第二四話 川口の夜とそれぞれの思惑
ゾンビの正体と対処法は、判明した。しかし、だからと言って、あえて夜に討伐に出る必要もない。
一行には、特に「全ての魔物を根絶やしにしてやろう」などという、大それた討伐心があるわけではないのだ。
「まあ、いずれ、どこかで出くわしたら、その時にでも燃やしてやればいいか」
龍也のその一言で、ゾンビの件は、一旦、保留ということになった。
その決定に、誰よりも安堵したのは、じんたとゆうこだった。
忌まわしい夜の恐怖から解放され、気が楽になった二人は、いつも以上に陽気に振る舞い始めた。
夕方が近づき、街に明かりが灯り始める頃。一行は、これまで気づかなかった、
街の西の一角が、急に賑わい始めたことに気づいた。
そこは、ネオンが煌めき、陽気な音楽と、人々の嬌声が響き渡る、巨大な歓楽街だった。
道行く人に尋ねると、この川口の歓楽街は、近隣の街からも人が集まるほど、有名で大規模なものらしい。
「タツヤさん!シンジさん!行ってみよう!」
「ほうじゃほうじゃ!たまにはパーッとやらんといけんけぇのぉ!」
じんたとゆうこが、目を輝かせながら、龍也とシンジの腕を引く。
しかし、シンジは、その手の誘いには全く興味がないらしく、眉をひそめて首を横に振った。
龍也も、金銭的な問題はもちろん、気持ち的にも、あまり乗り気ではなかった。
明日は、また討伐に出て、少しでも経験値と金を稼ぎ、浦和へ向かう準備を進めたい。
今は、浮かれている場合ではないのだ。
「悪いが、俺たちは宿に戻る。お前たちも、ほどほどにしておけよ」
龍也がそう言うと、じんたとゆうこは、唇を尖らせ、ぶつぶつと文句を言いながらも、渋々、その後に続いた。
しかし、宿に戻る道中も、二人の不満は止まらない。
「ちぇっ、ケチだべな……」
「たまにゃあ息抜きも、せにゃあいけんじゃろうに……」
その、あまりにもうるさいぼやきに、ついに、それまで黙っていたシンジの堪忍袋の緒が、ぷつりと切れた。
彼は、ぴたりと足を止めると、氷のような冷たい声で、二人に言った。
「……そんなに夜遊びがしたいなら、ちょうどいい。これから、俺と一緒に、ゾンビ討伐にでも行くか?」
その一言で、それまで騒がしかった二人は、ぴたりと、石のように固まった。
そして、次の瞬間には、しゅん、と子犬のように大人しくなり、一言も喋らなくなった。
龍也は、その光景に、思わず苦笑いを浮かべながら、やはり、このパーティには、シンジのような、手綱を握る存在が必要不可欠なのだと、改めて思うのだった。
翌朝。一行が食堂で朝飯を食べ終え、その日の討伐の準備を始めようとしていた、その時だった。
宿の外が、何やら騒がしくなっている。
「なんだべ?」
じんたが、ひょいと表の様子を覗きに行くと、すぐに、青い顔をして戻ってきた。
「大変だ!昨日の夜、若い討伐者の兄ちゃんが一人、ゾンビに襲われて、病院に担ぎ込まれたって、おじさんが騒いでるど!」
怪我をして、病院に担ぎ込まれる。それ自体は、この過酷な世界では、もはや日常茶飯事の光景だ。
しかし、「ゾンビに襲われた」となれば、話は全く別だった。
万が一、噛まれていたら……?
その場合、彼もまた、ゾンビと化してしまう。その、最悪の可能性が、街の人々の間に不安と恐怖を広げ、宿の外を賑やかにさせている原因だった。
その話を聞いた瞬間、じんたとゆうこの顔から、血の気が引いていく。
昨日までの陽気さはどこへやら、再び、あの夜の恐怖が、まざまざと蘇ってきたのだ。
「こ、怖い……!やっぱり、こんな街、早く出た方がいいべ!」
「ほうじゃ!明るいうちに、はよう浦和行くんじゃ!」
二人が、再び騒ぎ出す。しかし、龍也は、冷静にそれを諭した。
「気持ちは分かるが、まだ準備が整っていない。このまま、次の街まで遠征するには、薬も、食料も、あまりにも材料が足りなすぎる」
そして、龍也は、恐怖に震える二人の背中を、ポンと叩いた。
「……だから、お前たち二人で、今すぐ、討伐に行って、金を稼いでこい」
「「ええっ!?」」
「夜になるのが、嫌なんだろ?だったら、日が暮れる前に、さっさと稼いで、さっさと準備を整えればいい。違うか?」
その、あまりにも正論な龍也の言葉に、二人はぐうの音も出なかった。
恐怖は、最高の動機付けになる。
「……わ、わがった……!行ってくる!」
「しゃあないのう!」
夜に、あの恐怖を再び味わうことだけは、絶対に避けたい。
その一心で、じんたとゆうこは、これまでにないほどの気迫で、討伐へと走り出していった。
龍也とシンジは、その背中を見送りながら、
「これで、少しは気合が入るだろう」
と、顔を見合わせて、静かに頷くのだった。
恐怖に突き動かされ、勢いよく討伐へと飛び出していった、じんたとゆうこ。
しかし、現実は、そう甘くはなかった。
日頃、シンジと龍也という、頼れる前衛に守られながら戦っている二人が、いきなり、自分たちだけで魔物と対峙しなければならない。その状況は、彼らが思っていた以上に、過酷なものだった。
魔物を前にして、じんたにできるのは、相変わらず、その懐から何かを盗むことだけ。
攻撃をひらりとかわす身のこなしは、特訓の成果で身についている。
しかし、そこから反撃し、敵を倒すまでの一歩が、どうしても踏み出せない。
ゆうこも、医療の知識はあっても、戦闘は全くの素人だ。
敵が近づいてくれば、悲鳴を上げて逃げ回るのが関の山だった。
結局、二人は、慌てふためきながら、早々に戦場から逃げ帰ってきた。
その日の戦利品は、じんたが、唯一、ゴブリンの腰から盗み出すことに成功した、一本の汚れた『麻の紐』だけだった。何に使えるのかも、分からない。
宿に着いた二人は、鼻水を垂らしながら、半泣き状態だった。
「だ、ダメだべ……。おら、やっぱり、戦うのには向いてねえ……」
「ほうじゃ、ほうじゃ!わしは、医者じゃけぇのぉ!」
龍也とシンジは、その情けない姿に、深いため息をつくしかなかった。
昼飯を食べて、ようやく落ち着きを取り戻した、午後。
結局、いつものように、四人全員で、再び討伐へと向かうことになったのだった。
付け焼き刃の勇気など、何の役にも立たないことを、二人は、身をもって知った一日だった。