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第七話 二日間の死闘と新たな町

 「一年、やっと一年かけてここまで来た、長かった、昔やったRPGの時でさえ次の街まで一ヶ月もかからなかったのに、いくら年だからといってこんなにかかるとは」


この世界に来てから、一年という月日が流れた。


 橋を渡り、慣れた足取りで森を進む。これが、二日間にわたる旅の一日目。討伐しながらの道中だ。歩き始めてまだ二時間ほどだが、今のところ現れるのは赤いスライムとゴブリンばかり。まだ見ぬ新種の敵には遭遇しない。

 昼になり、龍也は手頃な岩に腰掛けてパンをかじった。さっきの戦闘を思い返しながら、今後のシミュレーションを頭の中で繰り返す。竿竹をこう振れば、ゴブリンの盾を弾き飛ばせるかもしれない。足の運びをこう変えれば、赤いスライムの突進をより効率的に捌けるだろう。シャドーボクシングのように、敵の動きを想定し、己の動きを組み立てていく。この一年で身についた、彼の生存戦略だった。


「そういえば、ゴブリンは四十円だったな……」


 ふと、そんなことを思い出す。赤いスライムの三十円よりはマシだが、決して高いとは言えない。安い、と今でも嘆きたくなる。それでも、最初の頃に戦っていた青いスライムに比べれば倍だ。塵も積もれば山となる。今はただ、着実に稼ぎ、先に進むしかない。


 パンを食べ終え、再び歩き始める。

小さな小川を飛び越え、さらに森の奥深くへと入っていくと、不意に木の影から黒い影が飛び出してきた。翼を持つ、コウモリのような魔物だった。

「飛ぶ敵か!」

空を飛ぶ生物は、やはりすばしっこい。高速で龍也の周りを飛び回り、隙を見ては鋭い爪で攻撃を仕掛けてくる。しかし、その攻撃パターンは単調だった。遠くへ離れ、勢いをつけて突っ込んでくる。その繰り返しだ。


「そこだ!」


 パターンを読んだ龍也は、突っ込んでくるタイミングに合わせ、竿竹を槍のように突き出した。長いリーチが、コウモリの魔物の懐に届く。悲鳴を上げて墜落した魔物の後には、コインが数枚残されていた。四十円。


「……これも四十円かよ。五十円くらいくれてもいいだろうに」


 がっかりしながらも、先を急ぐ。まだ時間はある。更に奥へと進むと、森を抜け、目の前にじっとりとした湿地帯が広がった。ぬかるんだ地面に足を取られ、非常に動きづらい。そして、こういう厄介な地形には、決まって厄介な魔物が潜んでいるものだ。


 案の定、ぬかるみの中からぬるりとした何かが現れ、龍也の足にまとわりついてきた。巨大なヒルの魔物だ。必死に竿竹の柄で叩き落とすが、そのわずかな間にチクリと鋭い痛みが走る。見れば、足には小さな穴が開き、血が吸われていた。


「くそっ!」


 すぐに万能薬を口に含み、傷口を塞ぐ。治癒はしたが、失われた血液は戻らない。貧血気味で、頭がくらりとする。慌ててパンを口に放り込んだ。炭水化物が血糖値を上げ、なんとか意識を保つ。この世界でも、基本的な人体の仕組みは変わらないらしい。


 湿地帯は、想像以上に厄介だった。ぬかるみに足を取られながら、繰り返し襲いかかってくるヒルの魔物と、上空から奇襲をかけてくるコウモリの魔物。龍也は幾度となくその二種類の魔物を討伐しながら、一歩、また一歩と、ぬかるみの中を必死に進んでいくのだった。


 長い湿地帯をやっとの思いで抜け出す頃には、空は茜色に染まり始めていた。夕暮れだ。龍也は近くを流れる川で水筒を満たすと、急いで野営の準備に取り掛かった。テントなどという高級品はない。

