上それは『破滅エンド』と称される。
C・Cは乙女ゲームだ。ヒロインがどの貴族を攻略するかを楽しむもの。誰と結ばれるかによって、ヒロインの結末が変わるマルチエンディングがファンに受けていた。
しかしどのような行動を取ろうとも、どのルートを攻略しようとも、ゼティアの『破滅エンド』は避けられない。フォルグ攻略を目指し、C・Cを調べ尽くした早希は、自分の破滅を一瞬で理解した。
「フォルきゅん……どうしよう。ヤバイよ、このままゲーム通りに進行すれば私、破滅エンドを迎えちゃう。なんとか避けないと」
「察しの通り、このまま漫然とC・Cの世界で過ごしていると、早希は死刑になる運命だ。残された時間は、あと一年」
――あと一年。
それはヒロインが社交界デビューを果たす日だ。
ヒロインは社交界デビューを果たすその場所で、ゼティアの悪行を暴くのだ。ゼティアは社交界に集まる貴族たちの視線を受けながら、惨めな最後を迎えることになる。ゲーム攻略上『断罪イベント』と称される物語のクライマックスは、C・Cをプレイするユーザーにとってはスカッとして、とても気持ちが良いものだ。かく言う早希も、ゼティアの悪行を暴く断罪イベントにはカタルシスを感じていた。
しかし今度は断罪される側。たまったもんじゃない。
「助けて! フォルきゅん!」
「僕は……見届け人」
「見届け人?」
「そう、僕はあくまで早希の行動を見届けるだけなんだ。物語に設定された通りにしか動く事が出来ない存在。つまり近衛兵としてゼティア様を全力でお衛りするために存在する。その僕を利用してくれるのは構わないけど、僕が早希を直接助けることはできない。それに、僕は沢山のゼティア様だった人の行動を見届けて来ただけだ。……特徴といえばそれだけ。残念だけど、破滅エンドを避ける答えを知っている訳じゃない」
「そんな……じゃぁ、今までに破滅エンドを回避した人は……?」
早希の問いかけに、フォルグは首を横に振った。
「破滅エンドが来るたびに繰り返されるこの世界。都度、皆の記憶もリセットされる。何の因果か僕だけは繰り返された全てを覚えている。だからこそ見届け人なんだ。でも些かこの世界にも飽きてきた。何度も同じ結果を見届けるのは地獄だよ。早希は記念すべき100人目のゼティア様。期待してる」
生前、早希はC・Cを隅から隅までやり込んだ。その経験から言ってもゼティアは例外なく破滅エンドを迎えている。99人が挑戦して、その全てが破滅エンドを迎えているのも頷ける。こんな条件でゼティアの人生を送らされるなんて、そんなの無理ゲーじゃないか。
――いや、待てよ? この世界はC・Cそのもの。ということは……
到底乙女ゲーでは考えつかないルート、そしてゲームシステムをフルに利用してやれば、少なくとも意中のフォルグと一緒になれるかも……。
早希は残酷な計画を思いついた。だがそれには相応の覚悟が必要だった。単なるOLだった早希にそれを成し遂げられる自信は無かった、けれど、やるしか選択肢は残されていなかった。
やらなきゃ殺られる。
「イーヒヒヒ……」
なにか吹っ切れたのか、笑い声が漏れた。早希はオタクっぽい自分の笑い方が好きではなかったが、どうしてもこうなってしまうのだ。
「ああ、今日はいい日だわ。十八歳の誕生日に物語が始まらないなんて退屈だったのよ。主人公はやっぱりこうでなくっちゃ」
今の言葉、ゼティアのものなのか、早希なのか――
九話完結です。
縦書きPDFはこちら
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