暗殺者と丸焼き
今回貰った御題は
・涙
・贖罪
の二点です。
首を一つ刎ねて転がす
誰だったか、何だったか
罪人であることしか理解できない
これは自分の気が狂わないための予防線
誰である、何をした
それらを知らずにこの体は罪に反応し殴打し切断し攪拌し焼却する
罪人は裁かねばならない
罪は等しく罪である
一遍の躊躇なく一切の容赦なく裁かねばならない
そこに自意識は必要なく、必要なのは審判である
この身はすでに人ではなく、異形を宿す怪異である
怪異は罪悪を糧に成長しやがて一つの罪となる
他者を裁く者はいずれ裁かれる運命にある
そうでなければならない
そうれなければ納得できない
この手はすでに血で染まり
この身はすでに怪異である
一つの悪、一つの罪
それとして完成したこの身はこの魂は
裁かれねばならぬのだ
その時まで多くの罪と悪を道連れにして
「なるほど、あんたが凄い覚悟を持ってパニッシャーをやってる事は理解できた。」
だが、この男は
「しかしなぁ、俺は死にたくないしやりたい事はまだまだある」
国から悪と呼ばれ自分を刺客に放たれる程のこの男は
「そしてなにより空腹だ」
どうして怪異が反応しないのだ
スノードレイクを狩り終えた俺は依頼を受けた国まで報告に戻っていた
ギルドで討伐を告げ証拠として心臓の欠片を納品した所までは良かった
この心臓、倒した直後なら生で食える
その他の内臓も一日以内なら生でも食べれる食材となる
俺は倒した事を確認したらまず解体に取りかかった
新鮮な食材は新鮮なうちに食すのが拘りであり食うために倒す事で一種の供養にもなっていると思いたい
で、スノードレイクの心臓
これが竜なだけあって成人男性を上回る大きさを持っている
俺は血まみれになりながらその心臓を取り出し汚れを落とす事も忘れて齧りついた
大きさからは想像もできない繊細な味が口の中に広がり、雪原に生息しているからか引き締まった肉は噛み心地さえも美味である
まぁそんな感じで心臓を馬鹿のように食べまくりスノードレイクの死体の横で三日間の時間を過ごした
襲い来るハイエナ達をなぎ払いあらゆる肉を味わいつくした後ギルドへ報告へ向かったのだ
報告用の心臓は雪に埋め保存していた物のやはり劣化が始まっていたが討伐証明なので問題ないだろう
海中に近い氷の中に保存した俺の分は劣化している事はないと信じている
アレは年月を置けば海水から塩分を含みさらに美味くなるはずだ
話を戻そう
俺は心臓を納品した
そもそも依頼はスノードレイクの討伐であり倒した事が分かれば心臓を持ち帰る必要もない
だが、今回は裏があったらしい
なんでも国のお偉いさんが秘密裏にスノードレイクの心臓を所望してたそうだ
だが、俺が持ってきたのは食べ残しである
まだ食べれるとは思うが劣化も始まっており、まぁ手を付けるのは躊躇する品だと思われる
もっとも俺に違反はなく、依頼は完璧にこなされているので文句を直接言う事もできないのだ
そう、直接言えないのでヒットマンが来た
依頼の報告を終えて国でなかなかに繁盛している宿の二番目に良い部屋でダラダラと夕飯を楽しみにしていた時の事だ
部屋のドアが控えめにノックされ、俺は何も考えずに返事をしてドアを開けた
廊下に居たのは見たことのない女性
まだ若い様だがその目は暗く淀みじっとりとした眼差しで俺を見つめる
どちら様、という俺の問いに彼女はわずかに首を傾げた
その様子がどうも可愛く思えて俺は警戒もせずに彼女を部屋に上げた
こちらの質問は無しの礫だった
どこの誰かも教えてくれず、彼女は黙って首を傾げながら俺を見ていた
そして口を開いたと思ったらとんでもなく重い話が飛び込んできた
彼女の話を信じるなら彼女は体に何かを宿したヒットマンで罪人を無差別に解体してしまうらしい
解体するのは大型の魚類などだけにして欲しいものだが、これは呪いのような物でどうしようもないのだとか
もっともその衝動にも強弱があるらしい
生まれてから何一つ罪を犯さずに生きてる生き物は居ない
だからどんな相手を前にしても微弱な衝動はあるのだそうだ
