第七二話 温泉郷の詩編 その二六
源泉の周りは、まだ毒の気配が、完全に消え去ってはいない。
迂闊に、湯に浸かるのは危険だった。
一行は、最低限の調査と、サンプルの採取を終えると再び、沼田への帰路についた。
道中、出現する魔物は、もはや彼らの敵ではなかった。
和やかな雰囲気の中、一行は勝利の、余韻に浸っていた。
その時だった。
「……そういえば、おら、こんなの、拾ったど」
じんたが、そう言って、懐から、一つの、小さな、石ころのようなものを、取り出した。
それは朝、彼が、源泉の水を飲んで倒れる、少し前のこと。
シンジと交代し、少しだけ目をつむったが、どうにも喉が渇いて。
(……源泉の水なら、安全だべな)
そう、安易に考え、水を飲みに、源泉へと向かったその時。
ちょうど、ヤマタノギドラが、とぐろを巻いていた、その泉の、水底で、何かがキラリと、光るのが見えたのだ。
(……なんだべ?きれえだな)
彼は、それを、何気なく拾い上げ、懐にしまっていたのだった。
「……なんだべな、これ?」
じんたが、皆にその、石を見せる。
それは、完全に透明で、中には常に、清らかな水が渦巻いているように見える、不思議な宝玉だった。
「わあ……。綺麗ですね」
かすみが、うっとりとそれを見つめる。じんたはその宝玉を、彼女に手渡した。
かすみが、太陽の光にそれを、かざすと、宝玉は虹色の、美しい光を放った。
「あたしも、見たいわ!ちょっと、貸して!」
ミミィが、それを、受け取り自分の、指先で転がす。
「あら、可愛いわねえ」
「わしにも、ええか?」
そして、宝玉は、ゆうこの、手へと渡された。
彼女が、それを、空に掲げた、その瞬間だった。
宝玉が、これまでとは、比較にならないほどの眩い、光を放ち始めた。
そしてその光は、まるで生き物のように、ゆうこの身体へと流れ込み、全身を温かい、緑色の光で、包み込んでいったのだ。
「な、なんじゃ、こりゃあ!」
ゆうこが、驚きの声を上げる。
その、身体に、直接流れ込んでくる、膨大な生命エネルギー。
それは、彼女が持つ、治癒の力と共鳴し、その、能力を何倍にも、増幅させていくような感覚だった。
やがて、光が、収まる。
ゆうこは、呆然と、自分の手のひらにある、宝玉を見つめていた。
「……こいつ……。ただの、石じゃ、ねえわい……」
この、不思議な、宝玉の正体は、まだ、誰にも分からない。
しかし、それが、とてつもない力を、秘めていることだけは確かだった。
「なんだべ?今のは?なんかおっかねぇがら、ゆうこ、もってげ」
じんたは気持ち悪がってゆうこに上げた。
一行は、意気揚々と、沼田の街へと、凱旋するのだった。
燦燦と照らす昼頃、沼田の街に到着した
一行は、早速宿に戻ると、まずは、街の役所へと向かった。
「水上の、巨大な魔物はいなくなった。だが、温泉の毒が、完全に消えたわけではないから、まだ、絶対に近づかないように」
龍也は、自分たちが、討伐したとは、一言も言わずに、ただ、事実だけを淡々と報告した。
その、龍也の隣で、じんたは、言いたくて、言いたくて、うずうずしている。
(おらたちが、やったんだど!おらが、活躍したんだど!)
