第三六話 体内の神秘、凄まじい経営者
困ったことになった。ゆうこの熱は、昼過ぎになっても、一向に下がる気配がない。
対処のしようが、全くなかった。
ただ、幸いなことに、少しだけ彼女の気力は戻ってきたようだった。
横になったまま、ゆうこは、ぶつぶつと、何かを呟き始めた。
「……おかしいのう。ただの風邪じゃないことは、確かじゃ……。体内の、免疫系が、何かと、戦っとるような……この、倦怠感……。抗辛菌丹が、効かん、っちゅうことは、あの、バイキンマンとは、別の、何か……。じゃが、感染経路が、分からん……。うーん……わしの体の中で、一体、何が、起こっとるんじゃ……?」
それは、医者としての、冷静な、自己分析だった。うなされているわけでは、なさそうだ。
ひとまず、彼女を、そっとしておくことにした。
しかし、心配なことに変わりはない。以前の、あの未知の病のように、何か糸口はないものか。
龍也は、板橋の咲に、電話をかけてみた。ゆうこの症状を伝え、似たような症例がないか尋ねてみる。
しかし、返ってきたのは、
「すみません、私は、医者ではなく、薬剤師なので……。そこまでは、ちょっと……」
という、申し訳なさそうな声だった。
がっかりして、家に帰る。まだ熱はそのままだ。
だが、ゆうこの意識は、朝よりもさらにはっきりとしてきているようだった。
夕方になり、龍也が、夕飯の支度をしているその時だった。
ガッシャーン!ドゴォォン!
家の外から、まるで、怪獣でも現れたかのような、凄まじい、物が壊れ、ぶつかる音が、響き渡った。
「な、なんだべ!?」
じんたが、驚いて、表へ飛び出していく。さすがに、シンジも、警戒して後に続いた。
そして、聞こえてきたのは、地鳴りのような、大声で何かを叫んでいる男の声。
龍也の、包丁を握る手が、ぴたりと、止まった。
(……あの、声……。まさか……)
恐る恐る、表に出てみると、そこには、案の定あの男がいた。
ゴードンが、近隣の住民たちに、自慢の筋肉を見せつけるように、様々なポーズを決めながら、大声で何かをわめき散らしている。
「見よ!この、芸術的な、上腕二頭筋を!これが、常人なら一日はかかる道のりを、たったの三時間で、駆け抜けた、脚力の、結晶だ!」
そして、その、彼が引いてきた、巨大な人力車には、三人の、見慣れた顔が乗っていた。
梅さん、師匠の哲、そして、ドSナースの、エミリ。
「み、皆さん!どうして、ここに!?」
驚きの声に、梅さんが、かかかと笑う。
「いやなに、咲さんから、電話があってのう。ゆうこさんが、大変じゃっちゅうから、心配で飛んできたんじゃよ」
「飛んできた、って……」
その、物理的に、飛んできた男を、呆然と見つめるしかなかった。
その時、人力車からひらりと降り立ったエミリの、鋭い視線が、じんたを捉えた。
「……まったく。少しは、マシになったかと思えば、今度は、仲間一人の体調管理もできないんですか、この、半人前のシーフもどき。あなた、飾りでそこにいるんですか?」
いきなり、自分に、罵詈雑言が飛んできて、じんたは、「ひっ!」と小さな悲鳴を上げた。
そんなじんたを、鼻で笑うと、さっさと家の中へと入っていった。
ゆうこの元へ、看病に向かったのだ。
もちろん、その道すがら、龍也の、たるみ始めた腹を、思い切りはたくのも忘れなかった。
じんたは、師匠の哲の姿を見て、嬉しそうに駆け寄っている。
シンジも、そのあまりにも規格外な一行の登場に、ただ静かに驚いていた。
嵐のような再会。
この、あまりにも頼もしすぎる援軍の到着は、再びこのパーティに、希望の光をもたらしてくれるのだろうか。
腹の痛みをこらえながら、賑やかになった、我が家を見つめるのだった。
ようやく、表の喧騒を収め、龍也が近所に、平身低頭、詫びを入れてから家の中へと入る。
エミリが検診し終わって出てきた。
邪魔、と言わんばかりに、テーブルにふんぞり返って座った。
龍也が出したコーヒーを、一口飲むと、彼女はぽつりと言った。
「……分からん。……ただ、似たような症状を、以前、どこかで、見た気がするわ」
挨拶がてら、梅さんと哲も、中に入っていった。
しばらく、ゆうこの様子を見ていた二人が、リビングへと戻ってくる。
そして、ゆっくりと席に着き、コーヒーを飲むと、それまで、ずっと黙っていた哲が、初めて重々しく口を開いた。
「……あれな」
その一言に、一同の間に緊張が走る。
「……レベルアップじゃ」
「「「ええっ!?」」」
全員が、驚いて聞き返した。
「そうじゃ。あれは、魔法の素養がある人間が、初めて、その力を使えるようになるときに、生じる、体内変化じゃよ。普通の人間は、魔力など、持っておらん。じゃから、その力を、身体が受け入れるために、拒否反応と、耐性作りの戦いが、体内で、起こっとるんじゃ」
