第十九話 予期せぬ来訪者
薬師の店から宿に帰るなり、ゆうこはベッドに倒れ込み、そのまま爆睡してしまった。
五日間の徹夜続きの研究は、体力と精神力を、限界まで削り取っていたのだ。
龍也たちが心配するのをよそに、まる一日半、目を覚まさなかった。
ようやく目を覚ましたゆうこが開口一番に言ったのは、
「腹減った!」だった。
一行は、民宿の近くにある定食屋へと向かう。
よほど腹が減っていたのか、山盛りの定食をあっという間に平らげると、何度もおかわりを繰り返した。
「製造に集中すると、無性に腹が減るんじゃ!」
と、笑っていた。
翌日。いよいよ、討伐再開だ。
完成したばかりの麻痺治癒薬を懐に、一行は、あの吸血コウモリが出現するエリアへと向かった。
薬の効果は、絶大だった。
じんたが再び麻痺攻撃を受けても、ゆうこがすぐに薬を飲ませると、数秒で回復してしまう。
もはや、コウモリは脅威ではなかった。
討伐を続けながら、一行は、以前遠目に見た、あの巨大な門のところまで、行ってみることにした。
夕方前、ようやく門にたどり着くと、そこには、いかにも屈強そうな門番が、二人、仁王立ちしていた。
「今日は、もう渡るのはやめておけ」門番の一人が、低い声で言った。
そのつもりはないが、龍也は理由を尋ねてみた。
「なぜです?」
「この先は、次元が違う。魔法を使う魔物や、火の玉を投げてくる奴らが、うようよいる。お前さんたちの、そのみすぼらしい防具では、丸焼きにされるのがオチだ」
その言葉は、冷たい現実を、一行に突きつけた。
すごすごと引き返し、宿に戻った四人は、作戦会議を開く。
やはり、しばらくは地道に討伐を続け、まともな防具を買うしかない。
そう結論が出かかった、その時だった。
宿の主人が、再び部屋を訪ねてきた。『役所』から、龍也たちに電話が入っている、という伝言だった。
相手は、梅さんだった。
翌朝、『役所』へ行って電話をかけてみるとゆうこが、薬師の娘に世話になったこと、そして、無事に解毒薬が完成したことを報告する。
すると、梅さんは、その薬師の店のことを、やけに詳しく聞いてきた。
店の場所、雰囲気、従業員の様子など。
ゆうこがそれに答えると、梅さんは、
「そうかい、わかったよ」
とだけ言って、一方的に電話を切ってしまった。訳が分からないが、まあ、いつものことだ。
一行は、あまり気にせず宿へ帰り、再び防具購入の計画に戻った。
それから三日間、ひたすら討伐を続けたが、まともな防具一式を買うには、まだ金が足りない。
その日は、気分転換も兼ねて、スーパー銭湯でリラックスすることにした。そして、夜。
さっぱりした気分で宿の部屋に戻った一行は、そこに広がる光景に、我が目を疑った。
部屋の中には、いるはずのない、三人の人物が、当たり前のように座っていたのだ。
一人は、伝説のシーフ、哲こと田中哲さん。
もう一人は、薬草の権威、梅さん。
そして、最後の一人は……筋肉の悪魔、ゴードン。
一同は、驚きのあまり、声も出ない。
じんたは、師匠の姿を見て、感激のあまり打ち震えている。
ゆうこは、電話で話したばかりの梅さんが、なぜここにいるのかと、目を丸くしている。
そして、龍也は、ゴードンの、自分を値踏みするような、ねっとりとした視線に気づき、全身から冷や汗が噴き出すのを感じていた。その隣で、じんたも、再び半べそをかき始めている。
予期せぬ来訪者たちは、この宿に、一体、何をしに来たのだろう。
「ど、どうしたんですか、皆さん!しかも、梅さんも!あの危険な魔物の森を、どうやって……?」
呆然とする一行を代表して、龍也が尋ねた。
すると、ゴードンが、誇らしげにその鋼鉄のような胸を張った。
