あちらの世界と息子を助ける条件
おはようございます。
石井は本をとりぬ。
「英子さん、俺もあなたと同じ、こちらの世界にいる石井徹君という青年の体を借りて、しゃべっている。俺の場合、英子さんと話をする以外はこちらの世界にやってこないけれど」
取り出した本のタイトル「やっぱ面白い、物理学の世界」に、一歩後ろへ下がる。
「小学生がこんな本をとったら、ひいちゃうだろ」
「う、うん。石井君、いや、石井さんでいいの。どうして私が小野田英子じゃないとわかったの」
あたりはざわざわ、本を読む人はもくもく、
「わかるさ。張井英子さんが入ったと、私の会社からお知らせが入るんだよ。あちら、いや、釧路で自然現象が原因でない濃霧が現れたとき、誰かが向こうの世界へいったとわかる」
パラパラ本をめくる彼、ボーアの半径が目に入る。
「漫画やアニメ、映画に舞台といった『創作物』に対して、人は自然と夢エネルギーを発する。人間も生きているだけで夢エネルギーを発しているが、たいていは人体に影響を与えない。心にも大した影響を与えない。結果、この世界へ取り込まれることなどない。でも、色々あると心に隙が生まれて負けてしまい、こちらの世界へ取り込まれるわけだ。張井さんに行っても。意味は分からないだろうけれど」
うなずけば、
「今回は二人、張井さんとあなたのお子さん、二人とも夢エネルギーの力に負けてしまった。武彦君を取り戻し、元の世界へ戻るには、あなたたちが夢エネルギーよりも力を得なければならない。得るといってもやり方は簡単。現実を直視して正面から向き合うだけ。現実と向き合うだけでも、エネルギーが使われる。実際に使う感覚を抱かないから、あなたは気づかないだろうけれど」
頭を左手で押さえれば、
「じゃ、じゃあ、石井さん。武彦は取り戻せるのね」
「もちろん。ただ、武彦君も夢エネルギーに打ち勝たなければ、張井さんを見ても『化け物』にしか見えないだろう。今週日曜日に図書館へ行くのでしょ」
うなずけば、
「古典を中心に本を読んで、あちらの世界に対する恐怖を乗り越えたほうが良い。本を読まないやつは己の心も見えない。だから今でもこちらの世界で苦痛を味わい、現実逃避して、どんな世界へ渡ろうとも受け入れられない自分を作り、苦しんでいる。黒い形をした何か、あちらの世界にいたでしょ」
黒い奴、少女を縛り、武彦を解剖し、ほかにも、
「張井さんも向こうの世界、俺は夢世界と呼んでいるが、あちらに行けば、単なる色の集合体になる。まだ自分を保っている場合、青から紫であり、自分に取り込まれた存在は黒い怪物となる。武彦君はまだ染まっていないようだ」
うなずけば、
「あちらで出会う怪物はあなたが生み出した化け物でもある。武彦君が生み出した怪物が英子に見えないとき、武彦君一人が怯えている状況そのもので、あなたにも武彦君と同じ怪物が見えれば、あなたと武彦君の二人で生み出した怪物だ」
本を本棚に戻すおじさん。
「だから、あなたが恐怖を超えれば、怪物も消える。彼が見る怖いものもあなたが克服していけば、怖さがなくなる。単純な話だけど、とても難しい」
「私は、強くなればいいのね」
尋ねれば、
「強くなるだけでなく、自分を色々振り返ってみてごらん。自分を見つめない人に強さも弱さもないよ。私はあなたに解決策を提示した、後はあなたが折れない心を持つだけだ」
彼は手を振り、雑音が多いCDコーナーへと消えた。耳から余計な音楽が一切入らぬ。
<語句説明>
ボーアの半径:高校物理の原子物理分野で学びます。水素原子[H]の仕組みを学ぶ上で出てきます。万有引力、円運動と似た動きをしている。原子も宇宙の天体運動と似た動きをしていると、押さえればよろしい。