第三四話 偽らざる想いと我が家の宝物
さすがに、疲れていたのだろう。その夜、バーには、誰も顔を出さなかった。
龍也自身、厨房で何度か、うとうととしかけたが、その度に、ママが耳元に息を吹きかけ、現実に引き戻される。
なんとか、閉店まで凌ぎ、家路についた。
薄っすらと、空が明るくなり始めた、朝方。
まだ、昨日の、あの激闘の余韻が身体に残っている。
龍也は、自分の両手を見つめ、ぐっと強く握りしめた。
じわじわと、あの時の達成感が蘇ってくる。
家に入ると、台所には、昨夜の、ささやかな宴の名残が残っていた。
それに、ニヤッと笑いかけると、自分の部屋に入り布団に倒れ込んだ。
目が覚めたのは、午前の十時ごろだった。
リビングの方から、話し声が聞こえる。
内容は、よく分からないが、じんたが、興奮気味に、何かを、笑いながら話している。ゆうこの「ぶち!」とか「めっちゃ!」という、相槌も聞こえる。
シンジは、きっと、その様子を、微笑ましく聞いているのだろう。
昨日の話で、盛り上がっているに違いなかった。
龍也は、ようやく、重い身体を起こした。疲労感が半端ではない。
身体の、所々が、軋むように痛む。そして、顔がやけにひりひりと熱を持っていた。
リビングへ行くと、皆が、「おはよう!」と、迎えてくれた。
じんたが、矢継ぎ早に、昨日の武勇伝を語り始めたが、ふと、その話を止めた。
「タツヤ、顔、大丈夫だべか?」
ゆうこも、心配そうな顔で、龍也の顔を覗き込んでくる。
なんだろう、と思った時、ゆうこが、手鏡を、龍也の前に差し出した。
そこに映っていたのは、顔全体が、赤黒く腫れ上がり、特に鼻や頬のあたりがひどく焼けて、皮膚がめくれ上がっている、自分の顔だった。
「うわっ!」
ゆうこが、すぐに診察を始める。
「軽い火傷じゃな。あの炎に、一番近かったからのう」
彼女は、薬を、優しく塗りながら、
「よう、がんばったのぅ、タツヤ」
と、まるで、女神のような、穏やかな顔で微笑んだ。
気を取り直して、じんたが、再び昨日のことを、少し大げさに語り喜んでいる。
龍也は、その話を微笑みながら聞き、ゆうこが、それを茶化しながら笑っている。
そんな、和やかな空気の中、シンジが、そっと、龍也の隣に座り、静かに問いかけてきた。
「……なぜ、昨日は、俺に、任せなかったんだ」
その一言に、皆の注目が、龍也へと集まった。
龍也は、仲間たちの顔を、一人一人見渡し、そして、ゆっくりと正直な気持ちを語り始めた。
「……転職の寺院で、俺には、何の職業もないって言われ。この旅も、本来は生活のために始めた仕事の内容に討伐があり、その延長でしかなかった。……実はな、俺、この浦和でパーティを離脱して、現実社会に戻って暮らそうかと考えていたんだ」
皆が、息を飲む。
「だが、お前たちという存在がいてくれたおかげで、俺はこの旅を続ける決心ができて、やめた。
そんな俺がこの先、何を目指して、お前たちと一緒に戦っていけばいいのか。俺自身に、このパーティで、何ができるのか。それをどうしても、確かめたくて……昨日は、譲れなかったんだ。
すまんな、シンジ。お前に任せれば、もっと、安全だったのは分かってる」
そして、龍也は、もう一度皆の顔を見回した。
「今回の件で、俺は、自分なりに何かを掴めたような気がする。……まあ、皆が協力してくれなきゃ無理だったがな。……本当にありがとう」
じんたは、その言葉に感動して、目を潤ませている。
シンジは、少しだけ、照れたように顔をそむけながら、しかし、力強く龍也に握手を求めてきた。
そして、ゆうこは、「めっちゃ、ええがな、タツヤ……」と、言いながら、顔を赤らめた。
少しだけ照れ臭い、温かな空気に、心の底からこの仲間たちと出会えてよかったと思うのだった。
顔中包帯だらけだが。
「ゆうこ、もう少し何とかならんか」
「ならんな、しばらくそうせぇ」
もう女神は普通に戻っていた。
昨日の激闘による疲労感と、顔に巻かれた包帯。
その、あまりにも満身創痍な状態に、その日一日、家で、ゆっくりと休むことにした。
昼過ぎ、家の戸口に、荷物が届いた。差出人は、板橋の、咲からだった。
