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第八話 夢の都新宿

 龍也が意識を取り戻した時、彼は診療所の硬いベッドの上に寝かされていた。折れたアバラは、気絶する前よりもさらにきつく締め上げられたコルセットによって固定されている。少しでも動こうものなら、激痛が全身を貫いた。


 この「練馬」の街は、拍子抜けするほど小さかった。龍也が見た診療所の他には、古びた民宿と、小さな売店が一軒あるだけ。住民の姿もまばらで、ゴーストタウンのような寂寥感せきりょうかんが漂っている。


 民宿の主人に話を聞くと、理由はすぐに分かった。

「ああ、ほとんどの人間は、この先の『新宿』っちゅう街に行っちまうのさ。ここから半日も歩けば着く、でっかい街でな。旅人やら、一攫千金を夢見る連中やら、そりゃあいろんな奴らが集まる、夢の都だ」


 医者からは、アバラが完治するには半年はかかると宣告された。治るまでここにいろ、と。しかし、その気は毛頭なかった。あの天使のように優しく、悪魔のように不器用な看護師にこれ以上身体を預けるくらいなら、折れたアバラを抱えてでも先に進んだほうがマシだ。


 一週間後。まだ走る激痛に耐えながら、少しずつ身体を動かし始めた。痛みには、もう慣れてきていた。彼は売店でパンを買い込むと、民宿の主人に別れを告げ、いざ「新宿」へと出発した。くしゃみを一つしようものなら、肋骨に稲妻が走る。息が出来ない位だ。だが、もう後戻りはできなかった。


 道中、何度かあの中型ゴブリンに出くわしそうになった。しかし、今の龍也に戦う力はない。彼は木の影に息を潜め、時には大事な食料であるパンを投げてゴブリンの気をそらし、だましだまし、なんとか危険を切り抜けていった。


 そして、半日後。

目の前に、巨大な壁が見えてきた。これまで見たどの門よりも高く、堅牢な門。そこが、新宿の入り口だった。


 門をくぐった瞬間、龍也は息を飲んだ。地面は土ではなく、灰色のコンクリートで舗装されている。そして、見上げれば空が見えないほどの、高層ビル群。様々な人種、奇抜なファッションに身を包んだ人々が行き交い、路上ではライブや大道芸が繰り広げられている。軒を連ねる店の種類も、これまで見てきたものとは比較にならない。まさに、夢の都。その喧騒と活気に、圧倒された。


 まずは、身体を休めるための宿探しだ。しかし、案内板に書かれた料金を見て、龍也は再び現実を突きつけられた。

ホテルは、一泊一万円。旅館は七千円。ビジネスホテルですら三千円。一番安いカプセルホテルでも千円はする。


「……民宿、素泊まり5百円。東横野宿、五十円」


  最後の項目を、二度見した。

「野宿でも、金を取るのかよ……」


 所持金は、千円と少し。アバラが治るまで、しばらくはここに滞在しなければならない。選択肢は、一つしかなかった。彼は受付で五十円を払い、「東横」と書かれたエリアでの野宿許可証を手に入れた。


 とりあえず、痛み止めだけでももらおうと、一番近くの大きな病院へ向かう。しかし、受付で「紹介状がないと診察できません」と、けんもほろろに断られてしまった。仕方なく、路地裏にあった小さな町医者のドアを叩く。


  そこで彼を迎えたのは、優しい笑みを浮かべた看護師だった。……化粧をして、女性の格好をしているが、どう見ても男だ。しかも、剃り跡が青々と残る、濃いヒゲ面の。


「あ〜ら、どうしたのぉ?痛いの?かわいそうにぃ」


 その看護師は、腕は確かだった。的確な処置で痛み止めを処方してくれた。だが、その優しい手つきは、なぜか必要以上に龍也の身体を撫で回してくる。


「ちょっと、胸板厚いじゃないのぉ。いい身体してるわねぇん」


 オネエ言葉で囁きながら、たくましい腕で龍也の肩を抱いてくる。龍也は、折れたアバラの痛みとはまた別の、背筋が凍るような恐怖を感じながら、その優しくも危険な腕から、そっと身を引くのだった。


 町医者の診療所で痛み止めの薬をもらっている最中、龍也はこらえきれずにゴホッ、ゴホッと激しく咳き込んでしまった。折れたアバラに響き、顔をしかめる。その様子を見ていたヒゲ面のオネエ看護師――ミミィと名乗った――の表情が、すっと変わった。

「……ちょっと、あんた。その咳、ただの風邪じゃないわよ。先生、この人ちゃんと診てあげて!」


 医者に促されるまま、精密検査を受けることになった。その結果、彼の身体に新たな問題が見つかった。内臓に、複数の疾患が見られるというのだ。

「中年特有の症状に加え、身体を酷使しすぎた反動だね。あと……君が使ってるその『万能薬』、確かに効果は絶大だが、短期間での多量摂取は、身体の内部に歪みを生じさせる。無理が祟ったんだよ」


 医者の淡々とした説明が、龍也の心を深く抉った。アバラの骨折だけでなく、身体の内部まで蝕まれていた。このままでは、先に進むことなど到底できない。自分は、物語の主人公のような特別な存在ではない。無理をすれば壊れる、ただのしがない中年男なのだ。自分が勇者になれるわけがない。その厳しい現実を、彼はまざまざと思い知らされた。


