第四三話 決戦 浦和の闇
午前三時。浦和の街が、一日の喧騒を終え、深い眠りの底に沈んでいる頃。
龍也たちは、まるで夜の闇に溶け込むように、音もなく家を出た。
その顔には、もう、昨夜までの不安や迷いの色はなかった。
ただ、これから成すべきことだけを見据えた、鋼のような決意が宿っている。
夜明け前の、肌を刺すように冷たい空気が、彼らの感覚を、鋭く研ぎ澄ませていった。
鮫島から渡された、手書きの地図を頼りに、一行はアジトへと向かう。
それは、街の喧災から隔絶された、廃工場地帯の一角に、黒い巨体のように、静かに佇んでいた。
月明かりに照らされ、赤茶けた錆が浮かび上がる、巨大な倉庫。
その周りには、すでに、轟警部率いる私服警官たちが、物陰や建物の影に、息を殺して潜んでいるのが、闇に慣れた目には、見て取れた。
龍也は、遠くの建物の屋上で、双眼鏡を構える轟警部と、一度だけ、鋭く、そして力強く、アイコンタクトを交わす。
言葉はない。だが、その視線だけで、互いの覚悟は十分に伝わっていた。
作戦は、開始された。
まずは、この作戦の成否を分ける、最初の鍵。じんたの、独壇場だ。
まるで、重力という物理法則から、解き放たれたかのように、音もなく倉庫の壁を登り始める。
その動きは、もはや人間のそれではない。
指先と、つま先だけで、錆びついてざらついた壁の、わずかな凹凸を確実に捉え、まるで闇に棲むヤモリのように吸い付いていく。
鍛え抜かれた、しなやかな筋肉が静かに、しかし力強く、彼の身体を上へ、上へと押し上げていく。
屋根裏にある、小さな換気口。
その固く閉ざされた格子を、愛用のワイヤーでいとも簡単に音もなく外すと、その痩身を滑り込ませた。
龍也、シンジ、ゆうこは、壁の影で息を殺してその時を待つ。
一分、二分……。張り詰めた沈黙の中で、自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。
永遠にも思えるような、時間が過ぎていく。
そして、倉庫の裏口のドアが、内側からカチャリと、ほとんど聞こえないくらいの小さな音を立てて、開かれた。
三人は、滑り込むように、中へと入る。
倉庫の中は、薄暗くひんやりとした空気が澱んでいた。
鉄と古い油が、酸化した匂い。
そして、それに混じって何か、甘ったるい腐敗したような不快な匂いが、鼻をつく。
奥の方から、ぼそぼそとした、話し声が聞こえてくる。ヤクザの見張りだろう。
シンジが先頭に立ち、まるで獲物を狙う豹のようなしなやかな足取りで、音もなく進んでいく。
そして、積み上げられたコンテナの、死角から一瞬でその姿を現した。
見張りは二人。シンジの、そのあまりにも唐突な出現に、彼らは反応することすらできなかった。
シンジの両の手刀が、まるで鞭のようにしなり、閃光のように走る。
二人の首筋の急所に、的確に叩き込まれた、その一撃。
二人は声も出せずに、まるで糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
一行はさらに奥へと進んでいった。
倉庫の中央。そこは天井が高く、少し開けた空間になっていた。
ところどころ、壊れた天井の窓ガラスから、青白い月明かりが差し込み、その異様な光景を、スポットライトのように、照らし出している。
そして、その光の中心に、それはいた。
紫色の禍々しい文様が、刺繍されたローブをその身にまとい、まるで玉座にでも座るかのように鎮座している。
その頭部は、まるで深海の、悪夢から抜け出してきたかのような、タコに似た奇怪な形状をしていた。
四本の太くぬめりを帯びた触手が、うねうねと蠢き、その先端の無数の吸盤が、月明かりを反射して、不気味に光っていた。