だが、その衝動を俺には感じなくて困っているらしい
国の偉い人に言われて来たが殺せなくて困っていると言われた俺は笑うしかなかった
そんなものどうしろと言うのか
治したら殺しに行きますけど治してくださいなんて暴論にも程がある
そしてなにより腹が減っているのだ
重いだけあって長い話でもあった
すでに辺りは夕闇に染まり街道からは出店から漂う様々な調味料の香りが漂ってくるし宿の下からは酒場で盛り上がる冒険者の叫びや詩人の歌が響いてくる
そんな中で何が嬉しくて殺し屋の相談を受けなくてはならないのか
いや、それももうどうでもいい
今は食事だ、胃袋に従うのだ
この国に来たのは初めてであり、治安状況もつかめていなかったので料理の評判と一泊の金額と相談してここを選んだのだが、さすがに殺し屋を連れて食堂に行くというのも気が引ける
しかし治安を考えて良い宿を取ったのだから部屋の前まで通す前に確認くらい取って欲しいところだ
あ、殺し屋だった、忍び込んだのかもしれない
だとしたらますます食堂は駄目だろう
一瞬だけ次に来る時はもう一つくらいランクを落として別の宿にしようかとも思ったがここの料理を味わえないのは残念だしもう一回くらいは泊まろうと思い直す
俺は小銭の詰まった袋を手に取り部屋を出る
追う様にアサシンの女性も出てくるのだが、付いてくるつもりなのだろうか
だとしたら武器の一つでも持つべきかも知れないのだが食事に武器を持ち歩くなんて無粋の極みだ
「少し食べ歩くけど付いてくるのか?街中でいきなりザクリ、なんてのはごめんだぞ」
俺はドアの鍵を閉めながら改めて殺し屋の風貌を見る
女性は部屋に入ってくる時に脱いだであろうマントを羽織っている所だった
やや短めの黒髪が動きに釣られて揺れ、僅かに柑橘系の匂いを漂わせる-殺し屋が匂いのする物を付けるのかは疑問だが、逆にカモフラージュになるのかもしれない-
マントで隠されるのは磨き抜かれた軽銀の鎧
魔力を通しているのだろう、その鎧が彼女の動きを阻害している気配はない
それどころか歩く時ですら鎧の触れ合う音が聞こえない
まさか一枚鎧か-熱されたドロドロの軽銀を浴び、魔力の操作によって完全な外殻とする-あんな一歩間違えば溶鉱炉に落ちたみたいになる製法でしか作れない物を着てる奴なんて始めてみた
それでも狂った製法が廃れないだけの実績がある
魔力を通しやすい軽銀を纏う事で魔術、魔法の行使に補正がかかるし魔力の濃度を変えれば鎧の高度も変わると聞く
それに常に鎧を扱う事に魔力を使い続けることで鍛錬が行えるなんて特徴もあったはずだ
その結果、装着者は魔力の消費を考えて大食らいが多いと聞いていたが
目の前の女性の体系にはそんな気配はない
それどころか体に密着するような鎧はその整ったプロポーションを主張している
もっとも上に羽織っているマントで大半は隠されてしまっているが
「携帯食ならあります、食べます?」
携帯食、そういうのもあるのか
魔力の補充にはやはり食事だ
そして食事とは娯楽である
つまり頻繁に食される携帯食はメジャーな娯楽であり美味であるに違いない
「いいのか?じゃあ一つ貰おうかな
でも食べ歩きには行くけど」
そういって彼女の差し出す銀色の筒に納められたパンの様なものを受け取る
筒からパン?を抜きふと気になって目にオドを巡らす
おぉ、すごい
パンから魔力が溢れている
恐らくあの銀色の筒は魔力を遮る仕組みでもあったのだろう
空気中に溶け込むほどの魔力を放つパン
これは楽しみだ、そう思いながら一口
舌触りは予想通りパンだった
しかし噛み応えは違う
歯が触れるとパンは解けるように口の中へと流れ込む
勢いで飲み込んでしまいそうになるそれに気をつけながら舌の上で転がす
舌からは濃厚な魔力の風味と・・・
なんだこれは、味がまったくしない
むしろ魔力の塊が口の中にあるような感覚しかない
辛うじて舌がパンのような気配を捉えているが高濃度の魔力にそれすらも見失いそうである
なんだこれは、俺は何か食べ方を間違えたのか?