頼れるのは、このスコップのみだ。


 日が完全に落ちる前に、なんとか自分の身体が隠れるくらいの大きさの穴を掘り終える。

出来上がった頃には、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。

 どこからか聞こえてくる、グエグエというカエルの鳴き声と、リンリンと鳴く虫の音。それに混じって、遠くの方から、明らかにこの世界の生き物のものだと分かる、獣の咆哮が響いてくる。


 唾を飲み込み、掘ったばかりの穴の中へと身体を滑り込ませた。土嚢代わりに掘り出した土を入り口付近に積み上げ、できるだけ気配を消す。夜の闇は、昼間とは比較にならないほどの恐怖を連れてくる。何が潜んでいるか分からない外の様子を、彼は怖くて見ることができなかった。


 ただひたすらに、夜明けを待つ。

日中の激しい戦闘と、慣れない野営の緊張感。疲労はピークに達していた。硬い土の上で、いつの間にか深い眠りに落ちていた。


 ふと、瞼に感じる暖かさで、目を覚ました。夜明けだ。燦々と降り注ぐ朝日が、闇の恐怖を消し去ってくれる。身体の節々は痛かったが、なんとか最悪の夜を乗り越えた安堵感で、彼の心は満たされていた。


「よし、出発するか」


 穴から出ようと、そっと外の様子を伺った瞬間、息を飲んだ。

穴のすぐそこ。手を伸ばせば届きそうな距離に、四,五匹の魔物が身を潜めるようにして待機している。こちらが穴から出るのを、じっと待っていたのだ。おそらく、夜の間に匂いを嗅ぎつけ、集まってきたのだろう。


 背筋に冷たい汗が流れる。囲まれている。不用意に出れば、一瞬で八つ裂きにされるだろう。


どうする。龍也の頭が、高速で回転した。

(……食い物だ)

腹を空かせているに違いない。ならば。


 荷物の中からパンを一つ取り出すと、穴の入り口とは逆の方向へ、放り投げた。パンは放物線を描き、少し離れた茂みの中に落ちる。

その瞬間、魔物たちの注意が、一斉にそちらへ向いた。一匹が警戒しながらも茂みへ近づき、パンを見つけてそれに食らいつく。他の魔物たちも、我先にとそちらへ駆け寄っていく。


「今だ!」


 そのわずかな隙を突き、龍也は穴から飛び出した。そして、パンに夢中になっている背後から、竿竹を疾風のように振るった。不意を突かれた魔物たちは、なすすべもなく一撃、二撃の前に次々と倒れていく。


 最後の二匹がようやく気づいて振り返った時には、勝負は決していた。落ち着いてそれらを仕留め、荒い息をついた。朝一番から、とんでもない死線をくぐり抜けてしまった。彼は胸の鼓動を鎮めながら、改めてこの世界の厳しさを噛みしめ、再び次の街を目指して歩き始めるのだった。


 朝一番から命拾いした、気を引き締め直し、再び歩き続けた。道は順調に進み、昼過ぎにはせせらぎが心地よい、小さな滝に出くわした。あたりには赤いスライムが数匹うろついていたが、もはや敵ではない。竿竹で難なく退治し、滝のほとりで一息つくことにした。


「さて、あとどれくらいかな……」

地図を広げ、現在地と次の街までの距離を測っている、その時だった。

滝壺の水面が、不自然に波立った。そして、ぬるりと姿を現したのは、一匹の蛇だった。龍也の胴体ほどもある太さ、その全長は二メートルを優に超えているであろう大蛇だ。鎌首をもたげ、チロチロと舌を出しながら、冷たい目で龍也を値踏みしている。


 全身の毛が、ぶわりと逆立った。身構え、慎重に相手の出方を伺う。動きは、速い。そして、時折見える牙は禍々しいほどに鋭い。

(噛まれたら、終わりだ)

毒がある。間違いなく、即死級の猛毒が。その恐怖が、龍也の闘争本能を完全に麻痺させた。


 蛇の目を睨みつけたまま、ゆっくりと、音を立てないように荷物を片付け始めた。そして、一歩、また一歩と後ずさりしながら、蛇から決して目を離さない。十分な距離を取ったと判断した瞬間、一目散に走り出した。


 後ろを振り返る余裕などない。ただ、無我夢中で走る。ぬかるんだ地面、絡みつく木の根。だが、彼の足はもつれない。この一年、ゴードンとの地獄の特訓で鍛え上げられた体幹と脚力が、この土壇場で活きていた。

(ゴードンさん……あんたに、初めて心から感謝するぜ……!)


