白い液体(冬のなんとか祭に投稿してました)
雪原の中彼に拾われ、同じ暖炉を目にした。
「ほら、頑張れ、あと少しだ」
彼は私の胴体を担いで雪道を歩いている。
寒空の下にも関わらず息遣いは激しい。
もういいんだ、離してくれ。
そう願う私の思いが彼には伝わらない。
人の言葉を介していないからではなかった。
三度とうげを越えて雪原にさしかかると、
一軒の山小屋が見えた。
彼は家に入って暖炉に火を点ける。
かたわらには布団をかけられた自分が居た。
手早く開いていた傷口の処置をされる。
無事に止血も済むと飲み物を前に置かれた。
口をつけるとほのかに温かい白い物だった。
ふしぎとすさんだ心が安らいだようで、
つかれが溜まった頭は次第にふわふわと。
まぶたを支える力が十分さを失ってしまう。
意識は暗い底へ吸い込まれて消えた。
気温がまだ寒さを感じさせるままだけど、
朝を思わせるわずかな陽気を感じ取った。
ああ、そうだった。
目を覚まして辺りを見る、家具、暖炉、そして彼。
しっかりとした作りの屋内に居るらしい。
家を支える木が古いながらも立派だった。
一人はまだ寝息を立てている。
いまのうちに家を出てしまうかと思った。
ただ運悪く足音を聞かれて彼が起きた。
自分が立って歩く姿を見てほほえむと、
静かにひとこと、「おはよう」と言った。
むげにすることも出来ないから返事をする。
立ち上がった背丈は自分より数倍高い。
どうしたものかと思って立ち尽くした。
彼は傷口を見るためにかがみこんでいる。
しばらくして水場に去った時の表情から、
可も不可も無くといった具合だと察した。
行く当てもないから、世話になるしかないか。
半日行動を目で追って分かったことがある。
やっぱりたまたま居合わせた人ではなく、
ここを家にして住んでいるらしい。
食器の場所を迷いなく探し当てている。
水回りが凍結することも分かっていた。
薪を組む手つきも手馴れているので、
たぶん間違いないと思う。
「歩けるなら、少し外に出ようか」
正午を過ぎて食事を終えたあとに誘われた。
身体は十分に感覚を取り戻せているらしい。
だから本当は外をかけ回りたいはずだった。
「それとも、やめとこうか」
表情が曇ったことに申し訳なさを感じる。
しぶしぶ彼に続いて扉の敷居をまたいだ。
緩やかに吹き付ける風がとても冷たい。
後悔にそまった心境がさらに冷え込む。
自分が運ばれて来た方向を見ると、
役目を果たせなかった気持ちで一杯になる。
そうして視線を落としている自分を、
手を引くように先導して歩き出していた。
取り残されてもこまるのであとを追う。
数分雪原を進んで少し暖かい所に来た。
この地方では珍しくちらほらと花が咲いている。
色の判別が可能かどうかはあやしい。
自分の眼で見る色が本当に色なのか。
でも目の前の一面をきれいだと思った。
彼は隣で機械を地面に立てている。
三脚を使って山の方向に向けていた。
覗き込むようにして何度も確認する。
その姿は失ったあの人の影に似ていた。
「まだ、大丈夫か」
ささやいた言葉の意味を、数日後に知った。
「天変地異って、分かるかな」
彼に拾われてから毎日あの場所に行った。
今日も同じように花が咲いている場所だ。
いつもは無口であまり会話を交わさない。
二、三日いっしょに居ればなんとなく、
互いに意図することが分かるようになった。
なのに、急に変な話を切り出している。
「僕が見ている先」
先と言われて山を見るが、特に何もない。
意図を理解出来ないから言葉の先を待つ。
ゆっくりと考えを走らせているらしく、
次の言葉が出て来るまで数秒かかった。
「あの辺りから、すべてが変わるんだ」
とうとつ過ぎて何を言っているのかと思う。
ただ、彼のまなざしは真剣そのものだった。
あれから数週間経ったかな。