租借しながら暗殺者を見る
筒をしまった彼女は租借している俺を見て首をかしげている
なんだ、おい、可愛いぞ
でもアレか、まさか毒か
『あれー?なんで毒物を食べてるのに死なないんだろー?』って首を傾げてるのか?
だが引かぬ
毒物程度で俺の食欲は止める事はできないのだ
誰も食べることができないと言われていた腐敗の胞子-摘み取った瞬間から腐敗し始め周囲の土まで腐らせる茸-の調理に成功した実績は伊達ではない
俺は魔力の塊を租借し飲み込む
口の中に粘度の高いぱさぱさした何かがあるというのはなかなかに不快ではあった
つまりコレは食事ではない
「なぁ、さっきの本当に食べ物か?」
一応、聞いておく
いい大人はいきなり怒ったりしない
いつでも冷静に余裕を持っているべきなのだ
「はい、魔力を固形化したもので食べれば三日分くらいの魔力になります」
なんと、アレはパンに見えただけで魔力の塊そのものだったのか
しかも三日分、凄まじい量だ
半日分程度の魔力量だと思ったが初めて食べたから上手く吸収できなかったようだ、もったいない
しかし、魔力だけで腹が膨れるわけがない
「つまり、三日間大気の魔力を吸収したのと同じ効果が得られる薬剤って認識の方がいいのか?」
俺の言葉にコクコクと頷くヒットマン
「うん、それは食事じゃないね。
いつもそんな薬しか飲まないのか?」
続く言葉にも頷く女性
「絶望した、この国のお偉いさんには絶望した」
信じられない
この国には山の幸も海の幸も頑張れば凍土の幸ですら集まると言うのにいつもこんな味のしない薬で済ませているだと?
「食事に行く、付いて来い」
これは命令である
食の楽しみを知らなくては生きる楽しみも知らないのだ
彼女は何も言わずにコクコクと頷き後を付いてくる
宿を出る時に女将がこっちを見てニヤニヤしていた気がするが気にしない
なぜなら俺は空腹だからだ
宿を出れば太陽はすでに沈み、あたりは建物から漏れる明かりや出店の外灯で暖色で日差しとは別種の暖かい光に包まれている
表通りは酔っ払った冒険者や客引きの声でにぎわっている
俺は周囲の出店に目を取られながらその誘惑に打ち勝ち最も出店が多く出店している広場まで辿り着いた
円形の広場は中央に噴水があり、それを背にするように出店がぐるりと設置されている
いわば一等席だ、見栄えがいいので客の入りもいい
代わって広場の壁側
こっちには出店は数店しかない
なぜならどっしりと構えた本格的な店が構えているからだ
金のある奴は店に入って風景や空気を楽しみながら
金のない奴は外を回って量と街ならではの空気を味わう
上手くできた仕組みである
そして俺は依頼をこなしたばかりで金はある
つまりどちらの方法も選べる訳だ
質と落ち着きの店内か
量と雰囲気の屋外か
ここは屋外だろう
今回は自分の胃袋を満たせば良いって訳じゃない
そうと決まればどこから攻めるべきか
こんがりと焼かれた草原猪の串焼きか
海の旨みを楽しめる技前海老を贅沢に使った海老団子か
決めた
まずは野菜だ
胃袋にジャブを与えてその間に次の作戦を練ろう
野菜を扱う出店は少ない
肉や魚を売りにした方が売れるからだ
逆に言えば野菜をメインに商売を続けているという事はそれだけ人気も腕もあるって証拠になる
しかし屋台で野菜を食べるのもなかなかに稀有な趣だな
屋台といえば大雑把な味付けに齧り付きたくなるような豪快な料理ってイメージだけど
それでも店が見つかるのだから繁栄している街は凄い、偉い
店構えは普通の出店そのものだ
いつでも崩せるお手軽な建屋に何を売ってるか一目で分かる看板
看板には大きく『野菜巻き』の一言
うーむ、気になる
