第四七話 温泉郷の詩編 その壱
昼時。
窓から差し込む、日の光の眩しさに、龍也は、ようやく目を覚ました。
昨夜の、楽しすぎた宴。その代償は、心地よい頭痛と、久しぶりの、二日酔いだった。
リビングのドアを開けると、そこには、昨夜の、激しい戦いの痕跡が、見事に残されていた。
空になった、酒瓶。食べ残しの、皿。
そして、部屋の真ん中では、床の上で、じんたが、大の字になって、幸せそうな寝息を立てている。
そのあまりにも、だらしない、どこか、平和な光景に、龍也は、思わず、苦笑いを、浮かべた。
「……まずは、コーヒー、だな」
龍也が、コーヒーを淹れながら、少しずつ、片付けを始めていると、ゆうこと、かすみが、起きてきた。
「うう……。ちいと、飲みすぎたかのう……」
「おはようございます。……あの、すみません、私、何か、手伝います!」
ゆうこは、頭を押さえながら、かすみは、申し訳なさそうに、龍也と、一緒に、片付けを、手伝い始める。
そこへ、トレーニングを終えたシンジが、リビングに、入ってきた。
彼は、床で眠るじんたを一瞥すると、やれやれ、といった表情で、その肩を揺さぶる。
「おい、じんた。いつまで、寝ている」
「ん……んん……。まいこさーん……」
寝ぼけ眼で、そんなことを、呟いているじんた。
ようやく、全員が目を覚まし、リビングも綺麗に片付いた。
龍也が淹れた、熱いコーヒーを、皆で、静かに、飲む。
その、穏やかな時間が、昨夜の、どんちゃん騒ぎが、夢ではなかったことを教えてくれていた。
ようやく、落ち着きを取り戻したところで、龍也は、ミーティングを始めた。
「……さて。これからのことだが。まずは、かすみさんの、肩慣らしも兼ねて、一度、討伐に出ようと思う」
その言葉に、かすみは、はい!と、元気よく、しかし、少しだけ、緊張した面持ちで頷いた。
「じゃが、その前に、じゃ」
ゆうこが、かすみの、服装を、上から下まで、じろじろと見つめる。
「あんた、その、養成所の、ペラッペラの、ローブで行く気かいな?一発、殴られたら、お陀仏じゃぞ」
「……ですよね」
かすみも、しょんぼりと頷く。
「よし。じゃあ、今日の、最初の任務は、かすみさんの、防具を、買いに行くことだ」
一行は、早速準備を整え、活気あふれる、浦和の市場へと向かう。
まずは、軍資金の調達だ。
市場へ向かう前に、銀行へと、立ち寄った。
ATMで、金をおろしついでに、通帳に記帳をしてみる。
するとそこに、見慣れない入金履歴があった。
残高は、二十一万円。梅さんからの、役員報酬、十八万円から増えている。
摘要欄には、「クトゥール討伐報酬:弐萬円也(浦和警察署ヨリ)」と、書かれていた。
どうやら、轟警部が、特別に手配してくれたらしい。
「おお!臨時収入だ!」
じんたが、喜ぶ。これで少しは、装備にも金をかけられる。
活気あふれる、市場へと向かう。
早速、防具を扱う露店で、かすみのための、装備を選び始めた。
しかしここで、またしても、じんたとゆうこの仁義なきファッションバトルが、勃発した。
「だがらな!魔法使いはイメージせんりゃくがだいじだって!このフリフリの、めんこいリボンいっぺぇついだゴスロリ風のローブがいいぺえな!」
じんたが、手に取ったのは、防御力は、皆無に等しいが、見た目だけは、一丁前な、ローブだった。
「これ着で、杖持ぢゃあで、呪文唱えだら、絶対ばえるって!な、かすみちゃん!」
「アホか、このシーフは!そんな、ひらひらしたもん、着とったら、木の枝に、引っかかって、一発で、お陀仏じゃろうが!」
ゆうこが、そのローブを、ひったくるようにして、元の場所に戻す。
「実用性じゃ!実用性!こっちの、地味じゃが、ドラゴンの皮で、補強された、頑丈な、革のローブの方が、百倍、ええわい!これなら、並の攻撃じゃ、傷一つ、つかんぞ!」
「地味すぎるんだべよ!せっかぐ、めんこい かすみちゃんが、台無しだべ!」
「やかましいわ!命あっての、物種じゃろうが!」
「「見だ目が、モチベーションさ つながるごども あるんだべ!」
「そんなもんは、気のせいじゃ!」
その、あまりにも低レベルな、しかし、どちらも一理ある言い争い。
龍也とシンジは、やれやれ、といった表情でそれを見守っていた。
当の、かすみは、二人の間でオロオロするばかりだ。
そのいつもの光景を横目に、龍也は、シンジと共に武器の露店を見て回っていた。
そして、一つの武器が、龍也の目に留まった。
それは、鋭い鉄の爪が三本突き出た、手甲のような武器。武闘家が使う「鉄鈎」だ。
「……シンジ。お前、これ使ってみないか」
これまでは、サバイバルナイフ一本で、戦ってきたシンジ。
しかし、彼のその、超人的な体術には、もっと、攻撃的な武器の方が合うのではないか。
シンジは、その鉄鈎を手に取ると、何度か空中で、素早く振るってみせる。
その動きは、驚くほどに彼の身体に、そして、彼の戦闘スタイルに馴染んでいた。
龍也は、それを購入した。
「いいなあ、シンジ……。おらも、新しい武器、ほしい……」
じんたが、言い争いの、合間に、羨ましそうに呟いている。
その時だった。