クトゥール(じんた情報、マインドフレアはそう呼ばれていた)
その周りには、十数人のヤクザたちが、まるで意思も感情も全てを奪い去られた、操り人形のように、虚ろな目で、直立不動のまま、控えている。
そして、クトゥールのすぐ隣には、聞いていた通りの、深いフードを被った、魔法使いの姿もあった。
「……来たか。愚かな、人間どもよ」
その声は、耳から聞こえるのではない。
直接脳髄に、不快な金属音のように、あるいはガラスを引っ掻くような、甲高い音として響き渡ってきた。
龍也は、思わずこめかみを押さえた。頭蓋骨の内側で何かが不快に共鳴する。
「……我は、この地の新たなる支配者となる者。貴様らごとき下等生物に我の崇高なる計画を邪魔はさせん」
その、傲慢な宣言を合図に、操られたヤクザたちが、一斉にこちらへと襲いかかってきた。
その動きは、もはや人間のそれではない。痛みも恐怖も感じない。
ただ主の命令のままに動く、血の通わない殺戮機械。
その虚ろな目が、一斉にこちらを向いた時、龍也は背筋が凍るような、悪寒を感じた。
「シンジ!」
龍也が叫ぶ。
「分かっている!」
シンジは、その人間離れした体術で、ヤクザたちの猛攻をたった一人で、引き受けた。
ドス、バット、鉄パイプ。あらゆる、鈍器や、刃物が、容赦なくシンジの身体へと襲いかかる。
しかしその全てを最小限の、そして最も効率的な、動きでかわし受け流し、そして的確なカウンターを、叩き込んでいく。
それはもはや、戦いというよりも死と隣り合わせの、緊張感の中で繰り広げられる、芸術的な舞踊のようだった。
一体、また一体と、確実にヤクザたちを、無力化していくが、その数はあまりにも多すぎる。
「じんた!あの、魔法使いを頼む!」
「任せろ!」
じんたが、懐から黒い球体を取り出し、床に叩きつけた。
パン!という、乾いた破裂音と共に、もうもうと視界を完全に奪うほどの、黒い煙が立ち込める。
その煙幕の中彼は、その姿を音もなく消した。
煙の向こうで魔法使いが、狼狽したように杖を構える。
しかし、その時にはもう遅い。
背後から、まるで影の中から滲み出るように現れたじんたの、シーフナイフがその喉元に冷たく、突きつけられていた。
「ゆうこ!シンジの、援護を!」
「言われんでも、分かっとるわい!」
ゆうこは、回復薬の入った小瓶を、何本も構えながら、常にシンジの動きを見守る。
シンジの腕に、ドスが浅く突き刺さった。肉を裂く、鈍い音が響く。
「シンジ!」
ゆうこの叫びとほぼ同時だった。
彼女の身体がふわりと、淡く、そして生命力に満ちた温かい緑色の光に包まれた。
「……これは……!」
驚きながらも医者としての本能でその力の意味と使い方を瞬時に理解した。
そして、その光を祈るように傷ついた身体へと、向ける。
「ヒーリング・タッチ(癒しの手)」
彼女の口から、自然とその言葉が紡ぎ出される。
すると手から、さらに強く、そして優しい光が放たれ、傷ついた身体へと、まるで清流のように、流れ込んでいった。
激痛が、すっと、和らいでいく。体の芯から、温かい力が、じんわりと、湧き上がってくる。
それは、医者である彼女が、これから仲間を救う偉大なる賢者へと至るための、道のりの始まりを示す、奇跡の光なのかもしれない。
「……すまん」
「ええから、前だけ見んかい!」
その背中を預けられる、絶対的な信頼感。二人の間には、もはや言葉を必要としない、阿吽の呼吸が生まれていた。
そして龍也は、ヤリをその両手で強く握りしめた。
彼の相手はただ一人。
この全ての元凶である、クトゥール。
「……面白い。貴様の脳はなかなか美味そうだ。仲間を思うその強い感情。恐怖と絶望に染まった時それはきっと極上の味がするだろう」