野菜を巻いたのか野菜で巻いたのかによって今後のプランが大きく変わってくる
そして商品を見れるのが屋台の売りだ
どんな物を扱っているのかを見てから買えるのは大きな利点だと思う
野菜巻き
一言で言ってしまえば野菜で巻いていた
だが中身のバリエーションが豊富だ
庶民になじみのある豚肉や野菜から始まり普段はお目にかかれないようなランクの高い肉なども品書きに乗っている
品書きを見ていると誰かが注文をしたようで店主は手際よく六つ首鳥のささみを野菜で包んでいく
そして包まれたそれを鍋に放り込みすこし待ったら完成だ
緑色の大葉で包まれたそれは包み紙の中で湯気を立てながら客の手に収まる
受け取った男は大きく口を開き野菜巻きに噛り付いた
パリッという音が響く
野菜は火を通しすぎるとしんなりとしてあんな良い音は出ないはずだが
いや、とにかく腹が減った
見てるだけでは腹は膨れない
ここは一つ、いや二つ、さっさと注文するべきだ
「六つ首鳥のささみを二つ、それとダイダラプラントの新芽も二つ頼む」
まずはジャブだ
ささみは油が少なく食欲を圧迫しない
さっきの客を見る限りはずれって事は無いだろう
ダイダラプラントは巨大な植物だ
その葉の上で生態系ができると言われるほどの大振りな葉は肉厚でしっかりとした歯ごたえが楽しめる
だがそれはサラダとして食べる場合で揚げた事はない
つまり初体験であり非常に楽しみだ
店主は慣れた手つきで六つ首鳥のささみを二つ差し出してくる
両手に受け取り片方を黙って付いてきている女性に差し出す
彼女は首をかしげ「これが何か?」とでも言いたそうにこっちを見つめる
この子喋ってたよな?
まぁいいか、可愛いし
「食べなさい、一人で食べるのは寂しい物があるから」
まぁ俺は一人でも気にせず食べるけど
彼女は首をかしげたまま手を伸ばし野菜巻きを受け取る
揚げたてのそれは暖かく、魔力の塊の用に魔力を含んでいるわけではないが、比べ物にならない熱量を秘めている
彼女は手に持った野菜巻きを見つめたりこっちの様子を伺ったりと忙しい
しかし揚げ物は温かいうちに食べるのが掟だ
許せ、食は全てを優先させるのだ
心の中で謝罪をしながら野菜巻きに噛り付く
パリッという音と共に歯が大葉を破く感覚
これは面白い、包んでいる大葉に何かが塗ってあるようだ
続いて中に包まれたささみも噛み切る
やわらかい肉はあっさりと噛み切れて口の中に飛び込んでくる
ささみに油が無いのなら、他所から盛ってくればいいじゃない
まさにこれだ
揚げられた野菜に残った油が口の中でささみと出会い絶妙な風味となって口内に広がる
植物油だ、それも香りの強い物
ささみの味を損なわず、口内から鼻に抜けるさわやかな香り
やわらかい肉としっかりとした野菜は違った歯応えで食べることを飽きさせない
これは当りだ、良いものを引いた
もう一口、さらに一口と黙々と食べてしまった
しかし胃袋に物が入って刺激されてしまったな
食欲が本気で目覚めたようで物足りない
と思っていると差し出される追撃の揚げ物
だが店主からではなく一緒に居た女性からだ
そういえば食べろと言ってから放置していたが・・・食べているな
それも両方とも
彼女の手には揚げ物が一つ
つまり俺よりも先にささみとプラントを食べつくしたということだ
まぁ暗殺者なら落ち着いた食事なんてできないだろうし食事はどうしても早くなるだろう
俺は彼女から揚げ物を受け取り、やけに強い視線を感じながら噛り付いた
先ほどと同じしっかりとした歯応えが出迎える
だがその後はまったく違う展開だ
ささみが優しく出迎えたとするならこっちは堅実な応答を返してくる
中に包まれたプラントの葉肉は周りの大葉よりもさらにしっかりとした歯応えで俺を歓迎してくれる
