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第六九話 温泉郷の詩編 その二三

 夕暮れ時。

 沼田の宿の扉が、勢いよく開かれた。

 そこに立っていたのは、息を切らし、全身泥と汗にまみれた、シンジだった。

 その手には、ずっしりと重い革袋が握られている。


「……シンジ!?」

 ゆうこが、驚いて駆け寄る。

 シンジは、挨拶もそこそこに、その革袋をゆうこへ手渡した。


「……頼む。……これを使って、必ず、薬を完成させてくれ」

 その、あまりにも真剣な表情。

 ゆうこは、異変を察知した。


「……タツヤと、じんたは、どうしたんじゃ!?」

「……今、病院だ。……タツヤが、治療を受けてる」


 その一言に、ゆうこの血の気が引いた。

 彼女は、研究道具もそのままに、病院へと飛び出そうとする。

 その腕を、シンジが強く掴んで制止した。


「……行くな」

「離さんかい!タツヤが危ないんじゃろうが!」

 ゆうこが食って掛かる。

 しかし、シンジの眼差しはどこまでも冷静だった。


「……これは、タツヤからの、願いだ『ゆうこたちに、これを渡してくれ。必ず、薬を完成させてくれ』と……。そう、言ってた」


 その言葉に、ゆうこは動きを止めた。

 彼女は、ゆっくりとシンジの腕を振りほどくと「……分かった」とだけ呟いた。

 そして、落ち着きを取り戻したところで、シンジが事の経緯を説明し始めた。


「……実は、もう少しで沼田、というところで、魔物に出くわしたんだ。……それほど強い敵ではなかった。だが……」

 シンジの言葉が詰まる。


「……戦闘の最中、急に、龍也が血を吐いた」

「え……!?」

「……おそらく、これまでの無理が祟ったんだろう。……その一瞬の遅れで、敵の攻撃をまともに食らっちまった。……頭に、深い傷を負って、そのまま意識がなくなったんだ」


 じんたが龍也を背負い、シンジが道を開き、なんとかこの沼田の街までたどり着いた。

 病院に担ぎ込み、治療を受けている最中だという。


「……病院に着いた時、一度だけ、意識を取り戻した。そして、『ゆうこに、頼む』と……。そう言って、また気を失った」


 託された希望。そして仲間の命。

 ゆうこは、目の前の革袋を強く握りしめた。

 その瞳には、もはや涙はなかった。

 あるのは、ただ静かで、そして燃えるような、決意の炎だけだった。


「……ミミィ、かすみ。……やるで」

「……ええ」

「……はい!」


 三人の研究部隊の、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。

 それは、仲間の命を救うための、そして、この絶望的な状況を覆すための、最後の希望だった。


 シンジの話を聞き終えた後も、研究部隊の三人はすぐには動けなかった。

 あまりにも衝撃的な現実に、リーダーである龍也の不在という重い事実が、ずしりと肩にのしかかる。


「……とりあえず、一度、顔だけでも見に行きましょ」

 最初にそう言ったのは、ミミィだった。


「……そうじゃな。……あいつの顔見んと、落ち着いて研究もできゃあせんわ」

 ゆうこも、それに頷いた。


 三人はシンジに病院の場所を聞くと、足早にそこへと向かった。

 沼田の小さな診療所。その一番奥の個室に、龍也は寝かされていた。


 ベッドの上で、静かに眠る。その頭には、痛々しい包帯が巻かれている。顔色も、青白い。

 隣の椅子では、じんたが、うなだれるようにして座っていた。その小さな背中が、ひどく震えている。


「……じんた」

 ゆうこが声をかけると、じんたはびくりと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。

 その目には、涙が溢れていた。

「……ゆうこ……。……ごめん。おらが、もっとしっかりしてれば……。タツヤは……」

 自分を、責めているのだ。

 そのじんたの頭を、ゆうこは優しく撫でた。


「……あんたのせいじゃないわい。……今は、自分を責めとる場合じゃなかろうが」

 ゆうこは龍也のベッドの横に立つと、その状態を冷静に観察し始めた。

 呼吸は穏やかだ。脈も、安定している。

(……大丈夫じゃ。……まだ、生きとる)

