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ドイツロマン派文学における小説の持つ重要な位置づけについて  ドイツロマン派小説 試論

作者: 舜風人
掲載日:2018/11/05

1.序説




ドイツロマン派文学において

抒情詩よりも

戯曲よりも

さらに重要な位置を占めているのが小説である。


フリードリヒ・シュレーゲルは言う。


「小説とはそもそもがロマン的なのである、小説は読むものであり

戯曲のように演じるべきものではない。小説は感傷的な内容を空想的な形式に表現することであり

具体的な内容は

「エアツエールング」   ストーリー性

「ゲザング」       抒情詩性

「ベックゼーレリーデ」  登場人物の会話

この三要素で成り立っている


すなわち叙事詩においては客観的であることが重視されるが

小説においては主観性が重視されるのである。」


近代小説においては主人公が自己の主観を吐露し、自己表現するをもってその特徴としたのである、

たとえばそれの嚆矢的作品としては

ルソーの

「告白」1781年刊行

「新エロイーズ」1761年刊行

があげられる。

これらの影響下に

独逸小説が開花したのは、まず小説という形式は自由であるということが大きいだろう。

自由にいくらでも書けるし、抒情詩のように韻を踏むとかそういう縛りもない「小説」という自由な形式に本来自由を尊ぶロマン派の作家が傾注したのも郁子なき行為であっただろう。

ドイツロマン派の小説への直接的影響ということで言うならば

それはゲーテの

「ウイルヘルムマイステルの修業時代」1796年刊行、が画期的な影響力を持ったということであろう。

これは先のルソーなどのフランス文学(小説)や

イギリス小説の影響下における

ドイツの小説の針路を決定づけた画期的な小説であった。

https://ncode.syosetu.com/n0034ea/


ドイツはいわゆる小説という分野では当時後進国であり今だ、これといった小説はなかった?という状態だったのだ。

それがこの「ウイルヘルムマイスター」で一挙に小説の金字塔を打ち立てたtのだ、

それがいわゆる「ビルドウンクスロマン」(教養小説)というドイツらしい小説様式であったのだ。

それまでのフランス小説にもない

イギリス小説にもない

主人公の精神的発展というテーマを貫通する小説だったのだ。

それまでの例えばフランスの風俗小説系

イギリスのピカレスク計小説とは一線を画する教養小説。

それがドイツの答えだった。





2.ウイルヘルムマイステルの圧倒的な影響


この小説が発表されるやたちまち職ロマン派の作家に圧倒的な感動を持って受け入れられて

シュレーゲルの「マイスター論」なども発表されていわばロマン派の聖書的な存在となった。


とくにノバーリスは溺れるような感動をこの小説にささげている。

今ウイルヘルムマイステルの詳細な内容検討は差し控えるが

あらすじ的に述べるとウイルヘルムマイステルという青年が始め演劇に志すが次第により現実での活動に生きる意義を見出して演劇を捨てる、、という筋立てで。その本筋に様々な登場人物が絡んで主人公の精神発展を彩る、、というものである。