氷原で食べたサボテンのステーキとも違う植物特有の食感
シャキシャキとした歯応えと溢れてくる液体
タイタンプラントの葉は大きく厚い
その中には樹液が豊富に詰め込まれ葉に集まる動植物を育てるのだ
それが肉汁のようにあふれ出してくる
美味い、単純に美味い
樹液と植物油が合わさり濃厚な森の息吹を感じさせる
揚げ物でありながらさっぱりとした食べ心地を残して揚げ物二つを完食した
この感覚は後にプラントの揚げ物が来たことも関係しているのであろう
屋台の親父、できる。さすがに素人とは違うということか
これで胃のエンジンが完全にかかった
「次に行くよ次に」
屋台を見つめるヒットマンに声をかけて次の店に移る
最初が揚げ物
本来なら重い物は避けるつもりだったけどこれならまったく問題ない
とするならば次は肉だ
大胆で豪快な肉
確か途中で面白い物があったはず、それを目当てにしよう
見つけた
屋台の周囲には人だかりができている
どの客も美味しそうに肉を頬張っている
看板に書かれた品書きは
『沼龍の丸焼き』
龍というだけ有ってその巨体から取れる肉は豊富で、沼に住んでいるからか味わいは牛とも魚ともいえない不思議な物だ
部位によっては白身魚のようにあっさりとした旨みがあったり食用に育てられた牛のようなボリュームを感じさせる部位もある
もっとも丸焼きにするにはこの屋台の三倍は広くないと駄目だろう
この丸焼きは切り落とした部位を丸焼きってことだな
だが本命は別、沼龍の品書きの上に急ごしらえの品書きが貼り付けられている
『雷鳴兎の切り落とし』
兎である
それも雷鳴兎
雷を纏い雷鳴を響かせながら草原を駆け回る非常に手ごわい魔物だ
小柄な体に攻撃を当てるのは難しく、生半可な攻撃をすると纏っている雷が自動的にカウンターで飛んでくる
下手に近づいても結果は同じで消し炭の用にされてしまう
草原を進んでいて晴れているのに雷鳴がしたら何を捨ててでも逃げろと言われているくらいである
もちろん、美味い
雷を纏った肉は手を加えるまでもないほどに柔らかい
そして一番の特徴はその肉は帯電していることだ
その肉を丁寧に加工することで口の中でピリリとする程度まで落とすことができる
同じような料理なら放電鯰や電装虫で作れないこともないのだが、雷鳴兎は飛びぬけて美味でもある
なにより肉だ、雷を纏っているため寄生虫や病原菌の心配が無く新鮮なら生でも食べられる
それが切り落としで売られているなら買うしかないだろう
むしろこっちを丸焼きとして売りにするべきだと思うのだが、そこまで数が確保できなかったのだろう
煌々と燃える炎の上で兎が炙られ油を滴らせる
そして滴る油は炎に食われる前に肉から放たれる電流で空気中に四散する
散らされた油は炎と雷の光を受けて輝き 一種の芸術のような雰囲気すら感じさせる
さらに周囲に散る油が肉の旨みを連想させる香りを運びここを通る人々は必ず一度足を止めるほどだ
もちろん、俺もその一人だが同行者の暗殺者は一際強く目を引かれたようだ
アレを自分が食べるとは思ってないのかもしれない、見つめる瞳が芸術を見る目だ
俺?美味そうな肉にしか見えない
自分で捕まえて調理したこともあるが処理が甘く感電したのは良くも悪くも思い出深い
故に誰かが調理した完成品は俺にとっても新しい味の発見であり非常に好ましいのだ
「親父、雷鳴兎の切り落とし二つ頼む」
店主の気持ちのいい返事の後、薄く切り落とされた肉の盛られた小皿が二つ渡される
今まさに焼かれ切られ盛られたものだ
その上には何もかかっていない
ソースはもちろん、塩でさえもだ
