第四〇話 四つ巴
遅く起きた、運命の日。
最後のじんたが、ようやく起きてきたのは、もう昼になろうかという時間だった。
龍也は、皆のまだ、少しだけ酒が残っている胃袋を優しく癒すために、温かい野菜スープだけを作った。
「おお、優しい味がするのう」
ゆうこはそれを、嬉しそうにすすり、シンジも、静かに微笑んだ。
じんたはまだ、眠たいらしく、龍也が淹れた濃いめのコーヒーを、ちびちびと飲んでいる。
「……小一時間後に、出発するぞ」
そう告げると、おのおの、その一時を静かに過ごした。
そして、そろそろ行こうか、という時間になると、やはりそわそわとし始めたゆうことじんたの間で、新たな懸念が勃発した。
「なあ、タツヤ。わし、ちいと心配になってきたんじゃが」
ゆうこが、真剣な顔で切り出した。
「もし、新しく入ってくる魔法使いが、わしより若くて、ピチピチの可愛い子じゃったら、どうするんじゃ?あんたら男どもは、ぜーったいそっちに、デレデレになるに決まっとる!」
その、あまりにも現実的な、そして切実な女性ならではの懸念。
すると今度は、じんたが、青い顔をして反論した。
「そ、それよりも問題なのは、もし、シンジより強くて、イケメンで、優しい、完璧超人が来たら、どうするんだべか!?」
じんたは、龍也の袖を掴み、必死に訴える。
「そしたらゆうこは、ぜーったい、そっちの男に行くに決まってるべ!おらは、今の、このパーティの雰囲気が好きなんだ!これ以上、イケメンが増えるのは反対だ!」
「はあ?何言うとんじゃ、このひがみシーフが!」
「ゆうここそ、嫉妬丸出しだべ!」
結局、言い争いになるのは、いつもと同じだった。
龍也とシンジは、そのあまりにもレベルの低い、しかし、どこか人間臭い二人の言い分に、呆れながらも思わず、顔を見合わせて苦笑いを浮かべるのだった。
出発し、まだ続いてるふたりを尻目に歩いた
ほどなくして、一行は魔法使い養成所に着いた。
繁華街の、少し奥まった場所に立つ、教会のような荘厳な造りの建物だった。
「古めかしいが、ええ風情じゃのう」
その建物を見上げて称えた。じんたは、ただただその雰囲気に感動している。
「……入るぞ」
シンジに促され、一行は中へと足を踏み入れた。
受付で事情を説明すると、奥から、昨夜の老人が現れ、一行を案内してくれた。
教室の中では、十名ほどの生徒が、各々熱心に勉強に励んでいた。
ある者は分厚い教科書を広げ、ある者は杖を構え、呪文の実践練習を繰り返している。
その中で老人は、
「この三名が、今年の卒業生じゃ」
と、三人の生徒を紹介してくれた。
年はバラバラだった。二十二歳の、まだあどけなさが残る男の子。
二十七歳の落ち着いた雰囲気の女性。そして、三十二歳の、少し勝ち気そうな女性。
彼らが今、使える魔法は、この養成所で習うことができる、初歩から少し上の五つの魔法。
レベルもほぼ一緒だという。
(……あとは、人となり、だな)そう思った。
「一人ずつ、面接をさせてもらってもいいですか」
龍也がそう申し出ると、老人は、快く別室を用意してくれた。
龍也たちのことはある程度、老人から聞いているらしい。
四人を前に、最初の面接が始まった。
二十二歳の男の子だ。
龍也たちが、一人、二問ずつ質問をしていく。
あまりにも彼が、緊張しているのを見かねて、じんたが、簡単な手品を披露して見せた。
「もし、我々のパーティに入ったら、どうしたいですか?」「野宿とかは、大丈夫ですか?」「苦手な食べ物は、ありますか?」「魔法は、一度に、何回くらい、使えますか?」
そして、相手にも何か質問はあるかと尋ねる。
そうして、次の、二十七歳の女性へ。
「この、むさ苦しい野郎どもと、一緒に生活できそうですか?」「虫とかは大丈夫ですか?」「いざという時、逃げ足は速い方ですか?」
ゆうこが、女性ならではの現実的な質問を投げかける。
そして、最後の三十二歳の女性。全ての面接が終わった。
老人は、別室で待っていてくれた。
「……どうじゃったかな?」
その問いに龍也は、パーティを代表して、正直に答えた。
「……皆さんそれぞれに、素晴らしい個性と才能をお持ちで、非常に悩んでおります。正直、今日この場で、すぐに答えを出すことはできそうにありません」
そして、こう提案した。
「……我々だけでなく彼らにも、我々と本当に、旅を共にしたいのか、考える時間が必要だと思うのです。もしよろしければ、数日お時間をいただき、後日改めて我々の答えを、伝えにここへ来させていただいてもよろしいでしょうか」
その誠実な申し出に老人は、満足そうに深く頷いた。
「……うむ。それがよかろう。仲間というのは、焦って決めるものでは、ないからのう。……分かった。あんたたちの良い返事を、待っておるよ」
こうして一行は、老人と再会の約束を交わし、養成所を後にするのだった。
それぞれの胸の中に、三人の候補者の顔を、思い浮かべながら。
家に着きようやく一息つく。
温かいお茶をすすりながら、四人はリビングに車座になった。
最初は、穏やかなムードだった。
「皆さんいい方たちだったな」
龍也が、そう切り出すと、皆も静かに頷いた。
「二十七歳のあの子。緊張しとったけど、真面目そうなええ子じゃったのう」
