第八一話 木霊の谷と、鞘に眠る誓い編 その参
立科の宿場町に着いたのは、昼を少し、回った頃だった。
再会してからの道中、レンにとっては、複雑な時間だっただろう。
彼の、横には、ずっと、かすみが、うつむき加減で、黙ったまま、歩いている。
そして、反対側の横では、じんたが、引っきりなしに、何かを、しゃべり続けている。
その、奇妙な光景を、三人は、微笑ましく、眺めながら、たどり着いた。
宿をとり、まずは、風呂に浸かる。
まだ、昼下がりだ。夕食までは、のんびりとした、時間が、流れていた。
改めて、レンに向き直り、龍也は、礼を言った。
「……ありがとう、レン。助かった」
「……いえ。皆さんが、ご無事で、何よりです」
静かな、会話。
部屋には、ゆうこ、かすみ、レン、そして、龍也の、四人だけがいた。
やかましいじんたがいない。シンジも、だ。
ゆうこと目が合い、龍也は、納得した。
(……なるほど。電話をかけに、行ったんだな)
かすみは、部屋の片隅で、もじもじとしている。
ゆうこは、片肘をつきながら、ぼんやりと、窓の外を眺めていた。
賑やかなのが、いないが、龍也は、話を、始めてみることにした。
「……レン。……ちょっとで、いいんだ。……話しして、いいかな」
「……はい」
「もう、気になってるとは、思うんだが、あの子が、ああなのは、あまり、気にしないでやってくれ」
「……なぜ、先に行ってたはずなのに、あそこに、いたんだい?」
「…………」
「やはり、教えては、くれないか。」
「……それでは、こうしよう。……俺が、色々聞くから、答えたいものだけで、いい。答えては、くれないか」
「……分かりました」
「それじゃあ。……なぜ、水上から、何も言わずに、行ってしまったのか?」「なぜ、衛兵を、やめたのか?」「これから、どこに、向かうつもりなのか?」「あの子が、泣いている理由を、知りたくはないか?」「なぜ、我々が、ここにいるのか、知りたくはないか?」「そして、なぜ、我々の誘いを、断ったのか?」
「……好きな食べ物は?」「彼女は、いるのか?」「好きな子は、いるのか?」
「……どうかな?」
「……野沢菜です。……彼女も、好きな子も、いません。……答えられるのは、これだけです。……すみません」
レンは、そう言うと、静かに立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。
かすみが、後を追おうとして、諦めた。
「……まいったな」「仕方ないじゃろ」「野沢菜か。この地域、特有の、漬物だな」「なんじゃ、そりゃ」「長野の、家庭には、常備してある、美味いやつさ」「ふーん。そんなに、うまいんか」「ああ。ご飯に、最高だ」
「ふふっ」「お、笑ったな」「なんか、ご夫婦の、会話みたいで」「な、何、言うとんじゃ!」
「それより、よかったなあ、ほんに」「何が、ですか?」「おらんて」「何がですか?」「おなごじゃ『彼女』も『好きな子』も、おらんて、言うとったじゃろうが」
ようやく、その意味が、分かったらしく、かすみは、顔を真っ赤にして、下を向いてしまった。
そこへ、じんたとシンジ、そして、レンが、入ってきた。
じんたは、やけに、ご機嫌だった。
ポーカーフェイスを、装ってはいるが、その、嬉しさが、全身から、零れ落ちている、奴もいる。
一人、レンだけが、バツが悪そうで、かわいそうに見えた。
夕食を食べに行き、部屋に戻る。
明日は、いよいよ、最終目的地、塩尻。時間は、同じく、八時間ほど。明日も、早朝の、出発である。
皆が、寝る準備をし終えた時、シンジが「レン、少し、付き合え」と、彼を連れ、街に、唯一ある、飲み屋へと、向かった。
じんたが「おらも、行く!」と、言い出しそうなのを、ゆうこの、無言の威圧が、抑えつけた。
じんたは、布団を被って、震えている。
かすみは、気になって、落ち着かない。ゆうこが「明日も、早いんじゃから、はよ、寝んさい」と、諭している。
龍也は、シンジを信じて、横になった。眠れは、しないだろうが。
酒を飲みながら。
シンジは最初に、レンと出会った時のことを、思い出話のように、話し始めた。
「……あの時は、よく、話ししたな。今、あまり、しゃべれないのが、残念だ」
そして、シンジは、自分も最初は、このパーティへの、参加を拒んだ話をした。
事件の事、亡き恋人結子の事も。そして、この仲間たちの、人となりを、熱く語った。