「フン!当然、この俺様が、二人を人力車に乗せ、一日でここまで送り届けてやったのだ!途中、雑魚モンスターどもが出たが、この俺と、そこの爺さんで、全て蹴散らしてやったわ!おかげで、俺の筋肉が、最高の喜びを感じていたぞ!」
その隣で、哲が『やれやれ』といった表情で肩をすくめている。
梅さんに至っては、
「道中、ずっとお茶を飲んで、菓子を食ってただけさね」
と、悪びれもせずに笑っていた。
「それで、一体、何をしにここに……?」
「ワシに、用があってのう。明日、あの薬局とやらに、案内しておくれ」
梅さんの、その一言だけが、来訪の目的だった。
翌朝。一行は、三人を連れて、咲の薬局へと向かった。
そして、そこで繰り広げられたのは、まさに圧巻の光景だった。
梅さんは、咲と会うなり、一方的に、しかも、決して有無を言わせない説得力で、彼女を口説き落とし始めた。
「あんた、こんな小さな店でくすぶってる器じゃないね。ワシと一緒に、もっとでっかい商売、してみんかい?」
その場で、この『板橋』の街に、『梅ばあちゃんの薬局』のフランチャイズ二号店を出すことを、決定。
即座にどこからか工務店を呼びつけると、近くの空き地に研究施設を兼ねた、巨大な薬局を建造するよう、依頼してしまったのだ。
あっけにとられる一同を尻目に、梅さんは、かかかと笑っている。
「ああ、そうそう、龍さん。あんたに頼まれた、新宿のバーとの広告契約の件、おかげでこっちも儲けが出たから、あんたたちの銀行口座に、入れといたよ」
そう言い残すと、梅さんは、
「さあ、帰るよ!」
と、ゴードンを促した。
「うおおぉぉ!来た時よりも、速く帰るぞ!俺の筋肉よ、燃え上がれェェ!!」
ゴードンは、雄叫びを上げながら、再び二人を乗せた人力車を引き、嵐のような速さで、来た道を引き返していった。
その姿は、あっという間に見えなくなる。
あまりの嵐のような出来事に、皆、呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
咲だけが、目を輝かせながら、
「私、頑張ります!」
と、決意を新たにしている。怒涛の一日が、過ぎていった。
翌朝、薬局が出来る場所へ行ってみると、そこではもう、大規模な建設工事が始まっていた。
その仕事の速さにも、一同は驚愕するしかなかった。
龍也たちは、半信半疑のまま、『役所』の銀行へ行き、口座の預金残高を確認してみる。
そこに表示されていた数字は、『十四万円』
「……じゅ、十四万!?」
一同は、再び驚愕した。
あの梅さん、一体、どんな経営をしているのか。
この短期間で、恐ろしいほどの収益を叩き出している。
だが、理由はどうあれ、これで、装備の問題は、一気に解決した。
「……よし!防具、買いに行くか!」龍也のその一言で、一行は、再び、露店が並ぶ通りへと、今度は、希望に満ちた足取りで、向かった。
潤沢な資金を手に入れた一行は、意気揚々と露店通りへと繰り出した。
店主たちの話を参考に、様々な品を見て回る。
火を吐く魔物対策として、炎に対する耐性を持つ防具や盾は、確かに存在する。
しかし、魔法については、厄介な情報を耳にした。
「魔法ってのは、物理的な攻撃だけじゃねえ。混乱させられたり、幻を見せられたり、そういう精神的な攻撃が、一番厄介なんだ。それを完全に防いだり、跳ね返したりするような便利な道具は、少なくとも、この『板橋』の街にはねえよ」
とりあえず、一行は、対炎用の防具を一式、四人分揃えた。
そして宿に戻り、未知の脅威である『混乱』に、どう対処すべきか、作戦会議を開く。
そこには、自分の店が新装開店するまで暇になったという、咲も加わっていた。
「私が、混乱に効く薬を、研究してみましょうか?」
咲がゆうこに提案するが、問題は山積みだった。
具体的に、どう混乱し、それに有効な薬草や薬剤が何なのか、全てが未知数で、手の付けようがないのだ。
