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第六七話 温泉郷の詩編 その二一

 前線基地までの、三時間半。それは、決して楽な道のりではなかった。

 ただ、ひたすらに隠れ、ひたすらに逃げる。今回の任務は、九五%以上が、回避と逃走だ。

 敵に、見つかったらその時点で、作戦は失敗に終わる。


 そして何よりも、龍也が気にしていたのは、前回の大蛇退治以降、ぴたりと、その姿を見せなくなった、蛇たちの動向だった。

(……偵察用の蛇が、いたと考えるべきだ)

 そう、判断した龍也は、一つの、奇策を講じた。


 沼田の街を出て、すぐに出会ったゴブリンなどの魔物を、数体倒す。

 そしてその、血や皮膚片、唾液などを自分たちの、身体中に塗りたくったのだ。


「うげえ!臭くて、死にそうだべ!」

 じんたが、涙目で嘆く。


「……我慢しろ。これで、俺たちは、他の魔物にとって『同族』の匂いを、纏うことになる。

 少なくとも遠目からは、人間だとバレにくくなるはずだ」


 そのあまりの臭さに、しばらくぶうぶうと、文句を言っていた、じんただったが、シンジに

「本当に、死にたいなら、今すぐ川で、洗い流してやるぞ」

 と、脅され、ようやく静かになった。


 その、偽装工作は、功を奏した。

 何度か、感のいい魔物に、気づかれそうになったが、その都度、気配を完全に消したじんたがおとりとなり、注意を逸らす。

 辛うじて、一度も、戦闘を、交えることなく、進むことができた。


 そして、道のりの、半分を過ぎたあたりから。

 徐々に、木々の枝の上や、草むらの中に蛇の姿を見るようになった。

(……ここから、奴らの、テリトリーか)


 三人は、これまで以上に、隠密行動に徹した。

 息を殺し、足音を消し、風の、流れを読む。

 全身の、五感を、研ぎ澄ませ、まるで、森の一部になったかのように、ゆっくりと、しかし確実に、源泉へと近づいていく。


 そして、ようやく、目的の窪んだ地形へと、たどり着いた。

 ここに、前線基地を作る。

 三人は、重い荷物を、下ろし身軽になった。

 ほんの少しだけ、休憩を取り、水で喉を潤す。


 そして、龍也が、小さな声で指示を出した。

「……ここから、三方に分かれる。……俺は東。シンジは西。じんたは中央の、最短ルートを探ってくれ。……目的は、地形と蛇の配置の把握だ。絶対に見つかるな。……三十分後に、ここで再会する」


 三人は、顔を見合わせ、静かに頷いた。

 そして、それぞれの、持ち場へと、まるで影のように、音もなく散っていく。

 いよいよ、作戦は、最終段階へと、移行しようとしていた。


 -----------ご報告-----------------------------------インフォメーション-------------------

 これまでの読者の皆様はお気づきでしょうか。

 龍也こと、真田龍也は、しがない、「おっさん」であることを。

 正直、作者である私は、ここにきてようやく、その重大な事実を思い出しました。すいません。

 かなり前の話から、彼は、いつの間にか、歴戦の勇士のように、今回、忍者のごとく、振る舞っている。

 連載当初、五五歳だった、おっさんが、いつしか、五七歳になり、挙句の果てには、現実世界に、かみさんを残したまま、異世界で、淡いロマンスまで始め、そして、今や、特殊部隊ばりの、隠密任務に従事している。

 ……しかし、物語は、もう、ここまで進んでしまった。

 今更、引き返すわけには、いかないので、とりあえず、このまま継続させていただきます。


 ご了承ください。

 -----------------------------------------------------------------------------------------

【東:シンジ】


 シンジが向かった東のルートは、ごつごつとした岩場が多く、視界は比較的開けていた。

 しかし、それは同時に、身を隠す場所が少ないということを意味する。

 彼はまるで野生の獣のように低い姿勢を保ちながら、岩から岩へと、音もなく飛び移っていく。

 その全身の筋肉は、しなやかなバネのように、彼の体重を完全に殺していた。


 時折、岩の隙間に潜む毒蛇が、鎌首をもたげる。しかし彼の目は、そのわずかな動きすら見逃さない。彼は、懐から小さな石ころを取り出すと、それを、全く別の方向へと投げつけた。