その、シンジの、誠実な言葉に、レンも、ついに重い、口を開いた。
「……実は、俺が、衛兵を辞めたのは……。ある事件で、王族を、守る際に……事故で、仲間を、亡くしたからです」
「……その仲間は、守護している、最中、突然、狂い出して……。俺が、構えていた、剣に、自分から、刺さりに、来たんです。……だが、俺が、あの時、剣を、引いていれば、彼は、死なずに、済んだかもしれない……。それ以来、俺は、剣が、怖くて、持てないんです」
「……あなたたちは、本当に、気持ちのいい、方たちです。俺も……俺も、本当は、一緒に、旅がしたいです。だけど、俺には、もう、その資格が、ないんです。……すみません」
「……最後に、一つだけ、聞いてもいいか」
シンジが、静かに、言った。
「……これは、俺の想像でしかないんだが。……聞いていて、少し、気になったことがある」
「……何ですか」
「……もし、その、死んだという、仲間が、事故ではなく、わざと、だったら?」
「わざと?わざとって、どういうことですか?」
「……その彼が、突然、狂った、と言ったな。……それが、もし、何者かの、魔物のしわざ、だったとしたら?」
「……まさか……。……そんな……。……分かりません。……でも、俺の剣で、彼は……。あの、肉を、断つ、感触が……。この手に……。ううっ……う、うう……」
「……調べに行かないか。……本当のことを」
その、シンジの、一言。
それは、レンの、閉ざされた、心を、こじ開ける、鍵となった。
宿に帰り着いたのは、深夜も、とうに、過ぎた頃だった。
案の定、誰も、寝ていない。
じんた、かすみが心配そうに、彼らを待っていた。
「……遅かったな」
龍也の、言葉に、シンジは、黙って頷いた。
そして、彼がレンの過去、そして、今の決意の、全てを静かに話し始めた。
静まり返ってる、部屋の中。
レンが、今まで黙っていた事を話し始める。
水上から、何も言わずに、去ってしまった、本当の理由。
「……皆さんの、顔を、見たら、苦しくなるから……」
彼は、続けた。
「……あの場所にいたのは、伐採できる木があるのか、このあたりの生態を、調べていただけでした。
たまたまです……只、今は偶然ではないと思っています」
「一つ……聞いても、いいかな」
「はい」
「……あの時、助けてくれた時。……魔物を、真っ二つにした、あれは、剣ではないのか?」
「……はい、違います。これです」
そっと、腰に、つけていた、物を見せた。
それは、かすみでも、持てそうなほどの、小さな、片手斧だった。
「……こんな、小さな斧で、あの、飛ぶ魔物を……!」
驚愕の声を上げる。(すごい力だ。ヤリでさえ、刺さらなかった、硬い身体を、あれで……)
「……これは、樹の状態を、調べるための物です。剣は、ありません」
「あなたがと、共に歩みたい、でも、やはり、魔物でなかったと思うと、まだ、気持ちが...…松本に行ってから、決めさせて頂けないでしょうか?」
その、レンの、言葉に皆が、静かに頷いた。
「……話してくれて、ありがとう、レン」
「……そして、もう一度、助けてくれて、ありがとう」
かすみは、喜びで、泣いてる。
ゆうこが、その、小さな身体を、優しく、抱きしめて、よしよし、と、あやしている。
じんたも、その、感動的な、光景に、目を、潤ませていた。
龍也と、シンジは、静かに、頷いた。
事件の場所は『松本』……そこは、少し、栄えている。
宿場町では、珍しく、城がある……そこに王族がいる。
一行は、ほとんど、寝ていない。しかし、その、気持ちは、すっきりと、晴れ渡っていた。
朝、一番で出発だ。向かうは松本。
レンの、過去を清算し、彼を本当の、仲間にするため。
しかし、その朝の、かすみの顔は、ひどかった。
目が、パンパンに、腫れ上がり、顔色は、青白い。
じんたが「泣きすぎだど!かすみは」とからかった。
ゆうこは、付き添い、かすみの目に、冷たい手ぬぐいを、当ててやりながら歩いた。
「お前もじゃろうが!」「おら泣いとらん」「よう、言うわい!」
いつもの、二人の、やり取りが、戻ってきた。
松本を目指し、山道を、歩き始めて、数時間。
一行は、深い森の中へと、足を踏み入れていた。
その、木々の、鬱蒼とした、薄暗い、道を進んでいると、不意に、足元が、ぐらりと、揺れた。
ドォォン!ドォォン!
