第五八話 温泉郷の詩編 その十二
熊谷を出発した、昼前だった。
高崎と前橋。二つの街は、ここから、それぞれ半日の距離にある。
一行は途中まで、同じ道を進んでいったが、やがて大きな、分かれ道へとたどり着いた。
「……じゃあ、また、二日後に」
「……ああ。気をつけてな」
龍也とゆうこが、固い握手を交わす。
A班、龍也、シンジ、かすみ。
B班、ゆうこ、じんた、そして、ミミィ。
二つの、パーティはここで、しばしの別行動となる。
龍也たち、A班は、比較的落ち着いていた。シンジという、絶対的な前衛がいる安心感。そして、かすみという、新たな魔法戦力。どんな敵が現れても対応できるだろう。
一方、ゆうこたちB班は、少しだけ不安げだった。
「……大丈夫かいな、わしら」
「……大丈夫だ!おらが、いるべ!」
そう、威勢よく言ってみるものの、このパーティには、純粋な打撃系の、戦力がいない。
ミミィを、一刻も早く家族の元へと届けたい。その一心でB班は、なるべく戦闘を避け、道を急いだ。魔物が出ても基本的には、走って逃げる。そのため、思ったよりも早く、距離を稼ぐことができた。
しかし、全ての敵から、逃げられるわけではなかった。
森の中で遭遇したのは、猿のような、俊敏な動きをする、魔物の群れだった。
その、素早い動きは回り込み、B班の退路を、完全に断ってしまう。
「くそっ!囲まれたわい!」
ゆうこが、水晶の杖を構え、「ヴォルト」を放とうとする。
しかし、相手の動きはあまりにも速く、そして不規則だ。これでは、狙いが定まらない。
じんたが、そのシーフとしての、俊敏さで対抗する。魔物の攻撃を、ひらり、ひらりと、かわし、翻弄するが、攻撃までは手が回らない。
「……困ったべ……!」
じりじりと、追い詰められていく二人。
その時だった。
「……あなたたち。少し、下がってなさい」
それまで、後ろで様子を見ていた、ミミィが静かに、前に進み出た。そして、彼女は驚くべきことに、その、華奢な身体からは、想像もつかないような、低い戦闘の、構えを取ったのだ。
「……アタシ、魔法は、使えないけど。……こういうのは得意なのよ」
ミミィが動いた。
その動きはまるで、水が流れるようだった。猿の魔物が鋭い爪で、襲いかかる。
ミミィはその攻撃を、最小限の動きで受け流すと、その勢いを利用し、逆に、相手の関節を極めた。
ゴキッという、鈍い音が響く。
それは、まさしく、中国拳法の、達人の動きだった。
じんたが、その動きに合わせる。彼が、魔物を翻弄し、その注意を引きつけている間に、ミミィがその急所を、的確に打ち抜き仕留めていく。
「……す、すげえ……!」
じんたが、感嘆の声を、上げる。
「……最強の、パーティじゃ、ないかいな、わしら!」
ゆうこも、興奮気味に叫んだ。
全ての魔物を、仕留め終えたB班。
その、あまりの完璧な連携に、三人はハイタッチを交わし、喜びのレインダンスを踊り始めた。
しかし、すぐに我に返ると、再び、高崎の街を目指して、先を急ぐのだった。
その、足取りは来た時よりも、ずっと軽く、そして、自信に満ち溢れていた。
一方、同じ頃。
龍也たち、A班は、ゆうこたちの、まだ、三分の二ほどの地点にいた。
シンジという、絶対的な、戦力。そして、かすみという、強力な魔法使い。その、安定した戦力は、逆に彼らの、足を遅らせていた。
道中、出現する魔物を、一体、一体、確実にそして、丁寧すぎるほど確実に仕留めていく。それは、かすみの、実戦経験を積ませるためでもあったが、おかげで、時間はどんどん過ぎていった。
「……少し、急がんといかんな」
龍也が、そう、呟いた、まさにその時だった。
一行の目の前に、巨大な川が、その、行く手を遮った。
看板には、「利根川」と、書かれている。
荒川よりも、さらに、川幅が広い大河だ。向こう岸が霞んで見える。
そして、その、濁った水面には、時折、巨大な魚の影が、ゆらりとよぎるのが見えた。