 カラン、という乾いた音。

 蛇の注意が、そちらへ向いた、そのコンマ数秒の隙に、シンジはその場を通り過ぎていく。

 戦闘を避ける。それが、今回の任務の、鉄則だ。


 やがて、彼の視界の先に、崖のような地形が見えてきた。

 その崖の中腹に、いくつかの洞穴が、ぽっかりと口を開けている。

 そして、その洞穴の中から、時折、巨大な蛇の頭が、ぬるりと顔を出すのが見えた。

(……巣か)

 その位置と数、そして、蛇が出入りする周期を、正確に記憶に焼き付ける。

 そして、来た時と同じように、一切の痕跡を残さず、その場を後にした。

 彼の偵察は、常に冷静で、そして、完璧だった。


【西:龍也】


 龍也が進んだ西のルートは、鬱蒼とした木々が生い茂る、深い森だった。

 日の光も届かない、薄暗い森の中では、方向感覚を失いやすい。

 しかし焦らなかった。

 時折立ち止まり、風の流れや、木々の葉のざわめき、そして遠くで聞こえる微かな音に、耳を澄ませる。

 木々の幹に刻まれた獣の爪痕や、地面に残されたわずかな足跡から、魔物の種類と、行動パターンを読み解いていく。

(……この粘液は、アルケリオンのものだ。ここを縄張りにしているらしい。…だが、蛇の気配はない)


 彼は、ただやみくもに進むのではない。

 森そのものを読み解き、最も安全なルートを、見つけ出していく。

 その姿は、もはやただのおっさんではない。

 長年の経験と勘で、自然と対話する、ベテランの狩人のようだった。


 やがて、目の前に、小さな川が現れた。

 そして、その川の水が、わずかに、温泉の硫黄の匂いを含んでいることに、気づいた。

(……この川は、源泉に、繋がっている)

 その重要な情報を頭に叩き込むと、静かに踵を返した。


【中央:じんた】


 そして、最も危険な、中央の最短ルート。そこを任されたのは、この隠密任務の要、じんただった。

 彼は、もはや、その場に存在していないかのように、その気配を、完全に消し去っていた。

 彼の足は、地面を踏みしめてはいない。まるで、落ち葉の上を滑るように、音もなく進んでいく。

 彼の視界の、すぐ横を、巨大な蛇が、通り過ぎていく。

 しかし、蛇は、そこに彼がいることに、全く気づかない。

 恐怖を押し殺し、ただひたすらに息を潜める。


 やがて、目の前に、開けた場所が見えてきた。


 源泉。


 湯気が立ち上るその泉の中心には、三つの巨大な影がとぐろを巻いていた。ヤマタノギドラ。

 そして、その泉を取り囲むようにおびただしい数の蛇たちが、まるで衛兵のように、配置についている。


 絶望的な光景。


 しかし、その中で、一つの、決定的な『突破口』を見出していた。

 源泉のほとり。蛇たちが、決して近づこうとしない、あの『草』が、群生しているエリア。

 そのエリアのすぐ背後は、切り立った崖になっており、その崖の上から、一本の、太い「つた」が、垂れ下がっているのが見えたのだ。

(……あそこだ!)

 見張りの蛇たちの視線は、ほとんどが、地上に向けられている。

 崖の上からの侵入は、完全に、想定外なのだろう。

 あの蔦を使えば、音もなく、草の群生地帯に、降り立つことができるかもしれない。


 さらに、彼はもう一つの、可能性に気づいた。

 その、草の群生地のすぐ脇を、小さな川が流れている。

(……もしかしたら……大量の草と、そして、何よりも重要な『源泉の水』そのものを、あの川の流れを利用して、下流へと、運び出すことができるのではないか?)


