第二二話 バイキンマンと奇跡の薬
待つこと、一日、昼過ぎだった。
板橋の街に、恐ろしい地響きと、「うおおぉぉぉ!」という、野獣の雄叫びのような声が、聞こえてきた。
その音は、どんどん大きくなり、街にいた者、全てが、何事かと驚き、外に飛び出した。
「……来たか」
部屋で、その音を聞いた龍也たちは、確信した。あの悪魔が、やってきたのだ。
表に出、彼方を土煙を上げながら地平線の彼方から、猛スピードで近づいてくる、一つの影が見える。
まさしくゴードンが引く、人力車だった。
息を切らし、全身から湯気を立ち上らせながら、ゴードンは、宿の目の前で、ぴたりと足を止めた。
その顔は、疲労困憊のはずなのに、至高の喜びに満ち溢れている。
「半日……!常人なら二日かかる道のりを、半日で……!しかも、二人乗せて……!ああ、俺の筋肉が、最高の悲鳴を上げているぞ……!」
もはや、彼の存在は、人の域を超えていた。
その人力車から、ひらりと降り立ったのは、ドSナースのエミリ。
そして、なぜか、梅さんも、そこにいた。
「何、しんみりしてるんだい!患者が待ってんだろ!、さっさと案内しな、トウヘンボク!」
エミリが、驚きの表情を浮かべてるじんたを叱咤する。その横で、梅さんは、かかかと笑っていた。
「ワシもいた方が、薬の配合やら研究やら、何かと手伝えるじゃろうと思ってのう」
その、あまりにも頼もしすぎる援軍の到着に、龍也たちは、心から感激した。
宿の主人も、まるで化け物でも見るような顔で、ただただ感心している。
一行は、早速、ゆうこの元へと向かった。
エミリは、マスクをつけると、手際よくゆうこの状態を観察し、テキパキと診察を終えると、慣れた手つきで採血を行った。
その血液サンプルは、すぐに咲へと渡される。咲は、顕微鏡を覗き込み、未知の病原体の特定を始めた。
その間、梅さんは、いつものように茶をすすりながら、龍也に、事の経緯を、詳しく聞く。
「……ふむ。どうやら、鍵は、やはり橋の向こうにあるようじゃな」
梅さんは、そう言うと、龍也に指示を出した。
「今すぐ、橋の前に陣取って、あっちから帰ってくる討伐者どもを、片っ端から捕まえなさい。そして、全員から採血するんじゃ。あと、服についた汚れや、草の葉、埃なんかも、ビニールシートを敷いた上で、全部叩き落とさせてから、街に入れさせなさい」
時間は、惜しい。龍也とじんた、シンジは、エミリを連れて、すぐに橋の前へと向かった。
夕方まで、まだ時間がある。橋からは、ちょろちょろと、討伐を終えたパーティが帰ってくる。
彼らは皆、エミリの姿を見ると、その美貌に、素直に採血に協力してくれた。
ただ、協力を終え、エミリから
「ほれ、早く帰んな。虫けらども!」
と、冷たくあしらわれると、皆、がっかりした表情で、街へと帰っていったが。
二時間ほどで、二十四人分の血液サンプルと、大量の塵や埃が集まった。
龍也たちは、急いでそれを宿へと持ち帰り、梅さんに渡す。
その瞬間から、梅さんと咲で、本格的な検体検査と、原因究明が始まった。
手の空いた龍也、じんた、シンジは、少しでも金を稼いでおこうと、橋の手前のエリアで、討伐を行うことにした。
ゴードンも、「筋肉がなまる!」と言って、嬉々としてついてくる。
ゆうこの看病は、エミリが引き受けてくれる。
今はただ、信じて待つしかない。
薬学のスペシャリストたちの、叡智と経験が、この見えざる病の正体を暴き、仲間を救う光となることを。
ゆうこが発症して、六日目。
梅さんたちの不眠不休の研究により、事態は少しずつ、しかし、確実に進展していた。
集められた血液サンプルのうち、実に四分の一の検体から、ゆうこの血液と、酷似した異常反応が見つかったのだ。
それは、間違いなく、体内に生息する、未知の菌によるものだった。
橋の向こう側へ行ったという共通点に加え、また一つ、病の輪郭がはっきりとしてきた。
この採血した者たちも、いずれ、発症するだろう。
そして、七日目。ついに、梅さんが、決定的なものを発見した。
「……こりゃあ、たまげた。ワシも、こんな生き物は、初めて見たわい」
梅さんが、興奮気味に指さす顕微鏡を覗き込むと、そこには、信じられないものが映っていた。
羽が生え、悪魔のような尻尾を持つ、まさしく、あの国民的アニメに出てくる『バイ✖✖マン』のような姿をした、奇妙な微生物。