ソースをかけると肉に残された電気が流れてしまうので味付けは下味のみなのが主流だった
だが味付けができない訳ではない
ようは肉につけなければいいのだ
最初から口に調味料を含んだり口に入れる直前にかけたり粉末を使えばいいだけの話である
けれど最初の一口はそのまま行くのが礼儀だろう
アレから食べろこれはこう食えなんて堅苦しいのは嫌だが、こういう大胆で豪快な物は最初に素材の味を知るのが楽しみであったりするものだ
前に食べたときは麻痺して味わえなかったのもあるが
二皿受け取った内の一つをどんぐり眼で見つめてくる女性に差し出す
差し出された皿を彼女は凄まじい速度で受け取った
初速が見切れなかったぞ、雷鳴兎よりも間違いなく速い
木製のフォークで恐る恐る肉と会話する彼女を尻目に俺も対話を始める
まず一切れ
フォークの切っ先が肉に刺さりその刺激で電気がパチパチと鳴る
一口サイズに切られた肉は赤身のみで構成されている
油が多いと自分が感電するんだったかな?
でも何処かの部位には逆に油が多く含まれてたはずだ
どこだったのかまでは思い出せないが
まぁ今は目の前の肉だ
手の中に納まった小皿からはどこか清清しい油の香りが鼻孔を感電させてくる
一口サイズの肉片をフォークで刺しして口へ
柔らかい
舌の上でほどけるように肉がばらけ口の中に広がる
そして噛む度にかすかな電気が弾けパチパチと口の中で弾ける
肉汁も程よく滲み刺激と相まってソース無しでも十分過ぎるほど美味しい
この肉の柔らかさ、恐らくそれなりに年を取った兎だったんだろう
雷鳴兎は長生きした方が肉が柔らかくなるって話を聞いたことがある
お次に一口ではいけない塊に齧りつく
食いちぎる際の刺激が食指を刺激するってものだ
口いっぱいに広がる肉の味と刺激
他では味わえない味っていいよなぁ
しかし肉だけで味わうのも技がない
店頭に置かれた調味料を惜しみなく使わせてもらおう
調味料は三種類
白-赤-緑の三色だ
白-これは塩だろう、粗目のような大きめの結晶が詰まっている
赤-これは唐辛子か?近くで香りを嗅ぐとスパイシーな香りがして食欲を刺激して唾液が湧く
緑-これは知ってる、緑黄色野菜の粉末だ。乾燥させたり色々と手間をかけて作るらしい。-聞いた話ではこの粉末で包んだ肉ならエルフでも食べれるそうだ-
どれも魅力的に見える
なら、全部つければいいじゃない
もちろん混ぜたりはしないが
まずは塩、味が想像できるのが強みだよなぁ
さっきの齧りかけの肉に塩を振り一口
行こうとしたら目の前に彼女が立っていた
綺麗な瞳を見開き、調味料の振りかけられた俺の小皿と空になった自分の小皿を交互に見ている
・・・食欲旺盛でなにより
「親父ーもう一皿・・・いや大盛りで二皿分頼む」
その言葉を聞き彼女の顔は天命を受けた聖女のような輝きを放つ
目の開き具合でしか判断できないのがつらい所だが、うれしそうでなによりだ
俺は親父から大皿で出された肉を受け取り、飛び掛って来そうな彼女を制して調味料の使い方を説く
世の中には大量にかければ美味いと思ってる奴は多くて困る
もちろん大量にかけた方が美味いものはある
だが素材の味まで殺しては意味がない
まずは塩
大き目の結晶は味の濃さを物語る
なら量は少なくていい
肉汁に溶け出す塩気と肉本来の旨みを引き出され胃袋が目を覚ます
ちなみに彼女は目を細めで一瞬たりとも味の変化を逃さないように味わっていた
次に唐辛子
きめ細かな粉末、真っ赤なそれは生半可な辛さではない証明だろう
熟練者なら肉を丸ごと塗してもいいかもしれないが俺は辛みに関してはセミプロ、彼女にいたってはビギナーだ
小指の爪ほどの粉末を肉に振りまき齧りつく
来た
刺激がフル武装でやってきた
