第四九話 温泉郷の詩編 その参
かすみの加入により、パーティの戦闘力は、飛躍的に向上した。
……しかし、その道程は決して、平坦なものではなかった。
最初の頃は、まだおぼつかなかった。
ある日の、討伐。痺れ攻撃を持つ、吸血コウモリの、奇襲を受けた時だった。
まだ、実戦に慣れていなかった、かすみが狙われた。
「危ない!」
龍也は咄嗟に、彼女を突き飛ばし、その攻撃を身をもって、受け止めてしまったのだ。
「ぐっ……!」
全身を痺れが駆け巡る。すぐにゆうこが、麻痺治癒薬を飲ませてくれたおかげで、痺れは治った。
しかし、コウモリの鋭い爪が、龍也の肩を深く抉っていた。
戦闘不能。
その、絶体絶命の状況。
「タツヤから、離れろ!」
シンジが鬼の形相で、コウモリに襲いかかる。
しかし、その隙を見計らったかのように、今度は地面から、泥の魔物が現れた。
龍也と彼を介抱するゆうこを守ろうと、かすみが前に立ちはだかった。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「アイスアロー!」
彼女の詠唱と共に、放たれた氷の矢。それは、泥の魔物の核となる、中心部へと正確に突き刺さった。
矢が、当たったその一点から、急速に氷が広がっていく。水分を多く含むその身体は、格好の的だった。魔物は、あっという間に全身が氷漬けとなりその場に固まった。
その氷の像を、じんたが、渾身の力で蹴り飛ばし、粉々に粉砕した。
その間に、シンジがコウモリを仕留める。
ゆうこの癒しの手で龍也の傷は、辛うじて塞がったが、その日はすごすごと退却するしかなかった。
そんな、苦い経験も、あった。
しかし、失敗を重ねるごとに、彼らの絆は、より強く、固くなっていった。
龍也を、守れなかった悔しさ。それが、仲間たちの成長を促した。
そして、今。
その連携は、日を追うごとに、洗練されていき、もはや、浦和近郊の魔物では、相手にならなくなってきていた。
形になってきた。
龍也はいよいよ、本格的な旅立ちの準備を、始めることにした。
まずは、身の回りの整理からだ。
バイト先に退職の意向を伝え、そしてこの、愛着のある我が家も、どうするか決めなければならない。
荷物の整理など、やるべきことは山積みだ。すぐに出発、とは、いかないだろう。
下手をすれば、一ヶ月近くかかってしまうかもしれない。
とりあえず、龍也は、梅さんに電話をかけた。
近々、この浦和を出発すること、そして、当面の目的地が、水上温泉と、秋田であることを、伝えるためだ。
何かと手を貸してくれる彼女には、きちんと報告をしておきたかった。
もちろん、板橋の咲にも、薬の今後の送付先の件で連絡を入れておく。
『……ほう。いよいよ、出発かいな』
電話の向こうで、梅さんが言う。
『して、今住んどる、その家はどうするんじゃ?』
「ええ。解約して、家具なんかも全部、捨てていこうかと……」
龍也が、そう言うと、梅さんは、かかかと、笑った。
『その家、ワシが、借りることにするわい』
「え?」
『所沢と、板橋の、従業員たちを、浦和の三号店に、応援に出すこともあるじゃろう。その者たちの、合同の社宅にするんじゃ。家具も、そのままでええ。後の手続きは、全部ワシが、やっといてやるから、あんたたちは心配せんでええよ』
板橋の咲に、電話をしても、ほぼ、同じことを言われた。
もはや、梅さんの経営帝国は、龍也たちの想像を、遥かに超える規模に、なっているらしかった。
家の問題が、あっさりと片付いた。
残るは、おのおのの、バイト先への、退職の挨拶だ。
これは、少し気が重い。急な話であり、少なからず、迷惑をかけることになるだろうからだ。
しかし、その心配は、杞憂に終わった。
いや、驚くほど、スムーズに進んだ、と言った方が正しいかもしれない。
「……ええっ!辞めちゃうの、タツヤ!困るわよぉ、あんたがいないと、うちの厨房、回らないじゃないの!」
ママは、最初は本気で困っていた。
しかし龍也が、旅立ちの決意を真剣に語ると、彼女は、ふう、と大きなため息をついた。
「……まあ、しょうがないわねえ。あんたは、ただの、料理人じゃない。この街を、救った、英雄さん、なんだから。……分かったわ。快く、送り出してあげる。その代わり、必ず、生きて、帰ってくるのよ!」
ギルドのマスターも、同じような反応だった。
「はあ!?辞めるだあ!?お前さん、今、うちの店の、人気ナンバーワンなんだぞ!お前さんがいなくなったら、売り上げが、ガタ落ちしちまうだろうが!」
そう、文句を言いながらも、その顔はどこか、寂しそうに笑っている。
「……まあ、お前さんみたいな、腕利きのシーフが、いつまでもこんな店で、くすぶってるのもおかしな話か。……行けよ。そしてでっかい、お宝見つけてこい!」
ゆうこの病院の院長も、シンジの警備会社の隊長も、口では、「貴重な戦力が……」「代わりが、すぐには見つからん……」と、愚痴をこぼしながらも、最後には彼らの、背中を押してくれた。
彼らが、あの、クトゥール事件を解決した張本人である、ということは、公式には発表されていない。
しかし、勤め先には伝えていたのだ。
自分たちが、今、こうして、平和に暮らせているのは、この名もなき、五人の討伐者たちの、おかげなのだ、と。
業務には、差し支えが出る。それは確かだ。
しかしそれ以上に、彼らの新たな、旅立ちを応援したい。
龍也たちは改めて、この街の人々の、温かさに触れ、必ずこの場所に、また帰ってこようと、心に誓うのだった。
こうして、身辺の整理は思ったよりも、ずっと早く片付いた。
出発は、三日後。
どんな旅になることか。