クトゥールの四本の触手が、まるでそれぞれが意思を持った、生き物のように龍也に向かって、伸びてくる。
特別な力はない。ただのおっさんだ。
だがこの仲間たちを守りたい。その想いだけが龍也の身体を突き動かしていた。
腹の底から声を張り上げた。
「お前なんかに、俺の仲間は誰一人くれてやるか!」
その魂からの叫び。
それは、魔法でも、スキルでもない。ただの人間の想いの力。
ヤリをまっすぐに突き出していた。
彼の五十七年間の、人生の喜びも悲しみも、その全てが込められた、ただひたすらにまっすぐな一突き。
そのヤリの穂先は、クトゥールの禍々しいローブを、易々と貫き、その柔らかく、そして冷たい本体へと深く、深く、突き刺さっていた。
「ぎゃあああああああああ!」
脳内に直接響き渡る凄まじい絶叫。
今この街の運命を懸けた、死闘の火蓋が切って落とされた。
それは、声なき絶叫。クトゥールの苦痛が、凄まじい圧力の思念波となって倉庫全体を震わせ、龍也たちの脳髄を直接揺さぶった。
人生の全てを乗せた渾身の一突きは、確かにその本体を深々と貫いていた。
しかし、その一撃は、この邪悪な支配者の命脈を、完全に断ち切るにはわずかに至らなかった。
「……き、さま……。この、我に、これほどの傷を……。許さんぞ、下等生物が……!」
純粋な憎悪が、濁流のように押し寄せ、龍也の脳を焼く。
クトゥールの触手の一本が、まるで鋼鉄の鞭のようにしなり、空間を裂く音を立てて龍也の身体を、容赦なく打ち据えた。
「ぐはっ!」
肋骨が、鈍い音を立てて軋むのが分かった。
凄まじい衝撃に、身体はまるで投げ捨てられた雑巾のように、倉庫の冷たいコンクリートの壁に激しく叩きつけられる。
手から滑り落ちたヤリが、カラン、と虚しく乾いた音を立てて転がった。
視界が火花のように明滅する。
「タツヤ!」
ゆうこの、悲痛な叫びが、薄暗い倉庫に木霊した。
その声は、まるで合図だったかのように、それまで機械的にシンジを追い詰めていたヤクザたちの動きに、ほんのわずかな、しかし、決定的な「乱れ」を生じさせた。
主であるクトゥールが受けたダメージ。
その精神的な衝撃が、彼らを繋ぐ見えざる支配の糸を、一瞬だけ、揺らがせたのかもしれない。
あるいは、ゆうこの仲間を想う強い意志が、彼らの心の奥底にわずかに残っていた人間性を、一瞬だけ、呼び覚ましたのかもしれない。
理由は、分からない。だが事実として、彼らの動きはコンマ数秒確かに鈍った。
その常人には到底認識することすらできないであろうわずかな隙。
それをシンジが見逃すはずもなかった。
残っていた最後の力を、その一点に爆発させた。
「うおおぉぉぉっ!」
それはまるで、長年檻に閉じ込められていた猛獣が、初めて自由へと解き放たれたかのような、魂からの咆哮だった。
自分に最も近く、そして最も動きが乱れていたヤクザの懐へと弾丸のように飛び込んだ。
そしてその身体を、盾のように使い他のヤクザたちの追撃を防ぐ。
そのまま、そのヤクザを人間離れした力で、持ち上げるとまるで、巨大な棍棒のように周りの敵へと叩きつけたのだ。
骨が砕ける鈍い音。男たちのうめき声。
ヤクザたちの鉄壁だったはずの包囲網に一つの風穴が空いた。
そのわずかな突破口から、脱兎のごとく抜け出すと、即座に体勢を立て直し、次の反撃へと備えた。
その一連の動きはわずか数秒。
しかしそれはこの絶望的だった戦局を、覆すには十分すぎるほどの時間だった。
「……じんた!」
シンジが血を吐き捨てるように鋭く叫ぶ。
その視線の先。じんたは、まだフードの魔法使いを押さえつけていた。
だがその目はもはやただ怯えているだけのかつての彼ではなかった。
師と、仲間と共に過ごした時間が、彼の魂を確実に変えていた。
「……師匠に教わった技……。今こそ見せる時だべ!」