ゆうこが、母親のような、優しい目で思い返す。
「三十二歳のあの方も、しっかりとした受け答えでしたね」
シンジも冷静に、候補者たちの印象を語る。
しかし、その穏やかな空気に、最初に小さな波紋を投げかけたのは、じんただった。
「……お、おらは……。やっぱり、二十二のあの子が、いいなって思うど……」
その少し、自信なさげな、しかし確信に満ちた一言。
それを待っていたかのように、ゆうこが、すっと湯呑みを置いた。
「……いや。わしは二十七の、あの子がええと思うわい」
穏やかだがこちらも決して譲らない、という、強い意志を感じさせる声だった。
そこから議論の温度は、徐々に、しかし、確実に上がっていった。
「落ち着きもあるし、何より肝が据わっとる。わしの医療の補助も、冷静にこなしてくれそうじゃ。それに、見た目もシュッとしとるしな!」
ゆうこの意見は、あくまで実利と、そして、若干の見た目重視。即戦力として、パーティに、スムーズに溶け込める安定感を求めている。
それまで、黙って二人のやり取りを聞いていたシンジが、静かに割って入った。
「……いや。俺は三十二のあの女性がいいと思う」
その、静かだが断固とした一言に、ヒートアップしかけていた二人の声が、ぴたりと止まった。
「……彼女の目だ。あの目は、これまで何か辛い経験を乗り越えてきた人間の目をしていた。そしてそれでも、前を向こうとする強い意志を感じた。……俺たちのパーティには、技術や才能よりもまず、その何があっても挫けない精神的な強さが必要だと俺は思う」
シンジは、彼自身の過去の経験から、候補者の内面的な強さを最も重視していた。それは、誰よりも説得力のある意見だった。
三者三様。それぞれの意見が出揃った。そして、最後に皆の視線が、このパーティのリーダーである龍也へと注がれる。
腕を組み、ううむ、と唸った。
ゆうこの言う、即戦力としての安定感。じんたの言う、未来への可能性。そして、シンジの言う、精神的な強さ。
そのどれもが正しく、そしてどれもが、今のこのパーティに必要な要素のように思えた。
「……困ったな。……全員正解だ」
正直に、そう呟いた。
四人四様の意見。それは、このパーティがいかに多様な価値観で成り立っているかの、証明でもあった。
だからこそ面白い。そして、だからこそ難しい。
その夜、浦和の古民家では、四人の侃々諤々の、しかし、どこか楽しげな議論の声が、いつまでも、いつまでも続いていたのだった。
いつもの日常が過ぎていく。
討伐に出て金を稼ぎ、それぞれのバイト先へ。
そして家に帰れば、新たな仲間を誰にするかで、毎日議論が続いた。
そうして、三日が経った、ある日の昼下がり。
龍也とゆうこが、二人で買い出しに出かけたその時だった。
街の中心街が、何やら騒がしい。
野次馬が集まり、何かを遠巻きに見ている。
「なんじゃ、ありゃ?」
二人が人垣をかき分けて前に出ると、そこには、信じられない光景が広がっていた。
一体の、魔車を引いていたはずの石のゴーレムが暴走していたのだ。
その目は、普段の穏やかな光を失い、不気味な赤い光を宿している。
そして、客を乗せるための荷台を、めちゃくちゃに破壊し、その破片を周りに無差別に投げつけている。
近くの店の窓ガラスが、ガシャーン!と派手な音を立てて割れた。
人々は悲鳴を上げ、逃げ惑うだけ。街の警備隊も、迂闊に手が出せないでいた。
相手は石の塊だ。生半可な攻撃ではびくともしないだろう。
「……おかしい。ゴーレムは本来、あんな風に暴れたりはせんはずじゃ」
ゆうこが眉をひそめる。
その時、龍也は気づいた。ゴーレムの額に埋め込まれている、制御用の魔石。
それが、普段の青い光ではなく、禍々しい紫色の光を放っている。
「……何者かに操られているのか?」
ゴーレムは突然、近くにいた小さな女の子に狙いを定めた。
そして、巨大な石の腕を振り上げる。
「危ない!」
龍也が、駆け出そうとしたその瞬間だった。
どこからともなく、一本の、氷の矢が飛んできた。
その矢は、女の子を狙うゴーレムの腕に、正確に命中した。
「ギギギ……」
ゴーレムの腕は、その一撃で動きを止め、凍りついたように固まった。
「……今の、魔法か?」
龍也が驚いていると、今度は、暴れるゴーレムの足元が、みるみるうちに凍りついていく。
氷は、瞬く間にゴーレムの膝までを覆い、その動きを完全に封じ込めてしまった。
そして、野次馬の中から、すっと、一人の女性が前に進み出た。
彼女は静かに、杖を構えると、何やら、呪文を唱え始めた。
そっと、ゴーレムの体の触れ、優しく
「静まりなさい、あなたはとても優しいのですよ」
ゴーレムの額に、禍々しく光っていた、紫色の魔石が、青色に変わっていった。
ゴーレムは、ぴたりと動きを止めると、まるで、何事もなかったかのように、その場に、静かに、座り込んだ。
街の人々から、わあっと歓声が上がる。
騒ぎが収まったのを見届けると、その女性は、静かにその場を立ち去ろうとした。
「……待ってください!」
龍也は、思わずその背中に声をかけていた。
振り返ったその顔。
それは間違いなく、あの養成所で面接した、二十七歳の女性だった。