 医者としての冷静な判断。しかし、その握りしめた拳は、かすかに震えていた。


「……シンジは、どこ行ったのよ?」

 ミミィが尋ねた。


「……タツヤさんの傍にいると、冷静でいられないから、と……。外で、頭を冷やしてくると、言ってました」

 かすみが、小さな声で答えた。


 誰もが、ショックを受けている。このままでは、いけない。

 ゆうこは、頬をパン!と、両手で叩いた。


「……よし!帰るぞ!」

 彼女の、その力強い声に、皆が顔を上げた。


「……メソメソしとる暇はないんじゃ!わしらが今、やるべきことは、一つじゃろうが!」

 彼女は、龍也の眠る顔を、じっと見つめた。


「……待っとれよ、タツヤ。……必ず、わしが、お前を、救うたるけえ」


 その、揺るぎない決意。それは、残された仲間たちの心を、一つにした。

 三人は、もう一度、龍也の顔を見ると、静かに病室を後にした。


 外では、シンジが壁にもたれかかり、空を見上げていた。

 その、合流した四人の顔には、もう、悲しみの色はない。

 ただ、燃えるような闘志だけが、そこにはあった。

 彼らは、無言のまま、自分たちの戦場である宿へと、戻っていく。

 託された希望を、形にするために。


 その日から宿の一室はさながら、最前線の研究室と化した。

 テーブルの上には龍也たちが命懸けで持ち帰ってきた、貴重なサンプルが並べられている。

 青白く輝く神秘的な「草」。硫黄の匂いを放つ源泉の水。そして大蛇の毒液と鱗の破片。

 ゆうこ、ミミィ、かすみの三人は不眠不休で、その分析と研究に没頭した。


 ゆうこは医者としての知識を総動員し、毒液の成分を分析していく。


「神経毒と出血毒の混合タイプか。ぶち厄介な代物じゃわい」

 ミミィは薬師としての経験を活かし、源泉の水と草から有効成分を抽出しようと試みる。


「この水異常なほど生命力が高いわね。草の方は何か強いアルカロイド系の物質を含んでいるわ」

 そしてかすみは魔法の知識を応用し、それぞれの物質が持つ、微弱な魔力の波長を解析していた。


「水の魔力と草の魔力、全く正反対の性質を持っています!」

 緻密で事細かな分析。慎重にそして正確に抽出された成分。

 三人はそれらを考えうる、あらゆる組み合わせで調合し、試作品を作っていった。

 しかし結果は全て失敗だった。

 あるものはただの色のついた水になり、あるものは逆に猛毒を生み出してしまった。

 時間だけが無情に過ぎていく。


 二日が経った昼下がり。研究は完全に煮詰まっていた。

 ゆうこは気分転換も兼ねて一人龍也の見舞いに向かった。


 静かな病室。眠り続ける龍也の顔色は相変わらず悪い。

 ゆうこはそっと彼の大きな手を握りしめた。そしてその手を自分の頬へと当てる。

「……なあタツヤ。……どうしたらええんじゃろうか。はよう目ぇ覚まさんかいこの朴念仁が……」

 弱々しく呟いたその時だった。


 どこからか子供たちの歌声が聞こえてきた。

 それはこの地方で最近流行っているらしいわらべ歌だった。


 ♪

 みずのなか なにがある

 ちゆのちから つよすぎる


 くさはなぜ きらわれる

 へびもおにも ちかよらぬ


 もしやもし そのわけは

 みずとくさ ひとつになり


 なおすちからを どくにかえ

 いやすちからを きずにかえ


 それをしる ひとはかつ

 それをとる ものがかつ

 ♪


 ゆうこは気になって病室の窓を開けた。そしてその不思議な歌の意味を反芻する。


「……治す力を毒に変え……癒す力を傷に変えるじゃと……?」

 その一節がまるで雷のように彼女の脳天を貫いた。

(……まさか!)

 彼女はハッとして叫んだ。


「……これだ!」

 ゆうこは眠る龍也の額に唇を寄せた。

 そして「待っとれよ」と囁くと嵐のような勢いで、宿へと駆け戻った。

 研究室に飛び込むなり彼女は叫んだ。


「ミミィ!かすみ!分かったわい!逆じゃ!全て逆の発想じゃったんよ!」

 彼女はこれまでの研究データを全てひっくり返した。源泉の強力すぎる治癒成分。

 それを中和するのではなくあえて蛇の毒と反応させる。

 そして草の強力なアルカロイド成分を触媒として加えるのだ。

 治癒と毒。生と死。その相反する二つの力を、絶妙な配合比率で掛け合わせることで、第三の奇跡の力を生み出す。


 それはもはや薬学というよりは錬金術の領域だった。しかし彼女のその閃きは正しかった。

 三人が最後の望みをかけて作り出したその液体は、禍々しい紫色の光を放ちながらも、その中に確かな生命の輝きを宿していた。


 対・ヤマタノギドラ用決戦兵器。

 それは子供たちの無邪気な歌声と仲間を想う強い気持ちがもたらした、奇跡の産物だった。

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