Happy New Lover!
12/26 23:42
村山さんから突然メールが来た。
大晦日に、日を跨いだ初詣(いわゆる二年参り)に行こうというものだった。
それは千載一遇のチャンス。
そのチャンスをくれた村山さんは即ち女神。
ぼくはパンツを上げ、エロサイト巡回から美容室検索へと移行した。
12/31 22:37
村山さんは、高校のバスケ部での後輩。
最後に会ったのは今年三月の卒業式だから、九ヶ月ぶりだ。
黒のブーツカットに、ブラウンのブーツ。
ファーがついた細めの白いダウンジャケット。
ミルクティ色のストレートヘアに、レンズの大きい黒縁眼鏡。
駅の改札に現れた彼女の姿からは、垢抜けた『女子大生』が感じられた。
「先輩、お久しぶりです」
パッと花開くような笑顔と声。
そこで確信した。
やっぱりぼくは、彼女のことが好きだったんだ。思春期のカン違いではなくて。
「どうしたの、突然?」
こちらだけタメ口なのが、気持ち悪い。
それは『先輩』をやっているだけのような気がして。だからと言って敬語で話すつもりはないけれど。
「いやー、ハハハ……なんか、大学入ってから色々ありまして。先輩に会いたくなっちゃったかなーなんて」
色々。その言葉が突き刺さる。
女子大生が言う『色々』なんて、ドロッドロの色恋沙汰が関与しているのではないだろうか。
誰かと幸せそうにセックスをする村山さんの姿が、一瞬脳裏をよぎる。
なぜだかそれは、淡く切ない姿に思えた。彼氏でもないぼくが考えたって、仕方がないのに。
「とりあえず寒いんで、お茶でも飲みません?」
「ああ、そうね。でもこの時間だから、ファミレスでもいい?」
「もちろんっ!」
だけど彼女のハキハキとした声に、淫靡なビジョンは脆くかき消された。それでいい。それでいいとも。
12/31 22:49
「何にする?」
「私はジャスミンティのホットで」
「女子だなぁ」
「そんなことないですって~」
そうして、他愛のない話を交わす。
単位のこと、サークルのこと、教職のこと、アルバイトのこと、高校の思い出……
「……で? 何かあったの?」
「……あ。やっぱ聞いちゃいます? それ」
ついさっきまで楽しそうだった彼女は、軽く目を逸らした。
恋人ではないけど、ぼくだってずっと彼女の面倒を見てきた身だ。
何か困ったことがあったら、追い詰められるようなことがあったら、力になりたい。
それは先輩として? 男として? いや、わからない。
でも確かな気持ち。力になりたい。
うーうーと唸った後、ようやく村山さんは口を開いた。
「実はですねぇ~。こないだ、クリスマスにフラれちゃいまして」
「……」
ああ。予想が当たってしまった。
きっと二分後くらいには、ぼくは聞きたくもない彼女の痴情を聞くことになる。
嫌だ。嫌だけど。この子はもっと嫌な思いをさせられたんだろう。
どこかの誰かに。どこかの男に。ぼくじゃない、男に。
「イヴなのに会えないって言うんですよ。まぁまぁまぁ、それはまぁ、ちゃんと理由があるなら私も理解しますよ。でもこれがなかなか理由のハッキリしないことで」
ついさっきまで隠していたとは思えないスピードとテンションでまくし立てる。やっぱりこの子は女の子だ。
「さびしいなー、けど仕方ないなーって思いながら、イブの夜、せめてクリスマスメールだけでもって送ってみたんですよ。それも深夜なんかじゃない、午後八時ですよ? なのに翌日まで返信がなくってねぇ」
「それはひどいね」
「でしょお?! クリスマスになって『ごめん寝てた』とかいうんですよ、ありえない! 中学生かって。だから急いで電話して、なかなか繋がらなくって、でも何回もかけ続けたらついに向こうも覚悟を決めたらしくって、出てくれたんです」
「……なんて言われた?」
ぼくの問いに、村山さんはグッと拳を握って答えた。
「他の女とデートしてたんですよ、イヴに! で、私が『他の女と浮気してたってわけ?』って聞いたら、『いや。お前の方が浮気相手だから』とか言うんですよもう死ねっ!」
「それは……辛かっただろうね」
「いや全然それが大丈夫なんです。一気に冷めちゃいました。ただ、一応二股に気づくまでは本気で愛してたつもりなのに、こんなにも簡単に冷めちゃう自分にガッカリってのがありますね~」
「はぁ……」
「マジあいつ性欲しかないんだから、もうもげちゃえって感じですよね!」
性欲しかない。
その発言が出てくる理由を察し、なんだか胸が苦しくなった。
何が苦しいんだ。何が許せないんだ。
目の前の彼女がどこの誰と恋して、どこの誰とセックスしたって、ぼくには何の関係もない。
わかっているのに、視界が暗くなったような感覚に陥った。何かを失った気がして。処女以外の何かを。
いつのまにかぼくらは大人になって、男たちは比較され、値踏みされ、女たちも比較され、値踏みされ。
容姿金銭住居職業役職学歴資格、比べて比べて比べまくられ、人生で一回、選んでもらえるのかも保証されない、そんな世界。
