003 地下施設での攻防
身長は150cmにも満たないであろう黒いローブを纏った小柄な少女であった。
ゼータも黒いマントに身を包んでいるが、ゼータとは違い彼女はフードを被っておらず、頭頂部のやや後ろ側で縛られている長い黒髪が、ゆらゆらと靡いていた。
手にはキラリと輝く小型のナイフを所持していて、先の襲撃はどうやらこの少女に間違いなさそうだ。
(こいつ、いつの間に現れたんだ...?)
廃工場の中も、この地下施設の中も人の気配は一切感じなかった。
ましてや今のゼータは魔力感知状態であり、常に最大限の警戒をしていたはずであった。
にも関わらずこの少女はゼータに一切の気配を感じさせる事なく奇襲を成功させていた。
(只者じゃなさそうだな。)
ゼータは体勢を立て直して、ゆっくりと立ち上がる。
背中はまだ痛むが、どうやらナイフによって受けた傷ではないようで、致命傷にならなかったのは不幸中の幸いか。
「こんな所で何してるんだ、って聞いてもいいか?」
「それはこっちの台詞よ。」
短い返答が返ってきた。
おそらく彼女はこの地下施設に暮らす居住者で、侵入者であるゼータを排除しようとしている・・・と言ったところか。
「・・・。見逃しては貰えないだろうか?」
「愚問ね。」
どうやら戦闘は避けられそうもなさそうだ。
少女をいたぶる趣味はゼータには無いのだが、相手は見るからに手練れであり、闘うのであればそれなりの覚悟が必要であった。
「俺と闘うって言うのなら容赦はしないぞ。こう見えても俺は一国の騎士。少し強いからと言っても女の子一人無力化するくらい朝飯前だぜ?」
「は?あなたのその格好の一体どこが騎士なのよ。良くても精々コソ泥にしか見えないわ。」
「―――ッ!!はぁ?お前ッ、良くてコソ泥ってふざけんな!!!よーし分かった。俺に負けた後で泣いて謝っても絶対に許さないからな!!」
「・・・好きにしなさい。」
とは言ったものの、壁際に追い込まれているのはゼータの方で不利な状況は変わらない。
ゼータはこの状況をどうやって切り抜けたものかと思考を凝らす。
緊迫感が漂う中、先に動き出したのは少女の方だ。
彼女は勢い良く前に飛び出すと、右手に持つナイフを突き付けてきた。
ゼータはそれを左手で払い除けて身をよじって避けると、少女の後ろに回り込むように移動する。
続いて飛んできた回し蹴りを屈んで躱し、更に上から振り下ろされるナイフを地面を転がって回避して、少女から大きく距離を取る。
壁際から脱した事でゼータには少し余裕が出来た。
広く自由に動けるなら、勝機は充分にある。
しかし尚、少女の猛攻撃は止まらない。
「・・・・・・。」
「―――ッ!」
無言の攻防が続いた。
再度距離を詰め、突き立ててくるナイフを横に避ける。殴りかかってくる拳を避ける。飛び蹴りを避ける。手刀を避ける。避ける。避ける。避ける―――
「はぁ...はぁ...」
「・・・・・・。」
先に息を切らし始めたのは少女の方だった。
ゼータの方にはまだ余裕があるように伺えた。
「―――あなた、どうして攻撃してこないの?」
「初めに言ったろ?朝飯前だってな。確かにお前は強いよ。だけど動きは単調だし見切るのは簡単だよ。―――ついでに言っておくと、俺はまだ本気を出してない。」
「―――ッ!」
ゼータの言葉を聞いて、少女の動きが止まる。
「・・・まぁあれだな。正直言うと、お前を攻撃する理由が俺にはない。ここはテロ組織の拠点にされてるかもしれないっていう話だったから、俺はその調査に来ただけなんだ。―――それがまさか家出少女が寝泊まりするのに使ってるだなんて思ってもみなかったからさ。」
「・・・・・・。」
「悪い、ほんとに済まなかった。メンゴメンゴ。ここで見たものは全部忘れるし、誰にも言わないから許してちょ。ホントは俺も顔を見られたら困るんだけど、お前が思ってたよりも強くなかったおかげで幸い顔も見られてないし、お互いに秘密って事で、ね?―――という事でトンズラをこかせて貰・・・ぶふぉ!?」
ゼータは適当な言い訳を取り繕い、何とかこの場を立ち去ろうとしたのだが、何故だが顔を真っ赤にしてプンスカ怒る少女から再び猛攻を受ける。
「―――わッ―――とッ―――危ねッ!」
ゼータは尚も攻撃を回避する。
少女が振るったナイフが、部屋に置いてあったテーブルに突き刺さり、酒瓶が床に落ちて破裂した。
「―――分かった。分かったから、一旦落ち着いて!!」
「・・・。そうね、私も取り乱したわ。あなた先ほど本気を出してないって言ったわね?実は私もまだ本気を出していないのよ。」
「は?」
「あなたのその身包み剥いであげるから覚悟なさい!!」
一体何を?と訝しむゼータは警戒して少女から距離を取る。
しかし―――
「―――がはッ!」
一瞬にして距離を詰められたかと思うと、顔面を思いっきり殴打され、背後にあったベッドの上に投げ出された。
すぐに起き上がり体勢を立て直そうとしたが、再び一瞬にして距離を詰めてきた少女に馬乗りにされ、身動きが封じられた。
(―――瞬間移動!?)
形勢は一気に逆転していた。
そもそもおかしいとは思っていた。
初めにゼータに奇襲をかけてきた時は、一切の気配を感じさせる事もなく背後にまで接近していた。
それなのに先ほどまでの戦闘では、それなりの手練れを思わせるものの、騎士であるゼータには到底及びはしない動きであった。
もし彼女が瞬間移動の出来る、空間魔法の使い手であるなら全て納得がいく。
ベッドに押し倒されたゼータの首元にはナイフが突き付けられていた。
「―――俺を殺すのか?止めといた方がいいと思うぜ?もうすぐここにフォートレス騎士団の選抜隊が派遣されてくる。そうなりゃお前も只では済まないぞ。」
「よくもまぁ、次から次へと口から出まかせが出てくるものね。あなたを殺す、それも良いかもしれないけど、まずは―――」
「―――ッ」
少女はナイフを持っていない左手を使って、ゼータの被っていたフードを勢い良く取り払った。
すると、これまで分からなかったゼータの素顔が露わになった。
顔立ちは整っていて、キレイな青い瞳をしていた。お洒落なのか、無造作にクシャクシャになっている赤色の髪は地毛であり、男にしては少し長めのレイヤーとなっていた。
そして―――
「―――お兄ちゃん...?」
少女は一言そう呟いた。