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第十二話 三人の師と試練

 伝説のシーフ「怪盗哲」への弟子入りが、ついに始まった。

 初日。哲は、まずじんたの実力を見るための試験を課した。場所は、所沢近郊の討伐エリア。

 ターゲットは、ゴブリンたちの小さな集落だ。


「いいか、ワシに気づかれずに、あの集落のゴブリンどもが持っている金目の物を、一つ残らず盗んでこい。時間は、日が暮れるまでだ」

「わ、わがった!」

 じんたは、緊張した面持ちで、しかしその目はやる気に満ち溢れていた。

 彼はすっと息を吸い込むと、まるで風景に溶け込むかのように、その気配を完全に消し去った。

 目から見ても、どこにいるのか全く分からない。


 日が暮れる頃、じんたは汗だくになりながら、しかし満足げな顔で戻ってきた。

 その手には、ゴブリンたちが腰に下げていた汚い袋や、光る石ころ、そしてなけなしの小銭が握られている。


「師匠!やりました!」

 哲は、その成果物を一つ一つ手に取り、静かに頷いた。

 そして、じんたの動きの一部始終を見ていたかのように、的確な評価を下し始めた。


「足音の消し方は、まあまあだ。だが、風を読む力が足りん。匂いが風下に向いていたから、何度か気づかれそうになっていたぞ」「物の価値を見極める目も、まだまだだな。あのゴブリンのリーダーが持っていた、錆びた短剣。あれが一番高く売れるんだが、見逃していたな」


 厳しい指摘だったが、その一つ一つが、じんたの成長のための的確なアドバイスだった。

 哲は、じんたの盗術の癖や長所を全て見抜いた上で、これからの修行の対策を練っているようだった。


 その夜。じんたは、嬉しさのあまり、熱を出して寝込んでしまった。

 長年の夢が叶った興奮と、初めての実践的な指導による緊張が、一気に噴き出したのだろう。


「全く、しょうがねえな」

 龍也は、梅ばあさんから万能薬をもらい、それをじんたの口に流し込んだ。

 薬が効いたのか、翌朝にはケロリと回復し、再び修行が再開された。


 哲の教えは、盗みの技術だけではなかった。


「いいか、じんた。我々の技は、人を傷つけるためにあるのではない。真のシーフとは、誰にも気づかれず、誰の心も傷つけず、目的のものだけを頂戴する。そのためには、何よりもまず、お前自身の誠実な『おとこ』は決してなくすな、貫け」

「じゃがな…」

 じんたには、致命的な弱点があった。メンタルの弱さだ。

 少しでも強いモンスターに遭遇するとすぐに怯え、ちょっとした物音にビクッと肩を震わせる。

 哲の最初の指導は、その豆腐のようなメンタルを鍛えることから、始まることになった。


「泣くな!どんな時でも冷静沈着でいろ!」「怖がるな!恐怖は、お前の気配を乱す最大の敵だ!」

 哲の厳しい叱咤と、じんたの情けない悲鳴が、所沢の森にこだまする。

 龍也は、その様子を、微笑ましく見守るのだった。


 メンタル特訓が始まって、数日が経った。しかし、すぐに問題が浮上した。


「……疲れた」

 哲が、梅ばあさんの淹れた苦い茶をすすりながら、ぽつりと呟いた。

 人を叱咤激励したり、厳しく追い込んだりするのは、彼の性に合わないのだ。

 じんたを鍛えたい気持ちはあるが、その方法が分からない。

 伝説のシーフも、教育者としては素人だった。


 その様子を見ていた龍也は、一つのアイデアを思いついた。そして二人の顔が脳裏に浮かんだ。


 二人の悪魔が降り立った。

 一人は、巨大な注射器を携えた、ドS看護師、名をエミリ。

 もう一人は、筋肉がはち切れそうなタンクトップ姿の、ドMトレーナー、ゴードンだ。


「面白いじゃないの、そのメンタル豆腐の坊や。アタシが、芯から叩き直してあげるわ」

「フン、恐怖に打ち勝てぬ者に、筋肉を語る資格はない!俺の筋肉が、貴様の魂を鍛え上げてやる!」

 哲は、このいかにも「ヤバい」二人組に、若干引きながらも、じんたの教育を任せることにした。


 ただし、条件があった。二人同時に指導すると、じんたが死にかねない。

 そのため、一日はエミリが精神的なプレッシャーをかけ、もう一日はゴードンが肉体的な限界まで追い込む、という交互のコーチング形式が取られることになった。


 その日から、じんたの本当の地獄が始まった。


 エミリの日は、罵詈雑言の嵐だった。

「なんだい?その腰の引けた構えは!見るからに盗人根性丸出しだよ!」「そんなことでビクビクして本当に男なのかい?情けない!」

 些細なミスを、人格否定レベルまで貶され、じんたの心は毎日ズタズタに引き裂かれた。


 ゴードンの日は、肉体の限界への挑戦だった。

「走れ!気配を消しながら走れ!モンスターから逃げる時、スタミナがなければ即、死だ!」「その程度の重圧で根を上げるな!伝説のシーフのプレッシャーは、そんなものではないぞ!」

