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第三章 村田という男

 午後のラインが始まって二時間が経った頃、同期の村田健二が隣に来た。


 村田は拓海と同じ年で、同じ時期にこの工場に入った。背が低く、丸顔で、常に少し眠そうな目をしている。しかしその目は実のところよく周りを見ており、拓海はそこが好きだった。余計なことを言わない男だったが、言うときは的確に言う。


「聞いたぞ」と村田は言った。作業の手を止めないまま、前を向いたまま言った。


「何を」


「辞めるかもしれないって」


 拓海は一拍置いた。三日前、酔った勢いで田所班長に漏らしたことが、もう広まっていた。この工場はそういう場所だ。秘密というものが、空気と同じように流れていく。


「決めてない」と拓海は言った。「まだ何も」


「そうか」


 村田はそれ以上何も言わなかった。二人はしばらく黙って手を動かした。搬送アームが往復し、モニターの数値が淡々と更新されていく。クリーンルームの中では、外の音は一切届かない。世界から切り離されたような静けさだった。


 休憩になって、二人は廊下のベンチに並んで座った。村田は缶コーヒーを一口飲み、天井を見上げて言った。


「お前、今の人生に満足してるか」


 唐突な問いだった。拓海はしばらく答えられなかった。


「してない」と、しばらくしてから言った。「全然してない」


「そうか」と村田は言った。意外にも、その声は責めるでも慰めるでもなく、ただ静かだった。「俺もしてないよ」


 拓海は少し驚いて村田を見た。


「お前が? いつも平気そうにしてるのに」


「平気なのと、満足してるのは違うだろ」と村田は言った。「俺だって、こんな人生がいいと思って選んだわけじゃない。ただ、今ここにいる。それだけだ」


「それで平気なのか」


 村田はしばらく考えてから言った。


「平気かどうかと、どうするかは、別の話だと思ってる。満足してないから動く、でもいいし、満足してないまま今日をやり過ごす、でもいい。どっちが正解かは俺にはわからん。ただ、満足してないことを自分で認めるのは、大事だと思う」


「なぜ」


「認めないと、変えようとも思えないから」


 拓海はその言葉を黙って聞いた。


 認める。今の人生に納得していないということを、ちゃんと認める。責めるのでも、言い訳するのでもなく。それが何かの始まりになるのかどうか、今の拓海にはまだわからなかった。

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