はじめての家庭教師
星屑が書いた星屑のような童話。お読みいただけたらうれしいです。
ひだまり童話館第13回企画「ころころな話」参加作品。
午後四時まで、あと二十分。
そう――もうすぐ約束の時間だ。
さっきから時計とにらめっこしてばかりのぼくの胸が、ドッキンドッキンいいだして止まらなくなった。
ちょうどそんなときだった。
玄関のチャイムが、ピンポーンと楽し気な感じで鳴ったんだ。というか……鳴ってしまった。
「もう十歳になったんだから、ただしちゃんにも家庭教師の先生を付けましょうよ」
そう言って、缶のビールを飲みながら晩ご飯のおかずをつつくお父さんをお母さんが言いこめたのは、何週間か前だったと思う。そのあと話がとんとん拍子で進んで、それで結局、ぼくに家庭教師の先生が付くことになったんだ。
ぼく自身は、家庭教師の先生が欲しいということは特に無かったんだけど……。
でもとにかく今日は、その先生との最初の約束の日。
そんな大切な日なのに、お母さんは呑気にお使いに出かけてしまったままだった。
(ちょっと早いけど、たぶん家庭教師の先生が来たんだ。どうしよう……。仕方ない、ぼく一人でおむかえするしかないな)
ぼくは、大慌てで玄関へと走った。
と、そのときだ。
ちゃりーん。
どこか遠くで鈴の音がした気がする。
立ち止まってまわりを見わしたけど、何もない。気のせいか――と思ったぼくは、また廊下を走り出した。
「どなたですか?」
「家庭教師のものです」
玄関ドアの向こうから、声がした。
いそいでドアを開け、あたりを見まわす。
けれど……だあれもいない。
(なあんだ、いたずらかあ)
そう思ってドアを閉めかけたときだった。
ぼくのひざの下のほうで、声がした。
「ここですよ、ここ。私が、あなたの家庭教師の“ネコスケ”です」
下を向いたぼくの目に映ったもの。
それは、ずんぐりむっくりの、ころころと太った茶色いネコだった。黒くてまん丸い目の下の白ひげをピンとのばし、得意そうに二本足で立っている。
(ふーん、ネコかあ。んー、ネコだって? えーっ、ネコお!)
口が開いたままふさがらないぼくの横を、小さな本をかかえた、ぼくのひざくらいの背の高さの先生が、ちょこまかと足を動かして通りすぎていく。
首には小さな鈴がついていて、ときどき、ちゃりちゃりと音がした。
(お母さんは、ネコにぼくの家庭教師をたのんだの?)
なんだか、ぼくの頭がごちゃごちゃだ。
景色もぐるんぐるんとまわっている。けれどすぐに気を取り直したぼくは、ネコの先生をおいかけた。
「先生! ちょっと待ってください!」
ぼくを置き去りにしたまま、長いしっぽをゆらしながら、器用に階段をぴょこぴょこはねて二階へと上がっていく先生。
まるで、ぼくの部屋の場所を知ってるみたいだ……。
そしてやって来た、ぼくの部屋の前。
ぼくを待ちかまえていた先生は、やっとのことでおいついたぼくにドアを開けさせ、すぐさま中へと飛びこんで行った。
そのすぐあとに部屋に入った、ぼく。
すると、もうすでに机の横においたイスにまねき猫のようなかっこうでちょこんとすわっていた先生が、すまし顔で言った。
「時間がもったいないですよ。さっそく勉強をしましょう、ただし君」
「あ、はい……」
見た目とはちがい、その声は学校の先生よりもよっぽどこわかった。
でも、勉強といっても何をしたらいいかわからないぼくは、おどおどするばかり。すると、そんなぼくを見かねた先生が、やさしい声を――まさに“ねこなで声”を――かけてくれた。
「ただし君は、何年生かな?」
「よ、四年生です」
「そうですか。四年生なら……まずはえさのとり方からですね」
(えさのとり方?)