習慣通りに朝起きる時間で目を覚ます。
普段は自分の方が早く覚醒していた。
しかし今日に限ってはそれが逆だった。
違和感を感じながらも支度を待つ。
よし、行こうと彼は言った。
足取りは早く何かを焦っているらしい。
高台になっている例の場所に着いて、
緊張した面持ちで機械を組み立て始めた。
私はそれを見守る中、時間だと思った。
太陽が山のかげをはっきりと示している。
彼はこれが見たかったのだろう。
正確にはこれを撮りたかったのか。
でも、残念だけどそれは叶わないな。
稜線を跨いだ赤い影が段々と色味を失う。
彩度が完全に失われた世界は白と黒だけ、
彼はとても驚いた風にして止まっている。
「どうして」
言いたい気持ちは分かる。
伊達に数週間を共にはしていない。
応えてあげたい心持ちではあったけど、
正確に言葉を伝える手段を持っていない。
自分たちを囲う明るさが徐々に減った。
ふしぎと今回が初めてではないと思う。
点々とあった岩かげから人でない何か、
異形の型をした鬼がゆらりと出揃った。
赤い目をした彼らが見ているのは自分だ。
少なくても彼を襲ったりすることはない。
そう確信して雪原に駆け出した。
後ろ目で見る、やはり狙いは自分だった。
十分な距離まで引き付けてから振り返る。
目は赤いが真っ白な布でおおわれていて、
まるで狂気に駆られたウサギのような。
手にはこん棒を持って、こちらを狙う。
一人目がすばやく踏み込んで振りかぶった。
それをどうにか避けたものの頬が擦れる。
一人、二人と続いて命を奪おうとした。
同じやりとりが繰り返せれば良かったが、
右にいた奴らから重い痛みを負わされた。
吹き飛ばされた体は地面をえぐって、
雪をかき分けるようにして進み、止まる。
片目で奴らを見るとまだ自分を狙っていた。
もうだめかもしれない。
左の眼は見えないし、腕は右が使えない。
今更になってあの傷口が開いて痛みもある。
まあ、彼が生きていれば問題ない、かな。
ギラギラと光らせた目が獲物を狩ろうとし、
自分は食われる側なのだなぁとおもった。
それからのことは良く覚えていない。
気付けば朝日がとても明るく輝いていて、
自分は悪い夢でも見ていたのかと思った。
けれど、
痛いか。
わき腹に重たい押し付けるような痛みが、
それに左目のまぶたは上がらないままだ。
飛ばされた時にできた雪のあとも残っている。
夢でもなければ幻でもないのか。
だとすればあと数時間持たないかもなぁ。
あお向けに倒れているので空が見える。
さっきまで層雲が散っていた青空が消え、
遠方に塔状雲とうす暗いかげにおおわれた。
山の天気は変わりやすいものだけど、
これはあまりにも理不尽じゃないかな。
ちらちらと雨にも似た雪が降り始める。
やがて風も加わって本格的な吹雪になった。
本当にもうだめかもしれないと思うが、
彼の、
「頑張れ」
という声が頭の中で乱れて、一歩踏み出す。
厚みが増した雪の中を懸命に歩いて進む。
本来の自分、数週間前の自分なら、諦めた。
正直今もあきらめた方が良いかもと思う。
ただ、残念ながら身体は勝って前に進む。
寒さを増した空気には痛みさえも感じた。
吹き付ける風で視界は遮られ、倒れる。
足は段々と感覚が無くなっているような。
それでも、と気を張ってみるものの、
心意気だけではどうにもならなかった。
固まった身体で前にすすむことも叶わず、
結局最初と同じように空を仰ぐだけか。
倒れたまま、遠くを見ていた気がしていた。
目が実像を結んだ時、私は彼の家に居た。
暖炉の日は赤々と燃え上がっていて、
さながら過去に戻って来ているようだった。
古傷に目を落とす、処置は前と変わらない。
自分が起きたことに彼も気付いた。
するとおもむろに立ってどこかへ行く。
奥の方でやかんが鳴る音がして、前に出されたのは白い液体だった。
おわり