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第四四話 激闘の後の束の間の休息

 意識がゆっくりと浮上してくる。

 龍也は、重い瞼を、なんとかこじ開けた。

 目に飛び込んできたのは、見慣れない白い天井。そして、鼻をつく消毒液の匂い。

(……どこだ、ここは……)


 身体を起こそうとするが、全身が鉛のように重く、言うことを聞かない。

 しばらく、ぼんやりと、天井を見つめているうちに、記憶が少しずつ蘇ってきた。

 あの倉庫での死闘。クトゥールとの激しい戦い。


 そして、現状を把握した口から漏れ出た第一声は、


「……バイト……行ってねえ……」


「……お、目が覚めたか」

 隣のベッドから声がした。見ると、同じようにベッドに横たわったシンジが、こちらを見ていた。

 そのまた隣には、じんたと、ゆうこも眠っている。どうやら、四人同じ病室のようだ。


 龍也が、目を覚ましたのに、気づいたのか、ナースコールが押され、すぐに医者が病室にやってきた。


 医者の診断は


「皆さん、全身打撲に、切り傷、そして極度の魔力消耗。……全治一週間、といったところでしょうな。……まったく人間離れした回復力だ」

 医者が、出ていくと、今度は、轟警部がやってきて、ベッドの横に椅子を持ってきて腰掛けた。


「……気分はどうだ」

「……ええ、まあ……。それより警部。俺たち何日くらい眠ってたんですか」

「三日だ。丸三日、あんたたちは眠り続けていた」

 三日。

 その言葉に龍也は再び呟いた。


「……バイト三日も無断欠勤か……」

 その、あまりにも庶民的な心配に、轟警部は思わず吹き出した。


「……ははは。あんた本当に面白い男だな。……安心しろ。その件ならもう、話は通してある」

 轟が、ゆっくりとその後のことを教えてくれた。

 あの戦いの後、すぐに、鮫島が、それぞれのバイト先に連絡を入れ、事情を説明してくれたらしい。

 ギルドのマスターも、バーのママも、全てを理解し「英雄の、凱旋を、待っている」と、言っていた、と。


「……そう、ですか」

 龍也は心から安堵した。


 そして、轟は続けた。


「……クトゥールの手下だった魔法使い。そして、操られていたヤクザどもは全員、逮捕した。街は完全に平和を取り戻した。……これも全て、あんたたちのおかげだ。……本当に感謝している」

 深々と頭を下げる轟警部。

 その真摯な言葉に、龍也は少しだけ照れくさそうに、頭をかいた。


 その時だった。


「……ん……。……腹、減った……」

 隣のベッドでゆうこが目を覚ました。

 そして、そのまた隣で、じんたが飛び起きた。


「……バイト!バイト行がねど!」

 どうやら、この英雄たちの頭の中は、どこまでいっても、日常のささやかな心配事でいっぱいのようだった。


 全治、一週間。


 それは、英雄たちにとって、束の間の休息であるはずだった。

 しかし、現実は、彼らが足を踏み入れたその瞬間から、浦和中央病院を、前代未聞のカオスへと叩き込む、怒涛の一週間の始まりを告げるゴングとなった。


 入院生活にも、三日目が経った頃。じんたの中に、淡い恋心が芽生え始めていた。

 担当になったのは、二十代後半の、落ち着いた雰囲気の看護師「まいこさん」

 最初は、他の患者と同じように、事務的に接していた彼女だったが、じんたの、どこか憎めない人の良さと、時折見せる、子供のような純粋さに、少しずつ、心を開き始めていた。


「じんたさん、今日もお加減、いかがですか?」

 優しく微笑みかけるたびに、じんたの心臓は、早鐘のように高鳴る。

 体温を測られる、わずかな時間、彼女と交わす、たわいもない会話のために、その日一日を、生きていると言っても、過言ではなかった。

 そのそわそわとした、分かりやすい態度は、病室の仲間たちにとって格好のからかいの的となっていた。


 一方、ゆうこはもはや院内のアイドル、いや女帝として君臨していた。


「こんな味気ないお粥なんぞで、人の命が救えるか!」

 病院食に不満を爆発させた彼女は、あろうことか白衣でもない、ただのジャージ姿で他の病室を勝手に練り歩き始めたのだ。


「そこのあんた!ただのぎっくり腰じゃろうが!そんなもんは気合で治るんじゃ!ほれ、わしに続いてみい、えい、えい、むん!」

「おばあちゃん、それは恋の病じゃな!よっしゃ、わしがその枯れた心に、惚れ薬でも処方したるわい!」

 その医者としての常識を逸脱した、あまりにも豪快で破天荒なカウンセリングと、なぜか妙に的確な診断は、不思議と患者たちの心を鷲掴みにした。

 彼女の卓越した医学知識と、戦場で培われた人間観察眼は、患者たちの身体の不調だけでなく、心の病までも見抜き、その広島弁の毒舌と温かい励ましで、次々と人々の心を解き放っていった。