 うなだれる龍也の肩を、ミミィがそっと、しかし力強く抱いた。

「大丈夫よ、たっちゃん。あんたは勇者になれるわ」

「……無理ですよ。俺は、もう……」

「一人でなろうとするから、無理なのよ。仲間と、共に、よ」

その言葉が、龍也の心に不思議と響いた。仲間。今まで、そんな発想はなかった。この世界に来てからずっと、たった一人で戦ってきた。だが、もう限界なのかもしれない。


 ミミィの言葉に背中を押され、龍也は新宿で仲間を探すことを決意した。

だが、どうやって?どこで探せばいい?あてもなく、広大な新宿の街を歩き回るが、仲間になってくれそうな人間など、そう簡単に見つかるはずもなかった。


 野宿をしながら、身体を休める日々。最近、安くて量が多い定食屋を見つけ、そこに入り浸っていた。ある日、店の大将に仲間探しのことを相談してみると、有益な情報が得られた。

「ああ、そういう連中なら、歌舞伎町のどこかに溜まり場があるって聞くな。どの店かは知らねえが」


 繁華街、歌舞伎町。ネオンが煌めき、客引きの声が飛び交う、眠らない街。しかし、今の龍也には、そのきらびやかな世界に足を踏み入れる金がない。アバラの傷もまだ癒えず、討伐に出て稼ぐこともできない。八方塞がりだった。


 その日の夕方、診療所の前を通りかかると、ちょうど仕事を終えたミミィが出てくるところに出くわした。

「あら、たっちゃんじゃないの。ちょうどよかったわ。アタシの馴染みの店、行かない?奢ってあげるわよん」


 ミミィに腕を引かれるまま連れて行かれたのは、歌舞伎町二丁目の雑居ビルの一室。けばけばしい看板が掲げられた、「HEAVEN」だった。

そして、驚いたことに、そここそが龍也の探していた「討伐仲間が集う場所」だったのだ。


 店の中には、様々な人種が集っていた。カウンターでプロテインをシェイクしている、ゴードン以上の筋骨隆々のマッチョマン。ソファでぐでっと溶けたように座っている、骨があるのかも怪しいふにゃふにゃした男。そして、隣で楽しそうにカクテルを飲む、ミミィのような人々。お世辞にも、「まともそう」な人間は見当たらなかった。


 顔なじみであるミミィが、色々な人物に紹介してくれた。しかし、すぐに仲間が見つかるわけではなかった。これから、命を預け、死線を共にする仲間だ。慎重に選ばなければならない。


ミミィに礼を言いながら、この個性豊かすぎる人々がひしめく「HEAVEN」で、自分の運命を共にできる仲間を、じっくりと探すことを心に誓うのだった。


 個性豊かな討伐者たちが集う「HEAVEN」。ここが仲間探しの拠点であることは間違いない。しかし、問題があった。この店に毎日通えるほどの金がないのだ。ミミィに奢ってもらってばかりもいられない。どうしたものか、と野宿先の路地裏で頭を抱えていた、ふと、ある考えを思いついた。


「そうだ、ここで働かせてもらえばいいんだ」


自分には、二十年以上大衆居酒屋で働いてきた経験がある。特に、厨房での料理の腕には自信があった。


 翌日、龍也は意を決して、まだ開店準備中の「HEAVEN」のドアを叩いた。

店の「ママ」である、恰幅のいい熟年のマダム・ロゼが、訝しげな顔で龍也を迎える。

「あら、昨日の冴えないおじさんじゃないの。何か用かしら?」

「あの、ここで働かせてもらえませんか。俺、料理が得意なんです。居酒屋で長年、厨房に立ってました」


 マダム・ロゼは、面白そうに眉を上げた。

「へえ、料理ねえ。ちょうど、うちのフードメニューにも飽きてたところよ。いいわ、アタシを納得させられる一品を作れたら、考えてあげなくもないわよん」


 試されることになった。厨房を借り、腕まくりをした。この店の客層は、討伐で身体を酷使している荒くれ者たちだ。彼らが求めるものは何か。居酒屋時代の経験から、一つの答えを導き出した。


「男は黙って、ニンニクと肉だ」


 豚バラ肉を豪快に炒め、キャベツともやしを投入。醤油ベースの秘伝のタレを絡め、仕上げに、これでもかというほど大量のおろしニンニクをぶち込む。香ばしく、食欲を暴力的に刺激する香りが、店内に充満した。


「お待ちどう!特製、ニンニクたっぷりスタミナ野郎炒めだ!」


 カウンターに皿を置くと、ちょうど店に来ていた、あのプロテイン好きのマッチョマンが、その匂いに引き寄せられてきた。彼は、山と盛られた肉野菜炒めを一口頬張った瞬間、その動きを止めた。そして、次の瞬間。


「うおおおおぉぉぉ!このガツンと来るニンニクの風味!疲れた身体の隅々にまで染み渡る、このジャンキーな味わい!俺の、俺の上腕二頭筋が、歓喜の声を上げているッ!!」


 マッチョマンは、絶叫しながら皿を抱え、猛烈な勢いでスタミナ炒めをかきこみ始めた。その様子を見ていた他の常連たちも次々と注文し、店内は「美味い!」の大合唱に包まれる。


 マダム・ロゼは、その光景に満足そうに頷くと、龍也に向かって艶然と微笑んだ。

「合格よ、たつやん。あんた、今日からうちの厨房係。雇ってあげるわ」


 こうして龍也は、討伐者たちが集う「HEAVEN」の厨房係として、新たな職を得た。これで、日々の生活費を稼ぎながら、腰を据えて、未来を共にする仲間をじっくりと探すことができる。


 彼は、熱気あふれる厨房でフライパンを振りながら、この個性的なバーで始まるであろう、新たな出会いに胸を膨らませるのだった。

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