「実戦で、一度経験してみんことには、始まらんのう……」
ゆうこが、うーん、と唸りながら、ちらりとじんたを見た。
「……じんた。あんた、一回、混乱にかかってみんか?」
「いやです!」
半べそで即答するじんたに、ゆうこは
「冗談じゃ」
と笑った。
翌日。炎の防御力と、未知の『混乱』を経験するため、一行は、ついにあの巨大な橋の向こう側へと、トライすることにした。
「やばくなったら、すぐに引き返せよ」
門番の警告を背に受け、長い橋を渡り、向こう岸へと初上陸する。
この先には、『川口』という宿場町があるらしいが、今日の目的は偵察だ。
すぐ引き返せる範囲の森へと、足を踏み入れた。
森の中は、これまでのエリアとは、生態系が明らかに違っていた。
ワニほどの大きさがある、獰猛なトカゲ。
フクロウ並みの巨体を持つ、大蝙蝠。
そいつらは、毒液を飛ばしてきたり、超音波でこちらの平衡感覚を狂わせてきたりと、厄介な攻撃を仕掛けてくる。
「目が回る!」
「しっかりしろ!」
龍也が、ふらつくじんたの頭を軽くはたいて、正気に戻す。
なんとか、それらの魔物を討伐していると、不意に、近くの木が、ボッと音を立てて燃え上がった。
一瞬、全員の動きが止まる。そこにいたのは、体は小さいが、翼を持つ、トカゲのような魔物。
子どものドラゴン、といったところか。
口から吐き出す火の玉は小さいが、燃えることには間違いない。
炎は、中古の「ウロコの盾」を構えたゆうこ目掛けて飛んできた。
彼女は、盾でそれを受け止める。炎は、盾に当たると、燃え広がることなく、すっと消えた。
「おお!」
盾の効果は絶大だ。
しかし、それ以外の防具は、ダメージを軽減はするものの、完全には防ぎきれず、龍也たちは軽い火傷を負ってしまった。
シンジが、素早くそのドラゴンの懐に飛び込み、ナイフで急所を突いて、なんとか倒す。
咲が調合してくれていた馬油を塗り、一行は先へと進んだ。
少しして、森の奥から、ケタケタという、不気味な笑い声が響いてきた。
辺りを見渡すと、木の枝の上に、マントをまとった、黒い人影が立っている。
言葉は発せず、ただ、こちらを見て笑っている。じんたが、試しに石を投げてみた。
人影は、それをひらりとよけると、じんたに向かって、両手をかざした。
その瞬間、じんたの目つきが変わった。そして、突如として、隣にいたシンジに、殴りかかったのだ。
「じんた!どうした、俺だ、シンジだ!」
シンジは、攻撃を避けながら、必死に呼びかける。これが、『混乱』か。
ゆうこが、冷静にその症状を分析している。
「よそ見してんじゃねえ!」
龍也が、人影に向かって、ヤリを投げつけた。
完全に油断していたのだろう、ヤリは、見事にその体に突き刺さる。人影は、悲鳴を上げて消滅した。
しかし、じんたは、まだシンジに襲いかかり続けている。
どうやら、術者が死んでも、効果はすぐには消えないらしい。
「すまん、じんた!」
シンジは、そう言うと、手加減した手刀で、じんたの首筋を打ち、気絶させた。
一行は、木陰でじんたが目を覚ますのを待つと、すぐに『板橋』へと帰還した。
ゆうこは、眠っているじんたから血液を採取した検体を、咲が以前勤めていた、あのボロ薬局へと向かった。
オーナーの爺さんは、咲が辞めたことで、店を廃業することにしたらしい。
梅さんが、とどめを刺した形だ。
二人は、残された設備を借り、血液の検査と、試作品作りを始めた。
しかし、やはりデータが足りず、有効な薬を完成させることはできなかった。
二日後。ようやく回復したじんたに、ゆうこが、真剣な目で言った。
「じんた。すまんが、もう一回、混乱にかかってきてくれんか」
「いやです!」
じんたは、泣きながら即答した。しかし、ゆうこの目は、本気だった。