 いつしか彼女のベッドの周りには、様々な悩みを持つ患者たちが、まるで名医を頼るかのように、行列を作るようになり、さながら「広島弁の駆け込み寺」と化していた。


 シンジは、そんな喧騒をよそに、ただ静かにベッドの上で、身体を休めていた。

 そんな彼の元に、一通の手紙が届けられた。

 新宿のなつみからだった。その手紙が、ここに届くまでには、いくつかの、ドラマがあった。

 浦和での仕事を終えた鮫島は、新宿に戻ると、事務所代わりのバー「HEAVEN」に、顔を出した。

 そこで、かいがいしく働く、なつみに、シンジたちの、武勇伝と、入院の事実を、伝えたのだ。

 それを聞いた、なつみは、居ても立ってもいられず、シンジへの想いを、一晩かけて、手紙に、綴った。

 そして翌日、再び浦和へ、調査費用の請求書を届けに行く、という鮫島にその手紙を、託したのだった。

 その心のこもった手紙をシンジは、誰にも見せることなく、一人静かに、何度も、何度も読み返していた。

 その、いつもは厳しい横顔が、その時だけは、ふっと穏やかに、緩んでいるのを龍也は見ていた。


 そして龍也はといえば、もはやこの病院の裏の支配者となりつつあった。

 全てはゆうこの「美味いもんが食いたい!」という、鶴の一声ならぬ、名医の一声から始まった。

 彼女の無茶苦茶な要求に応えるため、夜な夜な病室を抜け出すという大罪を犯していたのだ。

 彼はその料理人としてのスキルを遺憾なく発揮し、病院の給食室へと忍び込むとそこの栄養士のおばちゃんと、なぜか料理談義で意気投合。

「あらあんた、その出汁の取り方、筋がいいわねえ!」

「いやいやおばちゃんこそ、その野菜の切り方は、まさに職人技ですよ!」

 などと言いながら、毎晩こっそりと患者たちや夜勤の看護師たちのために、病院食とは思えぬ絶品の夜食の賄いを作るのが日課になってしまっていたのだ。

 彼の作るスタミナ炒めや、心温まる煮物は、患者たちの回復を早め、看護師たちの疲労を癒し、いつしか『真夜中の給食室の奇跡』として、病院の伝説となりつつあった。


 さらにこの一週間、四人の病室には、見舞い客が途絶えることがなかった。

 浦和のバーのママとオネエ様たち。

 新宿のバーからも、噂を聞きつけた、何人かのオネエ様たちが、はるばるやってきた。

 所沢から、哲と、梅ばあさん(ゴードンが、またしても、人力車で、送り届けてきた)。

 板橋からは、咲が、新作の薬を、手に。

 まさに、日替わりで、濃すぎるキャラクターたちが、病室を訪れる。

 彼女らは、龍也たちの見舞いもそこそこに、院内のリハビリ室や談話室を物色し、好みのイケメン患者や病院関係者を見つけては、声をかけ、口説き始めるのだ。


 そうして、迎えた、退院の日。

 もはや、浦和中央病院は、病院というよりは、一つの、巨大なコミュニティと化していた。

 患者たちは、

「あんたたちのおかげで、最高の入院生活だったよ!」

 と、涙ながらに別れを惜しみ、連絡先を交換している。


 そして、じんたは一人、まいこさんの元へと向かっていた。

「……あの退院します。……いろいろ、ありがとうございました」

「いいえ。お大事にしてくださいね、じんたさん」

 そう言って、微笑む彼女。じんたが意気消沈して、背を向けたその時だった。

「……あ、あの!」

 まいこさんが、彼の服の袖を、そっと掴んだ。そして、小さなメモ用紙を、彼の手に握らせる。

「……もし、よかったら、ですけど……。今度お食事でも……」

 顔を真っ赤にしながら、そう言うと、彼女はパタパタと、ナースステーションへと走り去っていった。

 じんたの手の中に、残された小さな希望。彼の恋は、始まったばかりだった。


 しかし、病院の院長や看護師長からは、院長室でこっぴどく、一時間以上説教を食らった。


「二度と!金輪際!この病院の敷居をまたぐんじゃありません!」

 英雄たちは多くの患者からの万雷の感謝と、病院関係者からの地獄の底から響くような怒声をその背中に浴びながら、なんとか無事に退院を果たすのだった。


 それは彼らの輝かしい英雄譚に、新たな、しかし決して公には語られることのない、珍エピソードが加わった瞬間でもあった。

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