そして、驚くべきことに、討伐者たちの服から叩き落とした、ただの「埃」の中から検出されたのだ。
原因は、特定された。あとは、この未知のバイキンマンに効く、特効薬を、いかにして作り出すかだ。
ここから、梅さんとエミリ、そして咲による、常識外れの研究が始まった。
まず、梅さんが取り出したのは、例の、川で採れた三種類の「藻」だった。
「こいつらは、強い浄化作用を持っておる。だが、それだけじゃ、足りん」
次に、エミリが、自身の医療知識を総動員する。
「この微生物の構造を見る限り、特定の酵素で、細胞膜を破壊できる可能性がある。その酵素は……確か、ゴブリンの唾液に、微量に含まれていたはず」
そして、咲が、奇抜なアイデアを閃いた。
「あの、もしかしたらですけど……。辛いものを混ぜてみたら、どうでしょう?唐辛子とか……。刺激で、菌が弱るかもしれません!」
浄化の藻、ゴブリンの唾液、そして、大量の唐辛子。
もはや、薬学というよりは、魔女の秘薬作りだ。
三人は、それらを、梅さんの「適当」な配合で、大鍋で煮込み始めた。
どす黒く、禍々しい湯気を上げる、その液体。
誰もが、本当にこれが薬になるのかと、半信半疑だった。
そして、試行錯誤の末、ついに、一筋の光明が見える。
「……これじゃ!」
梅さんが、最後に加えたのは、意外なものだった。
それは、ゴードンが、トレーニング後に飲んでいた、特製の「プロテイン」だったのだ。
「タンパク質が、薬の成分を安定させ、体内への吸収を助けるんじゃ!」
その奇抜な組み合わせは、奇跡を生んだ。
完成した薬は、禍々しい見た目とは裏腹に、バイキンマンの活動を、完全に停止させる効果を持っていた。
完成したばかりの特効薬が、すぐに、高熱にうなされるゆうこの口へと、流し込まれる。
一時間後。
「……ん……。腹、減った……」
ゆうこの熱は、嘘のように、すっきりと下がっていた。
「「「おおおおぉぉぉ!!」」」
一同から、歓喜の声が上がる。そして、深い安堵のため息が、部屋に満ちた。
三本の試作品を元に、熱が下がったゆうこの血液から、すぐに「血清」が作成された。
そして、回復したゆうこは、恐ろしいほどの食欲を見せた。
急には固形物を食べられないだろうと、龍也が作ったお粥を、釜ごと、顔を突っ込むようにして食べ尽くす。
その夜は、しばしの宴となった。龍也は、仲間たちのために、腕によりをかけてご馳走を振る舞った。
珍しく、エミリも酒を飲んだ。するとどうだろう。
いつものドSな態度はどこへやら、頬を赤らめ、甘えるような口調で話す、とんでもなく可愛いキャラクターへと変貌したのだ。そのギャップに、男たちの心は、鷲掴みにされた。
ゴードンは、その筋肉を誇示するように、片手でじんたを軽々と持ち上げ、バランスを取りながら、奇妙なダンスを踊っている。
梅さんは、その光景を、ただ、かかかと笑って見ているだけだった。
ようやく、長い闘いが一段落し、一行は、安らかな眠りについた。
翌朝。龍也が、梅さんと太極拳をしていると、いつの間にか、じんたもそれに加わっていた。
皆が起き出してくると、ゆうこの具合は、すこぶる良好で、いつもの広島弁も、完全復活している。
ゴードンも、朝から全開だ。
そして、エミリは……いつもの、冷徹なドSナースに、完全に戻っていた。男どもは、
「昨夜のは、夢だったのか……」
と、一瞬の至福の時を、おのおの、心の中で噛みしめるのだった。
朝飯を済ませ、薬局へ行くと、咲が、早速、特効薬の量産に取り掛かっていた。
梅さんとゆうこもそれに加わり、大量生産のために必要な材料を、龍也たちに採取してくるよう、指示が出された。
その材料とは、『橋の向こうの土、落ち葉、そして草』バイキンマンそのものが、薬の抗体を作るための、主原料となるのだ。
一行は、マスクで完全防備し、夕刻までかけ、ゴードンに引かせた、ビニールシートで覆われた巨大な人力車に、それらの材料を、山のように積み込んで運搬した。
丸二日かけて、大量の特効薬が生産される。
薬名を『抗辛菌丹』、それは「梅ばあちゃんの薬局 板橋店」で、正式に販売が開始された。
当然、薬は飛ぶように売れ、街の病院関係者も、この薬を、正式な処方箋として認定した。