先生は、その短い腕で今までかかえていた「ねこのすべて」という本を机におくと、四本足になり、そこら中をとびはね始めた。
ぴょんぴょこ、ぴょーんぴょん。
目をぱちくりするばかりで動かないぼくを、先生はしかりつける。
「こうやってネズミをつかまえるんです。ほら、いっしょにやってみなさい」
ぴょんぴょ、ぴょぴょーん、ぴょ。
先生の動きとはちょっとちがったけれど、ぼくもまねしてやってみた。しょうじき、なにがなんだかわからない。とにかく、先生のうしろについてはねまわる。
「まあ、そんなところだね……。よし、つぎは顔の洗い方」
ぺろぺろ、しゅっしゅっ。
先生は、手首のところをぺろぺろなめたあと、顔を手首でこすりまわした。
(こんどは、顔の洗い方だって?)
ぺぺろぺろ、しゅしゅしゅっ。
こんども、まねしてやってみた。うまくできなかったけれど、なんだか気持ちがふわふわになってきた。
こんな勉強も、いいもんだ。
そのあとも、先生に色々なことを教わった。おこったときの声の出し方、うれしいときの体の動かし方……。
いつのまにか、ぼくの体は先生のようにすいすいと動くようになっていた。
「先生、おもしろい勉強ですね」
息をはあはあさせながら言うぼくに、だまってうれしそうに目を細める先生。
そんなときだった。
遠くで、ガチャリとドアの開く音がした。
きっと――お母さんが帰ってきたんだ!
「ネコスケ先生、お母さんが帰ってきたみたいです」
「ああ、そうですか……」
なぜか、さびしげな顔をした先生。
階段を上るお母さんの足音が聞こえる。でも、なんか足の数が多い気もするけど――。
なんて思っていると部屋の扉が開いて、お母さんが顔を出した。横には背の高いお兄さんが、もじもじしながら立っている。
「家の前で、家庭教師の先生にお会いしたのよ。ほら、ごあいさつなさい」
「えっ? 先生なら、もうここに……あれ?」
ふりむくと、ついさっきまでそこにいたはずのネコスケ先生が、いつの間にかいなくなっていた。
「おかしいな。今まで、ネコの先生がいたんだけど――」
「ネコの先生? この子ったら、一体何を言っているのかしらね……おほほほ。すみません、先生」
「いえいえ。きっと、たかし君もはじめてのことでびっくりしちゃったんでしょう」
「ええ、きっとそうですわ」
(そうじゃないんだけどな)
とりあえず、ぼくも新しい先生にごあいさつ。
お母さんがお茶を運んできて、お兄さん先生との勉強がはじまった。
けれど――。
ちっともえんぴつが動かない。
だって、教科書の問題をとくばかりなんだもの。
(ネコスケ先生の勉強のほうが、楽しかったなあ)
机の横にある窓を、ちらっと見る。
すると、ちょっとふっくらとした感じの茶色いネコが、となりの家の赤いやねからこちらをじっとのぞきこんでいるのが見えた。
(あれは……ネコスケ先生!?)
普通の猫のように四足で立ち、本もかかえてなかったけれど、ぼくにはわかる。
先生に、まちがいない。
ぼくと目が合った先生は、長いしっぽをピンと立て、手をふるようにそれを左右にふった。
――がんばりなさい。おうえんしてますからね。
先生のやさしげな目が、そう言っている。
なんかほっとするな――と思ったそのときだ。
ちゃりーん。
またどこからか、あの鈴の音が聞こえた気がした。
まわりを見ても、やっぱりそんな鈴は見当たらない。
もう一度窓の外に、目をうつしてみる。すると、屋根の上にいたはずのネコスケ先生の姿が見えなくなった。すでに、どこかへ行ってしまったようだ。
(……ありがとう、ネコスケ先生。また来てね!)
きっと、ネコスケ先生は勉強のすすまないぼくをはげましてくれたんだろう。
えんぴつをぎゅっとにぎりなおしたぼくは、勇気を出して言ってみた。
「先生、ここがわからないので教えてください!」
「ああ、いいとも」
お兄さん先生が、ふんわりとやさしい目をしてうなずいた。
―おわり―
お読みいただき、ありがとうございました。
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