第四二話 探偵鮫と作戦前夜
「……完全に、手詰まりだな」
家に帰り着き、龍也は、重いため息をついた。
犯人は、フードを被った、性別不明の魔法使い。
手がかりはそれだけ。これでは広大な浦和の街で、犯人を見つけ出すことなど不可能に近い。
その、重苦しい空気の中、それまで黙って話を聞いていたシンジが、静かに口を開いた。
「……一人、心当たりがある」
全員の視線が、シンジへと、集まる。
「……俺たちが、新宿にいた頃。ゆうこの父親探しを依頼した、探偵を覚えているか」
「ああ、あの鮫島さんか!」
龍也が声を上げた。
「……彼の、情報収集能力は尋常じゃない。この浦和の事件についても、何か掴んでいるかもしれない」
しかし、問題があった。鮫島の直接の連絡先を誰も知らないのだ。
「……そうだ」
龍也は、一つの可能性に思い至った。
「新宿の、バーのママなら知ってるかもしれない」
すぐに、役所へ向かい電話をかけた。そして、懐かしの『HEAVEN』の番号へと繋いでもらう。
電話に出たママに、事情を説明し鮫島への伝言をお願いする。
「……もしもし、ママ?俺です、龍也です。……実は折り入ってお願いが……。浦和の『HEAVEN'S HELL』で数日後に会いたい、と……」
そして、数日後。
約束の時間。『HEAVEN'S HELL』にその男は現れた。
「よう。久しぶりだな」
探偵、鮫島。彼は約束通り、この浦和まで足を運んでくれたのだ。
一行は、彼を奥のテーブル席へと通した。
再会の挨拶もそこそこに、龍也は早速事件の詳細を話した。
鮫島は、黙ってその話を聞いていた。そして、グラスの酒を一気に飲み干すとこう言った。
「……なるほどな。話は、分かった」
彼は、それ以上、何も語らなかった。ただ、「少し、時間をくれ」とだけ言うと、勘定を済ませ、さっさと、店を出て行ってしまった。
いつもの日課を済ませバイトに行くと、ママが、声をかけた。
「タツヤ。あんたに、伝言よ。新宿の探偵さんから。『明後日の夜、ここで待ち合わせる』ですって」
そして、約束の夜。
店にやってきた、一行を鮫島は待っていた。
彼は一枚の地図を、テーブルの上に広げる。
「……見つかったぞ」
彼の口から語られたのは、衝撃的な、情報だった。
「……ここ数ヶ月。浦和の裏社会で、奇妙な力関係の変化が、起こってる。これまで幅を利かせていた、いくつかのヤクザ組織が、立て続けに謎の新興勢力に潰されてる」
「新興勢力……?」
「ああ。そいつらの正体は、誰も知らん。ただ、一つだけ奇妙な噂がある。その勢力のトップに立っとるのは、人間ではない。人間の心を操る、魔法を使う魔物……『マインドフレア』の一種だ、と」
「マインドフレアは人間の脳を喰らい、その精神を支配するという、伝説の邪悪な魔物といわれてる、
そいつは、人間の欲望や、恐怖を、巧みに利用する。ヤクザどもを手駒にして、裏社会を牛耳り始めたんだろう。……おそらく、今回のゴーレムの暴走も、そいつの仕業だ。自分の力を、街の人間たちに見せつけるための、ただの見せしめ……だろうな」
フードの魔法使いは、そのマインドフレアに、操られた、ただの、手下に過ぎないのかもしれない。
そして、鮫島が広げた地図には、アジトにしていると思われる場所が、はっきりと記されていた。
「……ただし、相手はただの魔物ではない。人間の悪意を知り尽くした狡猾な支配者だ。下手に首を突っ込めば心を食われて、廃人にされるのがオチだぞ」
鮫島のその警告に、しかし龍也の目は少しも揺らいでいなかった。
「……構いません。俺たちには、やらなければならない理由がある」
龍也の、その固い決意に、鮫島はにやりと笑った。
「……よし、分かった。それなら、ある人物を紹介してやる」
鮫島は、あくまで情報屋だ。自ら危険な戦いに、身を投じることはしない。
「……明日の朝、役所の前で待ってろ」
翌朝。
役所の前で待っていた一行の前に、鮫島は一人の厳つい顔をした男を連れてきた。
「……浦和警察、組織犯罪対策課の、轟警部だ」