その、心の声が、だだ漏れになっているのを察したのか。シンジが、その耳元で囁いた。
「……あまり、目立つと、モテて、まいこさんに、嫌われるぞ」
その、一言は、効果てきめんだった。
じんたは、ぶんぶんと、首を横に振り、「絶対に、言わねえ!」と、固く誓った。
その、やり取りを、見ていたゆうこが、意地悪そうな顔で、今度は、シンジに絡む。
「……シンジも、なつみちゃんに、嫌われたく、ないもんなあ」
「……俺は、別に……」
顔を、赤らめながら、そっぽを向くシンジ。
その、一連の、謎のやり取りを、全く理解できていないミミィだけが、不思議そうに首を傾げている。
「なんでよ〜?なんで、言わないの〜?せっかく、手柄、立てたのに〜!」
「……あんたたち、なんか、不思議〜!」
役所の職員が、「高崎の、避難所には、こちらから、連絡を入れておきますよ」と、言ってくれた。
「どうする?ミミィさん。一度、高崎に戻るか?」
龍也が、尋ねると、ミミィは、
「えー?連絡聞いたなら、向こうから、こっちに、来るんじゃないの〜?」
と、どこまでも、気楽なことを言っている。
宿に戻り、少し休んだ後。
ゆうこ、ミミィ、かすみの、三人は、持ち帰った、毒液や、鱗の、検体を分析し、そのデータを詳細に、記録していく。そして、研究道具を、丁寧に片付けた。
風呂に、ゆっくりと浸かり、ようやく、心からの安堵感に、包まれたせいか。
急に強烈な、眠気がやってきた。
まだ、日は、高いが、少し休もう。
一行は、布団を敷くと、それぞれの、想いを胸に、しばしの、眠りに、ついたのだった。
龍也が、目を覚ましたのは、ドタバタと、やかましい音だった。
そして、その音と、共に、部屋の襖が、勢いよく、開け放たれる。
ミミィと、じんた。二人とも、なぜか、大興奮している。
「大変よ!大変!ちょっと、あんたたち、いつまで、寝てんのよ〜!」
「そうだべ!もう、起きれ!」
隣の部屋から、ゆうこと、かすみも、何事かと、やってきた。
「なんじゃ、騒がしいのう」
聞けば、こうだ。
熊谷、前橋、そして、高崎から、続々と、この沼田の街に、水上温泉の、関係者たちが、荷物を持って、やってきている、というのだ。
龍也たちが、黙っていたにも関わらず、結局、彼らが、ヤマタノギドラを、討伐した、という話は、どこからか、伝わってしまっていたらしい。
そして、そのお礼を、直接言うために、今、この宿の表に、大勢の人が集まっている、というのだ。
龍也が、そっと、窓から外を眺めると、そこには、確かに二十人ほどの、人々が待っていた。
「……じんた」
龍也が、言う。
「お前、代表で、話してきてくれ」
「嫌だべ!なんで、おらが!」
[あんたが、いかんで、どうすんじゃ!」
「そういうの、あんまり、好きじゃ、ないんだよなあ……」
龍也が、言い切る前に。
「何、ゴチャゴチャ、言うとんじゃ!はよ、行け!」
ゆうこは、手を、掴むと、そのまま、表へと、引っぱっていった。
大勢の人に囲まれ、もみくちゃにされながら感謝の言葉を、浴びせられ何度も、何度も、頭を下げる、龍也の姿。
その、様子を、宿の中から眺めながら、ゆうこが、ぽつりと呟いた。
「……なんか、犯罪、おかした家族の、代表が、インタビューで、謝罪会見しとるみたいじゃな」
その、あまりにも、ひねくれた、感想に、シンジは、(この人の、性格は、一体、どこから、来るんだろう)と、心の中で、思った。
汗、びっしょりになって、龍也が帰ってきた。
「お疲れ。……で、なんじゃって?」
「……ああ。……とにかく、お礼を、言われた。……それで、皆さん、一休みしたら、これから、水上に、行くんだって。……故郷を、復興させるんだ、って……。だから、あとで、我々も、手伝いに行きますって、言っといた」
「うちらも、行くんか?」
「な、また、行くだか?毒、まだ、あるかもしんねえし、嫌だ!」
じんたが、文句を言う。
「賛成です!手伝いましょう!」
かすみが、元気よく、手を挙げる。シンジも、静かに、頷いている。
ミミィが、一人だけ、まだ、状況を、理解できていない。
「なんで?なんで、行くの?お風呂、入りに?」
「……復興、手伝いに行いこう」
龍也は、ゆうこの、目を、じっと、見て、言った。
ゆうこは「……分かった……」とだけ、言うと、そそくさと、自分の部屋へと、入っていった。
龍也は、誰にも見られないように、にやりと、ほくそ笑んだ。
「どうしたの?どうしたのよぅ?」
ミミィだけが、ずっと、不思議がっている。