第三一話 悪夢とバイト初日
「うわああああぁぁぁ!」
自分の、情けない叫び声で、龍也は、はっと目を覚ました。
全身、びっしょり汗をかいている。心臓が、早鐘のようにドクドクと鳴っていた。
「……大丈夫か」
物音に気づいたのか、シンジが部屋の戸口に立っていた。
彼は何も言わず、水差しから、コップに水を注いで手渡してくれた。
それを、震える手で受け取り、一気に飲み干した。
時計を見ると、まだ、夜中の三時半過ぎ。
言葉通りの、「悪い夢」を見てしまった。
浦和と新宿、二つのオカマバーの、合同大宴会。
その、ど真ん中に、なぜか、自分一人が、正座させられている、という、悪夢。
左右から、屈強なオネエとおっさんたちに、酒を勧められ、逃げ場のない、地獄のような光景。
「……悪夢とは、こういうことを言うのか」
もう一度、眠りたい。だが、怖くて目が瞑れない。
その、もどかしい気持ちのまま、布団から這い出した。
じっとしていても、仕方がない。
討伐で使う、ヤリの手入れを始めた。布で丁寧に汚れを拭き取り、穂先を研ぐ。
次に、台所へ向かい、昨日使った調理器具を、もう一度きれいに磨き上げた。
そうこうしているうちに、時間は過ぎ、窓の外がようやく白み始めてきた。まだ、五時。
家の外に出て、いつもより少しだけ早めの、太極拳を始めた。
ひんやりとした、夜明け前の空気。
ゆっくりと身体を動かしていると、少しずつささくれ立っていた心が、静まっていくのを感じる。
やがて、鳥のさえずりが聞こえ始め、街が少しずつ、目を覚ましていく気配がした。
ふと、新宿での日々を、思い返していた。
じんたと出会った、あのバーゆうことも初めて話した場所。
そして、シンジとも、運命的な出会いを果した。
皆、あそこで、出会ったのだ。
(……あの頃を、懐かしいと、思うようになったんだな、全部『HEAVEN]』だが)
いつの間にか、自分にとって、あの街も、かけがえのない、思い出の場所になっていた。
昨夜の、悪夢のような、二つのバーの繋がり。それは、きっと、悪いことばかりでは、ないのだろう。
そう、思うことにした。
そして、とりあえず、あのバーのことは、今は考えないことにした。
夜明けの、清々しい空気の中で、彼は、ただ、静かに心を整えるのだった。
朝飯の支度を終え、皆が起きてきたところで、龍也は、ゆうこに一つお願いをした。
「ゆうこ。例の、ギルドに貼る、仲間募集のチラシ、作ってもらえないか」
「おう、任せときんさい!」
ゆうこは、一つ返事で、快く引き受けてくれた。
その日の午前中は、討伐に出る前に、それぞれが、やれることを、分担しながら過ごした。
食料の買い出し、薬草の作製、そして、チラシ作り。
その他、もろもろの雑用をこなしていると、あっという間に、時間は過ぎていく。
小一時間で、討伐の支度を済ませ、一行は、いざ、戦場へと向かった。
今回は、あの沼地には行かず、さらに、北へと、少しだけ足を延ばしてみることにした。
鬱蒼とした林の中、獣道を、一列になって歩いていると、不意に茂みの中から、一体の魔物が飛び出してきた。
それは、首が二つに分かれ、胴体は一つという、奇妙な魔物だった。
二足歩行で、その二つの顔は、それぞれ狼と猪。
なんとも不思議な生き物だが、その体躯は大きく強そうである。
シンジが、身構えていると、魔物は、まっすぐにこちらへと、突進してきた。
シンジは、それを、ひらりとかわす。しかし、魔物は、また、まっすぐに突進してくる。
その、あまりにも単調な攻撃を、何度か見ているうちに、じんたが、ぽつりと呟いた。
「……まさか、猪だから、真っ直ぐしか、進めないんだべか?」
一同、その、あまりにも、馬鹿げた推測に、半信半疑になる。しかし、そうとしか思えない。
すると、しびれを切らしたのか、狼の頭の方が何やら、我慢の限界といった様子で、猪の頭に向かって、キャンキャンと、吠え始めた。もちろん、鳴き声なので、何を言っているのかは分からない。
だが、どう見ても、何かを必死に訴えているようだ。
そのうち、猪の頭も、ブヒブヒと鳴き出し、傍から見ても、完全に言い争いを始めている。
シンジが、呆れたように、言った。
「……馬鹿らしい。違う所へ行こう」
一行が、その場を、移動し始めようとしたその時だった。
言い争いをやめ、魔物は、再びこちらへと、襲いかかってきた。
「……なんなんだ、こいつらは」
面倒くさくなったシンジが、渾身の一撃で、その動きを止め、弱らせると、龍也が、ヤリでとどめを刺した。本当に変わった魔物もいるものだ。
それから、大蝙蝠が現れ、その超音波に、じんたが、またしても混乱しかけるが、その度に、ゆうこに、バチン!と、ほほをはたかれて、正気に戻る。木槌を持ったモグラも、相変わらず、厄介だった。
そして、あの、二つ頭の魔物も、たまに、出現した。
そして、やはり、戦闘時間が長引くにつれて、仲間割れを起こすことが分かった。
どうやら、身体の主導権は、猪の方が握っているらしい。
夕暮れが近づいたので、一行は、その日の討伐を引き上げた。
帰り道、じんたははたかれすぎて、顔が少しだけ腫れていた。
そのほとんどは、ゆうこに、はたかれたものだ。
「何も、叩かなくても、いいべ……」
両手で頬を押さえながら、グチグチと文句を言っている。
その愚痴は、家に帰り、風呂を上がっても、まだ続いていた。
「女々しいんじゃ、このタコ!」
見かねたゆうこが、再び、彼の頭をはたいた。
そして、夜。
いよいよ、四人にとって、浦和での、バイト初日だ。
それぞれが、それぞれの職場へ。
どうなることやら、と、少しばかりの期待と不安を胸に、彼らは夜の街へと、出勤していくのだった。