中を開けてみると、それは、薬草ではなく、すでに調合済みの、様々な種類の薬だった。
しかも、討伐中に、すぐに取り出して使えるよう、一つ一つが丁寧に、小瓶や軟膏の容器に詰め替えられている。携帯用に改良されたものらしかった。
「ほう、これは、便利じゃのう」
ゆうこが、感心しながら、同封されていた手紙を読み始めた。
そこには、それぞれの薬の使い方や、効能。
そして、咲自身の近況報告などが、丁寧な文字で綴られていた。
「……なるほどのう」
一人で、納得しながら、手紙を読み進めるゆうこに、しびれを切らしたじんたが声をかける。
「ゆうこ!何て、書いてあるんだべか!」
ゆうこは、手紙の内容を、皆に読んで聞かせ始めた。
そこには、驚くべき情報が、書かれていた。
なんと、所沢の梅さんが、またしても、何か、新しい薬を開発し、その製品化の、一歩手前まで、来ている、というのだ。
「なるほどなあ……。やっぱり、すごい人だな梅さんは」
龍也は、改めて、その、底知れない老婆の、バイタリティに、感心するしかなかった。
「……少し、身体を動かしてくる」
じっとしているのが、性に合わないのだろう。シンジは、そう言うと、家の外でトレーニングを始めた。
それを見て、ゆうことじんたも、
「じゃあ、わしらは、買い出しにでも、行ってくるかのう」
と、二人で、夕飯の買い出しに出かけていった。
一人、家に残された龍也は、畳の上に、ごろんと寝転がった。
静かな、昼下がり。
ぼんやりと、これまでに出会った人々のことを、懐かしんでいた。
梅さん、師匠の哲、そして、健気な、咲。皆、元気にしているだろうか。
ふと、脳裏に、あの二人の悪魔の顔がよぎった。
筋肉の悪魔、ゴードン。そして、サディスティックな天使、エミリ。
「……いやいや」
龍也は、ぶんぶんと、頭を振る。そして、その嫌な記憶を、頭の中から消し去るように、むくりと起き上がると、少し早いとは思いながらも、夕飯の仕込みを始めるのだった。
買い出しから帰ってきた。
受け取った食材を、ゆうこが手伝いながら、冷蔵庫代わりの床下収納へと仕舞っていく。
その時じんたが、興奮気味に報告してきた。
「タツヤ!買い出しの途中で、魔法使いっぽい人を、見かけたんだべ!」
ギルドで毎晩のように、様々な討伐者を見ているおかげか、じんたの目も肥えてきたらしい。
なんとなく、その人間の『職業』が、分かるようになってきた、というのだ。
「……でも、魔法使いは、やっぱり、圧倒的に少ないみたいだ。店にも、なかなか、現れないって、マスターが言ってたど」
「へえ。ほいじゃあ、一番多いのは、なんじゃ?」
ゆうこが尋ねると、じんたは、呆れたようにこう答えた。
「戦士だべ。基本的に、武器さえ持ってれば、誰でも名乗れるらしい」
「その次は?」
「僧侶だそうだ。これも、恰好さえ、それっぽければ、名乗れるってよ」
「なんじゃそりゃ!どっちも、自己申告で、成り立つんかい!」
ツッコミを入れる。
龍也は改めて、自分たちのパーティを、誇らしげに思った。
戦闘のプロ、シーフ、そして、医者。なかなか、バランスの取れた、いいパーティではないか。
夕飯ができ、トレーニングを終えたシンジを呼んで、食卓を囲む。
「明日、例のゴミ処理場に、家具を、取りに行こうと思う」
龍也のその言葉に、皆頷いた。
翌朝。
「ゆうこ、この包帯、何とかならんのか?」
鏡を見る。薬を塗り直し、少しだけ、包帯の範囲を減らしてみたが、まだ、火傷の跡は痛々しい。
「……なんとも、ならんな!」
ゆうこは、あっさりとそう言い放った。
午前中に、一行は、ゴミ処理場へと到着した。
職員は、龍也の顔を見るなり、すごく心配しながら、改めて深々と頭を下げてきた。
「本当に、ありがとうございました!」
一行は、目ぼしい家具を、もらおうとしていた、その時だった。奥の方からじんたが走ってきた。
「タツヤ!冷蔵庫が、あるど!」
見に行くと、そこには、見た目も立派な、三ドアの冷蔵庫が、置かれていた。
「これ、ダメ?」
ゆうこも、目を輝かせて聞いてくる。
「いや、動くかどうか、分からんですよ……」