遠くから、地響きのような音が、聞こえてくる。
それは、少しずつ、しかし、確実に、こちらへと、近づいてくる。
「……なんだ!?」
シンジが、警戒し、鉄鈎を、構える。
そして、茂みを、なぎ倒すように、現れたのは、想像を、絶する、魔物だった。
それは、まるで、動く、樹そのもの。
巨大な、樹木の幹と、無数の葉を、身体に、まとった、馬の形をしている。
蹄は、大地に、深く、根を張る、根っこのような、太い、蔓。
鬣は、鋭く、枝分かれした、小枝と、葉っぱの、塊だった。
その魔物「アルボロス」は、一行を、見つけると、森が、唸るような、咆哮を、上げた。
「……でけえ!」
じんたが、思わず、声を、上げる。
アルボロスは、とにかく、動きが、遅い。
しかし、その、一歩、一歩が、大地を、揺るがすほどの、衝撃を生み出し、その、巨体から、放たれる、威圧感は、凄まじいものだった。
「かすみ!足止めを!」
「はい!」
かすみは、杖を構え、「アイスコフィン」を、放つ。
アルボロスの、巨体を、氷の棺に、閉じ込めようとするが、その、強靭な、樹木の身体は、簡単には、凍らない。
その時、アルボロスが、その、鬣の、枝葉を、激しく、振り乱した。
ヒューッ!
舞い上がった、無数の、葉が風に乗って、一行へと、降り注ぐ。
その、葉が、顔に触れた瞬間。龍也の、視界が、ぐにゃりと、歪んだ。
(……なんだ、これは……!)
幻覚葉。アルボロスが、周囲に、幻覚を、見せる、特殊な、葉を、ばら撒いたのだ。
「……くそっ!動きが、読めない!」
シンジが、混乱した、錯覚に、陥る。
「幻じゃ!惑わされるな!」
ゆうこが、叫ぶが、彼女自身も、かすかに、頭痛を、感じているようだった。
その、混乱の中、アルボロスが、吼える。
グオオオオォォォ!
すると、周囲の、木々が、一斉に、ざわめき、その、枝が、龍也たちを、攻撃するかのように、しなり始めた。
森と共鳴。アルボロスが、周囲の木々を、操り、攻撃補助をしてくるのだ。
「じんた!アルボロスの、目を、狙え!」
龍也が、叫ぶ。
じんたは、幻覚に、惑わされながらも、その、シーフとしての、鋭い勘で、アルボロスの、弱点である、目を、狙い、発光玉を、投げつけた。
ピカっ!と、まばゆい光で、アルボロスの、巨体が、ぐらりと、揺れる。
その、隙に。シンジが、幻覚を、押し切り、アルボロスの、懐へと、飛び込んだ。
鉄鈎が、その、樹木の身体に、突き立てられるが、傷は、浅い。
アルボロスは、怒り狂い、その、枝の鬣を、鞭のように、しならせ、シンジへと、叩きつけた。
ドゴォォン!
凄まじい、衝撃。シンジの、身体が、吹き飛ばされる。
「シンジ!」
絶体絶命。
龍也は、奥歯を、食いしばった。
(……こんなところで、負けるわけには、いかない!)
