第十七話 じんたの帰省と装備の嘆き
『新宿』の門をくぐり、未知なる大地へと足を踏み出した。
希望に胸を膨らませ、意気揚々と歩き始めたはいいものの、すぐに、ある根本的な問題に直面した。
「……で、どっちへ行くんだ?」
龍也の素朴な疑問に、誰も答えられなかった。
北へ行くべきか、南へ向かうべきか。そもそも、この旅の最終的な目的地はどこなのか。
魔王がいるという漠然とした噂はあるが、その居場所など、誰も知らない。
よくよく考えてみれば、彼らの旅には、具体的な目的というものが、まだなかったのだ。
「もんげ〜、行き当たりばったりじゃのう、うちら」
ゆうこが、呆れたように笑う。
「とりあえず、強い敵を求めて、ひたすら進むしかねえのかね」
シンジが腕を組む。
どうしたものかと、四人が道端でうんうん唸りながら相談していると、じんたが、恐る恐る、といった様子で、おずおずと手を挙げた。
「あ、あのぅ……」
「どうした、じんた。何か意見があるなら、言ってみろ」
龍也に促され、じんたは、もじもじしながら、小さな声で言った。
「……おらの、実家に、一度、帰ってみてえんですが……」
その、あまりにも個人的で、しかし切実な願い。
それを聞いた瞬間、パーティの空気は一気に和んだ。
「いいじゃねえか、それ!」
「決まりじゃな!じんたの里帰り旅行じゃ!」
こうして、パーティの最初の目的地は、じんたの実家があるという、『『秋田』』に、あっさりと決定した。
龍也は、出発前に『新宿』の売店で買っておいた、一枚の『日本地図』を広げた。
もちろん、現実世界のそれとは、地形は、かなり異なっている。
しかし、大まかな位置関係は、参考にできそうだった。
「『秋田』か……。ここが『新宿』だから、ひたすら北へ向かうことになるな」
地図を見ながら、一同はルートを確認する。
行き方は様々だが、まずは、『新宿』の北に位置する、次の宿場町『板橋』を目指すのが、順当なルートのようだ。
「よし、決まりだ!目標、じんたの実家!まずは、『板橋』を目指して、出発するぞ!」
龍也の号令に、三人が「応!」と力強く応える。ようやく定まった、旅の目的。
それは、魔王討伐などという大それたものではなく、仲間の、ささやかな願いを叶えるための旅。
しかし、それこそが、この個性豊かなパーティに、ふさわしい始まりなのかもしれない。
一行は、一路、北へ。まだ見ぬ宿場『板橋』を目指して、新たな一歩を、力強く踏み出すのだった。
『新宿』から『板橋』までは、二日がかりの道のりだった。
道中に出現する魔物は、ゴブリンやコウモリといった、すでに見慣れた者ばかり。
そして、そのほとんどを、パーティの主戦力であるシンジが、一人で片付けてくれる。
龍也たちが手伝うまでもなく、戦闘はあっという間に終わってしまう。
そのため、旅は驚くほど順調で、さほど疲れを感じることもなかった。
夕暮れ時になり、一行は野営の準備を始めた。
じんたとシンジが、慣れた手つきでスコップを振るい、大きな穴を掘っていく。
龍也は、パーティ唯一の女性であるゆうこのために、少し離れた場所に、専用の小さな穴をこさえようとした。しかし、ゆうこはそんな気遣いを、カラリと笑い飛ばした。
「なーん、気にせんでええよ。わし、そういうの気にせんタチじゃけえ」
そう言うと、彼女はひょいと、じんたたちが掘った大きな穴の中に入っていった。
気を使った分、なんだか損した気分になる龍也だった。
四人が入る穴は、なかなか広々としていた。
龍也は、土の壁に背中を預けながら、ふと、初めてこの世界で野営をした時のことを思い出していた。
たった一人で、身体がやっと収まるだけの小さな穴を掘り、闇に怯えながら夜明けを待った、あの夜。
(あの時は、まだ一人だったんだよな……)
今は、信頼できる仲間たちが、すぐ隣にいる。
その事実が、龍也の心を、しみじみと温かくさせた。
夜が明け、朝一番の恒例行事である、寝床の周りに集まってきた魔物たちの掃討も、シンジとじんたのコンビにかかれば、あっという間に終わってしまう。
荷物を片付け、一行は再び北へと歩き始めた。
現実世界でいうところの、池袋あたりまで来た、その時だった。
森の木々をなぎ倒すようにして、一体の、見たこともない巨体が姿を現した。
青白い、ごつごつとした皮膚。異常なまでに発達した、分厚い胸板と腕の筋肉。
その手には、丸太のような巨大な棍棒が握られている。
「……こいつが、トロールか」
龍也が、ゴクリと唾を飲む。
今まで戦ってきた魔物たちとは、明らかに次元が違う、圧倒的な威圧感を放っていた。
「俺が行く」シンジが、真っ先に飛び出した。
鍛え上げられた脚から繰り出される、鋭い蹴りが、トロールの腹に叩き込まれる。
しかし、トロールは「ぐあー」と唸り声を上げただけで、ほとんど効いている様子がない。
そして、怒りに任せて、巨大な棍棒を振り回してきた。
風を切る、凄まじい音。シンジは、それをバックステップでギリギリにかわす。
「聞いてないぞ、この硬さ……!」
分厚い筋肉の鎧は、生半可な攻撃を、全く寄せ付けない。
「シンジさん、援護するべ!」
じんたが、シーフの本領を発揮する。
トロールの動きは、その巨体に比例して、鈍重だ。
じんたは、その死角に素早く忍び込み、腰にぶら下げていた袋から、何かを盗み出すことに成功した。
「こっちだ、このデクノボウ!」龍也も、竿竹を構えて応戦する。
じんたが気を引いている、そのわずかな隙を突き、竿竹の先端で、トロールの顔面を狙う。
しなりを利かせた一撃が、トロールの目にかすった。
「グギャアアアア!」
目に傷を負ったトロールは、痛みに狂い、見境なく棍棒を振り回し始めた。
その隙を、シンジは見逃さない。 懐に飛び込み、渾身の連打を叩き込む。
そして、巨体がバランスを崩して倒れ込んだところへ、四人での総攻撃を仕掛け、ようやく、その息の根を止めることができた。
四人がかりで、やっとだ。
じんたとシンジは、軽い切り傷を負っていたが、すぐにゆうこが薬で手当をしてくれた。
ちなみに、じんたが盗んだアイテムは、一枚の「鍋の蓋」だった。ゆうこが、
「ちょうど欲しかったんよ」
と、嬉しそうにそれを自分の盾にした。
「……あんな魔物相手に、俺たちの武器は、チャチすぎるな」
シンジが、ぽつりと呟いた。彼の言う通りだった。
あの巨大な棍棒を振り回せるだけのパワーは、このパーティには誰もいない。
「せめて、まともな剣でもあれば、な……」
龍也も、そう思わずにはいられなかった。
幸い、その後、トロールに遭遇することはなかった。
主要な街道筋にしか現れないのか、それとも、たまたまだったのか。
やがて、一行の前方に、「もうすぐ『板橋』」と書かれた、古びた看板が見えてきた。
人の姿も、ちらほらと見え始める。他の討伐パーティだろうか。
遠目に、その戦闘を眺めていると、屈強な鎧姿の戦士が、巨大な戦斧の一振りで、中型ゴブリンを真っ二つにしていた。
(……やっぱり、専門職はすごいな)
そんなことを考えながら、一行は、ようやく、最初の宿場町「『板橋』」に、到着したのだった。