じんたは、喉元に突きつけていたナイフを、すっと離すと、目にも止まらぬ速さで、魔法使いの懐に深く、そして滑らかに潜り込んだ。
その両手がまるで幻影のように、魔法使いのローブのあちこちを、軽く、しかし的確に弾いていく。
それは、傍から見ればまるでこれから始まる華麗なカードマジックの序章のように見えた。
次の瞬間。魔法使いがその身につけていた、魔力の源泉であるいくつもの高価な指輪や、アミュレット、そして懐に隠し持っていた魔力回復のポーションまでもが、全て彼のその小さな手の中から、忽然と消え失せていた。
アイテムを物理的に盗むシーフの上位技「スティール」
その真髄は、相手の力そのものを根こそぎ奪い去ることにある。
魔力の源泉を全て失った魔法使いは、もはやただの装飾過多なローブをまとった、非力な人間に過ぎなかった。
その呆然と立ち尽くす魔法使いを、背後から音もなく回り込んだシンジが、容赦ない一撃で完全に気絶させた。
そして戦局は最終局面へと移っていく。
龍也は壁にもたれかかり、荒い息をつきながら霞んでいく視界で仲間たちの死闘を見守っていた。
そこへ、ゆうこが、駆け寄ってきた。
「タツヤ!しっかりせえ!」
その必死な声が龍也の、遠のきかけていた意識を強く現実に引き戻す。
彼女の、温かい手が、痛む胸に、そっと、触れた。
「ヒーリング・タッチ」
優しい光が傷ついた身体へと、清流のように、流れ込んでいった。
砕けたかもしれない、と感じていた肋骨の激痛が、すっと、和らいでいく。
「……まだ、やれる」
ゆうこの手を握り熱い想いをその身に受け、再びゆっくりとしかし確実に立ち上がった。
クトゥールは、その奇怪な頭部から紫色の粘液のような体液を、流しながら憎悪と焦りに満ちた目でこちらを睨みつけている。
手駒であったヤクザたちはもういない。
四対一。
しかし、相手は人間の精神を、根こそぎ支配する邪悪で狡猾な魔物。
「……面白い。面白いぞ人間。ならば見せてやろう。貴様らのその脆く儚い精神が、いかに簡単に壊れていくかをな……!」
クトゥールの、複眼のような、目が禍々しく光った。
その瞬間、四人の頭の中にそれぞれが、心の最も深い場所に、鍵をかけて封じ込めていた、最も恐れる幻影が容赦なく流れ込んでくる。
龍也には、冷え切った現実の家庭の食卓。そこに自分の席はない。
無関心を装いしかしその瞳の奥で、自分を不要なものとして軽蔑している妻と娘の冷たい視線。
じんたには、孤独だった都会の雨に濡れる、薄暗い路地裏。誰にも見つけてもらえない。
誰からも必要とされない。凍えるような絶対的な寂しさ。
シンジには、守りきれなかった恋人が生きていた頃の幸せな記憶。そのあまりにも眩しい笑顔。
もう二度とその笑顔に、触れることはできないという残酷な現実。
そして、ゆうこには、救えなかった戦場のおびただしい数の、患者たちのうめき声と自分を恨めしげに見つめる、その目、目、目。
「「「ぐっ……うぅっ……!」」」
四人が同時に苦悶の声を上げ膝をつく。
精神が内側からじわじわと蝕まれていく。心がまるでやすりをかけられるように、少しずつ折られていく。
「……ははははは!どうだ!これこそが、絶望だ!貴様らのその矮小な心はもう完全に我のものだ!」
その嘲笑が倉庫に響き渡る中。
龍也は奥歯を、ギリリと、血が滲むほど強く食いしばった。
(……うるせえ)
(うるせえ、うるせえ、うるせえんだよ!)
(……俺には、もう帰るべき本当の温かい場所があるんだ!)
(おらは、もう独りじゃない、最高の仲間がいるんだべ!)
(結子……俺は、もうお前の思い出と共に、前を向いて生きると決めたんだ!)
(……わしは医者じゃ!目の前の仲間一人救えんで、何が医者じゃ!絶対に守り抜くんじゃ!)