 どれくらい走っただろうか。息も絶え絶えになり、ようやく後ろを振り返ると、そこには何もいなかった。初めて、戦わずに逃げて助かった。全身は汗でびしょ濡れになり、気持ち悪いことこの上ないが、着替えている余裕などなかった。水辺は、やはり危険だ。彼はその事実を骨身に染みて再認識し、とりあえず安全そうな茂みを見つけて、そこに倒れ込んだ。


 だが、流石におっさんだ。猛ダッシュによるスタミナの消耗は、想像以上だった。

「ダメだ……もう、一歩も動けん……」

日はまだ高いというのに、身体が鉛のように重い。万能薬を飲んでみたが、細かな傷は癒えるものの、この骨身に染みるしんどさまでは消えなかった。


 とにかく、街まで行きたい。しかし、がむしゃらに走ったせいで、自分が森のどこにいるのか、完全に見失ってしまった。

重い身体を引きずり、ゆっくりと辺りを散策する。すると、茂みの奥からガサリと音がして、一体の魔物が姿を現した。それはゴブリンだったが、いつもの奴らより一回り体が大きく、目つきも鋭い。


「ここで、こんなのが出んのかよ!」

俊敏な動きなど、もはやできはしない。肩で息をしながら、なんとか竿竹を構える。激しい攻防の末、二、三発、重い攻撃を脇腹に食らいながらも、なんとかそれをやっつけた。後に残されたコインを拾い上げる。百円。


「おおっ!」


 これまでの敵より格段に高い報酬に、思わず喜びの声が出た。だが、その直後、攻撃を食らった脇腹に激痛が走り、その場に倒れ込みそうになる。アバラが、痛い。折れているかもしれない。咳払いをすると、骨に響くような痛みが走る。

「まずいな……」

次に出くわしたら、もう戦えない。


 絶望が胸をよぎった、その時だった。ふと、茂みの向こうに、明らかに人工的な木の柵が見えた。なんだ?と近づくと、柵の上には有刺鉄線まで張り巡らされており、どう見ても魔物よけの防壁だった。


 着いたのか?

最後の力を振り絞り、柵に沿って歩き続けた。そして、ついに、大きな門が見えてきた。街だ。ついに、次の街にたどり着いたのだ。


門をくぐり、門番に街の名前を尋ねる。

「ここは『練馬』だ」

「練馬……?東京の?」

見渡す限り、ビルなどない自然豊かな風景だが、まあ異世界だ、どうでもいいか。それよりも、この身体をなんとかしなければ。


 まっすぐ診療所へと向かった。出迎えてくれた看護師は、以前のドSナースとは雲泥の差で、天使のように優しかった。

「まあ、大変なお怪我で……!すぐに手当しますね!」

しかし、その優しさと医療技術は、完全に反比例していた。巻いてくれる包帯は緩すぎてすぐに解け、消毒液をかける手つきはおぼつかない。挙句の果てには、痛み止めの注射で血管を突き破られ、腕が青黒く腫れ上がった。


 奥から出てきた医者が、胸部のレントゲンを見て診断を下す。

「うん、アバラが二本、綺麗に折れてるね」

そして、コルセットを巻いてくれることになったのだが、先ほどの天使のように優しい看護師が、良かれと思ったのか、渾身の力でそれを締め上げてきた。


「ぐっ……!」


ギリギリと圧迫される胸。折れたアバラにコルセットが食い込み、龍也の意識は、そこでぷつりと途絶えた。

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