第四八話 温泉郷の詩編 その弐
少しだけ、遅めの、昼食を囲んでいた。
そして、その食後。それは、新たなる仲間、かすみの為のオリエンテーションの時間となった。
龍也は、これまでの自分たちの旅路を、ゆっくりとそして、丁寧にかすみに語って聞かせた。
しがない、中年のおっさんが、ひょんなことから、この世界に迷い込み、個性豊かな仲間たちと出会い、そして今、ここにいること。
じんたが、泥棒からシーフとしての道を歩みだした経緯。
シンジが、背負っていた、過去と、そして、それから解放された事件の事。
そして、ゆうこ、幼い頃よりの育ての親が二年前亡くなり、医師としての成長で魔法が使えるようになった事など。
話を聞き終えたかすみは、改めてこの、温かくもそれぞれが何かを背負ったパーティの一員になれたことを、実感していた。
そして、龍也は、一枚の大きな地図を、テーブルの上に広げた。
「……それで、これからのことなんだが」
地図の上で、一本の指を滑らせる。
「俺たちの、当面の目的地はここだ。じんたの故郷『秋田』」
そして龍也は、現在地である、浦和を指し示した。
「問題は、ここからのルートなんだ。この浦和の街は、北へ向かうための大きな分岐点になっている。行き方は、大きく分けて二つある」
一つは、東へ向かい『茨城』を経由して、太平洋沿いを北上していく『太平洋ルート』
「こっちは少し遠回りになる。だが、見ての通り大きな山が少なく、平野が続いている。その分見通しもいいから、敵に不意をつかれにくいかもしれない」
もう一つは西へ向かい『群馬』を経由して、日本海側を目指す『日本海ルート』
「こっちは、距離的には若干近い。だが、険しい山や、深い谷がいくつもあって、道はかなり険しいだろう。開けた場所も少ない。……そして、このルートだと先日噂で聞いた、あの『水上温泉』のすぐ横を、通ることになる」
二つの選択肢。
そこで、それまで黙って話を聞いていたゆうこが、ぽつりと呟いた。
「……水上、か……」
その呟きには、どこか懐かしむような、そして少しだけ、寂しそうな響きがあった。
「……わしな、昔、親父さんに連れられて、一度だけ、行ったことがあるんよ。あの、水上温泉に。……ガキの頃の、話じゃがな」
その、何気ない一言。
しかし、その言葉の裏にある、彼女の今は亡き、育ての親への想いを、仲間たちは感じ取っていた。
温泉に行けなくなり、残念がっていた、バーのママの顔も浮かぶ。
その時、それまで、黙って聞いていたじんたが、勢いよく立ち上がった。
「……決まりだべ!タツヤ!おらたちで、その温泉に住み着いたっていう、魔物を退治しに行こう!」
そのいつもより、ずっと力強い言葉に皆が驚く。
「……ゆうこの思い出も、バーのママも、悲しんで。……それに何より、おらがその魔物をやっつけて、みんなで温泉に入りてえ!」
その、純粋でどこか男気のある提案に、かすみも静かに、しかし、強く頷いた。
「……私も賛成です。ゆうこさんの大切な思い出の場所なんですから」
シンジも、龍也も、もちろん異論はなかった。
こうして一行の、次なる、目的地は決まった。
それはじんたの、故郷へ向かう道中の、小さな寄り道。
しかも、仲間を想う、気持ちから始まった、大切な旅。
一行は、日本海ルートを進み、まずはその水上温泉を、目指すことを決めたのだった。
夕飯までの間は、つかの間の休息だ。
龍也は、台所に立ち、明日の討伐に備えて、保存食などの仕込みを始める。
リビングでは、シンジが黙々と、新しい武器である鉄鈎の手入れをしている。
じんたはその横で、手品で使うコインを、指の間で転がしながら、明日の立ち回りをシミュレーションしているようだった。