四人の心が一つになった。
それぞれの、辛い過去を乗り越え、今を共に生きるその強い想い。
その魂の共鳴が、クトゥールの邪悪な精神攻撃を内側から激しく打ち破った。
「な、なんだと……!?馬鹿な……!?下等生物のその矮小な精神力が、我の絶対的な支配を跳ね返しただと……!?」
初めて見せるクトゥールの純粋な狼狽。
そのがら空きになった本体へ。
四人は、最後の、最後の力を振り絞り、まるで一つの、巨大な意志を持った生き物のように同時に突進した。
シンジの渾身の鉄拳。
じんたの必殺のバックスタブ。
そして龍也の仲間たちの全ての想いを乗せた、渾身のヤリの一突き。
三人の物理的な攻撃が、クトゥールを完全にそして決定的に捉えた。
「……馬鹿な……この我が……。ただの、下等生物、に……」
それがこの街の闇に君臨した、邪悪な支配者の最後の言葉だった。
クトゥールは、断末魔の思念波を撒き散らしながら、その奇怪な身体をまるで陽炎のように、霧散させ、この世から跡形もなく消滅していった。
四人は、互いの、顔を、見合わせた。
ボロボロで、満身創痍。立っているのが、やっとの状態。
しかし、その顔には、確かな、そして、何物にも代えがたい、勝利の、笑みが、浮かんでいた。
静寂が、訪れた。
つい先ほどまで、この空間を支配していた、脳髄を揺さぶるような、邪悪な思念波は、完全に消え失せていた。
倉庫の中は、もはや戦場と呼ぶにふさわしい、惨状を呈していた。
あちこちに、コンテナがへこみ、ひしゃげ、積み上げられていた、木箱は粉々に砕け散り、その中身があたり一面に散乱している。
天井の鉄骨は歪み、いつ崩れ落ちてもおかしくないほど危険な状態だった。
そして床には、気絶したヤクザたちとフードの魔法使いが、まるで打ち捨てられた人形のように転がっていた。
その破壊の中心で。
四人は立っていた。いやかろうじて立っている、という方が正確だったかもしれない。
龍也のヤリは、先端が折れ曲がり、シンジの身体は無数の切り傷と打撲で覆われている。
じんたの、シーフの服はところどころ焼け焦げ。
ゆうこの、戦場医服は返り血で、赤黒く染まっていた。
倉庫の外から轟警部の、「突入せよ!」という力強い、そしてどこか、安堵したような声が聞こえてきた。
バタバタと重いブーツの音が近づいてくる。
やがて武装した、警官たちが次々と倉庫の中へとなだれ込んできた。
彼らはそのあまりにも凄惨な現場の状況に、一瞬息を飲む。
そして床に転がるヤクザたちを手際よく拘束していく。
その喧騒の中。
龍也の張り詰めていた、最後の糸がぷつりと切れた。
彼の身体は、ゆっくりと前のめりに崩れ落ちていく。
「タツヤ!」
ゆうこが、最後の力を振り絞りその身体を受け止めた。
シンジも、じんたも、もはや立っているのがやっとの状態だった。
救急隊員たちが、担架を持って駆けつけてきた。
四人は、次々とその担架の上へと横たえられる。
意識が遠のいていく中、龍也は担架の横を歩く轟警部の顔を見上げていた。
その厳つい顔には、驚きと困惑と、そして隠しようのない賞賛の色が浮かんでいた。
「……おい。……聞こえるか」
轟警部が龍也に話しかけてくる。
「……あんたたち一体何者なんだ。……本当にやりやがったな」
龍也はその言葉に答えようとしたが、声が出なかった。
ただそのボロボロの顔でほんの少しだけ笑ってみせた。
轟警部は、それを見ると深く息を吐いた。
「……見事だ。……浦和の街はあんたたちに救われた。……ゆっくり休め。……英雄さんよ」
担架が、倉庫の外へと運び出されていく。
外はもう白々と夜が明け始めていた。
夜明けの柔らかな光が、四人の傷ついた身体を照らし出す。
龍也は、薄れゆく意識の中で。
(……ああ、身体中が痛え……。明日のバイト休ませてもらえるかな……。いやそれよりもまずママにお礼と報告をしねえとな……。それからじんたのギルドのマスターにも……。ああ、あと不動産屋にも家賃の……)
隣の担架で、運ばれていく、シンジの、心の中で。
(……結子。……俺はまた守ることができたよ。……今度は仲間を……)
そのまた隣で、じんたは半ば気絶しながらも考えていた。
(……師匠……。おら少しは強くなれたべか……。……あ、明日ギルドのバイトどうしよう……)
そしてゆうこは、自分自身の治療もままならないままただひたすらに考えていた。
(……ああ、腹減った……。帰ったらタツヤの、あのブリ大根、まだ残っとるかのう……。いや、その前に風呂じゃな。返り血でベトベトじゃ……。風呂入って、美味いもん、食うてふかふかの、布団で、寝る……。ぶち、最高じゃ……))
彼らは英雄になった。
この浦和の街を闇の支配から救った、名もなき英雄たち。
しかし、彼らの心にあったのは、そんな大それた感慨ではない。
ただ温かい我が家へと帰りたい。
そのささやかな、何よりも尊い想いだけが、疲労困憊の四人の心を満たしていた。
龍也は、仲間たちを支えるように、その肩を抱いた夢を見た。
そして、四人は互いを支え合いながら、ゆっくりと朝日が昇り始めた浦和の街へと、その一歩を踏み出す夢を見ていた。
現実の彼らはただ、救急車のサイレンの音に包まれながら、深い、深い、眠りの底へと落ちていくだけだった。