その、あまりにも、突拍子もない説明に、じんたは、もう、理解が追いつかなくなってきている。
「わしも、久々に見たわい。なんか、新鮮じゃな。一度、耐性ができてしまえば、後は、レベルが上がっても、何ともないから、安心せい」
哲の言葉に、ようやく、一行は納得し安堵した。梅さんは、その様子を、ただ、笑って見ているだけだった。
エミリも、
「フン。ヤブ医者が、ようやく、一人前の医者になるってことですか。まあ、めでたいんじゃないですか」
と、口は悪いが、どこかその成長を認めているようだった。
龍也が、ゆうこの所へ行き、そのことを伝えると、彼女も安心したのか、
「そうか……。なら、ちいと、寝るわ……」
と、穏やかな寝息を立て始めた。
夜になり、夕飯を食べ終える。
「退屈だ!」
ゴードンがそう叫ぶと、夜の街へと走りに出かけていった。
シンジも「少し、付き合うか」とその後を追う。
じんたは、師匠である哲に、これまでの冒険譚を、熱心に話している。
エミリは、「看病がてら」と言って、じんたの布団を勝手に奪うと、ゆうこの部屋で休むことになった。
龍也は、梅さんに、改めて礼を言った。
そして、これまでのことや、今後のことについて色々と話した。
すると、梅さんは、「そうそう」と言って、懐から小さな小瓶を取り出した。
「新しい薬が、完成してな。持ってきたんじゃよ」
その新薬は、あらゆる毒を、無害なタンパク質へと変える、いわゆる、万能の血清、毒消しだという。
「その名も、『効毒何薬』じゃ。これが効かん毒は、まあ、死んだも同然じゃと思って、諦めるこったな」
そう言って、彼女は、また、かかかと笑った。
「あ、それとな。この新薬と、今までの薬じゃが、ワシの名義で、会社を作ったんじゃがな。その、役員に、あんたの名も、入れといたから。銀行に、役員報酬、入れといたでな」
「役員?ありがとうございます」
半信半疑だったが、龍也は、とりあえず礼を言った。
(まあ、いくらかでも、あの借金の返済に回せればいいか)
「板橋の咲さんは、今や、部下二人を抱える、立派なオーナーになっとるよ」
もはや、梅さんの周りでは、経済が、ものすごい勢いで回っているらしい。
走りに行った二人が帰ってきて風呂に入る。
その夜は、龍也の部屋に、哲、梅さんが寝て、シンジの部屋で、龍也が寝ることになった。
ゴードンは、
「リビングが、一番、広い!」
と言って、雑魚寝をしていた。
相変わらず、嵐のような一日だった。
翌朝。
龍也が、久しぶりに、梅さんと二人で、太極拳を終え、朝飯の支度をしていると、ゆうことエミリが、起きてきた。
「清々しい朝じゃのう!」
ゆうこは、すっかり、元気になっていた。エミリも、
「まあ、状態は、すこぶる、健康体だ」
と、太鼓判を押す。
「タツヤ、心配かけたのう」
ゆうこが、照れながら、龍也に礼を言った。
その日の朝食は、ゆうこの、全快祝いも兼ねて、大いに賑わった。
龍也も、嬉しさのあまり、朝だというのに、豪勢な料理を作りまくってしまう。
もはや、それは朝食というより、宴だった。
ゆうこも、昨日までが嘘のようにはしゃいでいる。
病気ではなかった分、元気が有り余っているのだ。
シンジも、珍しく、はしゃいで、ゴードンと、腕相撲で張り合ったりしている。
じんたは、ただただ、歓喜し、エミリは、おしとやかに食事をしながらも、そのはしゃぎすぎているじんたと龍也に、的確な、叱咤激励を、飛ばしている。
哲と、梅さんは、あまりにも、賑やかな光景を、ただ、微笑みながら、眺めていた。
その、楽しい宴が、二時間ほど続いたその時だった。
不意に、梅さんが、ぽつりと言った。
「そういえば、ワシが、ここに来たのは、もう一つ、用があってのことじゃった」
その一言で、騒いでいたのが、嘘のように、ぴたっと、静まり返った。
「ここに、『梅ばあちゃんの薬局 浦和三号店』を、建てに来たんじゃ」
「「「「えええええええぇぇぇぇ!?」」」」
四人の、驚愕の叫び声が、家に響き渡った。
「そろそろ、不動産屋が、迎えに来る頃じゃ」
梅さんがそう言ったまさにその時。家の表で、魔車の止まる音がした。
「……時間、ぴったりじゃのう。それじゃあ行ってくるわい」
そう言って、梅さんは、一人で、さっさと行ってしまった。
龍也が、「俺も、一緒に行きます!」と、慌てて声をかけるが、
「どうせ、お前さんには、難しい話は、分からんだろう。いらん、いらん」
と、あっさり、断られてしまった。
あまりにも、すごい、行動力。経営者とは、迅速なものだとは言うが、それにしても、すごすぎる。
一行は、ただ呆然と、その小さな、偉大な背中を、見送るしかなかった。