ぼくも今、もしかして、彼女から比較されているのだろうか。
だけどぼくは――
「そろそろ出ようか。頭を冷やしがてら、お寺まで歩いて行かない?」
口から出たのは、思っているのと全く関係のない言葉。
このままここにいたら、ぼくは想いの丈を全てぶちまけてしまいたくなる。彼女がぶちまけたように。
それはまずい。まずいよ。
「……え? あ、はい、そう……ですね」
彼女はガッカリしたようだったけど、この程度のガッカリで済むなら御の字だ。
12/31 23:25
無言のまま、ぎこちない距離を空け、ぼくらは寺へと繋がる夜道を歩いていく。
地元住まいのぼくは、わざと人通りのない道を選んだ。
ペタリペタリ。コッコッコッ。
スニーカーとブーツの音だけが響く。
「先輩。ちょっとブランコ乗りたいんですけど」
四丁目マンションの公園前を通り過ぎようとした時、村山さんが言った。ファミレスを出て以降、初めての言葉だった。
「でもこのままだとカウントダウンに――」
「乗りたいんですけど」
「はい」
反論を許さない語調に押され、ぼくらはブランコに腰かけた。
きぃーこ。きぃーこ。
村山さんは座りこぎでブランコを揺らし始める。
ぼくは興味なさげに座っているだけ。
きぃーこ。きぃーこ。
「――免許を取ったみたいだったんです」
「――うん」
そりゃあそうだ。まだまだ言いたいことがあるんだろう。たまっているんだろう。わかっていたさ。
聞こう。聞いてあげよう。聞かせてもらおう。
「彼氏ができて、ようやく女の子同士の――ガールズトークってヤツですよ、デートのこと、告白のこと、ドライブのこと、エッチのこと――色々おしゃべりできるようになって」
え? エッチの話とか女子間で筒抜けなの? 何それ怖い。……と、思ったけど黙っておく。
「あのレストランが美味しい、あのホテルは夜景が綺麗、だとか。あと、色々なお店でカップル割引が使えたり。自分が『女』の免許を取ったような気分だったんです」
「うん」
きぃーこ。きぃーこ。
「雑誌に漫画にドラマにあったこと、メディアの向こう側にある幻想みたいなもの、それにようやく手が届いたんだって、嬉しかったんです」
「なるほど」
きぃーこ。きぃーこ。
「『あいしてる』って良い言葉だなぁ、まさか自分のためだけにあのフレーズが発せられるなんて夢みたい。あの言葉はズルいです」
「言われたんだ?」
「……キスする時と、エッチした時だけね」
そう言う彼女は、少し妖艶に微笑んだ。
「でも私は――彼氏が欲しかったわけじゃない」
きぃーこ。きぃーこ。きぃ。
ブランコを止め、彼女は月に向かって手を伸ばした。ぼくは、その姿をじっと見つめていた。
「私は――しあわせに、なりたかっ……た」
涙声。嗚咽。月光に反射する、一筋。
それは、月に対してか、ぼくに対してか、元彼に対してか、誰に対して向けた言葉だったんだろう。
ただ、ぼくには届いた。他の誰に届かなくても、ぼくには届いているんだ。
そのことを伝えたくて、ぼくはそっと、ブランコの後ろから彼女の両肩に手を回した。
ああ、これは、引き返せない。
12/31 23:59
黙ったまま、数分が過ぎた。
けれどその沈黙は、さっきのファミレスから歩いていた時のものよりも、やわらかく、あたたかく、たぶん、しあわせだった。
「……せんぱい」
喉を冷やしたのか、少し掠れた声で村山さんが言った。
そっと、両肩に回した手をほどくと、彼女は体ごとこちらを振り向いた。
「……」
だけど何も言わない。何も言おうとしない。
ぼくは、今度は前から彼女の両肩をそっと掴み、まっすぐ目を見つめた。
これはもう。この状況に陥ってしまったら、いかなる言い訳も隠し事も不可能だ。
こんなシチュエーションは初めてなのに、なぜだか確信できた。
ぼくはもう、この子にキスをする。『あいしてる』なんて言わずに、黙ってキスをする。
そう思うと、なんだか目の奥が熱くなってきた。
悲しくない、悔しくない、嬉しさとも少し違う、謎の涙が溢れそうだ。
ただただ、この子にキスをするのだろう。
頬を張られるだろうか。
胸を突き放されるだろうか。
そうなったらもうホント、二度とこの子と会えないな。嫌だなぁ。
心の片隅で危惧していた事態は起こらなかった。
それどころか、強張っていた彼女の肩が、徐々に弛緩してゆくのが感じ取れた。
『さぁ、それでは皆さんご一緒に!』
マンションのどこからか漏れてくるテレビの音声が、うっすらと聞こえる。
ぼくらは、黙ったまんま。こんなときの沈黙は、どんな言葉よりも饒舌だ。
彼女はそっと目を閉じて、顎の角度をわずかに上げた。
ぼくもつられて目を閉じる。唇を近づけていく。
少しずつ。少しずつ。
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<Happy New Lover!>