それまで、オロオロしていた、かすみが、意を決したようにすっと手を挙げた。
「……あの!」
全員の視線が彼女に集まる。
「……じんたさんの、気持ちも、ゆうこさんの、気持ちも、すごく嬉しいです。……でも、私の装備は、私が自分で選びたいです」
そのはっきりとした、しかし、どこまでも丁寧な言葉。
じんたも、ゆうこも顔を見合わせた。
かすみは、露店の商品を一つ一つ、吟味し始めるとやがて、一枚のローブを手に取った。
それは、じんたが勧めた、派手なものでもなく、ゆうこが勧めた、地味なものでもない。
白を基調とした、シンプルなデザイン。
しかし、その胸元や袖口には、銀糸で、魔除けの刺繍が施されている。
そして、生地も軽くて動きやすく、それでいて、魔法の耐性が付与された特殊な布地で作られていた。
「……これにします。……見た目も大事ですし、機能も大事ですから」
そう言って、彼女は、にっこりと微笑んだ。
その、完璧な回答に、じんたも、ゆうこも、ぐうの音も出ず「……はい」と頷くしかなかった。
一通りの買い物を終え、新鮮な食材も購入し、一行は家路についた。
その帰り道。
ばったりと、ママに遭遇した。
「あら、タツヤじゃないの。……その子が、新しい仲間?」
龍也は、かすみを、ママに紹介した。
するとママは、何かを思い出したように、こう言った。
「そういえば、あんたたち、なかなかやる討伐者なんでしょ?……一つ噂知らない?」
ママの話によると、この浦和から、さらに北へ向かった先にある「水上温泉」という、有名な温泉郷に、最近、強力な魔物が住み着いてしまい、観光どころではなくなってしまったというのだ。
「あくまで、噂だけどね。……アタシ昔から、あそこの温泉大好きだったから、なんだか残念でねえ」
その、何気ない一言。しかしそれは、龍也の心に、小さく引っかかった。
いつかその、温泉にも、行ってみるのも悪くないかもしれない。
家に帰り着くと、早速買ってきた荷物を、それぞれの場所に片付けていく。
シンジは、買ってもらったばかりの、鉄鈎を、その両手に装着すると、逸る気持ちを抑えきれない、といった様子で、庭へと飛び出していった。
「……いいなあ、シンジ……」
じんたは、その姿を、部屋の中から、羨ましそうにただ眺めている。
一方、ゆうこと、かすみは、二人で部屋へと入っていった。
「ほれ、かすみ。こっち、来んさい。わしが、着るんを、手伝っちゃるけえ」
「は、はい!ありがとうございます!」
ゆうこが、まるで、自分の娘の晴れ着を着せるかのように、かすみの、新しいローブの着付けを手伝っている。
しばらくして、庭で一通り身体を動かしたシンジが、満足げな顔で、リビングへと戻ってきた。
彼は、龍也の元へ、まっすぐに歩み寄る。
「タツヤ。……最高の感触だ。これなら、どんな敵が来ても対応できる。……感謝する」
その、いつもより少しだけ、雄弁な言葉。そして、その心からの笑顔。
龍也はそれに、黙って頷き返した。
その、まさに、タイミングで。
リビングの、ドアが、ゆっくりと、開かれた。
そこに立っていたのは、真新しい、白のローブに、身を包んだ、かすみの姿だった。
銀糸の、繊細な刺繍が、彼女の、清廉な、雰囲気を、より一層、引き立てている。
「ど、どう、でしょうか……?」
少し、恥ずかしそうに、はにかむかすみ。
その姿に、じんたは、感嘆の声を上げた。
「す、すげえ!かすみちゃん、まるで、お姫様みたいだ!」
「じゃろう、じゃろう!わしが、見立てたような、もんじゃけえのう!」
なぜか、ゆうこが、自分のことのように、胸を張って自慢している。
シンジはその姿を、一瞬呆然と見つめ、そして、ぽつりと呟いた。
「……ああ。……可憐だな」
その、シンジの素直な一言を、ゆうこは聞き逃さなかった。
「……なんじゃシンジ。わしが、新しい服着た時は、何も言わんかったくせに」
少しだけ、頬を膨らませてひがんでいる。
その、和やかな空気の中、龍也は本題を切り出した。
「……それで、かすみさん。……改めて、聞かせてもらいたいんだが。今、使える魔法は、どんな種類のものがあるんだい?」
その一言で、リビングの空気は、再び真剣な討伐パーティの、それへと戻っていく。
かすみは、こくりと頷くと、その白く細い指を折りながら、一つ一つ説明を始めた。
「はい。私が今使える魔法は、五つです。系統で言うと……」
「まず、先日の、氷の矢を放つ、『元素魔法』。今はまだ、氷の初級魔法しか使えませんが」
「次に、相手の精神に働きかけ、眠らせたり、動きを鈍らせたりする『精神魔法』」
「それから、光を屈折させて、自分の姿を一時的に見えにくくする『幻影魔法』」
「あと指先から、小さな火の玉を飛ばしたり、周囲を明るく照らす、光の玉を作り出す『光熱魔法』」
「そして最後に、まだ、あまりうまくは使えないのですが……。魔物の、弱点などを見抜く『解析魔法』です」
回復系の魔法はない。しかし、その多彩な魔法のラインナップ。
それは、このパーティの戦術を、そして、未来を大きく変える可能性を秘めていた。
一行は固唾を飲んで、その、未知なる力の説明に耳を傾けるのだった。