小説形式としては主筋の展開に副筋が絡み交錯するという展開や

小説内小説という形式

あるいは随所に抒情詩を挿入するという「歌物語」形式などなど

これ以降のドイツ小説のへの影響は計り知れないものがある。

そして登場人物は作者の構想した配役?であり

主人公の精神形成のためのいわば、かくありなん、、という人物設定であり

もちろん架空人物である。

もっと言うと教養小説というのは、すべての登場人物があらかじめあつらえられた

配役のまあ概念を象徴するような人物である。

言ってしまうと生身の人物ではないということである。



登場人物の中では

なかでも興味深いのが薄幸の美少女「ミニヨン」である。

この少女は捨て子?で、旅回りの一座に拾われて下働きしているのだが

おぼろな故郷イタリアへの郷愁を歌に託して歌ったりするという設定。

彼女の歌う抒情詩もノスタルジックな哀調と郷愁のポエムです。

こうしたいかにもロマン派的な人物が初期ロマン派の作家たちの強烈に引き付けたということが言えると思います。


ただしこの小説は最後は演劇を捨てて現実的な商人になるという結末ですから

夢の王国が世界を支配すべきという

ノヴァーリスなどは猛反発で、しきりに

「マイステルを超えなければならない」と断章などで述べています。

そうしたマイステル批判の

その答えが

ノヴァーリスの未完の小説「ハインリヒオフターディンゲン」(青い花)です。

これはそもそも出だしからして長編のポエムから始まりますし

全編正にポエムの王国状態です。

あらすじはハインリッヒという詩人が各地を遍歴して様々な人と出会い交流し

次第にポエムの王国を構築するというファンタジーです。

この小説も随所に抒情詩が挿入されて詩が主体なのか、それとも小説なのか

どっちかわからない、、といういかにもドイツロマン派的な一編となっています。


シュレーゲルの小説としては「ルチンデ」がありますが

今現在の我々から見たら

これは小説としては完成度は低いと言わざるを得ないでしょう。

自由恋愛の謳歌を書簡形式、対話で書いたものです。

シュレーゲルは評論家であり所詮は小説はムリだったのです。


ノヴァーリス以上に重要なのは


ルードヴィッヒ・ティークです。


彼は若年で通俗小説を多作していましたが

ヴァッケンローダーとの出会いからロマン派に目覚めます。

要するに彼らのモットーは

古いドイツ、、デューラー ゴシック建築などと


イタリアルネッサンス芸術こそが最高の芸術だったということです。

そして空想的な芸術家小説が生まれます。


それが「フランツシュテルンバルトの遍歴」です。

フランツという若い芸術家(画家】志望の青年がニュルンベルクやデューラーの芸術に触れ

あるいはイタリアへ絵の修業の行くという、いわゆる「芸術家小説」です・

ただしいわゆる主節として物語性ははぼなくて全編が抒情詩や対話、回想、芸術エッセー

印象や感想の羅列、、芸術論の展開、、といったまたtくまとまりに欠ける構成となっている。

まだロマン派に目覚めない?ころに書かれた書簡体小説「ウイリアムロヴェル氏の話」のほうが

物語としては整然としています。


まあこうしたまとまりのなさ、、こそがロマン派のロマン派たるゆえんですから

結局この「フランツシュテルンバルトの遍歴」は未完に終わっています。

というかまとめようという気もなかった?と言うのが正解かもしれません。

ロマン派精神からしたらあえてムリやり終わらせる方が不自然?ということですからね。

「青い花」も未完に終わっていますしね。

ティークは今我々から見ればむしろその短編小説にきらりとした傑作があるというのが定説です。

たとえば

「金髪のエックベルト」は童話的雰囲気ながら近親相姦というシビアなテーマを幻想的に描き切った傑作です。


『ウイリアムラヴェル氏の話」このブログで別項ですでに論及済みです


「フランツシュテルンバルトの遍歴」もこのブログで別項で論及済みです


各各、その論及もお読みください




次に重要なのがクレメンスブレンターノの

「ゴドヴィまたは母の石像」です


これもまた全編、手紙や日記の抜粋からできていて

まったく物語の体裁はなしていません。

全くまとまりのなさのオンパレードです。

小説の描写も全く曖昧模糊

霧にかすんだ、、というような情景の連続です。

それをあえてそうしているのである。

物語としては主人公が恋をして旅行をして美しいい景色を見て

まあそんな程度のことだけである、物語としてはこれだけです。


ブレンターノもむしろ短編のほうが傑作ぞろいです。

たとえば

「カスペルルとアンネルル」では

宿命に抗してもかなわぬという重いテーマを民話的な物語として息も継がせぬ緊迫感で

構成しています。



これ以降の代表的なロマン派の小説としては以下のようなものがあります。




アイヒェンドルフ   「予感と現在」についてはこのブログで、すでに論及済みです。



ホフマン      「悪魔の霊液」  についても論究済みです。




アヒムフォンアルニム  「エジプトのイザベラ」

についてはまだ論述したことがないと思いますのでこの際論及してみたいと思います・。


アヒムフォンアルニムといって、、ああそうですか、とわかる人が一体、日本にどれほどいるでしょうか?


あくまでも私の類推?ですが、、おそらく、たぶん1万人に一人くらいしか知らないでしょうか?


それほどレアな後期ドイツロマン派の作家です。フォンが付くので貴族だということがおわかりでしょう。

ノヴァーリスやホフマンは日本でも結構有名ですがアルニムは、、まあ知らないでしょうね?



で、、彼の作品はけっこうあるのですがそれもみんなレアな作品ばかりということです。


代表作は



「ドロレス伯爵夫人の貧困、富、罪と贖罪」    長編小説



「子供の不思議な角笛」  民謡集  ブレンターノと共作 (これは岩波少年文庫に邦訳あり)

 デスクナーベンダーホルン


「王冠の番人」   長編小説


 ホウリンの愛の人生  小説


「女教皇ヨハンナ」 長編小説



「ハレとエルサレム」  戯曲



「エジプトのイザベラ、あるいはカール5世の若い日の恋」  中編小説 1812年作




などです。アルニムの邦訳は「ドイツロマン派全集」の14巻にいくつかの抄訳がありますが、


代表作である


「ドロレス伯爵夫人の貧困、富、罪と贖罪」  


「王冠の番人」   


「女教皇ヨハンナ」 


「ハレとエルサレム」  については邦訳はたぶん、、ありません。



で、、、ここではめづらしく?邦訳本がある「エジプトのイザベラ」を邦訳本で読み解いてゆきたいと思います。


これは世界幻想文学大系に深田甫の訳によります。



アルニムを読み解くといっても、アルニムとは何ぞやというプロフィールとか成育歴とか伝記とか、


奥さんがベッティーナというブレンターノの妹だとか、彼女は「ゲーテとある子どもとの往復書簡」というかなり脚色した書簡集を出した人だとか、そういうことはここではカットします。


あくまでも「エジオトのイザベラ」の読み解きです。



さてこの小説、今風に分類するならば、私はダークファンタジーではないかと思います。


どんな内容なのか。


さて順次読み解いてゆきましょう。


と、、


というわけで


かなり長くなりそうなので


別項を設けて後日


論及したいと思いますのでそちらをごらんくださいませ。



タイトルは、、




「エジプトのイザベラ アヒム・フォン・アルニム作 

                     ダークファンタジー小説 試論 読み解き」


です


まだ書いてませんが、、


後日必ず執筆したいと思います



乞うご期待。


うん?


待ってる人なんているわけないか?













































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