 その位置とそこへ至るまでの最短ルート、そして見張りの蛇たちの動きのパターンを、そのシーフとしての驚異的な記憶力で全て頭の中に叩き込んだ。

 そして来た時と同じように誰にも気づかれることなく、その絶望と希望が入り混じる場所を後にするのだった。

 彼の偵察は、勇気と才能、そして、類まれなる観察眼がもたらした、奇跡の成果だった。


 三十分後。

 窪地の前線基地に、三つの影が、ほとんど同時に集結した。

「……どうだった」

 龍也のその一言を皮切りに、三人はそれぞれが持ち帰った情報を、手早く、的確に共有していく。


 三つの断片的な情報が一つに繋がり、その瞬間、龍也の頭の中に、鮮やかな作戦の全体像が描き出されていく。


「……よし。作戦はこうだ」

 地面に木の枝で簡単な地図を描きながら、早口で説明を始めた。


「まず、俺とシンジで陽動を仕掛ける。シンジは東の崖にある蛇の巣を襲撃。俺は西の川の上流から派手に音を立てて敵の注意を引きつける。そうすれば、源泉を守っている蛇たちの半数以上はそちらに向かうはずだ」

「その隙に」

 龍也の視線が、じんたを捉える。


「じんたが中央の崖の上から蔦を使って草の群生地へと侵入。目的の『草』と、そして何よりも重要な『源泉の水』を可能な限り採取する」

「そしてここからが重要だ」

 龍也は、西の川を指し示した。


「採取した草と水は、()()()()()()()()()()()()()()。……それを防水の袋に詰め、西のこの川に流すんだ。川は、この前線基地のすぐ近くを通っている。俺たちが下流でそれを回収する。……そして、任務を完了したら、合流はしない。各自、最短ルートで、沼田まで、全力で離脱する!」

 シンジが静かに頷く。じんたの目にも決意の光が宿っていた。


 作戦は決まった。


 三人はこの前線基地に不要な荷物を全てまとめて隠すと、身軽な戦闘態勢を整えた。

 そして互いの顔を見合わせ、一つ強く頷く。


「決行だ!」


 龍也とシンジが、それぞれの陽動ポイントへと、風のように散っていく。

 そして、じんたは一人、息を殺しながら、中央の崖の上へと向かっていた。


 数分後。

 東の崖の方から、轟音と蛇たちの怒りの嘶きが聞こえてきた。

 シンジが始めたのだ。その一撃は、巣の一部を崩落させ、蛇たちを混乱の渦に叩き込んでいる。

 それに呼応するように、西の川からも、龍也が巨大な岩を川に転がし入れた、派手な水音が響き渡る。

 源泉を守っていた蛇たちの、大半が、その二つの音の方へと、一斉に動き出した。


 今だ。

 じんたは崖の上の蔦を掴むと、まるで重力を感じさせない動きで、音もなく草の群生地へと降り立った。


 目の前には、青白く輝く神秘的な草。そして、もうもうと湯気を上げる源泉。

 彼は震える手で、しかし、シーフとしての神業的な速さで、草を摘み取り、そして源泉の水を革袋へと満たしていく。


 その全ての作業を終えた、まさにその時だった。

 一体の、ひときわ巨大な見張りの蛇が、じんたの存在に気づいた。


「……しまっ!」


 甲高い、警戒音が、渓谷に響き渡る。

 じんたは、草と水の入った袋を、最後の力を振り絞り、西の川へと放り投げた。

 そして、自身も、脱兎のごとく、その場から逃走を開始する。


 背後から、おびただしい数の蛇たちが、猛スピードで迫ってくる。

 ただ、ひたすらに、走る。


 龍也も、シンジも、それぞれの場所で、追撃してくる蛇の群れを、巧みにかわしながら、沼田の街へと、全速力で、離脱していた。

 背後から聞こえてくる、無数の蛇たちの追撃の音。

 それはまるで、死神の足音のようだった。


 だが、彼らの手の中には、まだない。

 下流の川で、回収するはずの希望の光。

 三人は、ただ、それを信じて、駆け抜けていくのだった。

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