まずは唐辛子との出会い
舌が発見しその脅威を知る
辛い、ただひたすらに辛い
でも美味い
敏感になった下に電気の追い討ちが押しかけてくる
これは刺激特化だな、美味しいけれど味よりも刺激を楽しむ意味合いの方が強そうだ
だがしかし不味いわけではない、むしろ美味い
彼女も魚が陸にあげられた時のように目を見開いている
最後の野菜粉末
これは肉全体を包むくらいかける
エルフ流ってやつだ
緑に染まった肉を口に放り込む
口から鼻孔に抜ける大地の香り
舌を覆う野菜の風味
唐辛子に刺激された胃袋が中和されていくのを感じる
良い順番で食べれた、唐辛子を〆にしていたら刺激で他の味を忘れていたかもしれないな
彼女も気に入ったのか目を完全に閉じて黙々と肉を食べている
おかしい、大皿がすでに半分ほど消えているぞ・・・
まぁそういうこともあるか
気にせず大皿にフォークを向ける
何気なく刺した際に今までと違う手ごたえを感じ刺した肉をまじまじと見つめる
あぁこれだ思い出した
この肉、見覚えがある
まだ若かった頃、やっとの思いで倒した雷鳴兎をその場で下処理もせずに食べたとき感電した部位だ
人間でいうと肝臓になるんだったか?
蓄電肝とかいう油が非常に多い部位だ
懐かしいと思う反面、感電した時のトラウマが思い出される
まぁ食べるけどね
半分ほどに切られているがまだ拳くらいの大きさがあって食べ応えもあるし美味しいし
彼女は調味料とランデブーの最中だし人が手をつけた物を与えるのは無作法だろう
そう思って一口
齧り取る際に油が溢れ周囲に飛ぶ
それを追う様に電気が流れパパパパッと音を経てる
だがそんなことがどうでもよくなるほどに美味い
しっかりと下処理をすればここまで美味しくなるのか
恨むぞこんな美味い物を無駄にした過去の俺、そして感電した俺を他所に目の前で雷鳴兎を完食した土蛇
さっきまでのあっさりとした肉汁とは違い濃厚なエキスが口に流れ込んでくる
肉を噛締めるたびに溢れだし油断したら口から吹き出しそうな勢いだ
それと一緒に残された電気が絞り出され口、さらに食堂、胃袋と刺激を走らせる
痛みを感じない絶妙な加減
口の中にあった肉を全て片付けると俺は一仕事終えた時の用に深いため息を吐いた
そしてガン見している彼女に気付いた
俺のフォークに刺さった肉と大皿の中を交互に見つめ皿の中にまだ存在しているのか確認している
さすがに掘り返したりはしていないようだが、恐らくあの皿の中には残っていないだろう
「親父、蓄電肝だけって出せる?」
個別で出してもらえるなら頼めばいいかな
そんな軽い気分で聞いてみた
『馬鹿言っちゃいけねぇよ、そいつは目玉で当り扱いだからね。個別に出すのは俺のプライドがゆるさねぇのさ』
なるほど、確かに切り身の中にコイツが紛れてたら凄い嬉しい、嬉しいとまた買いたくなる、商売上手だ
「そっか、無理言って悪いね。」
引く時は引く、これがどんな時でも大事
もちろん引くことができないこともある
親父から彼女に視線を移した時がその時だ
彼女は音も無く俺に近づき、フォークに刺さったままの肉に齧り付いてた
溢れる肉汁を一滴も零さず音すら出さずにだ
上目遣いで此方を見ながら肉を咥える姿に気圧されながら頭を小突いて辞めさせる
肉は半分ほど減っていた、アサシン恐るべし
「はしたないから辞めなさい、ちゃんと言えば分けてあげるから」
そういってフォークのもち手を差し出す
彼女はおずおずと受け取ると雷鳴のような速度で肉を口に納めた、アサシン恐るべし
口いっぱいに肉を頬張った表情は女性としてはどうかと思うが、食事をする人としてみれば満点だろう
誰が見ても美味しそうだと応える