職員の言う通りだ。動かなければ、ただの重たいゴミでしかない。一行は泣く泣くそれを諦めた。
テーブルと、椅子。それだけでもかなりの荷物になる。
どうやって運ぶか。一つずつ抱えて、何往復もするしかないか。
そう思っていると、ちょうどゴミの回収車が帰ってきた。
といっても、エンジンで動く車ではない。巨大な荷台を引いているのは、上半身が筋骨隆々の牛で、下半身がたくましい馬、という、奇妙な生き物だった。ケンタウロス?のようなものだろうか。
その、馬牛車は、与えられた餌をもしゃもしゃと食べながら、ニコニコしていた。
「おら、ほしい……」
じんたが、感動しながら羨ましそうに、呟いている。シーフだからか物欲がすごい。
その時、ゆうこが、荷台に積まれている、別の冷蔵庫を見つけた。
今度は、四ドアの、さらに立派なものだ。
「ねえ、あんた。これ、動くんか?」
ゆうこが、運んできた職員に尋ねると、
「新しいのを買ったから、いらなくなったって、聞いてるんで、たぶん動くと思いますよ」
という、答えが返ってきた。
もはや、ゆうこの頭の中では、その冷蔵庫はもらったも同然になっている。
龍也が、改めて、職員の責任者に交渉すると、
「あんたたちは、この処理場の恩人だ。欲しいものは、何でも、持っていってくれ!」
と、言ってくれた。
その言葉を聞いた瞬間、じんたとゆうこは、宝探しを始めた子供のように、あらゆる場所を見に走り出した。シンジも、少し、興味が湧いたのか、奥の方へと歩いていく。
龍也も、木材が置かれているエリアへ向かい、使えそうなしっかりとした板を、何枚か抱えて戻ってきた。
やがて、皆がそれぞれの「お宝」を抱えて戻ってくる。
じんたが抱えてきたのは、おもちゃやガラクタの山。
ゆうこはタンスと、シミのついたマットレスを、引きずってきた。
「生活に関係ないものは、やめろ!」「そのマットレス、きれいになるのか?」
龍也に諭され、二人は、しぶしぶ、それらを、元の場所に戻しに行った。
「どうしても、これだけは!」
じんたが、最後まで、手放さなかったのは、一本の、けん玉だった。
「……子供だな」
ゆうこが、呆れたように、呟いた。
それを見ていたシンジが、何かを、そっと、後ろ手に隠しながら戻しに行こうとする。
「シンジ、どうしたんだ?」
じんたが、声をかける。
「いや、ちょっとな……」
「つまらんもんでも、持ってきたんか?」
ゆうこが、からかうように、言う。
シンジは、しぶしぶ、といった様子で、それを見せた。それは、錆びてはいるがずっしりと重い、本格的なバーベルだった。
意外な、シンジの「お宝」に、龍也は、思わず、笑ってしまった。
「……いいじゃないか。それは、許可しよう」
シンジは、今までに見せたことのないような、満面の笑みで帰ってきた。
皆、こんな一面も、あるのか。また一つ、仲間との絆が深まったような気がした。
一行は、職員に頼み込み、例の馬牛車で、家まで荷物を運んでもらえることになった。
荷台に乗り込み出発する。
揺れがひどく、荷物が倒れないよう、ゆっくりとしたペースで家へと帰った。
もう、午後を大きく回っていた。
家に着くと早速、手に入れた家具をきれいに拭き、それぞれの場所に配置していく。
そして、冷蔵庫のコンセントを差してみる。
ぶーん、という、静かなモーター音が聞こえてきた動いたのだ。
これで、食材の保存が格段に楽になる。一行は歓喜に浸った。
その夜から、食卓はテーブルになった。
脇では早速、じんたと、シンジが、けん玉と、バーベルで、遊び始めている。
龍也は、夕飯の支度をしながら、冷蔵庫という、新たな武器を手に入れたことで、これまでにはできなかった、作り置きや、合わせ調味料のストックなど、料理の夢が大きく広がっていくのを感じていた。
「何、にやけてんだ、タツヤ?」
ゆうこの、たわいもない、ツッコミ。
そして、始まった、初めてのテーブルでのディナー。
皿も、たくさん乗せられるので、これまでのワンプレート飯ではない。
なんだか、豪華に見える、と、皆はしゃいでいる。
明日の予定を話し合う。
顔の火傷次第ではあるが、そろそろ、討伐再会も視野に入れて。