「……あれは、まずいな」
シンジが、静かに呟く。
幸い、少し上流の方に、巨大な橋が見えた。
看板には「新上武大橋」と、書かれている。
そこまで歩いていくと、やはりそこには、立派な門がそびえ立っていた。
通行料を払い、一行は、その、長い、長い、橋へと足を踏み入れる。
「わあ!すごい!高いです!」
かすみが、子供のようにはしゃいで、橋の欄干から、下を覗き込む。
その、遥か下。うっすらと、しかし、確かに、あの、巨大な魚が悠々と、泳いでいるのが見えた。
「……落ちたら、最後だな」
龍也が、そう言うと、かすみは、さっと顔を青くして、それ以上、橋の、端を歩かなくなった。
ようやくその、長い橋を渡りきる。
門をくぐると、そこには「ようこそ、群馬へ」という看板が立っていた。
もう、ここは「群馬」エリアなのだ。
「……先を、急ごう」
しばらくは、川沿いの、道を進んでいく。
すると案の定、湿った土手から、ぬるりと、一体の魔物が姿を現した。
それは、半魚人のような魔物だった。緑色のぬめりを帯びた皮膚、魚のようにぎょろりとした目、そして、その手には魚の骨で作られた、粗末なヤリが握られている。
「……かすみ」
龍也が、静かに、声をかける。
「……最初の、一撃は、お前に任せる。……どう、動く?」
これは訓練だ。龍也はあえて、具体的な指示は出さなかった。
かすみは、こくりと頷くと、冷静に相手を観察した。
(……相手は、一体。距離は、中距離。……足元は、少し、ぬかるんでいる……)
彼女は、いくつかの選択肢の中から、最適な魔法を選んだ。
「フリーズ!」
短い詠唱。彼女の杖の先から、放たれた冷気が、半魚人の、足元へと突き刺さる。ぬかるんだ地面は、格好の的だった。半魚人の足は、くるぶしまで、一瞬で氷漬けとなり、その動きが完全に封じられた。
「よし!」
龍也が、称賛の声を上げる。
その、氷を砕こうと、半魚人が、もがいているその隙に。
シンジが、音もなく、その背後へと回り込み、鉄鈎の一撃で、その息の根を止めた。
見事な初手だった。
しかし、試練は、まだ始まったばかりだ。
今度は草むらの中から、巨大なカエルのような魔物が、二体同時に現れた。その、腹は不気味に、膨れ上がっている。
「かすみ!」
「は、はい!」
今度は、敵が二体。
かすみは、一瞬迷った。一体ずつ、確実に仕留めるべきか。それとも……。
その、迷いが命取りになる。
一体の、カエルの魔物が、巨大な口を開き、長い粘液質の舌を、鞭のようにしならせて、かすみに襲いかかってきた。
「危ない!」
龍也が、ヤリで、その舌を叩き落とす。
「……かすみ!迷うな!」
龍也の、厳しい声が飛ぶ。
「戦場で、迷いは、死に、繋がる!……今、お前ができる、最善を考えろ!」
その言葉に、かすみははっとした。
(……そう、だ。……私が、やらなきゃ……!)
彼女は再び、杖を構え直す。
(……二体、同時に、足止めは、できない。……だったら!)
彼女の狙いは、一体に絞られた。
「アイスアロー!」
放たれた氷の矢は、一体のカエルの、眉間を正確に捉える。
そして、もう一体が怯んだその隙に、シンジが、懐へと飛び込んでいた。
その、戦いの最中。
今度は、川の中から直接、巨大な水蛇の魔物が、牙をむき襲いかかってきたのだ。
三方向からの同時攻撃。
絶体絶命のピンチ。
「……くそっ!」
龍也が、ヤリを構え直す。シンジも、カエルの魔物を蹴り飛ばし、体勢を立て直そうとする。
その時だった。
「……下がって、ください!」
かすみの、凛とした、声が響いた。
彼女は、その、小さな身体からは、想像もつかないほどの、魔力を、その杖の先に集中させていた。
「……私がやります!」
彼女の瞳には、もう迷いも恐怖もなかった。
あるのはただ、仲間を守るという、強い意志だけ。
彼女はこの、極限の状況の中でまた一つ、魔法使いとして、そして一人の戦士として、大きく成長を遂げようとしていた。