第二一話 見えない敵
「でけた……!でけたで、しかも!ぶちぇぇ効き目の薬が、でけたわい!」
ゆうこは、広島弁全開で、完成したばかりの『混乱治癒薬』の小瓶を、高々と掲げた。
彼女の数日間にわたる研究が、ついに実を結んだ瞬間だった。
隣で手伝っていた咲も、
「よかったですね!」
と、心から喜んでいる。そして、
「早速、どなたかでお試しに……」
と物騒なことを言い出したが、それは丁重にゆうこに止められていた。
宿に戻り、一行は、早速、明日の討伐の準備を始めた。
これで、ようやく、あの忌々しい魔法使いに、一矢報いることができる。
翌日。意気揚々と、荒川の向こう岸へと渡る。道中の魔物は、もはや敵ではなかった。
子ドラゴンの炎で負った、軽い火傷に馬油を塗りながら、順調に森の奥へと進んでいく。
そして、ついに、あの黒いマントの魔法使いが、再び姿を現した。
魔法使いは、詠唱と共に、シンジに向かって魔法を放つ。
しかし、シンジは、それを驚異的な反射神経でひらりとかわした。
「そこか!」
じんたが、背後に回り込み、攻撃を仕掛けるが、魔法使いは、まるで予測していたかのように、それをひらりと身をかわす。
そして、二発目の魔法。その狙いは、じんただった。
魔法は、じんたの背中越しに、確かに彼を捉えた。
「ぐっ……!」
じんたの目つきが、再び、虚ろになる。彼は、近くにいたゆうこに、殴りかかり始めた。
「じんた!これ飲みんさい!」
ゆうこが、慌てて解毒薬を飲ませようとするが、混乱して暴れるじんたの口に、うまく薬を流し込めない。
その間にも、龍也とシンジは、魔法使いと対峙しており、助けに行くことができなかった。
ゆうこが苦戦している、魔法使いは、三発目の魔法を放とうと、詠唱を始めた。
龍也たちが、身構える。
しかし、何も起こらなかった。不発?もう一度詠唱を唱え始めたので身を低く構え除ける態勢に入った。だが、やはり、何も起こらない。
「……どうやら、二回で、魔力が尽きるみたいだな」
龍也が、冷静に分析する。
その言葉を合図に、シンジは渾身の力で踏み込み、魔法使いに、必殺の一撃を叩き込んだ。
魔法使いを倒し、龍也はすぐにゆうこの助けに向かう。
暴れるじんたの足を払い、転ばせると、馬乗りになって、無理やり治癒薬を飲ませた。
すると、数秒後、じんたの目の光が、ゆっくりと正気を取り戻していく。
「……はっ!お、おらは、何を……?」
ようやく落ち着き、一行は、ひとまず安堵のため息をついた。
「効果は、バッチリじゃな!」
ゆうこは、薬の効果が実証されたことに、大喜びだ。
一旦休憩した後、一行は、その日、さらに二体の魔法使いを討伐することに成功した。
多少の傷は負ったものの、もはや、混乱は脅威ではなかった。
さすがに疲労困憊になった一行は、早々に帰還すると、街のスーパー銭湯で、ゆっくりと汗を流した。そして、夕飯を腹一杯食べると、全員、ベッドに倒れ込むようにして、爆睡した。
翌日。ゆうこは、一人、研究室にこもっていた。昨日の戦いで、新たな課題が見つかったのだ。
それは、混乱して暴れる相手に、どうやって安全に薬を飲ませるか、ということ。
彼女は、試行錯誤の末、二つの方法を考案した。
一つは、薬を、水に溶けやすいオブラートに包んで、投げつけるようにして飲ませる方法。
もう一つは、より携帯しやすく、飲ませやすいように、カプセルに詰める方法。
「よし。次回は、これを試してみるかのう」
ゆうこの、探究心と、薬学への情熱は、とどまることを知らなかった。
混乱治癒薬の完成。それは、一行にとって大きな勝利だった。
しかし、その勝利は、あまりにも大きな代償を伴っていた。