 泥まみれになり、意識が遠のくまで、身体をいじめ抜かれた。


 地獄のメンタル特訓が軌道に乗り始めた頃、龍也に思わぬとばっちりが降りかかった。

 その日、厨房での仕事がないため、久しぶりにトレーニングルームを覗きに行った。

 そこでは、ゴードンがじんたに、滝のように汗を流させながら、凄まじい勢いで腹筋をさせている。


「どうした!その程度で腹筋が悲鳴を上げているのか!これでは、伝説のシーフのプレッシャーには耐えられんぞ!」

 その光景を、壁際で

「うわぁ、大変だなぁ」

 と眺めていると、ギロリ、と目がこちらを向いた。

 その目は、獲物を見つけた肉食獣のそれだった。


「……き、様……」

 地を這うような低い声で呟くと、ゆっくりと龍也の方へ歩み寄ってきた。


「貴様ァ!人のことを言える立場か!その、見るも無惨にたるみきった腹はなんだ!かつて俺が、血と汗と涙で、丹精込めて育て上げたお前の大胸筋は、見る影もないではないか!」

 怒りの矛先が、完全に見物人の龍也へと向けられた。


「い、いや、俺は怪我の療養中で……」

「言い訳は聞かんッ!」

 雷鳴のような一喝が、トレーニングルームに響き渡る。


「怪我が治ったのなら、それはもはやただの怠慢!怠惰!堕落!貴様のその脂肪にまみれた身体を見るだけで、俺の筋肉が悲しみのあまり萎縮していくのが分かる!」

 有無を言わさず腕を掴むと、床に転がっていたバーベルの前まで引きずっていった。


「いいか!幸い、ここにはもう一人、鍛えがいのある子羊がいる!今日から貴様も、特訓再開だ!この新人シーフと共に、一から、いやゼロから、その腐った根性と肉体を叩き直してやる!」

 こうして、龍也はじんたのメンタル特訓のとばっちりを受ける形で、

 再びゴードンによる地獄のトレーニングに強制参加させられることになった。


「やったな、タツさん!一緒なら寂しくねえど!」

「……勘弁してくれ」

 龍也の弱々しい呟きは、ゴードンの


「さあ、まずはスクワット千回からだァ!」

 という歓喜の雄叫びによって、無残にかき消されるのだった。


 最初の数週間、じんたは本気で自殺を考えるほど追い詰められていた。

 毎晩のように、龍也の部屋でしくしくと泣いていた。

 しかし、人間とは不思議なものだ。極限状態に置かれ続けると、徐々にそれに慣れてくる。


「どうせ、明日も罵られるんだべ……」「どうせ、明日も死ぬほど走らされるんだ……」

 いつしか、じんたの中から、恐怖や絶望といった感情が薄れ始めていった。

 エミリの罵声は右から左へ受け流せるようになり、ゴードンの無茶な要求にも、

「へいへい、やればいいんだべ」

 と、どこか投げやりながらも応えられるようになってきた。


 そして二ヶ月が経つ頃には、彼に大きな変化が訪れていた。

 以前のような、ネガティブで卑屈な態度は消え失せ、どこか吹っ切れたような、妙にポジティブな思考を持つようになっていたのだ。


「師匠!今日のゴードンさんのしごき、最高だったど!おかげで、足の筋肉が喜んでるのが分かる!」

「エミリさんに、今日は『少しはマシなクズになりましたね』って褒められたんだ!おら、嬉しい!」


 その変わりように、龍也と哲は、若干引きながらも、彼の成長を認めるしかなかった。

 じんたのメンタルは、二人の悪魔によって、良くも悪くも、鋼鉄のように鍛え上げれた。


 地獄の特訓は、さらに二ヶ月続いた。

 その成果は、二人にはっきりと現れていた。じんたのメンタルは鋼鉄と化し、多少のことでは動じない。不摂生でたるみきっていた身体が再び引き締まり、以前以上の筋力と体力を取り戻していた。


「……よし。そろそろ、次の段階に進むか」

 哲は、二人の成長を認め、ついにじんたに「盗みの極意」を伝授し始めた。

 それは、気配の消し方、鍵開けの技術、罠の外し方といった実践的なものから、人の心理を読む洞察力まで、多岐にわたるものだった。

 龍也は、ゴードンの死の特訓を継続していた。


 そして、さらに二ヶ月が過ぎた頃。

 哲は、二人に最終テストを課すことを告げた。


「この地図の端にある洞窟。そこには、少しばかり強い魔物が巣食っていると聞く。その洞窟の最深部にあると言われている『宝物』を、二人で協力して手に入れてこい。これが、お前たちの卒業試験だ」