その、時、龍也の、横に、レンが、立っていた。
彼の、手には、いつの間にか、あの、小さな、片手斧が、握られている。
その、瞳には、迷いはない。
「……俺が、やります」
そう言うと、レンは、アルボロスへと、真っ直ぐに、向かって行った。
龍也は、一瞬、止めるべきか、迷った。
しかし、彼の、静かな瞳に宿る強い決意を見て、何も言えなかった。
レンは、その、小さな片手斧を、まるで、自分の体の一部のように、軽々と操る。
アルボロスが、その、巨大な枝を、鞭のようにしならせ、彼へと叩きつけようとする。
しかし、レンの動きは、素早かった。
枝の、一軌跡を、紙一重で、かわし、その斧を、アルボロスの、根っこのように、太い蹄へと、叩き込んだ。
ガキン!という、鈍い音。
それは、シンジの、鉄鈎が、弾かれた時と、同じ音。
しかし、レンは、諦めない。
彼は、まるで、木こりのように、斧を、巧みに、操り、同じ場所を、何度も、何度も、打ち据える。
その、一撃、一撃は、決して、派手ではない。
しかし、その、全てが、アルボロスの、弱点である、根の奥深くに、確実にダメージを、与えていく。
その、まるで、樹木を、伐採するような、正確で、無駄のない、動き。
それは、衛兵として培われた剣技と、木こりとして育った経験が融合した、彼、独自の戦い方だった。
「グオオオオォォォ!」
アルボロスが、苦悶の、咆哮を、上げる。
その、身体から、放たれる、幻覚葉の量も、明らかに増している。
龍也たちも、かすかに、頭痛を、感じている。
「……ゆうこ!幻覚を、どうにか、できないか!」
龍也が、叫ぶ。
「……無理じゃ!この、範囲魔法は、わしの、回復魔法では、打ち消せられん!」
その、時、かすみが言った。
「……私に、任せてください!」
彼女は、杖を構え、一つの呪文を、唱え始めた。
「ルーセント!」
かすみの、詠唱と共に、彼女の、杖の先から、淡い、光の波動が、放たれた。
それは、龍也たちの、頭の中に、直接流れ込んできた、幻覚を打ち消し、視界をクリアにする。
かすみの、ルーセントが、パーティ全体の、精神を、クリアにしていく。
それにより、幻覚葉の、効果は、完全に、消え失せた。
「今だ!一斉攻撃だ!」
龍也の、号令が、飛ぶ。
シンジが、アルボロスの、枝に、鉄鈎を、切刻んでいく。
じんたが、その、背後から、影縫いのマントで、幻影を作り出し、アルボロスの、注意を、引きつける。
龍也は、ヤリを、アルボロスの、根に向かって、渾身の一撃を放つ。
その、一撃、一撃が、確実に、アルボロスの、生命力を、削っていく。
そして、レンが、決定的な、一撃を、放った。
彼は、その、小さな斧を、高く掲げ、アルボロスの、根に、渾身の一撃を、叩き込んだ。
ゴォォン!
アルボロスは、巨体を、大きく、揺らし、体勢を、崩した。
その瞬間を、ゆうこは、見逃さなかった。
彼女は、水晶の杖を、天へと掲げ、その全ての魔力を、集中させる。
「……そこじゃあ!」
「ヴォルト!」
バリバリバリッ!という轟音と共に、アルボロスの巨体は、その根元から、激しく、震え上がった。
その、雷撃による、麻痺と、焦げ付く匂いが、あたりに、立ち込める。
しかし、アルボロスは、まだ、倒れない。
その、焦げ付いた、根から、再び、幻覚葉を、撒き散らそうと、苦しげに、身をよじる。
「……かすみ!」
龍也の叫びに、かすみが応じる。
彼女は、詠唱を始めた。その、杖の先には、熱を帯びた、赤い光が集まっていく。
「アルドゥル!」
放たれたのは、一点に集中した、爆ぜるような、赤い火炎。
それは、一筋の業火となって、アルボロスの、最も深部に残っていた、生命の核を焼き尽くした。
ドゴォォン!という、轟音と共にアルボロスは、その巨体を、大きく爆発させた。
炎は消え、葉は燃え尽きた、ただの、巨大な朽ちた樹木と化した。
戦いは終わった。
一行は、息を弾ませながら、その巨体を見下ろす。
全員、無傷ではなかったが、誰も深刻な傷は、負っていなかった。
「……今の、魔法は……」
龍也が、驚愕の声を上げた。
その、根を、焼き尽くす、強大な、炎魔法。それは、かすみの、新たな力の、覚醒を、示していた。
「……私もよく、わかりません。なんか急に、身体の奥から力が湧いてきて……」
かすみも、まだ、戸惑っているようだった。
「……レン…………ありがとう」
龍也が、言うとレンは静かに頷いた。
その、瞳にはまだ、悲しみの影が宿っている。
しかし、手の中には、確かに、斧が握られていた。
彼は、まだ、剣を持てない。
だが、仲間を守るために、彼は再び、武器を取ったのだ。
その、小さな一の歩が、彼にとって、どれほどの意味を持つのか。
龍也は静かに、レンの、肩を叩いた。
松本の街は、もう、目と鼻の先だ。