薬が完成した日の夜、ゆうこは、まるで糸が切れたかのように、その場に崩れ落ちた。
彼女の身体は、触れるのがためらわれるほど、激しい熱を発している。
「ゆうこ!」
龍也たちが慌ててベッドに運ぶが、彼女はうなされるばかりだった。
最初は、ただの疲労だと思われた。
しかし、問題は、その熱が、どんな薬を飲んでも、一向に下がらないことだった。
咲が、自分の知識を総動員して薬を処方し、龍也が懐の万能薬を飲ませても、全く効果がない。
体温計が示す数字は、常に三十九度台。それが、三日経っても、全く変わらなかった。
幸い、ゆうこの意識はあり、問いかけには弱々しく頷くため、命に別条はなさそうだが、このまま高熱が続くのは、あまりにも危険だった。
「どうすりゃいいんだ……」
龍也は、藁にもすがる思いで、リモートモニターで梅ばあさんに相談した。
しかし、画面越しでは、ゆうこの詳しい様子までは分からない。
「……こりゃ、ただの風邪じゃなさそうじゃのう」
ばあさんの言葉が、重く響いた。
「採血ができれば……!血液を調べれば、何か分かるかもしれません!」
咲が、そう提案する。医者か、腕の立つ看護師を、どこかから呼べないか。
龍也たちは、病院や診療所を片っ端から回った。しかし、反応は、奇妙なほどに冷たかった。
ゆうこの症状を話しただけで、どの医者も、首を横に振って断ってくる。
無理やり往診に来てくれた町医者も、ベッドで苦しむゆうこの様子を一目見るなり、顔を青くして、そそくさと帰ってしまうのだ。
「おかしい……。何かが、おかしいぞ」
最後に断った医者の腕を、龍也は、思わず掴んでいた。
「待ってください!どうして誰も、診てくれないんですか!理由を教えてください!」
医者は、目を泳がせ、中々答えようとはしない。
そこで、龍也は懐から、なけなしの三千円を取り出し、その医者の目の前に突きつけた。
「これを、差し上げます。だから、知っていることを、全て話してください」
金を見た瞬間、医者の態度は、コロッと変わった。
彼は、周りを窺うように声を潜め、震える声で語り始めた。
「……最近、この街で、同じ症状の患者が、ちらほら出てるんだ。俺も、二人診た。どんな薬も効かず、原因すら分からないまま、高熱が続いて……そして、三週間後、死んじまった」
その言葉に、龍也は息を飲んだ。
「しかもだ……。その患者の一人を看病していた看護師が、一週間は何もなかったのに、二週間経った頃、同じ病にかかっちまったんだ。マスクを、していなかったらしい……。今も、高熱で苦しんでいる」
医者の話は、さらに衝撃的な事実を告げた。
「発症した患者に、唯一つだけ、共通点があった。全員、あんたたちと同じように、荒川の橋を渡った土地で、討伐をして帰ってきた、討伐者だったんだ……!」
大変なことになった。
このままでは、ゆうこも……。いや、マスクもせずに看病していた、自分たち全員が、感染している可能性がある。
龍也は、すぐさま宿に戻ると、咲に事情を話し、全員分のマスクを用意させた。
そして、再び、研究室のモニターの前に立つ。
「梅さん!頼みがある!ゴードンさんに、そっちの診療所にいる、エミリさんを、すぐにここまで連れてきてもらうよう、お願いしてくれ!」
龍也は、矢継ぎ早に叫んだ。
「その時、必ず、採血セットと、その他、考えられる限りの医療器具を持たせてくれ!頼む!」
モニターの向こうで、事の重大さを察した梅さんが、静かに、しかし、力強く頷いた。
一行は、今や、たった一つの希望に、全てを託すしかなかった。
筋肉の悪魔が引く人力車に乗って、サディスティックな天使が、この地にやってくるのを、ただひたすらに、待つしかなかった。