 出発の前日、梅ばあさんが、二人のために餞別を用意してくれた。龍也には、丈夫な「革の服」。

 そして、じんたには、動きやすく、闇に溶け込むような「盗賊の服」。

 もちろん、万能薬もたんまりと持たせてくれた。


「儲かってんだな、梅さん」

 か・か・かと笑っていた。


 翌朝、全ての準備を整えた二人は、仲間たちに見送られ、試験の地である洞窟へと向かった。

 洞窟までは、半日の道のりだった。入り口は、不気味なほどに黒い口をぽっかりと開けている。

 二人は木の枝に布を巻き付け、松明を作ると、意を決してその中へと足を踏み入れた。


 洞窟の中は、ひんやりとした空気が漂い、無数のコウモリや、小型の毒蛇などが襲いかかってきたが、今の二人にとっては、もはや敵ではなかった。

 洞窟の中ほどまで進むと、少し開けた空間に出た。

 そこでは、ひときわ大きなゴブリン――ゴブリン大将が、数匹の子分を従えて、酒盛りのようなことをしている。

 そして、その大将が座る、粗末な椅子の奥に、目的のものであるらしい、古びた宝箱が置かれているのが見えた。


 二人は岩陰に隠れ、息を潜めて様子を探る。


「どうする、タツさん。正面から行ぐが?」

「いや、無駄な戦闘は避けるべきだ。俺たちが学んだことを、ここで試すんだ」


 龍也は、懐からパンを取り出すと、ゴブリンたちの死角になる通路の奥へと、そっと投げ込んだ。

 パンの匂いに気づいた子分ゴブリンが、一匹、また一匹と、おびき寄せられていく。

 二人は、その通路の影で待ち伏せし、やってきたゴブリンを、音もなく、一匹ずつ静かに仕留めていった。


 しかし、何匹か処理したところで、ついに大将に気づかれてしまった。

「グガァァァ!」

 雄叫びを上げ、残った子分と共に襲いかかってくる。もはや隠れている意味はない。

 二人は、怒涛のごとく残りのゴブリンたちをなぎ倒していった。


 最後の一匹、ゴブリン大将は、その巨体にふさわしく、凄まじい力を持っていた。

 巨大な棍棒を振り回し、龍也たちに襲いかかる。しかし、その巨体が、逆に仇となった。

 大将が、渾身の力で棍棒を振りかざした瞬間、その先端が、低い洞窟の天井に「ゴツン!」とぶつかったのだ。体勢を崩し、動きが止まったその一瞬の隙を、龍也は見逃さなかった。


「今だ、じんた!」

 二人の連携攻撃が、がら空きになった大将の胴体に叩き込まれる。巨体は、あっけなく崩れ落ちた。


 静まり返った洞窟の奥で、二人は宝箱を開けた。

 中に入っていたのは、見たこともない不思議な模様が描かれた薬草と、青白く輝く石がはめ込まれた、一本の古びたネックレスだった。


 無事に宝物を手に入れ、二人は帰還した。


 じんたは興奮しながら、事の顛末を語って聞かせた。

 仲間たちが次々と二人の肩を叩き、その成功を称える。

 その輪の外側で、腕を組みながらその様子を眺めている、二つの影があった。エミリとゴードンだ。


 じんたが、少しだけ得意げな顔で、二人の元へと歩み寄った。


「エミリさん、ゴードンさん!おら、やりました!」

 すると、エミリはふん、と鼻を鳴らした。


「当たり前じゃないか。このエミリ様が、あれだけ根本から腐ったメンタルを叩き直したんだ。ゴブリン大将の一匹や二匹、倒せなければ、それこそ万死に値する。まあ、死なずに帰ってきたことだけは、褒めてやってもいいがな、クズなりに」

 その言葉は相変わらず辛辣だったが、その口元には、ほんのわずかに、満足げな笑みが浮かんでいるのを、龍也は見逃さなかった。


 続いて、ゴードンが、その鋼鉄のような胸を張って口を開いた。


「フン!まだまだだ!その程度で満足するな!貴様らの筋肉は、まだ産声を上げたばかりの赤子同然!だが……」

 ゴードンは、龍也とじんたの身体を、値踏みするように上から下まで眺めると、ぐっと親指を立ててみせた。


「……その、闘争によって引き締められた肉体。悪くない。俺の筋肉が、少しだけ、ほんの少しだけ、お前たちの成長を認めているようだ!」

 それは、彼らなりの、最大限の賛辞だった。口は悪い。態度はでかい。

 しかし、その言葉の奥にある、確かな信頼と、弟子たちの成長を喜ぶ気持ちが、龍也とじんたには、痛いほど伝わってきた。


 二人は、顔を見合わせてにやりと笑うと、それぞれの鬼教官に向かって、深々と頭を下げるのだった。


「師匠!やりました!これが、洞窟の宝です!」

 哲に古びたネックレスを渡した。

 その言葉に、集まった誰もが、二人の成長を確信し、温かい拍手を送るのだった。

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