第十五話 それぞれの道、それぞれの想い
【『新宿』編】シンジが旅立ってから、『新宿』に残った三人も、それぞれの時間を過ごしていた。
それは、ただ待つだけの時間ではなかった。
ゆうこは、短期間ではあるが、本格的な薬の勉強を始めていた。
彼女が臨時で勤めることになった町医者。
そこは、バイオレットの彼氏が院長であり、そして、あのミミィが看護師長として働く場所でもあったのだ。
「あら、あんた。見どころあるじゃないの。アタシが、薬のイロハから、裏の配合まで、みっちり教えてあげるわよん」
ミミィは、薬学、特に薬草の配合において、天才的な知識を持っていた。
ゆうこは、その貴重な知識を、まるで乾いたスポンジが水を吸うように、がむしゃらに吸収していった。
一方、龍也は、なぜかママに新メニューの開発を命じられていた。
「たつやんのスタミナ炒めもいいけど、そろそろお客も飽きてくる頃よ。アタシたちを、もっとアッと言わせるような、斬新なメニューを考えなさい!」
「こんなことしてる場合じゃないんだがなあ……」
そう嘆きながらも、いざ厨房に立つと、彼の料理人魂に火がついてしまう。
夜な夜な試作品を作り、常連客たちに振る舞う日々。
それは、彼にとって、束の間の休息であり、原点回帰でもあった。
そして、じんた。彼は、シーフとしての腕を、さらに磨いていた。
『新宿』に巣食う、悪質なヤクザの事務所や、違法な商売をする会社に夜な夜な忍び込んでは、その悪事の証拠となる書類を盗み出し、警察署の前にそっと置く。
あるいは、金庫から盗んだ金を、その会社の名義で、慈善団体に寄付する。
それは、彼の師匠である哲が理想とする、「誰も傷つけない」義賊としての、実践訓練でもあった。
【『茅ヶ崎』編】シンジたちの旅は、順調に進んでいた。
先頭を、屈強なオネエ様バイオレットが、巨大な戦斧を振り回しながら進み、最後尾をシンジが固める。
その鉄壁の布陣の前に、魔物たちはなすすべもなかった。
途中、『鎌倉』古都の雰囲気が漂う宿場町で休憩を取った後、一行は目的の地である『『茅ヶ崎』』に到着した。
長旅の疲れが出たのか、なつみは宿に着くと、すぐに眠ってしまった。
その夜、シンジとバイオレットは、宿場の小さな飲み屋で、杯を交わした。
シンジは、お礼がてら、これまでの事情を、全て正直に話した。
ママの説得によって、復讐を思いとどまった、あの日のことを。
その話を聞いたバイオレットは、化粧が崩れるのも構わず、号泣した。
「なんて、いいママなの……!そして、あんたも、なんていいヤツなのよぉ!」
そう言って、シンジの背中を、何度も何度も、強く叩いた。
なつみのことについても、シンジは正直に話した。
まだ出会ったばかりで、自分自身も、亡き恋人である結子のことの整理がつくまでは、何も考えられない、と。
その誠実な言葉に、バイオレットは黙って頷いた。
二人の間には、男とオネエという垣根を越えた、確かな友情が生まれていた。
翌朝。寝てしまったことを、なつみは何度も謝罪した。
三人は、浜辺の食堂で朝ごはんを食べると、結子の墓へと向かった。
シンジが、墓石に向かい、犯人が捕まったこと、そして、自分が復讐をやめたことを、静かに報告している。その横で、なつみも、そっと手を合わせていた。
その時だった。(……その子、だれ?)シンジの耳に、確かにそう聞こえた。
それは、紛れもなく、結子の声だった。
辺りを見渡すが、誰もいない。
シンジは、心の中で、必死に言い訳をした。
(いや、これは、その、成り行きで……!)
(……うふふ)
楽しそうな、結子の笑い声が聞こえた気がした。
その瞬間、シンジの胸のつかえが、すっと取れていくような、不思議な安堵感に包まれた。
「……バイオレットさん。今、何か聞こえませんでしたか?」
「え?いいえ、何も聞こえなかったわよ?」
不思議そうな顔をするバイオレット。
海風が、三人の頬を優しく撫でていく、気持ちのいい午後だった。
その日の夕食を終え、シンジの心は、ようやく、一つの区切りをつけ明日朝出発することを思いつつ、新たな一歩を踏み出そうとしていた。
『茅ヶ崎』からの帰路は、驚くほど穏やかだった。
シンジの心に一つの区切りがついたことを、この世界の魔物たちも察したかのようだった。
『新宿』に着きバーに行く途中で、なつみは一度家に帰ると言って、一行と別れた。
「シンジさん、また、必ず会いに来ますから」その言葉に、シンジはただ、静かに頷いた。
シンジとバイオレットは、そのままバー『HEAVEN』へと向かった。
ドアを開けると、ママと龍也が準備をしていた。
温かく二人は迎えてくれた。
「お帰り、シンジ!」
「おや、バイオレット、最近見なかったわねぇ」
「聞いてよママぁ〜」
長々と事の顛末を伝えて
「ああ喉渇いちゃった、水ちょうだい」
「大変だったわねぇ」
「で、彼女は?」
「そこで家に帰るからと、別れました」
シンジがやっと口を挟んだ。
龍也は「まずは、汗を流してこいよ」と、近くのスーパー銭湯のチケットを渡してくれた。
久しぶりの広い風呂に、長旅の疲れが溶けていく。
さっぱりした身体で、仮眠室のソファに身を沈め、シンジは束の間の休息を取った。
その夜。改めてバーを訪れると、そこには、じんた、そしてゆうこの二人が、シンジを待っていた。
龍也が、まっすぐな目で、シンジに問いかける。
「シンジ。もう一度、聞かせてくれ。俺たちの仲間になって、一緒に、この先の旅路を歩んでくれるか」
シンジは、迷わなかった。目の前にいる、この信頼できる仲間たちを見つめ、力強く頷いた。
「ああ。俺でよければ、喜んで。これからは、俺のこの拳を、みんなのために使わせてくれ」
その言葉を待っていたかのように、ゆうこがテーブルをバン!と叩いた。
「よっしゃあ!決まりじゃな!ほいじゃあ、今夜は、新たな仲間の誕生を祝うて、盛大に宴じゃあ!」
ゆうこの音頭で、その夜は、盛大な宴が始まった。
次から次へと、心のこもった料理を作りまくった。
それは、新たな仲間への、最高の歓迎の気持ちだった。
じんたは、秋田弁丸出しで、シンジの武勇伝を、少しだけ脚色しながら、みんなに語って聞かせている。これで、ついに四人のパーティが揃った。
戦闘のプロであるシンジ。医療のスペシャリスト、ゆうこ。
そして、シーフとしての道を歩む、じんた。自分は、何ができるだろうか。
フライパンを振りながら、この個性豊かな仲間たちを、料理と、そして、長年の人生経験で、しっかりと支えていこうと、心に誓った。
「これで、やっと、次のステージに出発できる……!」
龍也が、そう思った、その時だった。店の入り口のドアが、そっと開いた。
そこに立っていたのは、なつみだった。
彼女は、少しだけはにかみながら、言った。
「あの……私も、このお祝いに、参加させてもらっても、いいですか?」
その言葉に、バーの喧騒は、一瞬だけ静まり返った。
そして、次の瞬間、ママの「いいに決まってるじゃないのよ!」という歓迎の声と共に、その夜一番の、大きな歓声が、店内に響き渡るのだった。