そして、ゆうことかすみは二人で、薬の仕分けをしていた。ゆうこが姉のように、かすみにそれぞれの、薬草の効能を教えている。
そして夕飯。
食卓に女性が二人になったことで、その雰囲気は以前とは比べ物にならないほど、華やかで賑やかになった。
「かすみちゃん、これ、美味いじゃろ?タツヤの、得意料理なんよ」
「はい!すごく美味しいです!」
「シンジ、あんた肉ばっかり食うとらんで、野菜も食べんさい!」
「……分かっている」
「じんた!行儀が悪いど!」
「へ、へい!」
そのまるで、本当の家族のような、温かいやり取り。かすみは、その輪の中に、自分がいることが嬉しくて、少しだけ泣きそうになった。
その夜は、誰もが、穏やかな気持ちで眠りについた。
翌朝。
龍也が、日課の太極拳を終えると、ゆうこが、声をかけてきた。
「なあタツヤ。散歩いかんか?」
ゆうこに誘われ、二人で早朝の散歩に出かけた。
あてもなく歩いているうちに、二人の足は、たまたまあの「転職の寺院」に向いていた。
寺院の前では一人の僧侶が、長い竹ぼうきで黙々と掃き掃除をしている。
龍也たちが挨拶をすると、僧侶はにこやかに、手を休め世間話に応じてくれた。
そして、話は自然と、先日の、クトゥール事件のことになった。
「……いやはや、本当に恐ろしい事件でしたな。なんでも、街を救った、その英雄様ご一行は、天から舞い降りた、神々の化身だったとか……。一瞬で、邪悪な魔物を光の中に消し去ってしまった、と……」
自分たちが、その当事者だとは、全く思われていないらしい。
話には、尾ひれ背びれがつき、もはや壮大な、英雄叙事詩と化していた。
寺院を、離れてから、ゆうこは、腹を抱えて大笑いした。
「神の化身じゃと!タツヤ、あんた神様じゃったんか!」
家に帰り、朝食を食べ終えると、一行は討伐の支度を始めた。
そして昼過ぎ。
かすみの、初陣となる、討伐へと出発した。
場所は、あの二つ頭の魔物が、出現する林。
そして、早速、そいつが現れた。
「かすみ!頼む!」
龍也の、声に、かすみは、こくりと頷く。
彼女は、少しも臆することなく、冷静に杖を構えた。
そして、短い詠唱と共に、氷の矢――「アイスアロー」を放つ。
その矢は見事に、猪の頭の眉間を、捉えた。魔物は怯み、その動きが一瞬止まる。
その隙をシンジは見逃さない。
彼は一気に間合いを詰めると、新しい武器である、鉄鈎で、狼の頭の喉元を、切り裂いた。
その一撃必殺の頻度は、明らかに以前よりも上がっている。
「ナイスだ、かすみ!」
じんたが叫ぶ。
その時、別の茂みから、大蝙蝠の群れが現れた。
「かすみ!火を!」
今度は、シンジの指示。
かすみは、再び詠唱する。彼女の手のひらから、小さな、灼熱の火の玉が放たれた。
それは、コウモリたちに命中すると、その翼を燃え上がらせた。
さらに、木槌を持ったモグラが、群れで現れる。
「今だ、じんた!」
龍也の合図。
じんたがシーフとしての、真骨頂を見せる。彼は、目にも止まらぬ速さで、モグラたちの間を駆け抜けた。そして、すれ違い様に、その手に持っていた木槌を、全て盗み取ってしまったのだ。
武器を失い、無力化されたモグラたち。それを龍也とシンジが、一斉に叩きのめす。
完璧な連携。
そしてその全てを、ゆうこが、後方から支えていた。
戦闘の弾みで、軽い切り傷を負ったじんたの元へ駆け寄る。
彼女の手が、そっと、傷口に触れた。
淡い緑色の光が、じんたの傷を、優しく癒していく。
呪文はもう、声にしなくても発動できるようになった
かすみの初陣は、見事な、大勝利に終わった。
彼女は、ただ強力なだけでなく、仲間との連携を、瞬時に理解し、的確なサポートをこなしてみせたのだ。
一行は、その新たなる才能の加入に、確かな手応えを感じていた。
旅立ちの日はもう近い。