その男は鋭い目で一行を値踏みするように、見つめている。
「……話はこいつから、聞いている。お前たち、本気でやり合う気か?」
轟警部のその問いに、龍也はまっすぐに頷いた。
「……面白い。警察としても、そのマインドフレアとかいう、化け物の存在は掴んではいたが、尻尾を掴ませなかった。……いいだろう。お前たちには、先行して奴らのアジトを、叩いてもらう。そして我々が後から一斉に突入する。……連携して奴らを一網打尽にするぞ」
こうして一行は、凄腕の探偵鮫島と、警察組織という、二つの強力な後ろ盾を得て、事件の核心へと、大きく迫っていくことになった。
作戦は、明日の未明。警察が、アジトの外周を完全に包囲する。
そして、龍也たちが、内部へと先行して突入する。
目的は、首魁である、マインドフレアの無力化。
もしくは、少なくともその精神支配の能力を、封じ込めること。
それが、成功した合図と共に、轟警部率いる突入部隊が、一斉になだれ込むという手筈だった。
家に帰り着くと、それまでの日常の空気は、どこかへ消え去っていた。
これまでとは、明らかに違う、張り詰めた緊張感が、古民家を支配している。
シンジは、黙々と庭でバーベルを上げ下げしていた。
その一挙手一投足に、彼の全精神が集中しているのが分かる。
汗が鍛え上げられた肉体を伝い落ちる。それは、ただのトレーニングではない。
明日、仲間を守り抜くための、己の肉体との対話。
そして、亡き恋人への誓いを、再確認する神聖な儀式のようにも見えた。
じんたは、自室の薄暗い豆電球の下で、シーフとしての道具を、一つ一つ丁寧に手入れしていた。
ワイヤー、ピッキングツール、煙玉。そのどれもが、彼の命を守るための相棒だ。
「……大丈夫だべか、おら……」
ぽつりと、呟く。その横顔は、いつものおどけた表情ではなく、不安と決意が入り混じった真剣なプロの顔つきだった。
ゆうこはリビングで、薬の最終チェックを行っていた。
回復薬、解毒薬、そして万能薬。あらゆる事態を想定し、必要なものを選別し、ポーチへと詰めていく。
「……なあ、じんた」
彼女は、部屋の仕切りである襖越しに声をかけた。
「……明日の、作戦……大丈夫かのう」
「……分からん。でも、やるしか、ねえべ」
「……そうじゃな。……シンジも、タツヤも、おる。……大丈夫じゃよな」
「……ああ。……大丈夫だ」
そわそわとした、二人の会話が、静かな家に小さく響く。
それは、互いの不安を打ち消し合うための、おまじないのようだった。
そして、龍也は、台所に立っていた。
彼が、作っていたのは、明日の朝食用のおにぎりだった。
一つ一つ、丁寧に心を込めて、米を握っていく。
塩むすび、梅干し、鮭。特別な、具材ではない。しかしそこには、仲間たちへの想いが込められていた。
(……これが、もしかしたら、最後の飯になるかもしれない)
そんな、不吉な考えが頭をよぎる。しかしすぐにそれを振り払った。
(いや、違う。これは必ず生きて帰ってきて、皆で一緒に食べるための飯だ)
全ての仕込みを終えた龍也が、リビングに戻るとそこに、ゆうこが一人、座っていた。
彼女は、龍也が淹れた、温かい茶を一口すする。
「……タツヤ」
「……なんだ?」
「……あんた、無理だけは、せんでくれよ」
その声は、いつものカラリとしたものではなく、龍也の、身を案じる優しい響きを持っていた。
「わしらは、あんたがおらんと、ただのバラバラの、集団じゃ。あんたが、リーダーなんじゃからな。……絶対に無茶はするなよ」
その、まっすぐな瞳。少しだけ照れくさそうに、顔をそむけながら静かに頷いた。
「……ああ。……分かってる」
作戦前夜。
誰もが、口数は少なかった。しかし、その心はこれまで以上に、強く固く一つに結ばれていた。
必ず成功させる。そして、必ず全員でこの我が家へ、生きて帰ってくる。
四人は、それぞれの決意を胸に、静かにその時が来るのを待っていた。
浦和の夜は、嵐の前の静けさに、包まれていた。