蕩けるような笑みを浮かべ余すことなく味わう姿は見る者全ての唾液を沸かせる
しばらくして、彼女は全ての肉を食べ終えた
食べ終わって落ち着いたのかさっきまでの姿を恥じているようにも見える
俺は腰に付けていた布袋を取り外し彼女に渡した
中にはそれなりの額が残っている
「このあたりの店ならなんでも買えると思うから好きに食べてくるといい、俺は宿に居るからあまったら返しに来ても良いし来なくても俺は気にしない」
食の目覚めは祝福すべきだ
俺はそんな言葉を胸に秘め宿に帰った
彼女は後を付いてこなかった
「女将さん、拳闘海老のリゾットと輪唱貝の蒸し焼き!それと七色キャベツのサラダにガーリックライスお願いね!」
宿に帰った俺は宿の食堂で本格的な食事をはじめた
高いだけではない、料理も美味しいと評判だからこの宿を取ったのだ
今頃あの子は広場で食事を堪能しているだろう
だから俺はここで料理を堪能させてもらうのだ
食の目覚めは祝福するが、近道するのはまだ早いのだよ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
刺し、抉り、齧り、咀嚼し、嚥下する
刺し、切り、含み、咀嚼し、嚥下する
美味しい、どれもこれもが新鮮で私の中に熱を宿す
揚げたての野菜巻き、火傷しそうな熱量が口内から胃袋に落ちた瞬間
私の体は本当の意味で目が覚めた
周囲から感じる罪悪の気配も気にならない
ここでは誰もが救われているのだ
そう、私ですらも
小さい頃から魔力だけで生活してきた私にとって食事は未知との遭遇だった
あの男に連れられて雷鳴兎の切り落としを食べた衝撃は今でも忘れられない
脳髄を焼くような刺激が私の中の怪異を焼き尽くしたかのようだ
いや、実際焼き尽してしまったのかもしれない
あれ以降、私は罪悪を感じる力が極端に落ちてしまった
探ろうとすれば探れるのだが、以前の様に自動的に処理されることが無くなった
制御できるようになった、と言ってもいいかもしれない
その代わりに感度が落ちてしまったが、それももう関係ない
私は自由になったのだ
国に仕える事を辞め、今は冒険者の一人として活動している
国から追っ手が放たれると思ったが、アサシンなんて私に放てばどうなるか国は嫌というほど理解しているようで何事もなく今日まで生活している
そしてこれなら行けるんじゃないかな?なんて軽いノリで国に戻ってきてしまってたりもする
もちろん仕事でだ、雪原に不審者が出入りしているというのでその確認と可能ならばスノードレイクの討伐が今回の依頼だった
三日間ほど粘ったが不審者は見つからず、魔物の胃袋の中かすでに離れた後だったのだろうと判断しスノードレイクを討伐して帰ってきた
討伐の証明に心臓の欠片を納品したのだが受付に怪訝な顔をされたのが記憶に新しい、別の部位にするべきだっただろうか?
ともかく、仕事も終え、金もある
となったら食事しかないのだ
私は懐かしい気持ちに浸りながら広場まで来ていた
あの日の事は今でも思い出せる
私に世界を教えてくれたあの人の事もだ
懐かしい野菜巻きを齧り変わらない味に心まで温かくなる
そして、雷鳴兎の切り落とし
これは偶然で店に並んでいるのではない
持ち込みがあったのだ、それも大量に
どこか抜けている感じがする冒険者の男が大量に持ち込んだ
そんな話を聞いたのもこの国に戻ってきた理由の一つでもある
そして、あの時に食べた蓄電肝の味と刺激が私を呼んだのだ
「親父さん、雷鳴兎の切り落としを大皿でください」
私は懐かしさに包まれながら焼ける肉を眺めていた
煙に煽られ涙が滲むが、少しも悲しみはない
私は今日も生きている
罪を飲み込み生きている